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気づいたら、冬季オリンピックも終わってしまいました。

 

なんとなく、欧州方面が不穏な雰囲気になりつつありますが・・・

 

平和の祭典の中でも、いろいろ問題があった気がします。

まぁ、今に始まった事ではないけれど、大義名分と現実の落差。

 

それでも、アスリートたちの懸命な姿は我々の心を打つ。

 

私も、スポーツをしていたので、その限界へのチャレンジの尊さは理解しているつもりです。

そのチャレンジに対して、誰も何も言えるはずがないですね。

他人を中傷する前に、我が身を振り返れよ、って思います。

 

昨今、SNSのせいなのか、顔の見えない匿名中傷者の、いかに多いことか。

それだけで、世の中が荒んでしまう気がします。

もっと、賞賛が溢れたらいいのに、と思うのは自分だけだろうか・・

 

 

しかし、ロコ・ソラーレのカーリングの選手たちには、感動をいただきました。

彼女たちの笑顔がどれだけ我々に勇気と癒しをもたらしたか・・・

吉田知那美選手が「楽しむには覚悟がいる」「笑顔がポーカーフェイス」っておっしゃってた。

なんて、深いんだろう・・・・

彼女たちの日々の努力が結集したのが、今回の「銀メダル」です。

ただただ、素直に拍手だし、「ありがとう」です。

 

この矛盾に満ちた世界の中で、忘れてはいけないものをアスリートのみんなに思い出させていただいた。

 

今一度、自分にできることを、精一杯やる覚悟が大事だな・・・・・

 

それにしても、最近の若者はなんてしっかりしているんだろう、日本のオリンピアンズのインタビューの受け答えを聞いてると、本当に感心してしまいます。こちらこそ、ありがとう!ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年(令和4年)も既に1月も終わりに近づきつつあります。

 

一方、新型コロナ感染症は、新たなオミクロン株が猛威をふるって

今まで以上に感染者数が急拡大しています。

重症化しにくいと言われていますが、そうは言っても後遺症など、やはり心配のタネは尽きません。

専門家含めて、いろんな方々が、様々な観点からご意見を言っているけれども、果たして何が正しいのか、明確にはわかりません。

 

2020年1月頃から騒ぎ出して丸2年、わかったこと、わからないこと、どうすればいいのか・・・・・・残念ながら、今もなお不明な状態は変わりません。

 

我々がいかに、未来に対して無力であるかを突き付けられた気がします。

 

イベントを生業にしている弊社は、モロに影響がありましたが、そのことにより、別の方法・手段でのイベントの在り方が考察されています。リモート・オンラインでの配信、インタラクティブな形での参加性など・・・・・

会場が無観客でもできることを模索している事実。

最近、やっと観客を入れて徐々に満席を目指していたところでの、

感染拡大。一体この先どうなるのでしょうか・・・

 

平凡なことがいかに大切かを、このコロナ禍で嫌というほど知らされた気がします。

しかしながら、時は止まりません。時を戻すこともできません。

未来に対して無力な我々が抵抗できるとしたら、「今」をどう過ごすか、、、

そこに、答えがあるのでしょう。

 

弊社も2月から、28年目に入ります。

 

思えば、いつも「今」を必死にやってきた結果が28年という歳月になった気がします。様々な人たちに助けていただきながら、今なおイベント業界で過ごさせて頂いてることを思うと、感慨深いものがあります。

 

しかしながら、まだまだ青二才、為すべきことはたくさんあります。

1年に一度、初心忘れるべからず、「今」を必死に前向きに進んでいきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Withコロナの実質3年目が始まりました。

2022年・令和4年です。

 

弊社も、本日から仕事始め、・・・

と言っても、初日は「頂いた年賀状」を見せていただくことが、初仕事です。

 

昨今は、SNSやメールでもいただくことが多くなりましたが、年賀状はその会社やその人のセンスが、垣間見えてそれなりに、

楽しんでいます。それはともあれ、年1回の年賀ハガキで、先方の元気な便りに安心したり、ほっとしたり、とりわけここ2年間のコロナ禍で、いろいろ大変な思いをされていることは想像に難くないですし、なんとか乗り切って欲しいと思ったりします。

 

年始には、それなりに「今年のテーマは?」を考えます。そのうち忙しくなり、テーマすら忘れてしまいますが・・・

まぁ、年始ぐらいはそんな想いに浸ってもいいかなと思っております。

 

 

 

それなりの歳になって来ると、この業界のいく末を考えます。

38年間この業界で過ごしてきた、その中で学んだり経験したことなどを後輩たちに伝達する責務があるのではないか、最近そんなことをよく考えます。しかしその経験を実体験できる機会が減ってきている。成果主義が価値観の大きな要素になってきているので、経験の少ない若手に任せることができない。

我々が、20代で経験したこと、特に舞台関連の仕事を任せられない。

 

「がなりマイク」を握って、テクニカルスタッフをまとめあげ、演者に的確に指示をしながら、気持ちよく演じてもらう。

その一方、主催者の思いを表現していく、それらを一瞬一瞬、決断しながら、推進していく。

イベントにおける舞台演出・舞台監督のポジションが、危機に瀕している気がします。

 

 

後進の育成がある意味今年のテーマかもしれないな、なんて年賀ハガキを見ながら考えています。

そう思いつつ、「まだまだ現役でやったるで」を意気込む自分もいます。

 

そう、まだまだ進化しなければいけないと思っています。

 

皆さんに、役立つならばまだまだ今年も素敵な舞台を創造していきます。

 

2022年もよろしくお願いいたします

昨今「コロナ禍」が、通常の生活と思っている・・・
2年という月日がそれを日常にしているような錯覚にする。
いや、錯覚ではなく、これからの日常が「今」なのだろう・・・・
不自由な制約の中、できることを精一杯やってきた。
ことのほか、イベント業界における制約は未だ厳しいと言わざる得ない。
“たくさん集まらない”“声を出さない”“人と人の間を一定空けること”などなど
そんな中でもできうる限りの対策を講じながら、イベントを成立させようとしている。
制作者も、演者も、そして観客も・・・・・
三位一体でのイベントづくり。
そんな状況下だからこそ、ライブでのイベントが希求される。
リモートやオンラインなど、コロナ禍だからこそ成立したビジネスモデルは、
その限界を露わにし、振り戻しよろしく生イベントの良さを改めて実感している。
極論すれば、生ライブに飢えている。コンサートしかり、漫才・演芸しかり、展示会、講演会、その他イベントであることで成り立ってきたビジネスが、元に戻りつつある。
そう考えると、コロナ禍の2年の歳月は無駄じゃなかった気がする。
何事も、マイナスがあれば、プラスがあり、そして何かが生まれ、滅んでいく。
結局、人に求められるものは生まれ育ち、残り続けるけれども、
人に求められないものは、廃れ、失われていく。
栄枯盛衰は世の常といえよう。
2022年はどんな一年になるのだろう。
楽しみであることに変わりはない、世の中がどのように変化しようが、どのようになろうが、
自分自身の立ち位置を見極めることができていれば怖くない、ということをコロナ禍で学んだ気がする。
求められれば、全力で、立ち向かい。100点以上を目指すのみ。
2021年はそれを実感した年であり、今後それをどう活かしていくか、自分自身のミッションである。

2021年も師走になり、残り半月です。

歳とともに、月日が早く過ぎるのはなんでだろう・・・と同世代の友人と話をすることが多くなりました。

また、この時期には喪中ハガキもたくさん届きます。

親戚、親御さん、どうしても、高齢化社会と共に、同世代の人々の周りにお亡くなりになる方も、増えてきた気がします。

私の親父も、9月に逝ってしまいました。コロナ禍という状況にため、入院中は見舞いにも行けず、寂しい思いをさせた気がします。その分、これから心の中で供養したいと思います。

 

ともあれ、日本において、やっと新型コロナ感染症も、オミクロン株の状況がわかりませんが、落ち着きつつあります。

 

イベント業界も、感染症対策を講じながら徐々にコロナ前のように、戻りつつあります。

とは言いながら、マスク着用、手指消毒、ソーシャルディスタンスの確保、換気の徹底などと共に、

大きな声での声援などは制約されているのが実情です。

当然、コロナ前と一緒というわけには行きませんし、その分、手間暇がかかるのも仕方がありません。

リアルイベントに、プラスαでオンライン配信など新しいイベントの形が常識になりつつあります。

 

そう考えると、様々な業界において、良いか悪いかは、歴史が判断すると思いますが、コロナ禍がある意味、社会の常識を変容させ、新たな常識を生み出したと言えるでしょう。

ある意味「変革」には痛みが伴いますが、コロナ禍で否応なく、新たな常識が定着しつつあります。

 

 

そんな状況下、「イベント」も変容しながら復活しつつあります。

一時は、オンラインに取って代わるように言われたこともありますが、やはりそのだけでは物足りない

が実感です。

演者も、観客も、同じ空間・同じ時間、臨場感を共有するリアルイベントに渇望してたんだと思います。

この2年間の歳月が、改めて「臨場感のあるイベントの良さ」に気づかさせてくれたのではないかと思います。

声援はできないけれど、その分大きな拍手が響き渡ります。演者も100%以上のパフォーマンスを出そうとしてくれます。一体感を感じる瞬間です。これはオンラインイベントでは絶対に味わえない醍醐味です。

それは、「心震えるような感動」です。それを共有できる限りイベントは不滅だと思います。

 

我々はそんな「心震えるようなイベント」を企画制作し、届ける努力をし続けたいと改めて思います。

 

 

当初は予定に無かったけれど、関わったイベントがこうして喜んでいただけるとは、非常に嬉しいし、イベント屋冥利に尽きます。
是非、ご覧いただければ、幸いです。
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開会式から1ヶ月経ちましたが、この間、県民の方々から「もう一度見たい」、
全国の方々から「全編を見たい」等々、嬉しいお声を頂いておりました。
 この度、皆様のリクエストにお応えすべく、期間限定で『アンコール配信』を
実施することとなりましたので、ご案内致します。
■開会式『アンコール配信』
【期間】R3.12.3(金)~R4.1.4(火) *1ヶ月のみの期間限定配信
【主体】第36回国民文化祭、第21回全国障害者芸術・文化祭和歌山県実行委員会
【媒体】紀の国わかやま文化祭2021公式ホームページ
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38年近く、イベント業界で仕事として色々なことをさせて頂いています。
博覧会でのパビリオン運営、アワードイベントの演出・進行、展示会のブースの企画など
実に様々なイベントに携わらせて頂いてきましたし、これからも携わっていくことでしょう。
しかしながら、イベントの悲しい性は仮設であり、期間限定であり、プロジェクトチームも有限であるということです。
一定期間の「夢のチーム」は解散し、また別のチームへと別れゆくのです。
一つの目的のために、演者はもちろん裏方のテクニカルスタッフ、制作スタッフ、多岐にわたって組織されたチームも
目的を果たした後は、解散です。
1日だけであったり、1週間であったり、期間の長短はありますが、イベントは必ず終わります。
そういう意味においては、「1度きりの舞台」と言えるかもしれません。
同じスタッフで、同じ演者で、とはならないのがイベントです。
だからこそ、その一度きりに必死になるのかもしれません。
最近は、映像配信などで、イベントそのものがアーカイブとして残ることが普通になりました。
終わった後も、映像で振り返ることができます。
ありがたいことです。
でも・・・・・・
やはり、現場の息遣いやノイズ、空気感など「生の舞台」でしか味わえないものがあります。
「1度きりの舞台」だからこそ、心に刻み込めるような印象深い舞台にしなければなりません。
そんな思いを持って創る。
イベント屋冥利に尽きるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

情報解禁になりましたので、宣伝です。

 

1年以上に渡って、準備・推進してきた本イベントが、

NHK総合にて全国放送されます。

 

■放送の概要

【日時】11/23(火・祝) 10:05~11:05

【ch】NHK総合

【番組】紀の国わかやま文化祭2021/国文祭・芸文祭みやざき2020

*同年開催の宮崎県と和歌山県で、30分ずつダイジェスト放送

*和歌山の開会式は、前半に放送予定

 

和歌山県HPの「知事からのメッセージ」ページが、更新されました。

こちらも合わせて、ご覧いただけると幸いです。

 

『よみがえりの地でのよみがえりの文化祭』

https://www.pref.wakayama.lg.jp/chiji/message/20211115.html

 

 

 

昭和61(1986)年度の第1回大会から当時の浩宮殿下に御臨席いただいて以来,皇太子殿下になられた後も御臨席いただき,令和元(2019)年度から天皇皇后両陛下御臨席の下,文化庁,開催都道府県,開催市町村及び文化団体等の共催により開催されています。(出典:文化庁HP)

 

和歌山県域では、10月30日(土)に生放送されましたが、今回のオンエアはそのダイジェスト版となります。

*今年度は新型コロナで延期されていた宮崎大会との2県開催です。

 

新型コロナ禍の中、非常に難しい時期での推進事業でしたが出演者・スタッフの熱い情熱のおかげで無事に開催されました。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という諺がある。

稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、人格者ほど謙虚であるという例えですね。

人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものだということを表しています。

 

「最近の若いものは・・・」というのは、昔からの年寄りの口癖のようですが、 その実、その年寄りの若かりし頃、そう言われていたのでしょう・・・・ 最近の電車の乗り降りなどを見ていると、「最近の年寄りは・・・」と愚痴りたくなるくらい、 節操がないように感じます。

思えば、この業界でご飯を食べさせていただき、38年ほどの歳月が過ぎました。昭和の終わりから、平成・令和とバブル全盛期から、バブル崩壊、震災・豪雨などの自然災害、果ては新型コロナウイルス感染症という見えない敵との闘い。 人間が支配しているという傲慢さにしっぺ返しするような、様々な出来事。 そんな中、歳を重ね暮らしています。

我々も、仕事の上で、平均年齢が高くなってきたのは、それだけ歳を取っても働けるということなのでしょう・・ しかしながら、だからと言って、若者より偉いわけではなく、経験値が少しあるくらいで思っていた方がいい。

若者も、年寄りも、互いに尊重し合いながらお互い補完しつつ働けると、より良いものができる気がします。

 

一つの仕事をやり終えた後ほど、そんな想いを感じざる得ないですね。

 

 

いつも、いつの時代も、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」精神を忘れずにいたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1ヶ月半ぶりの投稿になります。

なんとか、生きております。

というか、アッという間に月日が過ぎていたというのが、本当の所です。

 

ご存知のように、コロナ禍の中、イベント業界は、試練を余儀なくされている業種の一つです。やっと第5波がおさまりつつある現在、イベントの世界も微かな光が射してきたようです。

しかしながら、まだまだコロナ前の状況とはならず、ソーシャルディスタンスを守りつつ、手指消毒、マスク着用、検温などは当然ですし、声を出さずに応援、拍手のみ、というように今もなお、制限が緩むことはありません。

 

そんな中、1年以上に渡って事業推進してきたプロジェクトが無事完結しました。

1年や2年、長期に準備を要するイベントは別に珍しくありません。

しかし、今回はコロナ禍という、異例な状況の中での推進事業です。

最近でこそ、コロナ感染人数が減ってきましたが、オリンピック開催前後は、全国的に未曾有の増加となり、いつ「イベント中止」の決定がなされても仕方ない、そんな状況下でした。

 

そんな状況下においても、本番に向けて、出演者の練習をしなくてはならず、コロナだけではなく、熱中症などにも配慮が必要です。その他台風による豪雨や怪我など様々なトラブルに対処しながらの推進事業です。

 

しかしながら、時間は待ってくれません。月日は確実に本番に向かってきます。

 

イベントは、準備が90%本番が10%だと考えています。

準備がどこまで、仕上がるかで、100%に近づくかどうかが決まります。

後の10%は人間ではどうしようもない状況です、荒天になったり、出演者が急に出演できなくなったり、交通機関にトラブルがあって遅刻したり・・・

我々ではどうしようもない事態が起こった時の状態と言えます。

そう考えると、準備で100%以上の状態に持っていくことが、本当のところでしょう。

 

今回は、そんな状況においても、無事100%の力を出しきれたのは、裏方チームの結束と言えるのではないか、と考えます。

当然推進事業の推移の中で、情報共有もできましたが、「想い」の共有が一番だった気がします。それは言い換えれば「情熱」の共有です。

絶対成功させる、絶対良いものにするという気持ちです。

こんな状況下だからこそ、そんな「想い」が様々な困難を乗り越えさせたのかもしれません。

 

私自身、また、新たな扉が開いた気がします。そんなエポックメイキングなイベント推進事業だった気がします。

私的事情で、否応なく在宅ワークを余儀なくされたので、

書斎の環境を整えた。

 

もともと、自宅で仕事するような設えだったので、それほど苦労はなかったが、

会社の古い壊れかけのMacと、持ち運びのMacbook Airとipadとwifi設定で最低限の仕事ができる環境にした。

 

メールのチェック、書類の作成、などなど、デスクワークには殆ど支障はない。

WEB会議もバッチリだ。

 

ただ、悲しいかな、やはり書類をプリントアウトすることがままあり、その際のプリンターがインクジェットなのは、なかなか大変だ。

数十ページ、いや3桁の書類もあったりでそんな時は、会社でプリントアウトして郵送してもらう、、、、

 

ペーパレスは世の流れとはわかりつつ、書類に直に色々記入しながらチェックすることも、大切な行程の一つ。

 

テレワークがますます推奨される世の中において、ハイブリッド的な環境を整えるのも、重要なことの一つである。

 

しかしながら、やはりできる人は、テレワークであろうが、リアルであろうが、モノが違う。

スピード感や、レスポンスや、納得性・説得性、深く複雑な案件を、シンプルに容易に伝えるコミュニケーション力、、、

そんなできる人たちと、仕事することは、自分にとって非常に有益である、と思う。

 

環境も大事、それよりも人の力が、すべてを引き上げる。

 

 

毎月1回、オンラインのマーケティングの勉強会に参加しています。 ある意味、時代に翻弄されない「ビジネス」の考え方。 マーケティングの王道と言える。 業種、業態に関わらず、その考え方を当てはめていくと、 新たなビジネスモデルのヒントが隠されている。 昨夜は、「5つ窓の法則」 非常に、納得性のあるマーケティング理論であり、まさしくどのような業界でもその法則が当てはまります。 昨夜も15回目のマーケティング勉強会、コロナ禍の中、1年以上続いています。 リアルなものも良いですが、オンラインで参加できるのは、移動時間の短縮考えると、とても効率的です。 終わった後の、お酒飲みながらのリアル雑談も、そのヒントを膨らませる機会ではあるのですが・・・・・ コロナ禍から、なかなか日常が戻ってきませんが、ある意味「今」が日常と考えると、 この状況下で、いかにビジネスを展開していくか、、、 変化が必要なのは、我々の方なのだろう・・・・・・

 

新型コロナウィルス感染症、未だ収まらず、デルタ株の影響で第5波が全国に拡大しつつある。
つい先日まで、東京オリンピックの喧騒にかき消されていたわけではないが、「祭りが終わった後」
マスコミはコロナ一色・・・・
手のひら返しとの批判もあるけれども、視聴率優先主義のことを考えると、そこはもうさもありなん、と諦めるしかない。
我々自身が「真の情報」を見極める能力を鍛えるしかない。SNS社会の生きる術の一つかもしれない。
ともあれ、「4年に一回の夢の宴」は終了し、迫ってきているのは、現実の世界。
そんな現実の世界でも、チャンスを見極め、努力している企業や業界はあるわけで、自粛生活や孤食生活だからこそ、生まれる需要を見極め、製品化する。
現実を憂い、嘆くだけでは何も変わらない、何も生まれない。
ダーウインが言ったとか、言わなかったとか、、、、それは分かりませんが、
「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一、生き残るのは変化できる者である。」
まさしく、「世の変化」にいかに対応し、自分自身も変化できるか、、、、
いつの世も、自分の思い通りにいくとは限らない、思い通りにいく事の方が、少ない。
であるならば、やはり自分で自分の行く道を切り開かなければ、と思う。
自宅に、仮設の個室を作る「個室化グッズ」が売れているようです・・・・・・・
必要は発明の母・・・・よく言ったものです。

先月23日の開会式以降、 連日、オリンピックでメダル獲得に歓声が響き渡るテレビを見ながら、 もう10日も経ったのかと愕然とする。 それまでは、「オリンピック・パラリンピック」を本当にやるのか!? 世論的には、賛否両論、否定的な意見が多かったのではないか。 しかしながら、マスコミの掌返し、始まってしまえば「メダル獲得」に、また「お涙頂戴のアスリート裏話」 決して、アスリートの努力を否とするわけではなく、その努力を披露する場があったことに関しては、素直に良かったと思う。 一方、止まらない感染拡大、デルタ株への置き換わりなのか、都市部を中心に、全国的に拡がりを見せている。 直接的な原因ではないにしろ、オリンピック開催が、コロナ警戒の人心の緩みにつながっていることは確かだろう。ここへ至っては、「まん延防止重点措置」も「緊急事態宣言」もその効果を疑わざる得ない。 しかし今更ながら、開会式の残念さ・無念さは胸に刻まれる。 イベント業界に携わる一人として、オリンピックの開会式は最高峰の夢の一つであるはずなのに、・・・ パンデミックな中、五輪を強行開催し、開会式において逆転本塁打を心ならず期待してたけれど、 結局ドタバタなまま、最後の期待のバブルを弾けさせた組織委員会の浅はかさ。 復興五輪のお題目も吹き飛んだ開会式。 コンセプトもストーリーもメッセージ性も感じられない、ハリボテ演出。 厳かでであるはずの、開会宣言時の隣の責任者の太々しい姿、 カメラが逃さなかった金メダル級のカメラワーク。 全く期待せずに見てたはずなのに、あぁ、これほど落胆するものなのか、、 利権と内部抗争にあけくれて、見せられたのは、夏祭りのチープなハリボテお化け屋敷、、、 真夏の夜の怪談話「東京2020・怪怪セレモニー」は21分押しで、やっっと終了。 熱戦はまだまだ続くけれども、一方コロナ禍で「迷走するnippon」・・・・・・ ハリボテお化け屋敷どころではなく、しっかりと現実に目を向けた対策をして欲しいものだ。 人命がかかっている。

 

 

新型コロナ禍で延期されていた「東京オリンピック2020」が明後日幕を開ける、
一部の競技は開幕式前に行われるので、実質スタートしているようなものだ。
しかしこれほど、待ち望まれていない「五輪」があっただろうか・・・・
本来であれば、街に五輪グッズが並び、ポスターが乱立し、「オリンピック記念」と銘打ったキャンペーンがなされ、テレビではアスリートの密着取材特番が流され、始まる前から「感動」雰囲気を醸成されるはずなのに、あらゆる「五輪」絡みのプロモーションが影を潜めている。
ワクチン接種が、進んでいる中、進みすぎてその供給量が不足し、混乱を招いている。また緊急事態宣言下にあるに関わらず、人流は思うように減らない。
また、組織委員会や政治家さんのさまざまな発言が火に油を注いでいる。
「競技が始まって、日本人が金メダル取ったら、空気も変わるさ」と言う人もいる。
“アスリートファースト”“復興五輪””コロナに打ち勝つ”などなど、美辞麗句が並んだ、「東京オリンピック2020」は果たしてどこへ向かうのだろうか。
我々、業界人的には、それらの美辞麗句は「企画書」的だな、という言い方をよくする。コンペティションでコンセプトを考えるとき、説得性・納得性のある言葉をチョイスする。しかしながら、実効性という視点で考えた時、それって大丈夫ってなる言葉。
言葉はとても大切です。自分の想いを伝えるだけではなく、相手が理解するための言葉が必要。それはコミュニケーションの第一歩。
その言葉が軽んじられていることに、今回の東京オリンピック禍が巻き起こっているのでは無いか・・・・・
謝罪や言い訳、「そう言うつもりではなかった」SNSでの暴言の数々。
言葉が生む分断。
新型コロナ感染症そのものへの恐れとともに、言葉が生む分断が、怖い。
きっと、「アスリートの必死な、嘘のない姿」を見ると応援している自分がいる、一方感染し、味覚が失われ、治療に専念している感染者を考えると、この五輪どうなんだろう・・・・・
「東京オリンピック」が始まるまでにできたことが沢山あったのでないか、
申し訳ないが、そこが一番悔やまれるし、残念だ。
写真は大阪メトロの駅内広告枠・・・空いてるなんて、新型コロナだけのせいでは無い気がする。