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4年に一度開催される「食博覧会」が明後日開幕します。

 

 

 

 

 

 

 

 

弊社も、12年前の食博の御堂筋パレードのフロート企画運営から、携わっています。

インテックス大阪全館を使ったイベントということで、関西では多くのお客様が来場されます。さすが食い倒れ大阪ということで、面目躍如ですね・・・・・・

粉もんだけではなく、関西の名だたる名店、各県の美味しいもん・・・・企業ブースなど、実に様々な切り口での食の文化を堪能できます。

今回は、3号館で実施される、「キッズ★ワンダーレストラン」の運営進行をお手伝いしています。

 

 

 

 

 

 

子ども達に、レストランでの接客体験、調理体験、そして食事マナーなどを実際に外食産業の現場の方々から教えて頂き、食、お店などに興味を持って頂く、貴重な体験イベントです。是非たくさんの子ども達に参加してほしいものです。

11日間という長丁場の現場ですが、最近はなかなかこのようなイベントもありません。そういう意味においては、我々だけではなく、一緒に働く司会者、スタッフとともに、思い出に残るイベントにしたいものです。

 

 

 

間もなく、4年に1度開催の食博が開幕します、11日間の長丁場のイベントです。葉さんとは、4年前に初めて出会いました。

「花の舞台」での出演者として、参加いただきました。

 

 

 

 

 

 

その後、様々なイベントでご一緒させていただき、昨年度は京都清水寺の本堂前での「日中国交正常化40周年祭典」の舞台監督をやらせていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

また、娘さんのさくらさんも、とても優秀な中国琵琶奏者のひとりです。2007年に北京で開催された中国中央テレビ局主催の「2007CCTV中国民族楽器コンクール」において最年少で銅賞を獲得するなど、数々の賞を受賞されています。師であり、父親でもある葉さんとの「親子中国琵琶の競演」は人気を博しています。
私にとっては
今では、とても大切な友人の一人です。
http://ccgd.qee.jp/profile.html

花博が終わって、代理店の方々との信頼関係も厚くなり、その後は、某シャッターメーカーの展示会の企画、工場の竣工記念式典、本社竣工記念や、某自動車メーカーのショールーム開設企画、など・・・・・会社としては、順調に仕事をこなす日々が続いていました。

が、

世間はそうではありませんでした、博覧会ブームも去り、バブル崩壊で、どの業界も迷走し始めていました。

我々の業界も、ご多分に漏れず、徐々に仕事が減少していきます。そうすると、どうなるか・・・・やはり仕事の取り合いになります。企画力だけではなく、予算も下がります。余裕がなくなってきます。

博覧会が開催されると、雨後の筍のごとく、小さな会社ができますが、博覧会が終わると、バブルが弾けるようにそんな会社も雲散霧消していきます。逆に言うと、業界的に会社を作りやすく、また無くしやすいと言えるかもしれません。

ある意味個人でもできる業界でもあります。

また、その頃は一般的にインターネット普及前夜のような状況でしたが、・・・・

インターネットの普及が世界の構造を変えたのは、今や当たり前ですが・・・・

その時には、これほど業界そのものの構造が変わるとは思ってもみなかったですね。

そんなインターネット普及前夜の1994年11月に私にとっての転機が訪れます。

 

まぁ、今思うと、晴天の霹靂でした。

 

インターネット普及前夜は、ニューズ誕生前夜でもあります。(続)

見杉さんは、自身のホームページ上で1000作品を目指して「1000 illustration project」、ほぼ毎日1作品イラストを掲載されています。

先日、ついに4月で700枚突破を記念して開催された、
「1000 illustration project 700/1000 オープニングパーティー」にお招きされて行ってきました。
想像してたものとは、ちょっと違い、“マッチ箱サイズ”の額にキュートな絵が描かれています。ジャンルは問わず、様々な表情のある絵を描いていらっしゃいます。

ちなみに、700作品で2年半かかっているそうです。
1000枚到達に期待です。

 

http://www.h-misugi.com/top.htm

184日間の開催中、我々、催事チームはパビリオンの内庭ステージで、ほぼ毎日イベントを実施していました。もともとは、行列でお待ちいただいているお客様に「待ち時間」を感じさせないための、ホスピタリティイベントです。

なので、実に色んな工夫を凝らしていました。

入場時には、ポカリスエット、ジャワティをお客様全員に飲んで頂くサービスや、マスコットキャラクターてんまくんの着ぐるみとの写真撮影サービスなど・・・・・

開幕時はオープンウィークとして、シンセサイザー演奏にシャボン玉飛翔ショー、企業の日には、ヤン坊・マー坊がやって来たり、合唱団が歌ったり、桂雀々さんのトークショーがあったり、シャンソン、マリンバ、七夕には彦星と織り姫の衣装に身にまとった演者さんが、お琴演奏をしたりと、実に様々なイベントが開催されました。

写真は、8月1日の水の日に開催した、氷柱彫刻のてんまくん。その場で、アイスカービングの職人さんが作ったものです。

この年は猛暑だったせいか、このイベントは多くのマスコミにも取り上げられました。

とは言え、様々なトラブルもありました。雨、風など自然現象でのイベント中止など。

そして、184日間のイベントも無事終了し、1990年の夏が終わりました。

あれから、23年・・・・・・・・

その当時の事務局員、スタッフ、コンパニオンさん・・・・いまだに同窓会が続いています。当初は、毎年1回、11年目からは2年に1回、当時のコンパニオンさんが主催してくれています。

私はこれを「奇跡の同窓会」と呼んでいます。

単なる、あの時の感傷だけでは続かないですね・・・・・・いかに、一致団結したイベントであり、パビリオンかがわかります。

「奇跡の同窓会」の案内はがきが今年も届きました。

そんなイベントをこれからも創っていきたいものです。

 

 

「花博」は日本を含む83カ国と55の国際機関、212企業・団体が参加した。総来場者数は2312万6934名で、特別博覧会史上最高を記録した、博覧会になりましたが、

実は、華やかに開幕したんですが、当初から結構トラブル続出でした。他館でもそうですが、リハーサルもしっかりやってはいたんですが、なかなかうまくいきません。

当館では、水を扱うショーだけに、やはりハードトラブルは結構ありました・・・・

ですが、テクニカルスタッフの頑張りで、徐々に安定し始めると、もともとショーそのものは素晴らしかったので、アット言う間に人気パビリオンになりました。整理券を求める方々で行列が毎日・・・・・お客さんに、事故がないように、細心の注意を図りながらの運営になりました。人気がないのも困りますが、ありすぎるとその分お客様への配慮が大変です。また、来賓の調整も大変です。

そんな感じで事務局としては、嬉しい悲鳴で、ショー、スタッフ、お客さまと三位一体の、素敵なパビリオンになりつつありました。

すべては、このショーです。

http://www.youtube.com/watch?v=lDNBLs5mih8&feature=player_detailpage

 

 

 

久々に、「人参リンゴジューズ断食」をした。4年前2009年の1月に8泊9日で伊豆のヒポクラティクサナトリウムに行きました。私の師匠からは、聞いてはいたのですが、実際行くとなると、仕事のことなど、スケジュールを合わせることも含めてなかなか、実現しなかったんですが・・・・というより、予約そのものが取れにくいので、先輩から「空いているよ」ということで、紹介いただき、行ったのが4年前です。

で、実際・・・・・

本当は、めちゃめちゃ快適でしたね、3食人参リンゴジュースで、後の時間は、ゴルフやったり、美術館巡りしたり、温泉に入ったり、・・・・・誠にもって自由な時間。

そんなことで、あまり「断食」というような修行的な辛さは全くありませんでしたので、今回も「やろう」と思って、ナチュラルな感じで始めました。ただ、隔離されているわけではないので、ちょっと油断すると、ビールに手が行く環境なので、そこは深く決意して臨みましたが・・・・・

まぁ、でも食べるものが決まっている(人参リンゴジュース、黒砂糖入り生姜紅茶、具無しみそ汁、黒砂糖、梅干し)というのは、結構これ“シビや”ですね。

他のものすべて、ご馳走に見える。(笑)

普段どれだけ、好きなものを食べているか・・・・・ということですね。

好きなものが栄養的かどうか、は、またこれ議論の分かれる所ですが、確実に飽食が体に無理を強いてるのは確かですね。

ストレスの多い現代において食べるという欲求によって、それを緩和することもありますが、時には、その欲求を断じて、自分自身を違う場所においてみるのも、悪くはないと感じます。

断食は単なる、ダイエットやデトックスではなく、自分自身の洗浄化、みたいな感覚かもしれません。

是非、1度チャレンジしてみてほしいものです。

1989年、時にバブル崩壊の陰が忍び寄っていたと思いますが、大阪の業界的には、翌年の“花博”バブルで沸き返っていました。

まさしく、当時は博覧会ブームで、様々な地域で地方博含めて、開催されていました。

国際博となると、その規模も内容も違います。関西中の業界関係者は「その時」に向けてラストスパートをかけていました。

私は、「40社の企業の日」の企画打合せのため、参加企業40社回りをしていました。また、事務局主催のイベントの企画も合わせて考える・・・・・追いかけられるというのは、こういうことと、感じながら必死にこなしていました。

各企業さんには、概要説明から始まり、その意義、そして「企業の日」に出すイベントのリサーチ・・・・・単純に1日1社で40日かかります・・・・・

アポ取りから、日程調整、そして打合せ資料作りと、多忙な日々を過ごしていました。当然、パソコンじゃなく、ワープロの時代です。資料作りとっても、時間がかかります。メールも無い、FAXの時代・・・・・何もかも、そのスピードです。

 

そんな、準備期間も、「アッという間に」過ぎていよいよ会場入りです。知らぬ間に常駐スタッフになっていました。その日から、6ヶ月出向扱いです。通勤は花博会場のパビリオンです。その間、大きな共同体の中での生活が始まります。

 

1990年4月1日、賑やかに「国際花と緑の博覧会」は開幕しました。

 

1990年4月から、大阪鶴見緑地で開催される、通称「花博」への出向は確定してた、前年1989年からは、その準備で、てんやわんや、です。

40社からなる大輪会から、出向でコンパニオンが選ばれるとともに、一般公募でも面接を経て、合わせて、80名のコンパニオンが勢揃いです。マナー、接客などの研修をへて、1年前決起大会など、本番へ向かって様々な行事、などが重なりあいます。

これぐらい大きなプロジェクトになると、事務局そのものが会社組織のようなものです。総務、渉外、接遇、広報、運営、など様々なセクションでの動きになります。まだ若かったとは言え、大手広告代理店の担当者とタッグを組んで、まずは、組織の中でのポジションをしっかり固めないといけません。クライアント、その筋の方々、何たって、40社すべてがクライアントです。粗相はできません。コンパニオンも出向してるということは、クライアント筋・・・・・・・

なかなか、実は、厄介です。ただ、この大きなプロジェクトを動かすとなると、確実にチームワークが問われます。

館長以下、事務局員ばかりではなく、テクニカルスタッフ含めて、一致団結していかなければ、この長丁場は乗り切れません。

事前準備から、我々の闘いは始まっていると言ってもいいでしょう。

1989年、私は大輪会「水のファンタジアム」の催事ディレクターに任命されました。楽しくも苦しい、充実した日々の始まりです。

1990年は、ある意味、私のイベント業界での最初のエポックメイキングな年になりました。世間では、まだバブルが弾けるとは、考えにくい頃、大阪で1970年以来の国際博覧会が開催されました。

Wikipediaより・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

国際花と緑の博覧会(こくさいはなとみどりのはくらんかい、英:The International Garden and Greenery Exposition,Osaka,Japan,1990)は、大阪府大阪市鶴見区と守口市に跨る鶴見緑地で、183日間の会期(1990年4月1日ツꀀ-ツꀀ9月30日)で行われた博覧会国際事務局ツꀀ(BIE) 認定の国際博覧会であり、また国際園芸家協会(AIPH)の大国際園芸博覧会でもある。会場面積は約140haで、略称は「花の万博」「EXPO’90」。「花と緑と人間生活のかかわりをとらえ 21世紀へ向けて潤いのある豊かな社会の創造をめざす」をテーマとし、日本を含む83カ国と55の国際機関、212企業・団体が参加した。総来場者数は2312万6934名で、特別博覧会史上最高を記録した。

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私は関西で生まれた企業40社の企業体「大輪会 水のファンタジアム」というパビリオンの催事ディレクターという立場で仕事をさせていただきました。

前年の準備から考えると2年にわたる、「大プロジェクト」でした。

その間の出来事などを、追々お話していこうと思います。

 

 

私も昨年1度コンサートを見に行きました。素敵な音色に優しくなれますね・・・・
様々な活動を積極的にされています。

奥さんのHPのメッセージから・・・・・・・

はじめまして ヴィオリスト奥幸代です♪

依頼演奏などのパーティでのミニコンサートやオーケストラなどでエキストラ出演、
DUO CONCERTの企画開催など積極的に活動させていただいています。

2011年より始めましたDUO CONCERT。色んな楽器のアーティストの方々と
色んなジャンルの曲を演奏させていただきました。
沢山の方々に出会い支えていただき、本当にありがとうございます!
今年も沢山の方々にお会いできるのを楽しみにしてます。

音楽の枠にとらわれず、色んな事にチャレンジしていきたいと思います。
どんどん頑張ってまいりますので応援よろしくお願いします。

http://www.viola-sachiyo.com/index.html

今週日曜日には、下記のコンサートが開催されます。

2013/4/14 大阪室内合奏団 Osaka String Ensemble デビューコンサート
川口基督教会 2013年4月14日(日) 16時開演

1989年1月、社会人2社目のスタートです。東京に本社がある会社でしたので、現地採用の私以外は東京本社からのスタッフです。何かと、やり方、考え方、進め方が違うので戸惑っていましたが、前社でのチャレンジング精神のおかげで、臆すること無く、こなせた気がします。

東京発の仕事は、やはり悔しいけれども全国区です。

東京・名古屋・大阪・福岡・札幌と、あるペットフードメーカーのバイヤーさんへの新製品発表会で全国を回りました。仕事はもとより、各地での飲み会が楽しみで、それはそれは、遊びましたね・・・・・・札幌ラーメン食べた次の日は博多ラーメンでしたから・・・・・

その後も、鈴鹿サーキットでのF1レースでのプロモーションや、Jリーグ横浜マリノスのプロモーション、こどもクッキングコンテストなど、大阪だけではなく、全国飛び回ってた気がします。

徐々に、仕事も任せられるようになってくると、JOB(案件)を自分が制作推進していくことになっていきます。多くは、取引先としては、大手の広告代理店さんの担当と推進していきます。

クライアント(スポンサー)は主催者とも言えますし、お金を出している所とも言えます。例えば、ラーメンのメーカーさんであったり、車のメーカーさんなどですね。

広告代理店はそのスポンサーさんの製品(商品)をどのように世間に知らしめ、かつ販売促進するかを、様々な媒体を使って推進していきます。

我々は、セールスプロモーション(販売促進)活動ということになります。

媒体とは、簡単に言えば、テレビCM、ラジオCM、新聞広告、雑誌広告、インターネット広告、その他、駅ばり、屋外広告、電車の中刷りなどなど・・・・・・です。

セールスプロモーションとは、街頭キャンペーンや展示会出展、パーティ企画、講演会、シンポジウム、表彰式など、媒体以外で集客や購買促進、認知度アップ、試飲会などを行なうことです。

そんな中で、案件推進を任せられてくると、今までのやり方、立ち位置ではどうしても処理できないことがたくさん出てきます。

コスト管理、スケジュール管理、キャスティング管理です。今までは与えられていたことをこなすだけだったのが、自分自身で考え管理していかなければなりません。

ヒトが、ある瞬間に脱皮するときは、120%以上の仕事を与えられたときなんでしょう。1989年は、自分自身が大きく脱皮するタイミングの年だった気がします。

 

大学を卒業して就職した会社には、結局2年弱しか在籍しなかった。ただ、その2年間では、本当に様々な経験をさせていただいた。

「小石でも、拾い上げるとその裏に仕事なんて、どこにでも落ちてるよ・・・」当時の社長はよく私に、言ってた言葉です。仕事は選ばなければ、あるもんだ。まぁバブル時代ということもありましたが・・・・・・

というより、今は、その言葉の裏には、「やったことのない仕事でもチャレンジするんだよ」という意味に感じます。その会社は小さかったけれども、常にチャレンジングでした。ペーペーの私を運営リーダースタッフとして50日間も任せたり、その他にも映像編集の仕事や、書いたことの無い台本書きや、当時まだ一般的ではない「ワープロ」を打たせたてもらったり・・・・・・

“やったことがないから、できない”という発想は全くない社長でした。その後の、独立後の私の営業姿勢の原点かもしれません。

ただ、色んな理由の中で、退社をすることになりました。

若気の至りだったんでしょう。その時は、その後のことは全く考えてなかったくらいですから。

ただ、まだまだ、バブル時代でしたので、業界的には人材不足の時代だったんでしょう。「やめる」と聞いた先輩から、お誘いがありました。

近しい会社だと、何かと、前の会社に迷惑がかかりそうな気がしてましたが、幸いそのタイミングに東京本社のPR会社が大阪支社を開設するということだったので、それならば、ある意味新しいフィールドで働けるんじゃないか・・・・

 

折しも昭和天皇が崩御され、イベントというイベントがすべて自粛していた、1月に私にとって、社会人2社目がスタートしたのです。

 

 

FBページ技志輪人伝のカバー写真kon-garaのメンバーでもあります、中野さん。
中野さんは、
エアーブラシによるリアルイラストから、立体・オブジェ・フィギュアの原型制作、キャラクター制作、チーム体制での映像(クレイメーション)の制作
主な仕事として、博物館やイベントでの展示画や立体物、ディスプレイ、映像制作、図鑑・科学専門誌、ゲームのポスター、パッケージイラスト、CDジャケット等

をされていますが、

受賞歴をご覧頂くとわかりますが
世界的に認められているイラストレーターです。

いつかは、ご一緒したい素敵なアーティストのお一人です。

http://www5.ocn.ne.jp/~ideal-na/ind1_info/index1.html

夢工場は当時インテックス大阪1号館から5号館までを使ったイベントです。

夏休みの開催でしたし、関テレではバンバンコマーシャルしてたので、それはそれは大人気でした。


 

中でも、私が受け持っていた「はれときどきぶた」パビリオンは毎日、長蛇の列です。中に、100名(だったと思います)くらいのシアターがあり、その前後に様々な体験・体感アトラクションがありました。入場制限をしながらの誘導でしたので、運営スタッフの意気のあった対応がとても重要でした。

 

今考えてもチームワークはバツグンだった気がします。

それぞれのセクションでそれぞれの役割を十二分にこなしてくれたと、今更ながら感心します。運営スタッフはほとんどが学生さんでしたから・・・・・

そして、事件が起こったのです。もう26年も前ですから時効でしょうが・・・・・

最終日、「はれぶた」パビリオンを楽しみにして来られたお客様がいました。が、残念ながら、終了までに入場制限をせざる得ません、これは毎日のことです。イベントに終了時間があるように、こなせるタイミングの限界時間で入場をお断りせざる得ないのです。ただ、その日は「夢工場」そのものの最終日です。二度と入れないのです。

お客様も粘りましたが、我々運営スタッフとしても、断腸の思いなんですが・・・・・そこはある程度割り切らざる得ません。

そして、運営スタッフがお客さんに殴られました。大騒ぎです。私は運営リーダーとして、事務局を通して抗議をしたんですが、そのアルバイト君が「中野さん、いいですよ、お客さんの気持ちもわかるし、そして何よりもここで大騒ぎしたら、折角のはれぶたスタッフに迷惑かけますから・・・穏便に行きましょう」

対処の仕方が、本当に良かったかどうかは、議論の余地がありますが・・・・・・

その彼の言葉がすべてを現しています。

このイベントは決して一人で完遂できたものではなく、それぞれのスタッフが持ち場だけじゃなく、自分たちのパビリオンという意識で働いてくれた結果だと、今でも思います。

イベントの難しさ、楽しさ、そして素晴らしさを知った50日間でした。

今でもインテックス大阪に行くと「キュン」としてしまうのは、あの時の

彼の言葉を思い出すときです・・・・・