Category Archives: 閑話休題

 今から15年前、2000年、私はあるイベントの舞台監督として、リハーサルを仕切っていました。

ある式典。オープニングアトラクションは、太鼓集団。
よくあるパターンではあります。時間の制約がある中、演者さんが、セッティング。
「では宜しく」
私は時間を気にしながら、リハの時間を演者に預けます。
篠笛が静かに鳴り響く、太鼓が共鳴し始める・・・・・
鳥肌が立つ。
舞台監督である私が仕事中になってはならないんだけれども、その曲に魅せられました。
Kogakusyu翔との出会いは、衝撃的でした。
純粋にその曲にやられました。
今までの太鼓集団にはない、感動。

その後、何度か私のイベントに出演いただき、陰ながら応援しつつ、時は流れていました。

噂で聞く彼らの活躍を楽しみにしつつ、少し疎遠になった時期もありながら、私も会社のマネージメントでなかなか余裕のない日々が続いていました。

あるイベントで再会。それは大阪市内の神社の夏祭りでした。
弊社が共催で開催したイベントに出演いただきました、3年ほど経っていたでしょうか。
アンコールで「越える河」をリクエストしましたが、当時はメンバーも変わっていたタイミングで
「この曲はできないんですよ。」
思えば、リーダー吉村氏が一番苦しかった時期だったのかもしれません。

今から10年前、私は毎朝「越える河」を聞いていた時期があります。会社のメンバーと軋轢があった時期です。その後、袂を分かつことになりますが、会社マネージメントの難しさ、厳しさを一番感じていた時期です。

人が集まると考え方、やり方、進んでいく方向性、など、ずっと一緒であることは、ない。
本当に悩んでいたタイミングに「越える河」は勇気をくれました。

バンドメンバーをまとめていくこと、会社をマネージメントすること、お互いにフィールドは違うけれども、その難しさ、楽しさ、苦しさは同じなのかもしれません。

昨日、15周年ライブが開催されました。オープニング曲が「越える河」
最初から、震えてしまいました。自分のこの15年とリンクしたライブ。
決して振り返りはしないと決めているけど、浮かぶその日々。
いまは、すべてが感謝の15年。

ある日、吉村氏から「飲み」に誘われました。そんなに飲めない彼からの誘いは少し意外でしたが・・・・
サシで飲むことは初めてでしたし、お互い飲みすぎましたが、彼の夢を共有できた瞬間かもしれません。

今、「ユメハネ」というイベントを一緒に創っています。まだまだ、力不足ではありますが、なんとか、もっともっと大きなイベントにしていきたいと思ってます。
彼らの曲に激励されたように、まだまだ人に元気を、人にユメを、人に勇気を、与えられると思います。

微力ながら、私もそのユメを一緒に創っていきたいものです。

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 このコマーシャルを知っている人は多いのではないでしょうか?

今から20数年前にテレビで流されていたカップヌードルのCMです。この「Hungry?」シリーズはカンヌ国際広告賞のグランプリを受賞しています。

我々大阪のイベント会社は、この会社・日清食品さんとは、なんらかの形でお手伝いしているはずです。
私も随分前になりますが、「ラーメン記念日」「静岡工場竣工式」などのイベントをお手伝いさせていただきました。

チキンラーメンに続いて、このカップヌードルはまさしく、国民食、いや地球食と言っても過言ではありません。
災害時の非常食など、このカップ麺の果たした役割は単なる食に止まらないところが凄い事だと思います。

このカップヌードルが日本において発売されたのが、1971年の今日9月18日です。

2011年時点で世界80カ国で発売され、発売以降の累計販売数は310億食を突破し、日本国内の累積販売数は2011年7月に200億食を超えたそうです。(出典:ウィキペディア)

そして、この会社の創業者であり、チキンラーメン・カップヌードルの開発者である、安藤百福さん、8年前2007年にお亡くなりになりましたが、私もその当時、京セラドーム大阪で行われた社葬に参列させていただきました。

その時に知った言葉が、「成業在天」。
氏の平成19年の年頭所感だったそうです。

「業を企てるのは人であるが、一方で業を成すは天にある」

そして、何よりも驚いたのは、創業が氏の46歳の時だそうです。チキンラーメンが発売された時48歳、カップヌードルは61歳。

人生に遅すぎるということはない。
50歳でも60歳でも新しい出発はある、と言われてたそうです。

年齢、組織とは無関係に、「いつでもどこでも」簡単に食べられるカップヌードル開発への想いは、きっと人類の幸せが根底にあった起業家精神であったんだろう、と思います。

今もなお、世界で愛されるカップヌードル。

本当は「Hungry?」と言わなくても良いような、人類が皆お腹いっぱいで豊かな生活を夢見ておられたのかもしれません。

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 東京オリンピクまで後5年。

新国立競技場・エンブレム問題など、ネガティブな話題満載ですが、やはり成功に向けて、一致団結して、向かっていきたいものです。

思えば、今から51年前の1964年、アジアで初めて開催されたのが、東京オリンピックです。
戦争の焼け野原から19年、高度成長期の真っ只中、後の大阪万博へ至るこの時期はまさに日本が新たに生まれ変わり成長著しい時期です。
もちろん、私はオリンピックをライブで見たわけではありません、後のVTRを通して当時の高揚した空気感を感じるだけです。

商業主義になってからのオリンピックに関しては賛否両論ありますが、2020年東京オリンピックが決まっているならば、その成功を国民として後押ししたいものです。

新国立競技場の件もそうですが、確かに国家プロジェクトに併せて、様々なインフラ整備がなされる事も事実です。
そこに、利権が絡むからややこしいんですが・・・・

首都高速道路、新幹線の開業など、そしてもう一つ、モノレールが開業したのも、当時の東京オリンピック開催の1964年の今日9月17日です。
東京縲恤l松町、旅客用モノレールとしては、日本初でした。
このモノレール、実に様々な方式があるようです。
ここでは多すぎて触れませんが

モノレール(英語: Monorail)とは、1本の軌条により進路を誘導されて走る軌道系交通機関。語源は、「1つのもの」を示す接頭語「mono」とレール「rail」。ただし厳密には「1本のレール(走路)」ではないものもまざっており、「一般の二条式鉄道とは異なるものの総称」として機能している。
(出典:ウキィペディア)

今から51年前にこのモノレールに乗った人たちはきっと未来を感じながら乗車したんではないでしょうか・・・
新幹線もそうですが、蒸気機関車が煙を吐きながら、走っていた時代が確実に変わる象徴のひとつでもあったと思います。

この頃は、家電の3種の神器(洗濯機、冷蔵庫、テレビ)も各家庭に普及し、豊かな生活を実感している時代、まさしく所得倍増論が、オリンピックや万国博覧会、それに伴うインフラ整備によってもたらされたことは、疑う余地がありません。

さて、現代2015年、アベノミクスによってどれだけ、その豊かさを実感できているのでしょうか・・・
勝ち組み、負け組みというような枠組みに晒され、経済的な豊かさがすべてのような風潮。
モノレールに豊かな時代を夢見たあの頃、ワクワク・ドキドキを感じ、未来に期待してた昭和時代、

そして今、果たしてリニアモーターカーに夢を感じるでしょうか・・・
オリンピックに向けて、せめてワクワク・ドキドキ、未来への期待を感じたいものです。

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 秋の長雨とはよく言ったもので、ここ最近は秋晴れと秋雨が交互にやってくる日々です。

先日の台風後の関東地方の豪雨の爪痕はいまだ、癒えず、インフラ含めて早急の対応を、そして被災者の皆様が、元の生活に戻れるようにお見舞い申し上げます。

 表題の「エルトゥールル号遭難事件」とは、今から125年前の今日、オスマントルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町沖で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件です。
折からの台風による強風で岩礁に激突し座礁。600名以上が海へと投げ出されたそうです。そのうち近くの灯台に流れ着いた生存者を言葉の通じない地元の住民たちが懸命に救助活動を行ったそうです。
蓄えの少ない、非常用の食事等を供出し、生存者の救護に努め、結果69名が救出され、生還することができたそうです。しかし、587名の方が死亡・行方不明となり大惨事の遭難事故となった。
その後生還者を日本海軍の船で無事に送り届けたそうです。

その後、オスマン帝国の人々は日本における救助活動や日本政府の尽力に対して、遠い異国日本と日本人に好印象を抱いたと言われています。(出典:ウィキペディア)

時は21世紀、イラン・イラク戦争時の逸話と絡めてこの話が紹介される機会が増えていきます。

1985年当時イラクは、イラン上空の航空機に対する無差別攻撃宣言を行い、各国はその期限までに脱出しなければなりません。
しかし日本は航空機での脱出ができない、その時にトルコ国は自国の国民よりも日本人脱出のために救援機を派遣してくれたのです。
それは、「エルトゥールル号遭難事件」の恩義に対する恩返しでした。
215名の日本人は期限ギリギリで無事脱出することができたそうです。

この2つの事件(事故)は時代を越え、国境を越え、また人種を超えて語りつがれる物語であり、真実の話です。

人間の愚かな争いの陰で、このような人間同士の温かい物語が存在するということを我々は今一度、噛み締めてみるべきかもしれません。

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 暑い夏が過ぎ、朝夕は少し涼しくなってきました。

台風や豪雨、地震そして阿蘇山の噴火など、自然が慌ただしい今日この頃ですね。
夏から秋にかけて自然の起こす現象だけではなく、なんとなく不安な毎日です。益々災害への対策を講じなければいけません。
とは言いながら、過ごしやすい秋になると、
「秋の夜長」という言葉もあるように、少し風流に過ごすのもいいかもしれません。
晴耕雨読ほど、贅沢な暮らしはないと思います。
私の場合は晴走雨読がいいかな、、、
晴れている時は少しジョギングで汗を流して、雨の日は読書で時間を過ごす。

 最近は書籍もアマゾンやブックオフなどのネット通販を利用することが多くなりましたが、やはり本屋さんをブラブラとしながら、良書を見つける楽しみも捨てがたいですね。
時折時間がある時は本屋さんを覗いてみます。
そして、本ほど衝動買いしてしまう買い物もありません。好きな作家や話題の本はもちろんですが、店頭のPOPなどに惹かれることもありますし、推薦帯の文言につられることも、しばしばです。まぁ、失敗もありますが、思わぬ本や作家と出会った喜びもありますのでやめられませんね。

「本が読む人を選ぶ」と言ったのは誰だったか忘れましたが、そんな気もします。
私の場合、読書は圧倒的にお風呂が多いので、ついつい長風呂になってしまいます。1時間以上はざらです。おかげさまで、発汗作用でお肌はすべすべ、です。
まぁ、椅子でマッサージしながらの読書も多いですね。
そして、何よりも何冊も同時に読んでいます。
いわゆる併読ですね。
純文学、ハウツーもの、伝記もの、などなど。
頭の引き出しにそれぞれのストーリーをインプットして、読み進めます。
ある時から、忘れることを恐れなくなってからは、そんな読書法です。

大学の頃、読んだ本のストーリーを1週間も経てば忘れていることに気づき、本を読む意味に懐疑的になったことがあります。

「忘れたら意味ないやん」

しかし、そんな時に先輩に言われたことは

「忘れるために読んでんねや」

少し乱暴な説得でしたが、結局人は読んだものは忘れてしまうんだけれども、潜在意識には残っているので、何かのキッカケでその言葉や文章が自分の人生に彩りを加えてくれるはずだと。
だから忘れても、読むことは意味があると。
それ以来、併読、乱読の日々です。

もちろん、素敵な文章と出会った時は、忘れずに大切にしています。
自分の知らない世界へ誘ってくれる読書の旅を秋の夜長にしてみては、いかがでしょう・・・

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 目を覆うばかりの光景がテレビから映し出されています。

昨日の豪雨による、関東地方の河川決壊による住宅地、田園の浸水、冠水。
今なお救助を待っている被災者の皆さんがたくさん待機しているそうです。また、行方不明者の方々の安否も心配されます。

4年前の2011年、3月11日も、津波に流される車や家屋、まさにデジャブ。2度と見たくない光景ですが、あらためて自然の脅威、治水の重要性を考えざる得ません。
山が多く、急流の河川が多い日本において、その姿は普段からは一変して恐ろしいほどの濁流と力強さで襲いかかってきます。
とにかく一人でも早く救出され、無事をお祈りします。

しかしヘリコプターからの映像などを見るにつけ、我々テレビの前では何が起こっているか、理解できますが。当事者の皆さんは本当にアッという間の出来事であったり、どんな状態かわからずに、過ごされているんだろうと考えると不安な時間を過ごされていると思います。

こうしてテレビやyoutubeなどの映像で「信じ難い光景」を目にすることで、その真実の一端を我々は知ることができます。昨今は特に映像を効果的に使った犯罪やテロが多く発生しているような気がします。

自然災害とは全く違いますが、やはり信じ難い、まさに映画かドラマのような現実とも思えない光景を目にしたのは14年前の今日2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件です。
乗っ取られた民間航空機がニューヨーク世界貿易センタービルに突入し爆発炎上、その後そのツインタワーは崩落。
その他ペンタゴンへの突入など、4機の旅客機がハイジャックされたテロ事件です。

本当に、テレビのニュース速報映像を見ながら、信じられないことが起こったとしか言えない、これは真実なのか・・・・・

おそらく、世界中では、いつもどこかで悲惨なことが起こっていると思います。残念ながら戦争、殺戮は今もなお無くなっていません。
ただ、この事件以降、映像技術の進化と普及によって我々が目にする機会が増えてきたことも確かです。
「信じ難い光景」を誰もが見たくない、そう思います。

自然災害・テロ事件、殺人など、しかし一方でその現実をしっかり受け止めて我々人間一人一人が国境を超えて考えなければいけない事ではないだろうか、自然災害を減らすための対策、テロがこれ以上起こらない為の話し合い。人を殺めるようなことを自制する世の中作り。
簡単ではないけれども、そこに向かって努力しない限り、「信じ難い光景」は無くならない。
今一度、そこに真摯に向き合う必要があるのではないでしょうか・・・

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ツꀀグリコのネオンサインと言えば、大阪道頓堀、観光客が必ず写真を撮影する名所です。
一方、渋谷のスクランブル交差点と言えば、海外旅行者にとって、これまた撮影ポイントらしい。あの埋め尽くすような人の横断が整然と行われていることに驚きを感じるらしい。
いずれの場所も日本の代表的な人が集まる場所です。
そこから眺めると日本や海外の名だたる企業広告が溢れています。人の集まる所に広告あり、ということで、これでもかというくらいの広告看板が並んでいます。

今日は、「屋外広告の日」です。

昭和48年9月10日、「屋外広告物法の一部改正案」が第71回国会(参議院)で成立しました。この改正では、「屋外広告業」が定義づけられ、屋外広告業者の届出制度が創設されるなど、屋外広告業者に対する指導・育成面が強く打ち出された改正であったため、業界としてこれを歓迎、同月開催の日広連理事会において9月10日を「屋外広告の日」と定め、翌49年から日広連並びに社団法人全日本ネオン協会、社団法人日本ディスプレイ業団体連合会の共催、国土交通省・経済産業省等の後援により、屋外広告業の振興と遵法の精神涵養を目的とするキャンペーンを開始したものです。
(出典:一般社団法人日本屋外広告業団体連合会HPより)

この屋外広告含めて、交通広告、大型ビジョンなど、自宅以外の場所で接触する広告メディアの総称を専門用語でOOHと言います。(Out of Homeの略)
いわゆる、4大メディア(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌)やインターネットではない広告手法と言えるかもしれません。
広義的には、コンビニの店頭ディスプレイや、ファストフード店のトレイ広告、街頭サンプリングなどもOOHになります。

最近はスマホなどの隆盛により、クロスコミュニケーション化が進み、日常生活の活動導線上や購買活動の現場でのOOHとの連動によって、その特性が再評価されています。

最近は、デジタルマッピングや3D、AR、高画質ディスプレイなどによって、そのクリエイティブ表現が豊かになってきているので、単なる広告看板とは言いがたいものが多く見られます。

またデジタルサイネージと呼ばれるものでは、遠隔操作で、その広告を変化させたり、データベースを構築することで、視聴ターゲットに合わせた広告にするなど、その手法はますます多岐に渡り、また工夫を凝らすようになってきています。

広告の最終目的は、「その商品」をいかに買ってもらうかに尽きます。ただし、昨今商品内容そのものでの差別化は難しく、いかに付加価値を付け、アピールするかを考えざる得ません。
時代とともに消費者行動も変わってきます。
今や店頭で商品仕様を確認して、購入はネットで、という消費者が増えてきました。そういう意味において、クロスコミュニケーションによって、購入誘導を図ることは重要です。

OOHによって、消費者と接触を増やし、まさしくその場でスマホ購入させる為には、その重要度は増すばかりかもしれません。

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 台風18号は、愛知県知多半島に上陸して、そのまま日本海に突き抜けていきそうな感じですね。今年4回目の上陸だそうです。被害が少ないことを祈るばかりです。

本当に、日本という国は地震・火山・台風・豪雨など、災害列島と言ってもいいくらい、様々な自然の脅威に晒されています。
八百万神は森羅万象に神の発現を認める古代日本の神観念を表す言葉。
自然に対する、古代人の畏れと敬意なのだとしたら、現代人はもう少しそこのところを真摯になる必要があるかもしれません。

 とは言え、「災害」が全くなくなることはあり得ない。
その災害が起こった時にどのように対処するかが重要です。
防災の日に書きましたが、今や自分の命は自分で守らなければならない環境です。助け合いは必要ですが、まず自らを守る術が必要です。それが、兎にも角にも、他人を助けることにつながっていきます。

今日は救(9)急(9)の日です。 今から8年ほど前に、普通救命講習を受講したことを思い出します。防災士認定の一貫として、消防署で行われている講習です。
呼吸や心臓が止まったときに大切な「AEDの使い方」を含む心肺蘇生法を学びます。
本当に基本的なことですが、いざそのような場に出くわすとできないのではないか、と思った記憶があります。技能を維持向上するために、2縲怩R年に一度再受講したほうが良いようです。今年あたり、再度受けにいかないといけません。
本当に、自分がそれが学ぶことで他人を助けることができる、皆さんも是非受講いただきたいと思います。

9月9日は、重陽の節句でもあります。
五節句のひとつで、1月7日の人日の節句、3月3日の上巳の節句、5月5日の端午の節句、そして7月7日の七夕の節句。
重陽の節句は菊を用いて不老長寿を願うことから、「菊の節句」とも言われます。菊は古来より薬草としても用いられ延寿の力があるとされてきたようです。なので、江戸時代では、菊の食べ物、菊の文様の器、菊の絵などを組み合わせて「菊尽くし」で命を尊び、健やかで幸せな日々が続くことを願った日だったそうです。

様々な災いから逃れることはできないにしても、それを減らしていく努力はできるはずです。災害に強い国づくり、災害に強い人づくり。
自然を尊び、すべての生命を尊び、災いが・悲しみが少しでもなくなる日本になれば、と思います。

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 少年の頃、父親が口癖のように言っていたことが、「人間、読み書き算盤ができたら、生きていける」

あまり教育に熱心じゃない父親の言葉だけにとても印象深く思い出されます。
そのせいか、私の少年時代は「ディズニーの絵本」をよく買ってもらいました。ダンボ、101匹わんちゃん、ピーターパン、白雪姫、シンデレラ、ピノキオ・・・・
当時は、ビデオなんてありませんので、テレビでアニメは限られていましたので、絵本が最大の楽しみでした。
その後、少年ジャンプ、少年サンデー、少年チャンピオンなどの漫画に夢中になりましたが、最初に出会った絵本がディズニーだったことは、思い返すととても意味があった気がします。
その後、中学時代には文庫本で森村誠一などのミステリーなどを読むようになり、中学生以降、本を読むことは今も私の楽しみの一つになっています。

算盤は小学校高学年時代に2年ほど近所の珠算教室に通っていました。段級まではいきませんでしたが、今も簡単な計算・加減乗除は、暗算でおこないます。
私の頭の中に算盤があって、それを指で弾いて計算をしています。おかげで、電卓を使わずに計算が早くできます。

そんな少年・青年時代のせいか、今も物を書いたり、絵を書いたりすることは今でも好きです。

ところで、「識字率」ってご存知でしょうか?
「15歳以上人口に対する、日常生活の簡単な内容について読み書きができる人口の割合」とユネスコが定義しています。
今日は、その国際識字デーです。(International Literacy Day)

まだまだ、世界には戦争や貧困等によって読み書きができない人が10億人以上いていると言われています。正確なことはわかりませんが、「字の読み書き」はコミュニケーション手段であり、知識のインプット・アウトプットするための、人間としての重要な能力です。
読み書きが当たり前と思い込んでいる我々ですが、それは長い歴史の中で先人たちが伝えてくれたおかげだと思います。世界中を見渡して、日本語の特異性は奇跡かもしれません。仮に日本が英語を使っていたら、他国に既に占領されていたという人もいます。

その真偽はともかく、長い日本史を振り返ってみると、その民族性の教養を感じざる得ません。

最近の若者はマンガばかり読む、とかゲームばかりしていると、お嘆きの大人たちが多い。
確かに、もう少し活字を読んでもらいたいと思いますが、マンガでも、ゲームでも、それを通して何をイメージするか、できるか、が大切と考えます。

想像力・創造力ということです。
読み書き算盤は生きていくための手段であり、
その各々のアイデンティティを磨くことこそ、肝要と考えます。

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まだまだ暑いと思いつつ、8月下旬から雨の日が続いています。秋雨前線の影響ですね。雨とともに、季節は夏から秋への移ろいで行くのでしょうか・・・

小学生の頃、長い夏休みが終わって、久しぶりの友達との再会にワクワクしつつ、秋には運動会、遠足など学校行事が続き、その練習に忙しかった記憶があります。
一方では台風が発生し、9月は雨が多く、その練習も体育館でおこなうなど、なんとも天候に左右される季節だったことを思い出します。

「9月の雨」と言えば、太田裕美さんの歌が有名です。もう今から38年前になります。その頃は、歌謡曲が枝分かれし始めた頃かもしれません。フォークソングがニューミュージックと呼ばれ、矢沢永吉、かぐや姫、チューリップ、アリス、サザンオールスターズ、松山千春、中島みゆき、オフコース、等、が活躍したのもこの頃です。後のスパースターが続々と登場した頃です。

アイドルも新御三家(西城秀樹・郷ひろみ、野口五郎)やキャンディーズ、松田聖子、中森明菜、ピンクレディなど、こう考えてみると、同じ時代にスターが同時多発的に生まれてきた気がします。
ザ・ベストテン(TBS)に代表される歌番組も視聴率が良かったですし、ラジオでも歌のリクエスト番組が盛況だった気がします。そんな環境がミュージシャン・タレントを同時に育てていたんだろうと思います。

「歌は世につれ、世は歌につれ」と言う言葉がありますが、その時代の歌は世相を反映しています。1975年からの5年間の間はまさしく雨後の筍の如く、アーティストが誕生した時代と言えます。ある業界が、あるタイミングに一気呵成に大きくなる時期があります。それは互いに切磋琢磨するからと考えます。この時期は作詞家、作曲家、アーティストそれぞれがインスパイアし合いながら、今に語り継がれる歌が生まれたんだと思います。
そんな空気感が(環境と言ってもいいかもしれません)その業界を活性化することは、よくあることです。

今、デザイン業界は秋雨前線真っ只中で、台風にもやられてちょっと混乱時期にありますが、ある意味、この注目されている環境だからこそ、突き出るチャンスかもしれません。
秋雨の後に秋晴れが広がることを願っています。
決して木枯らし吹く冬の時代にならないことを思いつつ・・・・

Septenmer rain 九月の雨は冷たくて
Septenmer rain 九月の雨は優しくて

先日、38年前に、世界新記録本塁打を打ったのが王貞治さんのことを少し書きましいたが、その王さんの為に創設されたのが、「国民栄誉賞」

その賞は、内閣総理大臣決定された国民栄誉賞表彰規程に基づいており、その目的は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」と規定されています。

その後も、スポーツ界のみならず、芸能界の方々など、その功績を讃えるべく、現在22個人1団体が授与されています。

いみじくも、2020年東京オリンピック招致が決定し、明るい話題のはずが、国立競技場、エンブレム共々白紙撤回され、違う意味で大きな話題になっています。
本来であれば、国民栄誉賞のごとく、国民に明るく希望を与えるオリンピックが思わぬ問題で揺れています。

「国民栄誉賞」もある側面では「贈られる側の賞ではなく、贈る側(政治家のため)の賞だ」という批判もあり、その贈呈者を決めることもなかなか難しい問題があるようです。

しかし、その賞を受賞していない方々でも素晴らしい功績を残している方々は沢山います。
昔NHKで「プロジェクトX」という番組がありましたが、まさしく経財官を問わず、日本の経済成長を支えた、市井の人々に光をあてた番組でした。肩書きはなくとも、この極東の日本において、様々な人々が幸せを願い、それぞれの分野で闘い、知恵を絞り、頑張ってきた人々をフィーチャーした番組です。

昨今の模倣問題におけるネットバッシング、マスコミにおける問題提議・・・
日々社会構造も変化する世の中で、知り得る知識や、知り得る方法が増えてきたことはとても良いことだと思いますが、得てしてそれは、人を貶める手段にもなり得るということ、ネット社会の光と闇を考えざる得ない状況です。

オリンピック然り、芸能しかり、スポーツに歓喜し、素晴らしい音楽に心慰められ、日本という国に誇りを持ち、だからこそ国民栄誉賞の受賞者に賛辞を送り、拍手をしたはずです。
人々のそんな大きな夢を蔑ろにして、経済的な側面、利己主義が見え隠れすることに、国民はきっと怒っているんだと思います。
オリンピックにおける経済効果が計り知れないことも理解できます。

しかし、豊かになるのはお金だけではなく、やはり日本国民としての誇りであり、希望であると考えます。東京オリンピックを契機に様々な分野で、是非沢山の国民栄誉賞を受賞するくらい人々の活躍を期待したいものです。

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人が歩けば、コンビニにぶち当たる。というくらい街中に乱立するコンビニエンスストアー。その画一的な店構え、商品ラインナップ、ある意味コンビニに行けば、という安心感もありつつ、驚き感がないのも確か。

子供の頃の雑貨屋さんのような、その店特有の雑多な雰囲気。埃のかぶった缶詰。乱雑に置かれた野菜の数々。新商品がなかなか並ばない店頭。今考えると、賞味期限とか、全く気にしてなかったような気もする。
今や、コンビニがない方がちょっと「えっ」ってなってしまうくらい。
先日、田舎町をドライブしていたら、コンビニがない、簡単に見つけられない時の驚きというか、恐怖感にも似た感情は、「スマホ」を自宅に忘れた時のような心細さ。今や、日本中には5万店舗余(2015年7月現在)のコンビニがあるそうだ。

そして驚くなかれ、コンビニ以上に多いのが、美容室。全国になんと、23万店舗余(2012年現在)。コンビニのほぼ5倍の店舗数。

人が歩けばコンビニにぶち当たるどころか、美容室にぶち当たるようだ。
ちなみに理容室は13万店舗余。人は必ず髪の毛が伸びるとは言え、この店舗数における過当競争は如何なものか?
また、美容師数も年々減ってきているらしいが、47万人余。

私も当然、髪の毛をカットしに行きますし、馴染みのお店があります。時折そんな話をしますが、やはり美容師さんの労働環境はあまり宜しくない。労働時間、休みの問題、美容師さんの独立問題などなど、その経営は決して恵まれたものではない。

少子高齢化社会はある意味社会構造の変革であるとするならば、そこにビジネスチャンスが生まれる気がする。今までにはない課題が出てくるならばそこがチャンスかもしれない。
レッドオーシャンをブルーオーシャンに変えるチャンス。

必ず伸びる髪の毛を整えるという行為は無くならない。
今までは、お客さんを待っていた時代、であるならば、これからはお客さんのところに行く時代。

単純なことではないけれども、発想の転換によるビジネスチャンスは必ずあるはず。

今日は、9(く)4(し)の日。
くし要りますか?って店もありますが、それはなかなかサービスとしてはどうか?と思うけれども、増えゆく高齢者をどうケアするかに、光明が見えるのではないか、と考える次第。

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今から22年前、1993年「Jリーグ」が華々しく開始されました。低迷していた日本プロサッカーリーグを『Jリーグ百年構想』の理念のもと、10クラブで開始、現在はJ1リーグ18クラブのほか、J2、J3と創設されています。

それまでは、プロスポーツと言えば、「プロ野球」。
少年の将来の夢は「プロ野球選手」というのが定番でしたが、Jリーグ発足後は様相が一変します。空前のサッカーブームが到来します。マフラータオルを首に巻き、手首にはミサンガをつけ、そのカラフルなグッズとともにお気に入り選手を応援する若者たち。また、日本代表戦で世界との闘いという、ナショナリズムにも火が付き、単なるプロスポーツを越えて4年に1度のW杯は国同士の闘いに若者だけではなく、日本国民が一喜一憂するに至ります。
一方、プロ野球は1リーグへの再編の動きや
視聴率の低迷による地上波中継の減少など、サッカー人気とは裏腹に人気低迷が顕著になっていきます。

そんな中、各球団が危機感を持ったのか、昨今は入場者数が大幅に増えています。
一昨年あたりから、「カープ女子」と言われる女性の観客の増加、それに伴って、他の球団も女性ファンへのサービス向上に力を入れています。トイレの改装、オリジナルグッズの開発、球場グルメ開発、女性対象のサービスデーなど。ともすれば、オヤジのためのスポーツ・野球が、今やアイドルさながらの応援風景です。カメラを手にお目当の選手たちを写真に収めて、Blogやfacebookなどに投稿して楽しんでいます。
交流戦の是非はともかく、様々な試みにおいて、サッカーファンと野球ファンの棲み分けはうまくいっているようです。今シーズンのセ・リーグは稀に見る大混戦です。9月の足音を聞く頃には、ストーブリーグの話題もチラホラ出てくるはずなのに、まだ優勝争いを4チームがしています。パリーグの1強は別モンですが、こうして、秋口まで盛り上がることはプロ野球人気向上という意味では良いことと言えます。

それは、本来のプレーでファンを魅了することに他ならない、様々なサービスはあくまで、付加価値であり、プロとしてのプレーこそが、ファン増員の最大にして唯一の方法と考えます。

38年前、1977年のこの日後楽園球場で巨人の王貞治選手が、通算756号ホームランを打ちました。世界最高記録更新のホームランです。私も子供心にいつ打つか、ワクワクしたことを思い出します。好きな球団を越えてこのホームランには夢がありました。プロスポーツの醍醐味でしょう。今シーズンもあと僅か、ワクワクを感じたいものです。

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宝くじを買ったことない人は、いるのだろうか?

マニアではなくても、年末ジャンボ宝くじとか、年に1回だけでもと購入する人が多いことは想像に難くない。
今日9月2日は、く(9)じ(2)の日らしい。第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)宝くじ部が1967年に制定。
当選しても引き換えられず時効となってしまう宝くじが多いことから、時効防止のPRの為に制定された。
宝くじ、当たらないとわかっていても、ついつい夢見てしまう。当たったら、あれが欲しいこれが欲しい、あそこに行こう、などなど。
まさに夢の宝くじ。
しかし、現実は厳しいもので、その結果を落胆してみるばかり。それでも捨てきれない様々な夢。人間が見ることのできる自由な夢を誰もバカにできない。
仕事柄、キャンペーンの応募事務局をやることがある。様々な賞品をゲットしようと、応募される消費者の方々。キャンペーンマニアみたいな方もいて、応募ハガキを綺麗にデコレーションしたりして、何とか当たる確率を高めたいというその意気込みには頭が下がる。当然、抽選ですからその努力は報われないが、意気込みは物凄く、感じる。
私がそんな懸賞もので初めてもらったのは、チョコボールのおもちゃ箱。くちばしと呼ばれる取り出し口に「金のエンゼル」「銀のエンゼル」が印刷されていると、当たり。金なら1枚、銀なら5枚集めると、もらえる。
包装ビニールを開けて、くちばしを開けるときのなんとも言えないドキドキ感は大人になった今でも忘れられない。多分、懸賞に応募する方もこんな気分何だろう。「当たるかもしれない」というその期待感。外れたときの落胆。それでも、期待感にすがりたい。
大げさかもしれないけれども、世知辛い世の中で、愚直に子供のように「当たることを信じる」期待感。それは、宝くじが当たらないと思っていながら、それでも買ってしまう気分に似ている。
どうせ当たらないから、と思うより、当たったら、どうしようって悩む方が健康的な気がする。
人生、うまくいくことの方が少ないけれども、うまくいくこともある。
所詮天国に持っていけるものなどないわけで、生きてる間に見る夢はどんなに大きくても、どんなに小さくても、何度あってもいい。
夢を見続けて、追い続けて、時に夢が叶ったり、叶わなかったり、それが人生。
くじの日から、大きくそれてしまったけれども、「宝くじ」にはそんな夢物語が潜んでいるから、買ってしまうのだろう。
この間のサマージャンボ宝くじ、まだ結果見てなかったなぁ、結果がやはり気になる。

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今日9月1日は「防災の日」

伊勢湾台風が襲来した翌年の1960年に閣議決定され、毎年、各地で防災訓練が行われる日でもあります。
ただ、昨今はこの時期に限らず、地震、豪雨、竜巻など、四季を通じて様々な自然災害が各地で起こっています。
防災はもとより、減災への取り組みを各自治体も取り組んでいます。
今や、災害時に助けてもらうことすら、難しい時代と言えます。都会における帰宅難民問題など、いかに、自ら対処していくか、日頃からの心構えが重要になっています。
今から8年前の2007年に、私も日本防災士機構から、「防災士」に認定されました。
一定の知識・技能を修得しました。実際に災害現場でのボランティア経験もありませんので、偉そうなことは言えませんが、「防災・減災」への意識が高まったことは確かです。
『自助・共助・協働』を原則として、社会の様々な場で防災力を高める活動が期待されています。
昨年度は、「大規模津波・地震総合訓練」のイベントにも携わり、関係機関の連携の重要さと共に、地元住民間の連携は非常に重要になってきています。先ほども言いましたが、今や助けてもらえないような大規模な災害が起り得るということです。インフラが便利な分、それらが破壊された時の、不便さ、電気・ガスが止まった時の悪環境の出現。水洗便所が使えない、自動ドアが動かない、など。便利な社会と引き換えにそんなリスクを背負っていることも忘れてはなりません。“備えあれば憂いなし”、という言葉があります。しかし、今や憂いは無くなりません。いつ何時、何が起こるかわからない時代です。備えは当たり前、その先を考えるシュミレーションが大事です。
地震の際はどこに逃げるか、津波が襲う恐れがある場合はどこへ逃げるか、自宅にいる時、会社にいる時、外出先にいる時、「まさかのその時」を考えつつ、誰かが助けに来てくれるような災害ではないことを自覚して、「災害はいつでも起こり得ることを前提」に日頃から災害に対して意識して、様々な対策を自分なりに立てて欲しいものです。
「防災の日」は災害について考える日でもあり、また自然の脅威を改めて思う日でもあります。
人間万能主義はきっと必ず、自然界からしっぺ返しされます。自然破壊に対してもう一度目を向け考える日であると考えます。
人間の叡智が、自然との共存共栄に役立つことを、祈るばかりです。

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