北海道・豊頃町は帯広の南東に位置する小さな町です。

集合日に役場に着いて、その夜には、歓迎会がありました。
ジンギスカンを食べたのは、その日が初めてでした。

私のお世話になる、酪農家は、牧草地をいくつも持っておられて、その牧草を刈取り、乾燥させて、サイロに収納することです。
また、私がお世話になる農家には、同じ大学の同級生もお世話になっていました。
1ヶ月寝食を共にすることになります。

家の周りには、見渡す限り牧草地が広がっています。
隣近所がない、、、いや実際はあるんですが、遙か遠くにしか、見えない。
とにかく、広い草原と高く広い空に圧倒されながらの作業です。

親父さんが、牧草刈りのトラクターで草を刈ります。刈った後は、しばらくそのままにして、乾燥させます。
数日間天日干しして乾燥した牧草を、今度は、我々が4トントラックに積み込んでいきます。トラックに積んだ牧草はその後、大きなサイロに収納されます。貴重な冬場の牛や馬達の食料になります。
そんな行程なので、最大の敵は雨です。雨が降ると、刈り取ることもできない、ましてや乾燥した牧草も湿って収納できない。とにかく、雨が降らないことを祈るのみです。
毎日、NHKの天気予報を見ることは、農家にとっては日課になってます。

とは言え、キツイ毎日の作業です、我々アルバイトにとっては、雨の日は休みです。
時折、天気予報で雨マークがあると、心のなかで少しホッとした覚えがあります。
雨で作業ができない日は、農家の親父さん、叔母さんが北海道のいろんな所に連れて行ってくれます。
襟裳岬、阿寒湖、摩周湖、網走、など本当に見所満載の北海道を満喫させていただきました。

しかし、雨が降りすぎるのも困ったことで、その分晴れの日は、夜明け前に起きて、陽が落ちるまでたっぷり働きます。休みの作業分を取り戻さないといけません。
結構、これがキツイ。若さだけで、乗り越えられたような気がします。

本当に、体力がいる仕事ですし、若者不足は深刻な問題です。その頃から、どれだけ改善されたかどうか、わかりませんが、農業の労働力不足は深刻なことと思います。

はっきり言って、楽な作業では決してありません。農家と牧草地の往復です。食事以外は風呂入って、寝るのみの生活。
さすがに、疲れている中で、同じ部屋の同級生とも、話はしなくなります。プライベートがないことがますます、疲労度を増す原因とも言えます。今から考えると、ストレスというものでしょう。

そんな1ヶ月も、振り返るとアット言う間に過ぎ去りました。
夏であっても、朝はしばれます、ストーブを焚くことは当たり前のようです。霧が大地を覆います。今ほど天候不順ではないですが、農家にとっては天気との闘いです。1年の食い扶持を春から夏にかけて稼いでいると言っても過言ではない。

私は、19歳の夏にこの経験ができたことは、本当によかったと思います。自分で体験しなければ、何も感じなかったと思います。

とにかく、大学時代は、チャレンジの時期だった気がします。

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学生相談所で紹介された夏季の北海道の農家での住み込みバイト。

単に好奇心で行くほど簡単じゃないことは一応理解していました。
農家での住み込みバイトとはいえ、その作業内容は全く別物です。

大きく分けて
「酪農地区」では主に、食用牛の世話、牛舎の掃除、牧草刈り、サイロ積み、食事やり、ときには乳搾りをおこないます。
「えりも地区」では主に、昆布漁で取れた、昆布の運搬、乾燥、切断などです。

私がお世話になった農家での作業は、「牧草地の牧草刈り」が主な仕事です。牧草を刈り取り、トラックに積み込んで、それをサイロに保管するまでが、一連の作業です。

7月10日から、8月13日までの約1ケ月間の住み込み作業です。
場所は北海道の道央と呼ばれる帯広の近くの「豊頃町」という町です。
3食付き、アルバイト代は、@4、000〜@5,000くらいだったと思います。34年も前のことなので、そこは定かではありません。
それぞれの作業農家の皆さんと、家族同様に暮らしながらの生活です。

作業日前日に現地の役場に集合です。行き帰りの交通費は支給されます。
農家での作業のことは全く行ってみないとわかりません、それよりも夢にまで見た北海道に行けることでテンションがあがりまくっていたのを覚えています。

折角の北海道行きです。
私は、中学時代から、国鉄(現JR)の鉄っちゃんでしたので、時刻表読みは得意でしたので、にらめっこしながら、行程表を考えました。今のように、出発地と行先地をスマホに入れたら行程表が出てくるわけでもありません。
まずは、大阪駅から東京駅へ出ます。銀河という急行寝台列車です。朝に着いて、高校時代の同級生に会いに行きました。途中下車扱いで行けた気がします。
上野公園など東京見物をしながら、旧交を温めました。その夜、上野駅から青森駅まで、寝台列車のゆうづるに乗車。そして青森駅で青函連絡船に乗り換えです。その頃はまだ青函トンネルが完成していません、その5年後1988年にそれは開通しましたが。
船から見た北の大地は感慨深いものがありました。函館では、世界でも屈指の函館の夜景を見るべくその日は函館泊です。
次の日は、いよいよ現地に向かうべく札幌経由で帯広方面へ。その前に是非とも行っておきたい場所がありました。松山千春さんの実家です、足寄町。
中学3年の時に、彼の歌に出会いその後は彼の歌と共にあると言ってもいいくらいの影響を受けました。是非とも、足寄町に行きたいと、、、、まだその頃は地方線も廃線になっていません、愛国駅から幸福駅へ、の切符が流行していた頃です。
憧れの千春さんの自宅はもはや観光地化されています。観光バスが家の前の駐車場に止まります。修学旅行生や観光客がてんこ盛りです。私は、足寄駅からその町を散策しながら、千春のふるさとを満喫いたしました。

そして、その後、アルバイト先の豊頃町に向かいます。
全国各地からアルバイトをする学生くんが集まっていました。歓迎会では、初めてジンギスカンを食べさせていただき、皆それぞれのお世話になる農家に引き取られて行きました。1ヶ月の長丁場のアルバイトの始まりです。

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先週・今週末と実家の自分部屋の整理整頓をしています、随分ほったらかしだったので、断捨離断行とばかり、服や書籍、VTR、カセットテープなど、よくもまぁ大事に置いてあると、自分でも関心するばかりで、なかなかモノが片付かないけれども、やはりそんな思い出の品々を目にすると、往時のことが蘇ってきます。 大学は、一浪して関西大学に入学、当時は、教師を目指していましたので、教員免許を取得することが、大学進学の最大の目的。 あとは、普通運転免許の取得と、北海道に行くこと。 この3つのことを、やり遂げられたらあとは、4年間にどれだけ自分が成長できることができるか、大学時代だからこそ、できることをする、と決めていました。 「チャレンジせずして後悔するより、チャレンジして失敗するほうが、まし」とばかりに、大学時代は色んなことに手を出した気がします。 そういう思いになったのは、中学時代、最後の野球部公式戦に原因があります。 セカンドでレギュラーだった私は、体が小さく、馬力もなかったので、とにかく粘って塁に出ようとばかり考えていた気がします。この試合の前日も、最終回四球を選んで、サヨナラ勝ちしたくらいです。不思議なもので、この日も同様に、最後のバッターが私でした。違うのは、四球を選んでもサヨナラ勝ちにはならないシチュエーションです。結果は、見逃し三振でゲームセットです。空振り三振とは雲泥の差です。振らなければ、何も始まらない。のに、見逃し三振です。 それ以来、とにかく「チャレンジしないことは、チャレンジすること以上の恐怖」になりました。 そんな思いを何時もひきづっていたのかどうかは、わかりませんが、とにかく、「やってみなくちゃわからない」は自分自身の基本的なスタンスになりました。今もなおそこは変わっていません。無謀なチャレンジは歳と共にわかってきていますので、そこは冷静な判断とともにチャンジャーでいたいと思いますが・・・  大学に入って、講義以外で必死になったのが、アルバイトです。運転免許を取るにしても、軍資金が必要です。当時は、全国各所に「学生相談所」というものがありました。学生のハローワークみたいなものでしょうか・・・ 大阪は扇町公園の西側にありました。そこへ行くと、実に様々なアルバイト求人広告が貼り出されています。アルバイト内容、アルバイト先、時給など。求人先も学生相談所経由で安心ということもあり、学生にとっても、同様だった気がします。また、タウンワークのようなアルバイト情報誌もなかった時代です。 私も講義を受けるよりも日々学生相談所でアルバイト探しです。 1日だけのものや2〜3日のもの、中期・長期、実に様々なアルバイトがはり出されています。 バブル経済の夜明け前でしょうか・・・それなりに、世間は人材不足だったような気がします。 そんな学生相談所で見つけたのが、北の北海道でのアルバイトです。 夏休み期間中、約一ヶ月の住み込みバイト。 私は、大学在学中の目的の一つ、北海道行きを、住み込みアルバイトという形で実現することになりました。 http://www.news-inc.com

 8月もそろそろ終わり、昼間はまだまだ残暑ですが、朝夕はすっかり過ごしやすくなりました。私の自宅の和歌山北部地域も、一面田んぼに、稲が青々と生い茂り、あとは、秋の収穫を待つばかりです。台風が直撃しないことを祈るのみです。雨がないと困りますが、豪雨になるとまたその被害も甚大になります。特に、農家の皆さんはそんな自然との闘いの中で収穫を待ちわびていることを考えると、その月日の長さを感じざる得ません。時折、ニュースで温室の果物を盗んだり、イタズラしたり、本当に農家の皆さんにとっては死活問題です。

たまたま、私の自宅の近所の皆さんは農家を生業としている方々が多いので、そう感じます。また、おすそ分けを頂いたりすると、まだまだ地域のコミュニケーションはあるんだと感じます。

とはいえ、実は昨日、私の住む地域の自治会の臨時集会がありました。火急の問題ではないけれども、地区の区長の問題です。50世帯余りの地区の長は基本的には、順番に毎年回ってきます。
私も5年ほど前に地区長を務めさせていただきました。週末しか帰らない地区のことなどほとんどわからない中での地区長です。1年任期だけれども、その間に色々な要望・課題が出てきます。側溝の流木が危ない、通学路の道が狭い。消火栓の蓋が開きにくいなどなど。その都度、役所に談判しに行きます。

役所も、様々な地域からの要望が上がってきますので、なかなか迅速に対応してくれません。仕事を抱えながらのことですので、こちらも時間を作ってこなして行きますので、やはり負担にはなります。しかし、誰かが、受け持たないと何事も進みません。

そして、昨日は区長そのものを辞退したいという人が出てきたので、その解決策を話し合う寄り合いです。
ご多聞に洩れず、わが町も少子高齢化が進み、かつ過疎化で、若者は都会へ出て行ってしまっているので、高齢者がほとんどです。役所に行くにも車が必要です。
体のあちこちに痛みを抱えて、区長の重責は担えない。
理由を聞くとまさしくごもっともなことです。しかし、そういう中、まだ若い方だけに負担をかけるのも、如何なものか、、、

私は、その中では随分若手の部類なので、余計に感じます。仕事との両立を考えると、簡単に引き受けるわけには行きません。小さな町のたった50世帯のコミュニティですら問題になっているこのようなことは、おそらく全国各地で起こっているのでしょう。

自然災害が頻発している中、防災、減災に地域の共助はなくてはならない力です。一人きりのご老人の安否確認など地域が取り組みべき課題は山積です。
今までの概念を一度リセットして新しい地域交流の取り組みを行政、住民、一体となって考えるべき時と思います。
生活に不安を感じながら暮らす国が本当に幸せな国と言えるのでしょうか・・・・・
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 すっかり真夏、ビールが美味しい季節です。

飲んべえは「取り敢えず、生!」という。
健康でビールを飲めるということは、小さな幸せです。

 先日、平尾昌晃さんが亡くなりになりました。昭和歌謡界の作曲家の第一人者の巨星がまた一人いなくなりました。心よりお悔やみ申し上げます。

『歌は世につれ、世は歌につれ』

まさしく、昭和歌謡には、そんな味のある歌がたくさんあります。もちろん自分自身の人生が投影されていることもありますが・・・

また、最近アナログのレコードが人気回復しているようです。今や、「音楽」自体はダウンロードするもので、私からすると、なんか味気ない気がします。私にとっては、歌はレコードやラジオ、テレビで聞く(見る)もので、その場所でなければ聞けないほど音楽を聞くことは大きな行動を伴うものでした。

気軽に音楽を外で聞くようになったのは、ソニーのウォークマンが発売されてからですね、歌を持ち運べるようになったのは・・・これはある意味革命的なことです。自分の聞きたい場所で、音楽が聞けるということ、その後、音楽は CDになり、今やダウンロードして、好きな音楽をカスタマイズして、持ち運ぶことは、至極当たり前です。

私には、ビールと音楽で、忘れられないイベントがあります。30数年前になります。天王寺にある駅ビルの屋上で営業していたビアガーデンで、歌のリクエストをお客さんから募集して、パーソナリティが、ディスクジョッキーよろしく、おしゃべりの合間にその曲を流すというものです。200〜300席はあったんじゃないでしょうか・・・
そのイベントは、約2ケ月ほど続いたでしょうか・・・
私は、そのイベントのフロアーアシスタントディレクター、簡単に言えば何でも屋さんですね。パーソナリティのDJのお姉さんの読む台本を書いたり、流すレコードを用意したり、時には、お客さんのオーダーをウエイトレスさんに伝えたり、・・・
なんせ、酔っ払いの人たちですから、もうそこは結構な修羅場です。機嫌の良いお客さんだけとは限りません。
当時は一気飲みなんてのは、当たり前のことでしたので、なかなか大変でした。わたしは、まだ大学生でしたので、アルバイトの延長で良い勉強にはなりました。
その頃は、音楽を流すこと自体が一つのイベントになっていた時代です。先ほども言いましたが、まだこの頃は「音楽を持ち運ぶ」時代ではありませんので、「こんな曲が聞きたい」がとても重宝された時代です。

そのイベントのエンディング曲はなぜか、「スティービーワンダーの心の愛」でした。ディレクターさんの好みだったのかどうか、今となってはわかりませんが、歌謡曲のリクエストイベントなのに、なぜか、洋楽の「心の愛」

しかし、なぜか、今もその曲を耳にすると、あの時代のあの風景が瞬間的に思い出されます。ビアガーデンで乾杯しているお客さんの楽しげな笑顔、バブルが始まろうとしている、いや始まっていたのかもしれません、その後のバブル崩壊を想定していない笑顔満開の元気な日本を思い起こします。

「心の愛」を聞くと、そんな楽しげな時代の空気が流れます。

『歌は世につれ、世は歌につれ』・・・・・
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うだるような暑さが続いています。私の事務所は堺筋本町にあり、昔の繊維の町・船場にあります。今やその影も薄れて、数々のオフィスビルが立ち並び、サラリーマン・OLで賑わっています。

またタワービルやマンションができ始め、それとともに、スーパーや保育園なども開業し、賑やかな町に変貌しつつあります。

 私の事務所から大阪城公園の外周を2周して戻ってくるとちょうど10kmの距離なので、健康のために、毎週2〜3度の割合でジョギングをします。

大阪城こそ今や訪日客の溜まり場と言っていいくらい朝から夕方まで、満員です。
天守閣はもちろん、その周囲での手裏剣投げや、たこ焼き、アイスクリームなど、訪日客様様ですね。
また、道頓堀も、弊社から徒歩20分くらいでしょうか・・・
そこも訪日客、どちらを向いても、韓国・中国・台湾などアジアからの観光客。
またキャリーバックをゴロゴロとしながら、買い物や立ち食いするのも、特徴です。ある意味、反日などと無縁なようなその様は、嬉しく感じるのも確かです。

そんな状況の大阪ですが、毎日新聞によると、今年上半期(1月〜6月)の訪日客は1375万人で前年同期に比べ17、4%増加しているようです。中国人の爆買いは減っているが、消費額は2兆円を超えたようです。

また一方、こんな記事も、「訪日客医療費未払い」
滞在中に怪我や病気にかかり、その医療費が未払いらしい。
旅行保険に入っていなければ、全額自費払いになるため、1件で800万円というケースもあるようだ。

また、別の日の記事では、外国人観光客向け案内図記号を追加したり、国際規格に合わせた図案に変更したり、2020年東京オリンピックに向けて、様々な取り組みを行っているようです。

確かに、たくさんの観光客が日本に来てその良さを実感・体感いただけることは、経済効果のみならず、交流促進という意味でも非常にいいことだと思います。
政治的に解決の難しい問題も民間レベルの交流から相互理解が始まることもあるはずだし、昨今の訪日客の増加は喜ばしいことです。

が、一方、医療費の未払いや違法民泊による、近隣住民とのトラブルも絶えないことを考えると、まだまだ整備しないといけない諸問題は山積みな気がします。
互いの習慣の違いから起こりかねないトラブルなど、一歩引いて、理解する努力が必要なんだろう。

今後ますます、グローバルな世界の中で、国境がだんだん近くなって来ているのかもしれません。

特に海に囲まれた日本は、そのあたりの、慣習に慣れていないのかもしれません。

異文化への理解から、まずは始めてみる必要がありそうです。

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 イベント総合EXPO・ライブ・エンターテイメントEXPOという展示会に行ってきました。幕張メッセです。

昔は、東京開催の後は、大阪開催という流れでしたが、今やそんなことをしなくても、皆東京にわざわざ行きます。

幕張メッセ、ビックサイトなど、巨大なコンベンションセンターは首都圏に集まっています。もっと言えば、今や世界的な市場・上海や北京で開催した方が、効率的かもしれません。
当然、その展示会のターゲット・購買層によりますが・・・・

とまれ、今回の展示会は、弊社の本業に密接に関わる、演出系のネタ探し、後は、プロモーションに関わるネタ探し、です。
昨今の技術の発展進化に合わせて、この業界も様々な工夫がされています。顔認証システム、チケットのペーパレス化、VR・ARのコンテンツなどなど。

私は、ブースを見て歩きながら、今抱えている案件に照らし合わせながら、使いようはあるだろうか、と考えます。

時折、アイデアの源泉は、どこから来るんだろうかと考えます。まぁそれが分かれば苦労はしませんが、、、

私は、アイデア創出に苦しくなると、まず、街に出ます。
とにかく歩く、自分の五感の中に、様々な情報をインプットします。その際に、気にすることは、アイデアのためのキーワードをいくつか、頭に入れておきます。
例えば、“舞台演出”とか、“車”とか、“1万人のお客さん”とか、、、できるだけ、具体的なキーワードです。その言葉を視覚に入ってきたものと加減乗除します。
それは、常識とか、関係なく、組み合わせたり、かぶせたり、引っ張ったり、・・・
とにかく、違うものをそうすることで、別の種類のものにしてします。
当然これは頭の中でのイマジネーション作業ですが・・・

最近は、iphoneですぐに写真を撮って
画像として、残すことでイメージを膨らませて行きます。

今回は、展示出展されているものが、直接関係するものなので、実に有意義なイマジネーション作業になりました。
そんなネタをとにかく、自分の中にインプットしておかないと、アイデアを産むためのタネを蒔いても、いいアイデアが咲きません。

インプットとアウトプットは、できれば、インプットが多い方が良いのですが、少なくとも、イコールでないと、アイデアが枯渇してしまいます。

ただ最近は、年齢とともに、若者の間で流行っていることどもに疎くなってきているので、
そこは、若者との交流でインプットしないといけないと思います。

とにかく、時代とともに、自分自身が変化・進化し続けないといけない。固執して、頑なになると考え方も止まってしまいます。とにかく、変化に対応し、進化することが肝要であると思います。

あ〜、アイデアが出ないので、ネオン街にでも散歩しに行くか・・・・・

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 2009年1月に伊豆にあるサナトリウムに行きました、健康増進のための保養所です。8泊9日という修行ような感じです。仕事上色々あったので、その色々をデドックスする意味でも、いい休暇かなということで、お世話になっている先輩に紹介していただきました。
そこは、人参りんごジュース断食の健康増進の保養所です。
様々な政財界の方々も訪れるそうで、私は、メンターである東京のマーケティングの師匠の師匠、今は亡き、サンリオの創業者のお一人、友近先生の紹介で、行くことができました。
 土曜日に大阪から、熱海経由で伊東駅へ、そこからはバスです。ゴルフ場の真ん中にそれは建っています。チェックインをして、さてどうするものか・・・・
 夕方の6時ごろに食堂に行くと、人参りんごジュースをコップに3杯いただきます。約600ccくらいでしょうか、その他、梅干しを数粒。それだけです。ゆっくり噛み砕く感じで飲み干します。朝は8時に、同じくコップ3杯の人参りんごジュース、10時ごろに具なし味噌汁、12時に昼食、3杯のジュース。15時に生姜紅茶・・・・・
黒砂糖と、生姜紅茶は自由にいつでも食べて、飲んでも構いません。そのスケジュール以外は、全く白紙です。何をしても大丈夫。
案外、それだけしか口にしない割に、お腹が減らない。ほとんど固形物を入れないにも関わらずです。3日目くらいから、舌が黄色になってきます。人によって当然違いはありますが、デドックスされてきたようです。
食堂のスケジュール以外は、散歩したり、施設の温泉・サウナに入ったり、読書三昧です。
仕事のこともすっかり忘れての日々。
 思えば、10年ほど前は、一番色々あった時期です。10数名の社員と共に、会社をどのような方向性へ向かわせるか・・・
昨今問題になっている「残業」問題。弊社も大手広告代理店と取引がありますので、その辺りの事情はよくわかります。
 この業界でお世話になり、30数年、時代とともに、考え方も変わります。また業種によってもその働き方は当然違います。
就業時間だけ、机に座っておればいいものでもありません。時代が変われば、業界も変わらざる得ないのでしょう。
私がこの業界に入った頃のことを言っても、それは懐古趣味に過ぎないのかもしれません。
しかし、やはり若い頃は、「わからないことがわからず、失敗をしてしまいます」
失敗して、そこで初めて失敗の理由がわかります。
自ら、反省する機会を与えられたことには感謝です。
今の自分があるのは、その頃の冷や汗たっぷりの失敗があったからこそと、言えます。
 毎年、新緑の季節に服部緑地野外音楽堂で開催される、「ユメハネフェス」
この地での開催は、今年で、4年目になる。私がお手伝いして3年目。ほぼ一年間、実行委員会の会議を重ねながら、この日を迎える。
発起人のkogakusyu翔の面々とは、結成当時からの付き合いになる。もう17年の月日が立つ・・・・
互いに、自分たちのフィールドで必死に活動しつつ、切磋琢磨できているのかもしれない。
アーティストとイベントディレクターという、役割の違う場所で、コラボしつつ、アドバイザーとして一緒に舞台づくりができる喜びは他ではなかなか味わえないものだ。
 さてこのユメハネフェスは、プロのミュージシャンやアーティストが中高生の学生たちと一緒にコラボレーションして、学生の夢を後押しできたら、というkogakusyu翔のリーダー吉村さんの想いが詰まったイベントだ。
音楽だけではなく、様々なジャンルの学生と一緒創りあげていく、司会も、舞台の裏方さんも、運営の裏方も学生とプロがコラボする。
出演者も、裏方も一緒に創り上げて行くところに、意味がある。
 誰しも、自分の未来への期待と不安を抱えて過ごしている。
特に学生時代はまだ見知らぬ社会への期待と不安、、、、
そんな見えない明日への道しるべに我々プロで頑張っている人たちと一緒に、一つのイベントを創り上げて行くことで、何かきっかけを見つけてもらえたら、と。
 しかし、この3年間携わっている私自身が、実は色々なことを発見し思い出しているのだ。それは、いつしか、大人になって行く中で、忘れていたものを再発見したようなそんな感じ。
忙しさやいろんな言い訳に紛れて忘れていたもの、、、、、
それをこのイベントは思い出させてくれる。
是非、皆さんも一度見に来てください。学生の必死な姿にきっと思い出す何かがあるはずです。
 新緑の服部緑地野外音楽堂で、お待ちしています。
 【ユメハネフェス2017】
4月30日(日)
服部緑地野外音楽堂
OPEN/ 11:00 START/ 12:00
全ての学生:無料(学生証提示要)
※学生招待券をお持ちの学生は招待券と、学生証の提示をお願いします。
※学生招待券が無くても、学生証提示のみでご入場頂けます。
一般:2000円(前売・当日共)
座席:全席自由
【出演アーティスト】
#kogakusyu翔
#カルメラ
#香川裕光
#竹内琢也(FM802DJ)
#戸田桃香withしおり
#Syoma
#フラトレス
#ハモニズム&ライブアートプロジェクトペインターATB
#PhotoApe
#NSC吉本総合芸能学院
【出演学校】
#大阪市立高津中学校吹奏楽部
#大阪高校和太鼓部
#大阪府立柴島高校軽音楽部
#大阪市立大学美術部青桃会
#ビジュアルアーツ専門学校
【イベントホームページ】
https://kogakusyu.wixsite.com/yumehane
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 この業界でお世話になり、34年余が過ぎた。
その間、何種類もの、また何百というイベントをやらせていただいた。
大きなイベントで言えば、1990年の国際花と緑の博覧会などは、半年パビリオンに缶詰になったイベントであり、その他、表彰式・周年事業などのアワードイベントも数知れず、展示会やキャンペーン、新製品発表会など、本当に、34年間、走り抜けた気がします。
また最近は、年齢とともに、受けるイベントの内容、推進すべき業務も変化してきます。
ありがたいことに、責任ある仕事を任されています。
プレッシャー、ストレスは計り知れませんが、34年の自分自身が経験した様々なイベントが支えになっています。
 ただ、少し寂しいのは、それだけやった仕事がなかなか形として残らない、写真や映像としては、残っているのですが、
変な話、自分の子供達に、「父親としての仕事」を伝え切れないもどかしさは常にあります。
特に裏方としての業務ですから、なかなか理解してもらえないことも、しばしばです。
 先日、毎年お手伝いさせていただいている近畿大学の入学式が無事終わりました。マスコミにも取り上げられる注目の入学式です。
音楽プロデューサーのつんく♂さんのプロデュースで創り上げる一大イベントのです。
今年で4年目です。毎年、半年間かけて、様々な方々とブレストしながら、作り上げていきます。本当に、一つ一つのプログラムを検証し、より良いものを!より斬新なものを!より感動的なものを!
常に、MOREを求めて会議を重ねています。
創り手妙味に尽きます。
そして、入念なリハーサルを重ねて、仕上げていきます。その間、実に多くの、また多岐にわたるスタッフが力を合わせていきます。誰も息の抜けない瞬間瞬間です。
幸い、毎回ドキュメント映像で残していただけるので、我々も振り返ることができます。
全てのスタッフが創り上げた作品としてのイベントです。
7、500人の新入生のために、在学生も一緒になって、この作品を作り上げていきます。
本当に、このような作品作りの一員として、携われることは、光栄であり、誇りです。
益々、素敵なイベント作りを目指したいものです。
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 人は、必要な時に必要な人と出会う。そう、言われているが、私の人生は、本当にそんなことの連続である。意識など全くしていない、けれども結果的にそんな人生の繰り返しで、50数年生きている。
 私の人生でもキーマンになる人が何人もいるけれど、出会いを強烈に覚えている人は少ない。いつの日か、親しくなり付き合っている、そんな出会いが多い中、この男との出会いは忘れ得ないものだ。
 会社を立ち上げて4年、しかし、業績はままならず、当時の創業者はこの会社を倒もうとしていた、私は、「自分の分身であるこの会社を簡単に閉めるわけにはいかない」そんな経緯で会社の代表となり、悪戦苦闘していた時期に、出会った人の一人だ。
 はっきり言って、出会いは最悪。相手が困り果てている仕事を誰も受けないから、私にその受け皿が回ってきた感じ。
普通であれば、絶対受けないリスクのあるタイミングの仕事。
しかし、そんな状況でも受けざる得ない弊社の状況・・・・
まさしく、需要と供給バランスの一致ということだ。
とにかく、時間がない、予算がない、そんな状況下で、必死にやり遂げた仕事、おかげさまで、お互いになんとか評価もいただき、面目躍如となってからは、彼とは蜜月の月日が続いたものだ。
しかし、今考えると、一緒にいてた時期はおそらく2年程度だった気がする。
そんな戦友との付き合いも、ある意味、平時になると脆いもので、だんだん疎遠になっていき、彼は、東京へ、、、、、、
少しの寂しさと、安堵感の中で、月日は流れていく。
人の付き合いとは、案外そんなものかもしれない。
先日、彼が亡くなった。
随分、会っていない。
なのに、思い出させるのは、あの最悪の出会い。なんやこいつは、って思った出会いの瞬間が、昨日のことのように映像として浮かび上がる。
彼との出会いがなければ、今の私は、無い。
弊社もどうなっていたか、わからない。
私の人生の曲がり角に、突如現れ、私を引きずり回し、導いてくれた、忘れ得ない男。
私と一つしか違わない、若過ぎる死、、、
私は、彼との出会いを、今は感謝しつつ、
この男の残した他人の人生を劇的に変えるパワーは彼の天命だったのかもしれない、そういう想いにさせられるくらい突っ走ってた、
忘れ得ぬ、大切な友・・・・
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   日進月歩、歳を重ねるにつれ進歩する技術にあたふたしながら、若い者について行こうと頑張っている。
ソーシャルネットワークについても、単に言葉・文章を投稿するだけではなく、映像のアーカイブや映像配信など、個人で放送局を持っているようなもので、それをどのように活用するかが、これからの知恵の出しどころなんだろう。
まぁ、若いから知識があるわけでもなく、また、歳をとっているから、できないわけでもない、いかに、興味を持ってそれらを学ぶ姿勢があるか、が重要。
広告やイベントの仕事をやっている中で、時折理不尽なことに遭遇する、まぁ、どんな仕事にも理不尽なことが起こるので、我々の業界だけではないだろうとは思うけれども、改めて、色々考える。
 我々の仕事は、商品を扱うことでもなく、車やテレビを修理して動くようにすることでもなく、種を蒔いて、野菜や果物を収穫するのでもない。
何かと、目に見える作業や商品を作っているようには思われにくい仕事であり、企画書や、台本、マニュアル、報告書など資料になって、やっと、それなりに仕事として捉えられるものかもしれない。
しかしながら、コンペティッションという、競争入札がある中で、アイデアを練り、なんとか、仕事を受注しようとする。
目に見えない、イベントをどのように相手に納得してもらい、説得できるかが勝負。
が、実際はなかなかこちらの意図が伝わらず、敗退し、力不足を痛感することもしばしば、、、、
また、負けたけど、実際の現場でアイデアはこちらのものだったりすると、その理不尽さに憤慨してしまう。
しかし、と考える。結局、今の世の中、インターネットで調べると大概のことはわかるもので、マネされたアイデアは所詮、アイデアに非らず、ということだろう。
いかに、アイデアだけではなく、プラスアルフアを増やすか、それは、信頼性であったり、レスポンスの速さなど、であろうと考える。
レベルの高いところで、そんな次元の仕事をやり続けていかないと、この時代、置いてきぼりになっていくのだろう、、、、
技術の進歩とともに、自分自身の進歩が重要であるということ、に気づく今日この頃・・・・
往(い)ぬる一月、逃(に)げる二月、去(さ)る三月・・・・・
光陰矢のごとし
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 長浜梅酒祭り、一昨日11日(土)から、始まりました。今年で、3回目になります。

http://www.rurubu.com/news/detail.aspx?ArticleID=8650

昨年から、会場は長浜鉄道スクエアです。現存する日本最古の鉄道駅舎です。

旧長浜駅舎は、1882(明治15)年に完成。
日本で初めて新橋~横浜間を鉄道が走ってから、たった10年しか経っていないころで、現存する駅舎としては日本最古のものです。
まだ江戸時代の様子を残している当時では、とてもめずらしい洋風建物で、壁の厚さは50cmもあって、窓枠や出入口は当時人気のあった赤レンガを使って建てられています。
まだ「駅」がめずらしい時代だったので、たくさんの人々が陸蒸気(おかじょうき)を「一目見たい」「一度は乗ってみたいと」と長浜にやってきました。
館内では、文明開化でにぎわう当時の様子が見られます。
(長浜鉄道スクエアホームページより)

また、長浜市は滋賀県の北東部(湖北地方)に位置し、中心市街は羽柴秀吉が長浜城の城下町として整備して以来の湖北地方の中心地で、長浜城廃城後は大通寺(長浜御坊)の門前町、北国街道や琵琶湖水運の要衝として発展した。姉川古戦場など戦国時代の史跡が多く、国友は近世に国内有数の鉄砲生産拠点として栄えた。
(出典:ウィキペディア)

いずれにせよ、とても魅力的な街並みです。

そんな長浜で66年間開催されているのが、「盆梅展」です。
梅の盆栽が慶雲館の中に所狭しと展示されています。
梅を愛でる盆梅展の併催行事として、3年前から開催されたのでが、梅酒祭りです。
50数種類の本格梅酒を一同に会し、飲み比べてもらおうという贅沢なイベントです。
日本で唯一の梅酒ソムリエ・金谷優氏厳選の梅酒なので、様々特徴のある梅酒が揃っています。

梅の季節に、梅を愛で、そして梅を味わう。
今週末18日(土)19日(日)も開催されますので、是非、魅力的な長浜散策とともに、梅酒祭りにもお越しください。

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 今日は立春、暦の上では、もう春・・

ですが、実際はまだまだ寒い日々が続いています。

この時期になると、春のプロジェクトで有難い事に忙しくさせていただいています。

2月は弊社のスタート月でもありますので、気の引き締まる想いです。

1995年といえば、阪神大震災が起こって、まだ2週間しか経っていない時期に弊社はスタートしました、業界的に中止や延期のイベントも数多く、不安ばかりが募る毎日でした。その上、3月にはオウム真理教によるサリン事件が起こり、世の中自体が暗澹としていくような雰囲気に包まれた事を思い出します。

会社運営が何たるかも、手探り状態でしたし、この先、どこへ向かえばいいのだろう、そんな先の見えない将来を考えてばかりいた気がします。
とはいえ、サイは投げられたわけで、立ち止まっているわけにはいきません。

とにかく、愚直に自分のできる事、自分の持っているその時の能力を最大限活かすしか方法はありません。
幸い、この業界は、様々なスペシャリストの方々との共同作業です。

案件ごとに、プロジェクトチームを組み作り上げていく。
まず大切なことは、プロジェクトチームのキャスティングです。
アイデアを絞り出す為に、デザイナーやプランナーはもとより、音響照明などのテクニカルスタッフ、美術プランナー、映像ディレクターなどを誰にするか、プロデューサーの腕の見せ所です。
限られた時間と予算の中で、最大限の効果を上げるプロジェクトチームを組織します。

そのように考えると、本当に、私は人に恵まれていると思います。
その時々に必要な人たちと出会います。

あれから、22年、この2月から23期目が始まります。実に沢山の出会いが今の弊社を作り上げていることを感じます。
「企業は社会の公器である」と言ったのは、あの松下幸之助さんでしたでしょうか・・・

どこまで皆さんに役立っているかどうか、わかりませんが、必要とされるうちは、必死により鮮度の高いものを創造し続けたい、と考えます。

今いただいている仕事も、縁の賜物、しっかり素敵な仕事としてやり遂げたいと思います。

春の足音が、そこまで聞こえてきてるような気がします。
今までのように、逃げずに真っ直ぐ、王道を歩いていきたいと思います。

これからも、株式会社ニューズをよろしくお願い致します。

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今年もやります!!!!!!
出演者も徐々に決まってきています。
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