時間、経費、環境など様々な制約の中で、より良いものを、より鮮
言い訳は許されません。
代わりの会社や、スタッフはたくさんいる、・・・と思わせない、
それは、様々な要素があります、発想、経験・実績、スピード感、
そして、想定していないことが起こった時に、いかに対応できるか
準備期間のある、なしに関わらず、想定外を想定すべきは、プロと
時間、経費、環境など様々な制約の中で、より良いものを、より鮮
言い訳は許されません。
代わりの会社や、スタッフはたくさんいる、・・・と思わせない、
それは、様々な要素があります、発想、経験・実績、スピード感、
そして、想定していないことが起こった時に、いかに対応できるか
準備期間のある、なしに関わらず、想定外を想定すべきは、プロと
大学進学を見据えるか?→進学を考えるなら、摂津高校
高校で野球を続けるか?→野球するなら、島上高校
一か八かの勝負をするか?→両方とるなら、東淀川高校
今の偏差値はわかりませんが、当時はこんな感じです。
結局、大学行くなら「摂津」ということで、摂津高校に受験・入学しました。
そこには、「野球部」がありませんでした。
当時、摂津高校はサッカーが強く、大阪で全国大会を狙える強豪校でした。実際何度か全国大会に出てます。
そのせいか、体育教員の先生は、元オリンピック選手など、その業界では名だたる有名人が沢山いました。
その頃は、「野球」はスポーツじゃない、投手と捕手のスポーツ、というような風潮があったようです。
まぁ、サッカーが強かったせいで、グランドを広く使う野球が敬遠されていたのかもしれません。
野球少年の私は、ちょっと残念に思いつつ、高校生活をどのように過ごすか、やはり部活には入りたいと、思って様々なクラブ見学をしました。
そして、いまでもなぜだか、不思議なんですが「器械体操」というま全く興味もなかったクラブに入部することになります。
たまたま、同じクラスになった友人が「センス良い」とおだてられて入ったクラブが体操・・・・
私も、その友人に連れられて、勢いで入部した感じです。
当時「器械体操」(6種目)は減点競技です。10点満点から、規定演技のミスから減点をしていく競技です。落下した、技を抜いた・・等等。
所謂決められたことが出来て当たり前・・という競技です。
今のように、難度の高い技を入れて加点されるものではありませんでした。
コマネチ(当時ソ連)選手が10点満点連発したオリンピックで点数表示板に「10点」がなく、しかたなく、「1点」と表示したのもそのためです。
野球やサッカー、ラグビーなどの加点競技、テニスやバレーボールなどの決められた点数を早く取った方が勝つ、そんな競技とは明らかに違うルールの器械体操。
それは、
「練習で、できない技」は、「試合では絶対できない」という事実です。
「練習で、できた技」も、「試合では絶対できる」という、保証の無いのも事実です。
「器械体操」を3年やり続けたことは、その後の私の人生に大きく影響を与えたことは確かです。
昭和27年から続いている「長浜盆梅展」をさらに盛り上げるイベント「長浜梅酒祭り」を開催します。
弊社も少しお手伝いさせて頂いています。
日本でただ一人の、梅酒ソムリエ金谷優氏が全国各地厳選した梅酒および梅ジュースを50種類ご用意し、お待ちしております。あなたのお気に入りの一杯が見つかる貴重な機会になると思います。ご友人、ご家族と共に、是非お越しください。
各地の皆さんの安全を祈念します。
しかし、火山噴火や、台風、豪雨にともなう、土砂災害、河川氾濫など、自然がもたらすその力は、人間ではどうしょうもないくらいの力を発揮します。インドでは大型サイクロンが上陸して何十万人の人々が避難しているようですし・・・・・
私も仕事柄いろいろな分野の仕事をさせていただきますが、7月にお手伝いした「消防訓練」の現場は今まででも記憶に残る現場でした。
関西の救急救命士さんがその技術を競う大会でした。
それは、「いざという時」の為の訓練であり、「いざという時」は想定出来ない時なので、いつもその技術を磨いておく必要があります。
体力も要ります、心身ともに、ゆっくりできないんじゃないか、と思います。
たまたま、その時に「藤原紀香」さんが来られていました。
NHKでオンエア中の「ボーダーライン」というドラマでお世話になったことが縁でした。
私も、そのドラマを見ていますが、大阪が舞台ということもあり、親近感を持ちながら、見ています。
日頃我々が知らない消防士の方々の日常・活動・・・・・・
非常に考えさせられるドラマです。
自然災害だけではなく、命を懸けて活動している方々に敬意を払わずにはいられません。
この大型台風でも命を懸けて、人々の安全を守ってくれる人がいることを忘れてわならないと、思います。
それから、このドラマの料理指導をしているのは、昨年「食博」でお世話になった。久保先生がやっておられます。料理シーンも見物です。
いみじくも2020年、東京でオリンピックが開催されます。
あの頃とは、時代も日本の状況も、世界情勢も全く変わっていますので、「東京オリンピック2020」の在り様も当然変わって来るはずですね。
経済優先の、50年前。
政治とスポーツは別といえども、どこかで暗い影を落としているのも確かな真実であり、不確かな今の世界の中で、オリンピックが果たす役割、ひいては極東日本が果たすべく役割は大いにあるような気がします。
唯一の戦争被爆国として、祈り平和を希求し宣言し続けることは、様々な紛争、混乱が止まらない世界への警告として、日本が果たすべき役割は決して小さくはない、と考えます。
様々な困難を克服すべく、「東京オリンピック2020」が世界平和の一助になることを願ってやまない、50年前のオリンピックを思いつつ、6年後のオリンピックに思いを馳せます。ツꀀ窶鐀 場所:ツꀀ株式会社ニューズ
私の知り合いがやってます。
2日間、船場で音楽三昧はいかがです・・・・
一方、その時代は公害、安保闘争、過激派闘争・・・・
「浅間山山荘事件」が起こったのも、1972年でした。
経済優先から垣間見える、「ひずみ」がそのようなカタチで噴出していたのかもしれません。
その後、
巨人の9連覇が途絶えた後の、セリーグの混戦がまた新しい時代の幕開けを暗示していたのかもしれません。
1980年代
マイホーム、自家用車の普及、終身雇用による信用増大、それまでは上流階級しか持ち得なかった商品が多くの家庭に普及した時代です。
物質的な豊かさを享受できた、一億総中流時代と呼ばれた時代。
いわゆる「大衆の時代」です。
そんな1980年代、私はまさしく青春時代を過ごすことになります。
中学・高校・大学と・・・・・世の中も安定していた時代です。
小・中学時代は典型的な「野球少年」でした。まだ今ほど、サッカー人気が盛り上がっていない頃でしたので、「プロ野球選手」が少年たちの夢の一番の頃です。
そして、人生初めての試練が、高校受験です。それまでは、甘えが許されたけれども、受験は「結果」が明確に示されます。
「合格」「不合格」・・・・・ある意味初めての人生の岐路というべき、タイミングかもしれません。ツꀀ窶鐀 場所:ツꀀ株式会社ニューズ
私の物心ついた頃は、よく家で父が墨壷から、墨で、ベニヤ板に図面を引いていました。これを図板と言うそうです。
「最近は、家を建てられへん大工が増えた」と嘆いていました。
確かに父は、図面を自分で書き、材料も自分で発注して、一軒家を建てていました。よく仕事場に連れて行ってもらったものです。
足の裏に1寸釘を刺して大泣きしたことを思い出します。
なので、大鋸屑の匂いは、私にとっては父の匂いなんですね。
父はよく、「もうあんな分からず屋とは一緒に仕事はせん」と施主なのか、施工主なのか、まぁ、よく喧嘩をして帰ってきたものです。
その後は、当分仕事に行かずに家にいて遊んでくれました。
そんな父の父、私の祖父は「漁師」でした。
そして、曾祖父(そうそふ)は「宮大工」だったそうです。
宮大工縲恚剋t縲恆蜊H縲怩サして私・・・・・・
また、母の父、母方の祖父は満州で手広く事業をやってたそうですが、戦争ですべて奪われてしまったそうです。母も残留孤児になりかけたところを、中国人に囲われて、無地に日本に帰ってきたそうです。祖父も亡くなっているので、真相は詳しくわかりません。
私が、今の仕事を選んだ理由が、そんな流れの中にヒントがあるような気がします。
サラリーマンが一人もいない。。。。
案外、皆、一匹狼なんですね。わがままなだけなのか、自由闊達なところが好きなのか・・・・・
自分のその先のルーツはどこにあるのか、いつかゆっくり調べてみたいものです。
父は今も健在ですが、もう少し、「父の若かりし頃」を聞いてみたいものです。
大鋸屑の匂いは、私を少年時代にタイムスリップさせてくれます。ツꀀ窶鐀 場所:ツꀀ株式会社ニューズ
今は、立派な住宅地として、奇麗な高層住宅が沢山ありますが、
当時は、平屋ばかりで道は砂道、草木が生え放題の草むら、あちこちに沼地や田んぼがあって、アメンボ、ゲンゴロウ、ザリガニ等、そしてモグラなんかもいました。それだけでも、自然溢れる地域でした。
そんな町で、私は幼年期・少年期を過ごしました。
まさしく、「3丁目の夕日」の世界です・・・・
初めて、世間を意識したのは、「日本万国博覧会」です。
1970年3月14日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵で開催された国際博覧会です。
私の、狭い家に、知らない大人たちがこぞって泊まりに来たのです。親戚はもちろん、親戚の知り合いまで・・・・・
当時、泊まるホテルが無いくらい、日本中から、世界中から大阪に人が集まっていたのでしょう。
その度に、私はアメリカ館の「月の石」を見に、何時間も並んだ気がします。
業界的には、この万博がイベントの原点という人もいます。
昭和30年代、社会自体が、経済台頭期、建設ラッシュで浮かれているこの時代、九州は大分出身の私の父は中学を卒業して、「大工」として修行をしてたそうです。
当然、私が生まれる前の話ですから、父から聞いた話になりますが。
昭和14年生まれの父は、九州・大分県佐賀関一尺屋という、目の前が海の拡がる家で生まれ育ちました。兄弟は10人ほどいてたようですが、戦争や病気で亡くなったそうです。
その頃は男3人、女1人の4人兄弟姉でした。
ほとんどの男衆は「漁師」になったそうですが、「船酔い」が嫌な父は単身・大工の職人になるべく、上阪したそうです。
父の生き様を少し顧みると、そこに今の私のルーツの一端が有るように、思えます。
今、日本は2週目の教育の時代。
私が生まれたのも、1963年今から51年前。教育の時代です。
確かに、皆が高校だけでなく、大学に行く時代。
なので、様々な塾がありました。書道、珠算、学習塾・・・・
また百科事典が一家に1セット置かれた時代。
東京オリンピックが開催されたのが、1964年。
日本万国博の開催が1970年。
新幹線が走り、高速道路が整備され、町なかの道路も砂道からアスファルトに変わっていく時代。
まさしく、高度経済成長期です。
そんな時代に幼少期・少年期を過ごした私は、まさしく「3丁目の夕陽の頃」のわんぱく少年でした。
まだまだ、家の近所には沼地が沢山ありました。ザリガニ釣りや、カメを捕まえたり、ひよこを飼って、気づいたらニワトリになって、困ったこともありました。空き地で焚き火をしながら、焼き芋したり・・・
日が暮れる頃には、近所の夕餉の匂いが当たり前のように・・・
昭和のイイ時代だったのかもしれません。
一方、光化学スモッグ注意報が出たり、公害が社会問題になってました。過激派による、爆破事件など、暗澹たる戦後の暗部をがあぶり出ていた時代でもあります。
そして、今、思い返すと、自分の原点がいくつか、そこにあります。
ひとつは、やはり「父親」です。
そして、高校時代の器械体操部の3年間
大学時代の何でも屋・・・・・・・
この3つを思い起こすとき、今の自分の原点になった気がします。
次回は、そこを少し述べてみたいと思います。
また、マーケティング以外にも、ビジネスモデルにおける考え方、組織論、経営論など、その講話の題材は多岐に渡っています。
その中でも毎年1回必ずお話されるのが「陰陽五行説」です。
何千年も前から、伝えられている50年周期の説です。
それに、自分の50年の人生ヒストリーを重ね合わせると、ちょっと面白いですね。
現在は、教育の時代、後3年もすれば、経済台頭期・・・
抗うことのできない、見えない時代の流れに、それとなく自分の生き様を重ねてみると、これからの行くべき道がおぼろげながら、見えてきます。
私も人生、2週目に入ってきました。あらためて、為すべきことを
今、模索しております。ツꀀ窶鐀 場所:ツꀀ株式会社ニューズ
なので、折角高い交通費・時間を使って移動しているので、なるべく、そこにしかないものを体験しようと、いつも考えます。
時間が無いときは仕方ないですが、なるべくひとつでも体感したいと、思ってます。
相模原の際は、「横浜トリエンナーレ」+サンマー麺(ご当地ラーメン)を体感。
先日の東京打合せ時には、「宇宙ミュージアムTeNQ」に・・・
常設なので、いつでも行けるといえば行けますが、思い立ったが吉日とばかりに、見に行ってきました。
とにかく、体験できるタイミング・予算・時間などを考えると常に意識して「その体験」を探していないとダメだと思います。
特に、首都圏だけの開催物がやはり残念ながら多いので、それを見逃さないことが必要ですね。
仕事柄、遊びも仕事みたいな所がありますので、これからもどんどん体験していきたいと考えます。
それが、アイデアを生み出す為の非常に重要なファクターになります。ツꀀ窶鐀 場所:ツꀀ株式会社ニューズ
週末ともなると、小さなお店はほとんどお休みですが、会員制卸販売の百貨店は、一般のお客さんで一杯です。駐車場も満車状態です。
私も、遠い昔、母に連れてきてもらった記憶があります。
キット、他で買うよりも安いのでしょう。
紙袋に一杯の雑貨を買い物した気がします。
一応、会員制卸販売と言ってますが、会員になれば、一般の我々でも買い物が出来ます。
最近この界隈の小さなお店も閉店するところが目につきます。
まぁ、私からすると、「今更卸販売しかしていない、小さなお店」に「そんなんで、商売ができていること」が不思議で仕方がないですが・・・・・・
今の時代、メーカーから直接消費者に商品を届ける、直接販売が主流になりつつある中で、昔ながらの日本的流通システムは崩壊の危機に瀕しているのでは、と考えます。
家電、書籍、日用品等、今や直販で買えないものは、無い。
宅配便の普及、ネット(スマホ)の普及、無店舗販売の日常性。
一方、紙袋を一杯手にしている、「会員制卸百貨店」の賑わいぶり。
値段だけの問題じゃ無いような気がします。
2個も3個も紙袋持って、「そんな思いまでして、買うもの?」って客観的に見てしまいますが、キットそうさせる何かがあるんでしょう。
ネットで「プチっ」と押す買い物と違った、何か・・・・・
いずれにせよ、昨今の商売は、購入するお客さんに今はイニシアチブがあるのは確かです。
お客満足度は値段だけじゃない、「何か」が大切な気がします。ツꀀ窶鐀 場所:ツꀀ株式会社ニューズ
遅まきながら、弊社に防災グッズを設置しました。
十分な備えとは言えないまでも、どういうものが最低限必要なのか、またその時にどういう行動をおこすべきなのか、を確認できたことは良かったです。
たまたま、本日大阪市では「大阪880万人訓練」ということで、11時3分にスマホに緊急速報が通報されました。
訓練のことを知らないと、ちょっとビックリしますね。
知ってても何か感じます。
「嫌な音」だからでしょうか・・・・・
でも、この嫌な音に条件反射して身を守ることはとても重要なことだと思います。
本当に、最近は地震だけではなく、豪雨による土砂災害、川の増水など、我々の身近な生活に潜んでいる危険を感じざる得ません。
先般、仕事で防災訓練のお手伝いをさせていただきましたが、ハッキリ言えることは、災害はいつ起こるかわからない、そして助けてくれるはずの行政や警察、消防すらも身動きができない状況が往々にしてある、ということです。
自助、自らは自らを助ける、・・・・
互助、地域における防災力、・・・・
恊働、お互いに、ともに、助け合う・・
天災は忘れた頃にやってくる・・・
最近は、
天災は忘れる間もなく、やってくる。
減災は、日頃の意識で叶うもの。
災害列島日本で、身を守る意識を忘れないでいたいものです。
弊社の近所に、「元・大阪市立東商業高校」があります。
別の高校と統合されて、今の場所の校舎が取り壊されている真っ最中です。
安全フェンスには「分譲マンション」建設と書いてあります。
結構、大きそうなマンションぽい・・・・・
最近流行のタワーマンションか・・・・・
単純に、500ヶの戸数となると、500世帯が一気に増えることになります。
1人暮らしは考えにくいので、1000人以上の人口が増えることになりますね・・・・・・・・
このあたりの飲食店さんは、チャンス到来です。
これは、一つの事例ですが、
多く、地方都市において工場誘致などは、まさしく、税金効果のほか、雇用増加、飲食店などの売上げ寄与。
原子力発電所などは、その好例ですね。
一方、炭坑が廃坑になった地方もあります。
常に、スクラップ&ビルドの繰り返し。
壊して、建てる・・・・・・
そこに、経済効果が生まれます。
大阪商人の町、船場も時代とともに、少し寂しくなってきています。
糸偏攻勢な頃は、お茶屋さんなど、賑わっていたそうですが・・・・
昨今、ちょっと、元気がありません。
町も時代とともに変化していかざる得ませんね。ツꀀ窶鐀 場所: 株式会社ニューズ