暦の上では、今日は、二十四節気の一つ、大暑です。
しかしながら、今年は、梅雨明けが長引いており、日照不足で、
農作物など、様々なところで影響が出ています。
しかし、夏といえば、ビアガーデンです。
昨今は、料理もビッフェ形式で味もそこそこ美味しいですし、様々な工夫がなされていて、会社帰りの人たちの楽しみの一つですね。
思えば、33年前になります、あるビアガーデンで「トロピカルビアガーデン・DJステーション」というイベントを期間限定でやっていました。
当時、ビアガーデンの呼び物の一つとして、お客様のリクエストに答えて「音楽」を流すイベントです。
まだ、「歌」を持ち運ぶことが普通じゃ無い時代です。
ビールジョッキを片手に、好きな曲をリクエストしていただき、女性のディスクジョッキーが話をしながら、レコードで
音楽を流します。
曲と曲の間には、「プロ野球速報」でタイガースの途中経過をお知らせしたり、
リクエスト曲のトピックスを話したり・・・・
ビアガーデンの「お食事券」が当たるクイズをしたりと、お客様に楽しんで頂くための「DJステーション」です。
私は、フロアーアシスタントディレクターとして働いていました。大学4年の頃です。就職をどうしようか、悩んでいた頃だったと記憶しています。
「カレーチケット」をもらって、社食でカレーを食べながら、ディレクターと打合せです。
進行台本に沿って、全体の流れを理解して、「このタイミングでプロ野球速報を、ただしタイガースが負けてる時は、すぐに次の曲、そしてクイズもあまり引っ張らんと、多めに当たりが出るような問題にしよう・・・・」など
酔っぱらい相手なので、ちょっとしたことでクレームになります。特に、タイガースが負けてる時は危ない・・・・
女性のディスクジョッキーは、アナウンススクールの卵、若手だった気がします。
あの頃は、20代前半で現場を任されていたくらい、仕事がありすぎた気がします。
思えば、バブル絶頂期です。世はビアガーデンも毎夜盛況なくらい浮かれていたのでしょう。
その後、ビールの泡も弾けるような暗い失われた20年を迎えようとは、誰が想像できたでしょう・・・・
一寸先は闇、今思えば、そんな時代の華やかなイベントだったと思い出されます。
何でも屋の仕事で、「“歩こう会”と一緒に歩こう」というものがありました。
 
1985年6月、四国と淡路島が橋で結ばれました。
大鳴門橋は、後の、岡山と香川の瀬戸大橋(1988年)、明石海峡大橋(1998年)しまなみ海道(1999年)に先駆けて開通。
淡路島といえば、夏休みになると海水浴客がフェリーで渡っていたので、10時間待ちなど、長時間待ちも常態化していました。
橋が架かることでその経済効果は計り知れなかったのでは無いでしょうか・・・
その後、瀬戸内海を渡る橋が様々なルートで開通し、その度に博覧会が開催されたものです。
その話は、後日させていただきますが。
大鳴門大橋は、淡路島と徳島県を結ぶ橋、本州からはなおフェリーで渡るしかありません。
とは言え、初めて四国と淡路島が陸続きになったことは画期的な事です。
その年、淡路島では「くにうみの祭典 淡路愛ランド博覧会」という博覧会が4ケ月余り開催されました。
この博覧会は、私に大きな転機を迎えさせるのですが・・・・・・
橋や高速道路が新しく開通する直前に、記念に「歩こう会」が開催されます。開通後は、車の専用車線となりますので、
一生に、一回の歩き納めと言えるかもしれません。
全国の「歩こう会」の有志たちが集まってきます。
その時も、そうでした。
私たちは、スタッフとして参加です。「歩こう会」の方々は老若男女・様々な年齢の方がいらっしゃいます。
我々スタッフは事故のないように、一緒に歩きます。
渦潮が、真下で大きな渦を巻いていたのを昨日のことのように思い出されます。
しかし、あの当時は本当にいろんな仕事が舞い込んできたものです。
七夕の季節になると思い出します。
残念ながら、淡い恋物語などではなく、「巨大七夕購入事件」です。
今から、35年ほど前になります。
大学生の私は、友人と「何でも屋」を共同経営していました。若さだけが取り柄の「何でも屋さん」です。
友人のほか、学生連中にアルバイトを斡旋する、人材派遣業のはしりです。
ワンルームマンションに固定電話を引いて、チラシをポスティングすることから始まりました。
当時は、インターネットはもちろん携帯電話もない時代です。
情報をつかむことはそれだけでビジネスのタネを掴むようなものです。
「知っていることがノウハウ」の時代
タウンページという黄色の分厚い本しか情報源はありません。
そんな時代です。チラシのポスティングだけで、いろんな相談電話がありました。
「何でも屋さんですか?換気扇洗って欲しいんですけど・・・・」
「結婚式の披露宴の余興して欲しいんですけど・・・・」
「吉本新喜劇の大道具を運んで欲しいねんけど・・・」
などなど、個人から会社まで、実に様々な依頼が舞い込んできました。
七夕が近づいた初夏の頃です。
「平塚の巨大七夕を運んで欲しいねん」
平塚の七夕ってなんや?
聞いてみると、神奈川県平塚市で開催されている「平塚七夕まつり」(現在は湘南ひらつか七夕まつり)の巨大な七夕の飾りを運んで、大阪の商業施設に飾るらしい。その運搬の仕事です。
どういうルートで話をつけたのかはわかりませんが、「平塚七夕まつり」が終わった夜の撤去のタイミングに行って、お金支払って、引き取る仕事です。
アルバイトスタッフと2人で運転を替わりながら、平塚まで行き、無事巨大七夕を大阪へ運び終えました。
今考えると、用無しになった巨大七夕を安値で買い上げて、リユースする。
「平塚の七夕」というブランドが必要だったんだと思います。
大阪の商業施設では、その後1ケ月の夏商戦で「七夕まつり」が開催されて、大いに賑わったものです。
我々の何でも屋は、大きなビジネスモデルの隙間を埋めるような仕事が多かった気がします。
誰もやらない、やりたがらない隙間の作業。
しかし、その隙間から見た風景はキラリと光るビジネスチャンスの宝庫でもありました。
若さ故、その後、何でも屋は分裂して、終わりを告げます、2年弱の活動でしたが、そこで得た経験は今もなおビジネスチャンスのタネを見つける視点を持たせてくれています。
ちなみに、その後商業施設での「七夕まつり」
「巨大な水槽作ってな、的に当たったら、水槽に落ちる人探してんねんけど、やってくれるか!」
1ケ月、我々は、誰もやりたがらない、巨大な水槽に1日何度も落ちる羽目になりました。
あの頃は、なんも怖いものが無かった気がします・・・・・

一昨日から、秋田に仕事で出張、仕事を終えて 「きりたんぽ鍋」に舌鼓を打って、秋田の地酒が疲れた身体に沁み渡る、つかの間の休息。 地方での仕事の醍醐味の一つは、地元の郷土料理を味わえること。 今ほど、情報が開示されていない20〜30年前は、やはり地元の有志に地元の隠れた名店に連れて行ってもらったものです。逆に、関西に来られる際は、こちらが「関西の名店」を案内します。 互いに“ならではの味”を楽しんでもらうことに心血を注いだものです。 おもてなしの交換が仕事において一体感を醸成します。 些細なことですが、美味しいものを一緒に食することで、繋がる想い。 よく、業界以外の方々から、仕事のエリアを聞かれます、その際は、「全国・全世界です」と答える。 当然、支社があるわけではなく、この業界の特質が一因であるのですが・・・ 「一つのプロジェクト」を一社で創り上げることは不可能な業界。 ある式典を創り上げるには、プロデューサー、演出、舞台監督、音響、照明、映像、特効、舞台美術、運営、進行などなど、それぞれのセクションのスタッフが推進チームを組んで創り上げていく。 関西の現場であろうが、地方の現場であろうが、海外の現場であろうが、そこは変わりません。 それぞれのセクションの連携が一番大切です。 仕事の依頼主・クライアントさんが、何をしたいのか、何を求めているのか、それをどのようにして形作っていくか。 同じ方向を見ながら、一緒に作っていけるスタッフかどうか、がとても重要なキーとなります。 寝食をともにすることも、大事な要素です。飲み過ぎは良くないですが・・・・・笑

 

最近始めたインターネットラジオのパーソナリティ、 コンセプトは「裏方さんをフィーチャー」すること、、、、 イベントという、ともすれば派手で華やかな仕事を、影で支えているスタッフがどれだけいてるかを少しでも知って頂きたい。 そんな想いで今年の2月から始めて、7月で10人のゲストの方に出演いただき、拙い私のパーソナリティにお付き合いいただきました。 そして、それぞれのゲストの方々の軌跡をお伺いするにあたって、本当に「人に歴史あり」を感じます。 30分でどこまで、その方々の個性を表現していただいたかは、わかりませんが、本当に、おひとりおひとりの人生の軌跡を垣間見たような気がします。またこれからの活躍を期待したいと思います。 そして、まだゲストにお呼びできていない素敵な方々がいらしゃいます。 そんなそれぞれの世界で頑張っていらっしゃる人々をこれからは繋いでいけたらいいな、と考えます。 少子高齢化、インバウンド、介護のこと、人手不足、AIなどロボット世界の到来、自然災害における減災・防災対策など・・・・我々の生きている時代は常に変化し、変貌しています。 人間が仕切っているようで、それは間違いで目に見えない大きな力が我々をいつも試しているのではないか、そう思います。 だからこそ、一人一人のノウハウの連携が必要な気がします。 また、異業種の連携が新たなものを生み出すような気がします。 テーマに沿ってそのソリューション策を考える。視点が違えば、見え方も発想も今までにないところから生まれてくるのではないでしょうか・・・ 十人十色、10人集まれば、それぞれの発想があるはず、その発想を加減乗除することで生まれる新たな知恵。 最近、そんな素敵な人々の想いを知るにつれ、これから先何かできることはないだろうかを考えます。

 令和元年も1ケ月が過ぎ、ひと時の喧騒も静かになってきました。
日々、新しいことへのチャレンジを模索しています。
できること、できないこと、を両天秤にかけながら、やりたいこと・やりたくないことを取捨選択。
できることでやりたいことであれば、即GOです。
まずは、最初の第一歩から・・・・
やりながら、考える。
うまくいかないことは、多々あれどそれも糧にできる経験として・・・・
2月から、インターネットラジオのパーソナリティに挑戦中、です。
スポンサーがいないので、ある種気楽にお話をさせて頂いています。
毎回、長いイベント業界で出会った「裏方さん」にゲストに来ていただき、お話を聞いています。
私にとっては、皆、仕事の先生であり、「福の神」です。
その方々との出会いの連鎖が、いまの自分を作っていることは確かです。
必要な時に必要な出会いが、私をそして私の会社を支えてくれているのは、確かです。
ゲストは月2名しかお呼びできないので、まだまだ、お世話になった方々に声かけ出来ていませんが・・・・
拙いパーソナリティの私に合わせてお話いただいていますが、
ゲストの方々の人生の一端をお伺いできることは、私にとっても大きな発見ですし、
案外知られざる一面が垣間見えたり、楽しませて頂いています。
イベントといっても実に様々な業務があります、華やかそうなステージイベントやキャンペーンなど、
プロモーションイベントには、必ず目的遂行のミッションがあります。
売上増加、ブランド力強化、認知度アップ、集客効果などなど。
単に、楽しく、騒いで終わりではないのが、プロモーションイベントの宿命です。
実は、そんなミッション遂行のために、裏方として頑張っている方がどんな業務をしているか、
少しでも知って頂けたらいいなっということでゲストに来ていただきお話頂を伺っています。
それぞれの得意なことをコラボしながら、新らしいビジネスモデルが見つかれば面白いのでは、と考えます。
デザインが得意、料理が得意、役者としての表現力、プロデュースが得意、船を活用したイベント構築、音楽を違う形で広めたい・・・・
特に大阪は今後、国際イベントが目白押しです。
グローバルな世界で、一人一人のヒューマンパワーの結集が必要です。
私のパーソナリティチャレンジが、周囲の人々の新しいチャレンジにつながれば、またそれも嬉しいものです!

初めての雨に降られたにもかかわらず、最後までカッパを着て、また傘を差して、残っていただいたお客さんには、感謝しかありません。

毎年、基本、実行委員会が、ほぼ1年かけて企画を考えます。
実行委員として、構成内容、収支予想、動員方法など、
プロモーションイベントと違って、クライアントがいない。
従って、協賛、協力、後援を自分たちで集める必要があります。
助成金へのチャレンジもします。

実に様々な方々の力が結集しています。
もちろん、発起人のkogakusyu翔のメンバーは自分たちの活動の合間をぬって、出演者の発掘、交渉など、そしてその後は、出演に際しての合同練習など、本当に、華やかなステージでの演奏だけではなく、実に年間通じて休む間も無く、裏方としても、動いています。

6回続けていることの意味を考えます。
プロモーションイベントは、クライアント(スポンサー)が辞めると言えばなくなります。
当然、プロモーション活動なので、その予算に合った効果がないと、選択肢としては仕方ない面があります。イベントを販促方法の手段とする限り仕方ないことです。
一方、「ユメハネ」はクライアントがいません。協賛頂いている企業さんもありますが、販促目的というよりも、「このイベントの趣旨」に賛同いただいてエールをおくっていただいている感じでしょうか・・・・
正直な話、今後も「エールをおくって頂ける企業さん」が増えると助かります。
本当に、6回続けることは大変なことです。
時間的な制約、経費的な制約など、、、
しかし、クライアントがいないということは、我々の想い、そして参加いただいた学生さん、ゲスト、そして来場いただいたお客さんの想いが一番と言えます。

少しずつ、知名度も上がってきてます、「継続は力なり」と言います。
少しずつ、力を頂いていることも確かです。

平成から、令和へと時代が移り、新たな時代が始まります。
心の時代、その心に刻めるイベントを今後も作っていきたいものです。

改めて、ゲストの方々、学生のみんな、裏方で頑張ってくれた学生さん、プロのテクニカルスタッフの方々、そして雨予報に関わらず、多くの来場者の皆様に感謝をしたいと思います。

秋から冬そして春、4月の入学式を創るために費やす期間。
実に、多くの人たちが関わるプロジェクトです。
2014年、6年前から参画させていただいています。
最初は、手探りの中1時間30分の式典のために、ブレーンストーミングを行いながら、いかにベターな演出・内容ができるかを試行錯誤していきます。
新入生のために、何ができるか・・・・・
また、在校生にも参加いただき、彼らにもこのプロジェクトの意義を理解いただき、素敵な演出の一員として活躍いただいています。
そういう意味では、新入生だけではなく、在学生にもメッセージが伝わっているように感じます。
一見「華やかな入学式」と一元的に捉えられがちだが、
その裏で長い期間の切磋琢磨した時間を理解して頂きたいと思います。
我々プロのバックアップもそんな彼らの頑張りに支えられていることを、改めて感じます。
そして
本番中の笑顔がすべての苦労を洗い流してくれます。
改めて、素敵なプロジェクトに感謝したいと思います。
今年のダイジェスト映像をご覧ください。

 

35年前、バブル景気前から、この業界でお世話になっている。

思えば、まだ業界としても成熟しているとは言えず、給与体系や労働環境など、

今から思えばブラック業界もいいとこで、本当に会社自体もそうだし、

そこで働いている人もどっちもどっちで、好き放題していた気がする。

それでも時代の要請なのか、バブル経済突入とともに、博覧会ブームが到来し、日本各地でJAPAN EXPOが開催されイベント業界も徐々に世間の常識にとらわれざる得なくなる。

当たり前のことを当たり前にできていない業界が、少しずつ整備されて行き、社会の居場所が少しずつ広がっていったと言える。

 

先日、「イベント業務管理士1級」の試験があり、今更ながらチャレンジして、なんとか合格。

この歳になっての「試験」は、なかなか勉強時間のやりくりや、覚えることの難しさに苦労した。

長年、この業界にいるからと言って、「その試験」はまた違ったアプローチが必要で、記述式&小論文だけにいい加減な気持ちでは難しかったと言える。

久々に追い詰められた試験であったことは確かだ。

 

とは言え、今までの経験をロジカルに整理し直すには、非常に役に立ったし、これからもイベントを科学していくことは重要なことではないだろうか・・・

 

イベントと一言で言ってもその概念を理解している人々は稀であろう。

個人のバーベキューから、町の抽選会・・・・・ひいては、万博博覧会・オリンピック全てイベントというカテゴリーに区分けされるだろう。

 

イベントの概念的な定義とは、

「イベントとは、何らかの目的を達成するための手段として行う行・催事である。」

 

今までは、ある意味、勘と経験で創ってきたイベントを「イベント業務管理士」的視点で考察すると、

その論理性が非常に重要になってくる。

 

イベントを構造的に考察していくと、

一過性であり、仮設であり、また複雑性があり、自己実現性があるもので、

4大管理と呼ばれる、安全管理、工程管理、品質管理、原価管理をしっかりと管理業務として捉える必要がある。

 

イベント業界を広く社会的に認知させ、その功績をもっと広く深く理解していただくためには、

その業務の奥深さ、幅広さを論理的に訴求する必要があるのだろう。

裏方業務でありながら、その重要性そして責任性は、年々高まってきている。

勘と経験だけでは、説得できないであろう。

やはり、そこには、ロジカルな説得性が重要と考える。

そのためにも、「イベント業務管理士1級」という存在は、ある意味必要なのであろう。

2019年4月29日(祝・月)ユメハネフェス2019@服部緑地野外音楽堂・・・・・・
2014年から続いています、今年で6回目になります。
是非、お越しください。

https://www.facebook.com/yumehanefes/?__tn__=kC-y.g&eid=ARCx0k8CM1t3XbkcaTSUg-0N-xw411aRvhE-HHnMTQkuv47TYvrvbEBgf7PIY6w0zrpi5qbK-OOZKvvF&hc_ref=ARSSTu_B_wfiTRe_SFFUBkvP2Ba2mZgNcZ4x9Fatn0ZrNNBYWo2RLDdWOjzADBiaw54&fref=nf&__xts__[0]=68.ARDD3gDUOS7D_RJTzfRUDOLZLrThXM-Ie9ROJSOlnTEF1y6B7uR63nCLLhPvUbUa6EpXAvd00Zxxw_gIF-64w0iSefplwfMvVUVutuDT-fzI7SqH9O06W6bX7dZVzAjXTQzo36novgox16y3_SulS16o9yElX4XUoIrdT-PLTsatPd_wBVWm9iT8o-CHXjhI0rcUdsqt6WjzbMLQOdkQIE9HiJeROS9siUWl5ubgPB4N_T9_aGbWQpYR_K-bokgSyo21rGKsUeOfac1xZyLW1PxIa9vF67zL8s4tbua8ikga-50sHL4ya8tsbZycYUpUcpkrCnG25b87pbJ_QqmQ8uTQF8W6P4jeRWnrKulI0xvwt8g_uyHjIpc

ゆめのたね『無想の東西南北、福来る!」番組のHPができました。
明日は、初めてのゲストをお招きしての番組です。
是非、お聞きください・・・・・

3年ぶりの京都マラソンに参加、
思えば、5年前の2014年に初参加して、今回で3度目の京都です。
西京極競技場から、嵐山方面へ、きぬかけの路・西賀茂橋から南下して賀茂川沿いを走って、北山通を東へ、
折り返して植物園を通って、再び、賀茂川南下・・・・・
それなりに順調に走っていても、
25kmを過ぎたこの頃は、もう青色吐息状態です。
脚の膝が激痛、膝裏の腱も切れるんじゃないかというくらいの痛さ、エアーサロンパスを持参して走ったけれども、
それもつかの間の痛み消し・・・・あとは、とにかく一歩一歩、進むしかない、前に行かない限りゴールは見えない。
残り15kmが課題です。

日頃、10kmをそれなりに走っていても、25kmを越えると、足にも、腕にも、足裏にも異変が起こり始める。
今回は、その異変と会話しながらの勝負でした。
いつ悲鳴をあげるか、とにかく完走(歩きつつ)が目標なので、足は、とにかく動くように、、、
しかし、不思議なもので、給水・給食を手に取って口に入れると、体が喜び始める。生き返るような感覚・・・・
特に、バナナ、八ツ橋は美味かったですね・・・スポーツドリンクも、身体中に染み渡る感じです。

昨秋は大阪マラソン・今冬は、京都マラソンに参加しましたが、
それほど、早く走れるわけでもないのに、「なんで走るんやろ?」って自問自答をする時があります。
健康維持ということもありますが、しかし、それだったら、そんなに無理をする必要もない・・・・

残り、10kmあたりになると、痛みも限界です。
しかし、そんな時に「あと10kmで終わってしまうんだ・・・・」って気になっている自分がいます。
走る苦しみよりも、走れる喜びが勝る瞬間です。
走り始めた時は、まだ、40kmもあるって考えるのに、あと、10kmしかないのか・・・・
人間の欲深さなんでしょうか・・・・

走れることの感謝・・・

また、来年こうして走れるだろうか・・・・

当たり前のことが、当たり前に感じれる感覚を忘れないでおこう、と思います。

最近、著名な方々が病魔に襲われて、・・・・・

自分より若い方々だけに、心が痛みます。

本当に、健康がどれだけ、有難いことかを実感します。

よし、来年に向けて、特訓しよう!!!!!

つい先日、年が明けたと思っていたら、もう1月も数日で終わりますね。
“一月往ぬる二月逃げる三月去る”とはよく言ったもので、あっという間に春がやって来るのでしょう。

最近、あっち行ってこっち行っての出張続きですが、先日久しぶりにNGKで打合せでした。
言わずと知れた、関西お笑いの殿堂です。
大阪人の私にとっては、本当にザ・大阪を感じる場所の一つです。何たって、小学生時代、土曜日の午後は、必ずたこ焼きを焼きながら、吉本新喜劇を見ていたものです。
あの、ワンパターンの芝居の中に、笑いを感じた時の幸せな気分、こうして、大阪の少年少女は笑いのセンスを磨いてきたのかもしれません・・・・

時が流れて、大学時代、私は友人と「何でも屋さん」を経営しておりました、その際に、吉本新喜劇の大道具(テーブルや、椅子、など)を運ぶ仕事の依頼を受けました。
当時は、うめだ花月、なんば花月、京都花月があり、演目が各劇場に移っていきましたので、大道具もある期間になると、運搬しないといけません。私は、運転手兼運搬係として、各劇場を回っていました。

「何でも屋さん」時代は、本当にいろんな依頼がありました。
獅子舞に入ってくれ。害虫駆除してくれ。換気扇洗ってくれ。披露宴のアトラクションしてくれ。
男性用コロンのデモ販してくれ。ラジオ芝居に出てくれ。的当てゲームで水槽に落ちてくれ、なんてのもありました。本当に、実に多種多様な仕事があるものだと、感心するくらいでした。
若い我々は、怖いもの知らずです。法律に触れる事以外は何でもチャレンジしてた気がします。

そんな経験から、イベントの仕事がやって来て、縁があって今もこの業界でお世話になっています。

その後紆余曲折があり、「何でも屋さん」は解散。
私は、イベント制作のプロダクションに就職し、修行させていただきました。
良い時代でした。バブル夜明け前にこの業界に入って、バブル全盛期のおかげで、様々なイベントを経験させてもらいました。

そしてバブル崩壊後、数年して、阪神淡路大震災が起こった1995年2月に今の会社・株式会社ニューズを設立、現在に至っております。

あれから、24年。
そして、2月からは25期目に入ります。

今年は新たな取り組みにもチャレンジし、益々前のめりに生きて行きたいと考えています。

多くの出会いの中で、お世話になっている皆様に感謝しつつ、25期目に突入です!!!

1995年1月17日は、忘れ得ぬ日。阪神・淡路大震災が起こった日。多くの人々が被災した、未曾有の日。私にとっても、絶対忘れられない。会社を立ち上げて、2月から頑張るぞと気合いとともに、待ち望んだ日々。商売繁盛の戎さんにお参りし、後は、前に進むだけという時に、起こった震災・・・・
一寸先は闇とはよく言ったもので、そんなことが現実にあるとは誰が想像できたでしょう・・・・
しかし、その後も、東北での大津波などなど、自然は容赦なく、我々、人間に襲いかかります。
様々な争いは今なお地球上から無くなっていないことも事実。しかしながら、その争いをあざ笑うかのように、起こる自然の脅威。
いつどうなるか、、、、誰も断言できない。
であるならば、今生かされている、我々は、為すべきことを今もう一度振り返りつつ、為すべきことを自覚すべきであろう、、、そう思いつつ、1月17日を噛みしめるべき・・・・

1月17日は、そんな原点を思い起こすべき日なのかもしれません・・・・・

明日に希望を!!!!

2019年・平成31年が明けて、早12日、お屠蘇気分も抜けて、あっという間に日常の雑踏に紛れている毎日。
世間では、3連休で一息というところでしょうか・・・・
私も、春に向けてのビッグプロジェクトへ向けて、気合いを入れ直しているところです。

新たなチャレンジもスタートし、ワクワクな中にも、緊張の日々です。

戎さんのこの時期になると、1995年の「会社を立ち上げた頃」を思い出します。

1994年10月から準備をし、1995年2月から「頑張るぞ!!」と誓った時に起こった阪神淡路大震災。
未曾有の状況に言葉も出ず、「一体、日本はどうなるんだろう、関西は・・・・・」「我々のこの先は・・・」
本当に、考えられない、想像を絶する状況に、ただただ立ち尽くすしかなかった。

直接の被害はなかったけれども、未来への不安が一気に広がった思いです。

あれから、24年・・・・・
アメリカでのテロ、リーマン・ショック、東日本大震災、人災、天災、実に様々なことが起こりながらも、それでも、日々は過ぎて行く。

この歳になると、年賀状よりも、「喪中はがき」の方が多くなってくる。世代のせいでしょう。

しかし、生きている我々はどんな苦難が起ころうとも、前を向いて行かねばなりません。
「生かされている」には何か意味があると信じます。
あなたなりの使命があるはずです。