2002年、日韓共催サッカーワールドカップから、早20年がたちました。
私も、神戸会場の担当ということで、IDカードをいただき、連日会場に足を運んでいました。日本戦は行われませんでしたが、各国のユニフォームで現れた沢山のサポーターを見て、どこから現れたんだみたいな感じで驚いた記憶があります。
世界的なスポーツ大会でもとりわけサッカーのそれは全世界中を熱狂の渦に巻き込んでいます。
「俺関係ないよ」という方もいますが・・・・それも当然ありです。

世界的なイベントは、今大きく揺らいでいます。東京オリンピックを巡る問題は、まだ先が見えません。
そして、2025年の大阪・関西万博にも大きな影を落としていることは確かでしょう。

スモールカンパニーの弊社はある程度決まったタイミングで役割分担の中での業務依頼となりますので、弊社の取引先に頑張ってもらうしかないというのが実情です。

イベント自体の推進にはやはり経験値は必要であり、コンセプト作りから、スケジュール管理、コスト管理、人的キャスティングの配置、などなど実に多岐に渡る作業がある限り1社で制作することは不可能です。なので、弊社のようなスモールカンパニーがそれぞれの得意業務を団結して、制作していく必要性があります。
それは、車や飛行機を製作していく過程で様々な会社が携わるのと一緒かもしれません。
ただし、そのチームのコントロールタワーとなるべきディレクターなり、プロデューサーが重要です。スポーツで言うところの監督という立場でしょうか・・・・
目的達成に向けて、どのように、各社をまとめ上げていくか、まさしくチームワークです。ワールドカップを見ながら、裏方であるイベント作りも実は似ているような気がします。

違うところで、イベント業界が注目されていますが、華やかなその裏側で汗をかいている人々がいることは理解していただきたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに聞いた藤原新也さんの名前に惹かれて、日曜美術館(NHK)という番組を見た。

「日曜美術館 死を想(おも)え、生を想(おも)え。 写真家・藤原新也の旅」

そうだ、この人の本を読んで印度に行きたくなって、行ったんだ。
23歳、大学の卒業旅行で選んだのが、インド。
初めての海外、それもひとり旅。
無謀が若者の特権とは言え、やはり今思うと何も考えずに、ただひたすらにインドへ行くことしか考えていなかったのだろう。

行きの飛行機と、帰りの飛行機だけ決めて、その間17日間は、気の向くままのフリープラン。

頼りは「地球の歩き方」1冊と、抗生物質をカバンに忍ばせて、トラベラーズチェックで換金。

本当に、よくぞ出国したな、と褒めてやりたい。

同じことは絶対できない。大人になって「無謀の怖さ」を知ったからかも知れない。
また、世の常識に慣れたせいかも知れない。
若さは、それゆえに未熟であり、リトマス紙のようであり、無鉄砲な存在だ。

印度で目にし、息をし、歩き、夢を見た。

潜在意識にしまっておいた、記憶の片々が、「藤原新也」の名とともに蘇る。

そうか、もう彼は78歳か、20も年上なんだ・・・・・・

35年前の記憶がスライド写真のように、ゆっくり、そして鮮明に浮かんでくる。

印度放浪は、僕の大きな大きな旅の1ページ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

32年前、この業界に入って4年ほど経っていた頃。

1990年4月から9月末まで6ヶ月間、大阪鶴見緑地で、「国際花と緑の博覧会」が開催されました。

 

何度か、ここでも書きましたが

私は、「大輪会水のファンタジアム」というパビリオンの催事ディレクターとして、現地に通っていました。

国際博覧会のパビリオンともなれば、事務局スタッフはもちろんのこと、表に立つコンパニオン、運営、技術、警備、清掃、物販など多岐にわたるスタッフとの連携・協力が不可欠です。

長丁場なので、実にさまざまなことが起こります。

 

当時、世界初のウォーターショーということで、ロボットの指揮者による、ウォーターオーケストラが素敵な音楽を奏でるショーがメインでした。口コミでそのショーの素敵さが広がったせいか、電力館と大輪会パビリオンが人気を二分するほどでした。

嬉しい反面、お客さんが殺到することになり、安全かつ満足度を失わないような運営が求められました。

 

私のミッションは、整理券を求める待ち客対策です。

整理券を得るためにできる行列のお客さんに「待っていること」を忘れさせるイベントの実施が求められました。

 

また、当時40社の連合体の大輪会グループでしたので、企業の日ということで、40社の企業のイベントを併せて企画し、実施するために、連日企業周りをしたものです。

 

その甲斐があり、大輪会は大盛況のうちに終了し、その後も同窓会を毎年開催するなど、今なおその当時のチームワークが残っています。

 

残念ながら、亡くなった方もいらっしゃいますが、このイベントを通じてイベント業界だけではなく、実に様々な企業の皆さんと作り上げたこと、今も誇りに思いますし、

私にとってのイベント業界人生でも一際心に残る催事の一つです。

 

2025年には大阪・関西万博が開催されます。

賛否はありますが、やはり楽しみです。

 

コロナ禍で、人が集まることを良しとしない風潮が蔓延しましたが、

改めて、イベントの必要性、イベントの持っているパワー、人を笑顔にする、人の心に突き刺さるものがることも実感したに違いありません。

 

私にとってものカウントダウンのイベント業界人生において、どんな万博になるのか、非常に楽しみです。

 

昨日は、当時一緒に働いていた先輩と懐かしい話に盛り上がりました。

共有できる日々を過ごした、先輩・後輩・同僚たちと、また一杯飲みたいものです。

 

Thank you for ALL.

 

*写真は、キャラクターてんまくんの氷像パフォーマンスの作品です。

真夏の日に、氷像職人さんにその場で製作してもらいました。たくさんのテレビなどの取材を思い出します。

新型コロナウイルスも感染者数は少しずつ減少傾向になってきている。
第何波か、もうわからないくらいだ。
重症化さえしなければ・・・
2020年から、もう、3年弱も経てば人の動きも順応しているのだろう。
感染症対策は必要だけれども、
インバウンドの緩和もされ、徐々に日常が戻りつつあるのだろうか・・・・
新聞に面白い記事を見つけた。
「おてつたび」
人手不足に悩む地方の仕事を、手伝いながら旅をする若者が増えているそうだ。インターネットで情報を共有し、「人手不足地方」と「若者」を農作業など短期アルバイトでつなぐというものだ。
かく言う僕も、40年近く前、大学生時代に北海道の酪農家で1ヶ月余りの住み込みバイトをした経験がある。
町ぐるみで、牧草や昆布の収穫時期に合わせて、都会の大学生を短期間「労働力」としてアルバイトで雇ってくれる、学生は夏休みにアルバイト+地方への住み込みという貴重な経験ができる、双方ともウインウインの関係だ。
まぁ、このような取り組み自体は昔からあったけれども、WEBが当たり前の現代において気軽に情報共有でき、双方の情報入手が手軽になったことも要因の一つだろう。
新型コロナ感染症で出歩くこともままならないここ数年のことを考えると、どんどん、このような取り組みに若者が参加することは、嬉しい限りだ。
また、WEBワークで、働く場所に制限がなくなりつつあることも、今後の生活様式、生き様に影響があると思える。
人生の多様化を許容し、特徴のある生活を享受することは、今後の人生にプラスになるだろう。
過去の価値観が揺らいでいる今こそ「新しい価値」を創造し、構築するチャンスかもしれない。

23年前の1999年、ギリシャ・アテネ市内にあるローマ式のオデオンいわゆる屋外音楽堂・劇場であるヘロディス・アッティコス音楽堂で「ジャパンフェス」が行われ、私は舞台進行スタッフとして1週間近く、滞在。

 

日本からは、音響エンジニア、照明エンジニアそして舞台進行スタッフが現地のスタッフと打合せをしながら、準備を行います。

しかしながら、慣習の違いで、とにかく彼らの仕事の進め方が遅い。シエスタとか何とかで昼間は仕事をしない。昼寝時間だそう。

まぁ、日本であれば、2日で済む打合せと仕込みが倍以上の日程が必要となる。おかげで、休憩時間が増えて観光などができたのは良かった気がするけれど・・・・日本が働きすぎなのか。

 

イベントの内容は、日本から太鼓集団やダンサーグループなど、

日ごろ日本で活動しているアマチュアの団体が渡航費用を払って、世界の名だたる劇場で披露するというもの、お客さんはその国の日本に興味を持っている方々。

プロではないので、ある意味趣味に近いけれども、海外の方々にとっては、物珍しさも手伝ってそれなりに拍手を頂戴していた。

 

民間レベルの文化交流だけれども、このような催しがたくさんあれば、お互いに色々理解が深まる気がする。

 

新型コロナウイルスで、交流が難しい昨今だが、状況的には、世界がグローバルに繋がっていることが、このコロナ禍でハッキリしたのも確か。経済的にも、文化的にも、エネルギー問題など、一国で完結する時代ではなく、様々な国との交流が必要。

 

イベントは一過性のものだけれども、そこで生まれた交流は持続可能なものだし、そこから新しい価値が生まれるはず。

 

コロナによって、大きく変容した様々な価値観を、良い意味で前向きに捉える必要があるのだろう。

 

 

2022年も半分が過ぎました。コロナ禍のアフター?ウイズ?を考える時期なのかもしれません。
あらゆる業界にとって、変容すべきタイミングなんだろうと思います。
変化の時期はチャンスの時期でもあります。
久々に東京ビックサイトの展示会に行きました。
「イベント総合EXPO」「ライブ・エンターテイメントEXPO」「eスポーツビジネスEXPO」「XR総合展」「CONTENT TOKYO2022」など、弊社に関係する業種が出展していました。
コロナ禍でなかなかリアルな展示会も最近は久々でしたが、なんとも人がいっぱいでしたね。
再び、新型コロナ感染も増加傾向にありますが・・・・慣れなんでしょうか。
夜の新橋あたりは大賑わいでしたし。この辺りは完璧コロナ前状態でした・・・・
それはともあれ、今回は展示ブースだけではなく、関連セミナーも積極的に受講してきました。
ウイズコロナ、アフターコロナ・・・色々言い方はありますが、確かにイベントの業態が変容していることは事実です。
イベントの醍醐味はリアルで、期間限定、仮設、その場だけの共有、など、そこに行くこと自体に価値があったし、そこでしか味わえないものがあることがイベントそのものだった、と思います。
しかしながら、新型コロナ感染症が、あらゆる業界のそれまでの価値観をひっくり返したのが真実。
イベント業界も、リアルからオンライン、ハイブリッド、そして仮想空間へと、それぞれの特徴を活かしたやり方が必要な時代になってきた気がします。偏に、ターゲットであり消費者である、伝えたい人々の価値観、生活様式の変化がそうさせているのでしょう。
リアルイベントの効用、オンラインイベントのメリット、ハイブリットイベントの役割、仮想現実の世界でのイベントの在り方・・・・・
その方法論だけではなく、その先にどういう効果を期待するのか、、、、、、、
今後、我々が考えるべきことはそこのところかもしれません。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1987年7月から44日間にわたって開催されたイベント。

東京大阪同時開催のテレビ局主催の大型イベント。

大阪はインテック大阪で、様々なパビリオンがあり、さながら小さな万博のようなものでした。

 

私は入社3ヶ月というのに、「メルヘンジャングルはれときどきぶた」というブース運営を任されました。

フジテレビ系列でオンエアされていた幼児・子供向け番組・ひらけ!ポンキッキで人気のあった「はれときどきぶた」という児童文学作品をエンタメ風のアトラクションにしたパビリオンブースです。

その他にも、ゲゲゲの鬼太郎館やラジコンカーにCCDカメラをつけたアトラクションなど、その時代としては、最先端の技術を取り入れたエンターテイメントイベントだったようです。

今も、テレビ局主催のイベントが数多く開催されていますが、その走りのイベントだった気がします。

 

運営スタッフ、出演者、テクニカルスタッフなど総勢100名以上の大所帯です。

 

 

このパビリオン、結構人気があって、連日行列ができるほど盛況。それはそれで嬉しいことですが、

その分、お客さんからの要望がたくさんスタッフに入ってきます。

「待ち時間が長い」「整理券などの対応はできないのか」「暑い」「座りたい」など

子供向けのパビリオンのため、ベビーカーの置き場をどうするか、アトラクションコーナーでの事故防止に必要以上の目配りが必要、家族連れのため、迷子にならないように誘導しなければならない、などなど。人気パビリオンだからこその苦労があった気がします。

しかしながら、我々にとっては44日分の1日ですが、お客さんにとっては、たった一度の体験になります。なんとか、その要望に応えるべく、スタッフと知恵を働かせたものです。

本当に、様々なトラブルが起きましたが、今の私の原点を学んだイベントの一つではあります。

 

その中でも、重要なのがクレーム対応です。

対応の仕方を間違えると、ちょっと大変です。

主催者サイドも大変ですが、お客さんの思い出も嫌なものになってしまいます。

しかしながら、そこをうまくすることで、お互いに納得できるものになることも確かです。

 

全ての場面に当てはまるかどうかわかりませんが、概ね下記のような対応は最低限必要です。

 

1ークレーム相手の話を中断することなく最後まで親身になって聞く。

2ーその場での議論は絶対に避ける。

3ー明確に解答できない問題は、担当責任者が対応、それでも難しい場合は主催者が対応。

 

いずれにしても、クレームが発生したときは、冷静な判断と対応が必要です。

 

人がたくさん集まるイベントにおいて、その世界はある種、異空間であり夢の世界、ちょっとテンションが上がっていることも確かです。

みんなが笑顔で過ごせる環境づくりを心がけたいものです。

 

1987年、バブル日本が全盛期時代のイベントの一コマでした。

 

少しご無沙汰です。

一向に、新型コロナも終息する気配はなく、

欧州方面では今なお戦闘が続いている。

国内においても、遊覧船事故やなんか悲しい、やるせないニュースばかりで、

春の陽気に浮かれるわけにもいかず、・・・

 

ここ2年余りの間に、生活様式も変わって来たように感じます。

 

イベント業界も以前のようにとはいかないですし、制約が緩和されているとはいえ、

まだまだ、マスク着用の中、自由に声援をおくったり、大声を出すことはできない。

なんか、もやもや感は否めない。

 

気を変えようと、部屋の整理などをしていると、社会人になって初めてやった仕事の写真とチラシが出て来ました。

 

オールディーズのミュージカルです。

アメリカはダラスから招聘された21名のアメリカの出演者やスタッフと1ヶ月余り過ごしたイベントです。アメリカ人のステージマネージャーのアシスタントとして、ミュージカルを陰から支えさせていただきました。

本番後、皆で飲んで踊って騒いだことを思い出します。

あれから35年、確実に私のイベント人生での大きな仕事の一つであったと思います。

 

 

 

 

仕事でも、プライベートでも予期せぬことが起こることはよくあることで、アクシデントが起こった時の対応力がこれからの時代、生きる力となり得るのだろう。SNSというものが他人の様々な情報を可視化し、拡散化する時代。

打たれ強いことも、必要なスキルの一つと言える。

ただ、我慢するだけでそのアクシデントを受け入れるにはちょっとしんどい気がする。ストレスをいかに溜めないようにするか。

 

大阪の文化は笑いの文化である。

小学生の頃から、吉本新喜劇を見て育ってきた。

日常生活に、ツッコミとオチの会話がある。

喜怒哀楽を、笑いに代えることで日常を守ってきたのかもしれない。

そして今こそ、そのスキルが生きる力になっている。

笑い飛ばすくらいの生命力が必要な時代。

SNSで匿名で誰が言っているかわからないことを気にしすぎて、ストレスを溜めるよりは、それさえも笑いにかえる。

 

大阪人が二人集まれば、それは漫才だ、と言ったのは、かの渋谷天外さんとか・・・・さもありなん。

 

アクシデントをサプライズに変える力、笑いは生きる術だ。

 

アクシデントが起こった時こそ、おいしいと思う。ネタネタと一人ほくそ笑み、「これぐらいで許しといたろ!」

転けてもただで起きないのが大阪人、それが今の時代必要なスキルなのかもしれない。

 

 

春、まさしくスタートの季節。
夢や希望を抱いて、新たな生活の第一歩を踏み出す季節です。
桜がそんな季節を祝うように、満開に花を咲かせます。
しかしここ2年は、新型コロナウイルス感染症が、そんな春を忘れさせるくらい猛威を振るい、平凡な日常を奪い続けています。
近畿大学の入学式の演出・制作に携わって早9年。
今年度も、無事終えることができました。
私の春はこの入学式が無事終えてから来ます。
晩秋から、何度も協議を重ね、どうすれば、新入生に大きなおめでとうを伝えることができるか、それを考え続けます。
制作側と新入生の想いをどう近づけて感じるか・・・・・
ましてや高校生活のほとんどをコロナ禍で過ごした彼ら、彼女らにこれからの夢や希望を具体的にイメージさせるにはどうすればいいか、、、、
大学生活、一番最初のイベントでそんな想いを抱かせることができたら、ひとまず成功かな、と思います。
世界が不穏な中、若者には時間があります。是非、これからの生活を充実したものにして欲しいものです。特に大学4年間はある意味、いろんなチャレンジができる時期だと思います。

 

あれよあれよと言う間に3月も終わり、4月の声が聞こえてきます。
新型コロナウィルスにも慣れてしまったのか、感染者数に右往左往することも少なくなりました。一方、ウクライナ・ロシアの戦禍も既に1ヶ月。
遠い欧州のことと思うなかれ、いつ我が国もそのようなことに巻き込まれるかわかりません。
なぜか、人間の横柄さ、横暴さ、身勝手さをコロナ禍と戦禍が炙り出しているような気がします。
平凡さがどれほど尊く、大事なのかを2年余のコロナ禍でわかったはずなのに、、武器を持って、人の命を奪い合う。
また、そんな人間社会に警鐘を鳴らすように、自然災害が起こっています。月日の経過とともに、人は老いていきます。自然の摂理です。
我が息子・娘や孫たちの未来社会を考えると、不安が拭えません。
一体、我々は何ができるのだろうか・・・・・
最近、30年近く前にお世話になった方や高校時代の友人から連絡をもらう。出会いは出会うべき時に訪れると言うけれど、今まで、何人の人たちに出会い、お世話になったろう。
一期一会、2度と会いまみえることにない人も沢山いるだろう。
それでも、季節は巡り、春になり桜が咲き、そして散る。
・・・夏が来て、秋が街を色づかせ、冬が訪れる。 自然の摂理に反抗はできない・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気づいたら、冬季オリンピックも終わってしまいました。

 

なんとなく、欧州方面が不穏な雰囲気になりつつありますが・・・

 

平和の祭典の中でも、いろいろ問題があった気がします。

まぁ、今に始まった事ではないけれど、大義名分と現実の落差。

 

それでも、アスリートたちの懸命な姿は我々の心を打つ。

 

私も、スポーツをしていたので、その限界へのチャレンジの尊さは理解しているつもりです。

そのチャレンジに対して、誰も何も言えるはずがないですね。

他人を中傷する前に、我が身を振り返れよ、って思います。

 

昨今、SNSのせいなのか、顔の見えない匿名中傷者の、いかに多いことか。

それだけで、世の中が荒んでしまう気がします。

もっと、賞賛が溢れたらいいのに、と思うのは自分だけだろうか・・

 

 

しかし、ロコ・ソラーレのカーリングの選手たちには、感動をいただきました。

彼女たちの笑顔がどれだけ我々に勇気と癒しをもたらしたか・・・

吉田知那美選手が「楽しむには覚悟がいる」「笑顔がポーカーフェイス」っておっしゃってた。

なんて、深いんだろう・・・・

彼女たちの日々の努力が結集したのが、今回の「銀メダル」です。

ただただ、素直に拍手だし、「ありがとう」です。

 

この矛盾に満ちた世界の中で、忘れてはいけないものをアスリートのみんなに思い出させていただいた。

 

今一度、自分にできることを、精一杯やる覚悟が大事だな・・・・・

 

それにしても、最近の若者はなんてしっかりしているんだろう、日本のオリンピアンズのインタビューの受け答えを聞いてると、本当に感心してしまいます。こちらこそ、ありがとう!ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年(令和4年)も既に1月も終わりに近づきつつあります。

 

一方、新型コロナ感染症は、新たなオミクロン株が猛威をふるって

今まで以上に感染者数が急拡大しています。

重症化しにくいと言われていますが、そうは言っても後遺症など、やはり心配のタネは尽きません。

専門家含めて、いろんな方々が、様々な観点からご意見を言っているけれども、果たして何が正しいのか、明確にはわかりません。

 

2020年1月頃から騒ぎ出して丸2年、わかったこと、わからないこと、どうすればいいのか・・・・・・残念ながら、今もなお不明な状態は変わりません。

 

我々がいかに、未来に対して無力であるかを突き付けられた気がします。

 

イベントを生業にしている弊社は、モロに影響がありましたが、そのことにより、別の方法・手段でのイベントの在り方が考察されています。リモート・オンラインでの配信、インタラクティブな形での参加性など・・・・・

会場が無観客でもできることを模索している事実。

最近、やっと観客を入れて徐々に満席を目指していたところでの、

感染拡大。一体この先どうなるのでしょうか・・・

 

平凡なことがいかに大切かを、このコロナ禍で嫌というほど知らされた気がします。

しかしながら、時は止まりません。時を戻すこともできません。

未来に対して無力な我々が抵抗できるとしたら、「今」をどう過ごすか、、、

そこに、答えがあるのでしょう。

 

弊社も2月から、28年目に入ります。

 

思えば、いつも「今」を必死にやってきた結果が28年という歳月になった気がします。様々な人たちに助けていただきながら、今なおイベント業界で過ごさせて頂いてることを思うと、感慨深いものがあります。

 

しかしながら、まだまだ青二才、為すべきことはたくさんあります。

1年に一度、初心忘れるべからず、「今」を必死に前向きに進んでいきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Withコロナの実質3年目が始まりました。

2022年・令和4年です。

 

弊社も、本日から仕事始め、・・・

と言っても、初日は「頂いた年賀状」を見せていただくことが、初仕事です。

 

昨今は、SNSやメールでもいただくことが多くなりましたが、年賀状はその会社やその人のセンスが、垣間見えてそれなりに、

楽しんでいます。それはともあれ、年1回の年賀ハガキで、先方の元気な便りに安心したり、ほっとしたり、とりわけここ2年間のコロナ禍で、いろいろ大変な思いをされていることは想像に難くないですし、なんとか乗り切って欲しいと思ったりします。

 

年始には、それなりに「今年のテーマは?」を考えます。そのうち忙しくなり、テーマすら忘れてしまいますが・・・

まぁ、年始ぐらいはそんな想いに浸ってもいいかなと思っております。

 

 

 

それなりの歳になって来ると、この業界のいく末を考えます。

38年間この業界で過ごしてきた、その中で学んだり経験したことなどを後輩たちに伝達する責務があるのではないか、最近そんなことをよく考えます。しかしその経験を実体験できる機会が減ってきている。成果主義が価値観の大きな要素になってきているので、経験の少ない若手に任せることができない。

我々が、20代で経験したこと、特に舞台関連の仕事を任せられない。

 

「がなりマイク」を握って、テクニカルスタッフをまとめあげ、演者に的確に指示をしながら、気持ちよく演じてもらう。

その一方、主催者の思いを表現していく、それらを一瞬一瞬、決断しながら、推進していく。

イベントにおける舞台演出・舞台監督のポジションが、危機に瀕している気がします。

 

 

後進の育成がある意味今年のテーマかもしれないな、なんて年賀ハガキを見ながら考えています。

そう思いつつ、「まだまだ現役でやったるで」を意気込む自分もいます。

 

そう、まだまだ進化しなければいけないと思っています。

 

皆さんに、役立つならばまだまだ今年も素敵な舞台を創造していきます。

 

2022年もよろしくお願いいたします

昨今「コロナ禍」が、通常の生活と思っている・・・
2年という月日がそれを日常にしているような錯覚にする。
いや、錯覚ではなく、これからの日常が「今」なのだろう・・・・
不自由な制約の中、できることを精一杯やってきた。
ことのほか、イベント業界における制約は未だ厳しいと言わざる得ない。
“たくさん集まらない”“声を出さない”“人と人の間を一定空けること”などなど
そんな中でもできうる限りの対策を講じながら、イベントを成立させようとしている。
制作者も、演者も、そして観客も・・・・・
三位一体でのイベントづくり。
そんな状況下だからこそ、ライブでのイベントが希求される。
リモートやオンラインなど、コロナ禍だからこそ成立したビジネスモデルは、
その限界を露わにし、振り戻しよろしく生イベントの良さを改めて実感している。
極論すれば、生ライブに飢えている。コンサートしかり、漫才・演芸しかり、展示会、講演会、その他イベントであることで成り立ってきたビジネスが、元に戻りつつある。
そう考えると、コロナ禍の2年の歳月は無駄じゃなかった気がする。
何事も、マイナスがあれば、プラスがあり、そして何かが生まれ、滅んでいく。
結局、人に求められるものは生まれ育ち、残り続けるけれども、
人に求められないものは、廃れ、失われていく。
栄枯盛衰は世の常といえよう。
2022年はどんな一年になるのだろう。
楽しみであることに変わりはない、世の中がどのように変化しようが、どのようになろうが、
自分自身の立ち位置を見極めることができていれば怖くない、ということをコロナ禍で学んだ気がする。
求められれば、全力で、立ち向かい。100点以上を目指すのみ。
2021年はそれを実感した年であり、今後それをどう活かしていくか、自分自身のミッションである。