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今年、インバウンドイベントで、お世話になってから、ご一緒にワインを呑む先輩であり、仕事仲間です。
同協会の会長でありながら、アーツ☆エンターテイメント学院の校長先生でもあります。http://www.arts-ent.jp
日本の侍・忍者を通じて、日本の今の文化を海外に伝えることによって、もっと日本の理解を深め、交流が盛んになれば、正しい日本像が訴求できるんじゃないか、と密かに色々企んでいます。

http://nihontatedokyokai.com

 

私の師匠から教えて頂いた理論。

鯖は秋が旬の魚ですが、「鯖の生き腐れ」と呼ばれるほど鮮度の低下が著しいという欠点のある魚です。

「情報」も同じですね。鮮度のあるうちに、お裾分けしてしまう。
「その情報」を必要としている人なのかどうかは、こちらはわからない。ある程度の予測はつくけれども、その人の向こうに実は「その情報」が必要と思っている人がいてたりする。

なので、なるべく有益な情報は、お裾分けする・・・・・
これを鯖理論と言います。

食博も終わり、次なるミッションへ・・・・

久しぶりに空間アロマデザイナーでもあり、風水の先生でもあり、多彩な面をお持ちの女性経営者と、ビジネスモデルについて2時間ほどブレストをさせていただきました。

やはり、男性視点とは違う様々なアイデアをお持ちで、アッと言う間の2時間でしたが、お互いにアイデアをぶつけ合う内に、私の脳内にあった様々なヒントが溢れてきました。潜在意識にある今まで見て来たもの、経験したこと、読んだり、聞いたりしたことなどが、一つのキーワードでつながったり、掛け合わさったり、削ぎ落とされたり・・・・・・

 

 

 

溢れ出たアイデアを(情報)を今度は選別し、これからの時代、流れに応じて、仮説を立てる。

そして仮説を検証しつつ、ビジネスモデルとして構築していく。

鮮度を高めて、創っていきたいものです・・・・・・

 

 

11日間限定営業の「ORAキッズ★ワンダーレストラン」が昨日、無事閉店。ORA(大阪外食産業協会)の会員の企業さまが、子ども達に「調理・接客・マナー」などを教えるレストランを開店・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

1年ほど前から、このプロジェクトに参加。調理を教えて頂く企業さん、マナーを教えて頂く企業さん。そして調理や食材・料理器具のスタンバイスタッフ。

厨房で、下拵えを準備するフードコーディネーターの先生、スタッフ。

運営では、お客様の誘導案内、そして整理券などの受付業務。

本番での司会進行役のお姉さん・・・・・・

 

 

 

 

 

 

実に様々な役目を実に様々な立場の方々と一緒に業務をこなさないといけない・・・・・

マニュアルで説明はしても、現場に来ないとなかなか真意は掴めない。

ましてや、普段はレストラン経営や調理をされている、いわばボランティアスタッフの方々です。

我々の役目は、まずそのスタッフさんへのレクチャーから始まります。インナーレクチャーですね。全体ミーティングをしつつ、分科会で詳細をつめていく。問題点があれば随時修正していく。朝礼では、「手洗い音頭」を最初は照れながら、踊ってましたが、日々、それが子ども達への笑顔の第一歩になるように、本当に楽しんで、踊って・・・・・・

 

 

 

 

 

 

お客様を迎えながら、スタッフの方々と一緒に作っていく。。。。。。

今回はスタッフ全員が「子ども達に、笑顔で帰ってもらおう」の掛け声のもと、本当に一致団結してそれぞれの業務について頂きました。

おかげさまで、食博のプログラムの中でもとても人気のあるものになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

様々な立場のスタッフの方々が一致団結した結果がそのような評価を頂いた気がします。

昨今、このような長丁場のイベントが少なくなってますが、参加した子ども達だけではなく、参加したスタッフの方々の心の中にも残る印象的なイベントになったと思います。

子ども達に贈る「金メダル」をスタッフの皆さんにも贈りたい・・・

そんな宝物になるイベントになりました。

 

4年に一度開催される「食博覧会」が明後日開幕します。

 

 

 

 

 

 

 

 

弊社も、12年前の食博の御堂筋パレードのフロート企画運営から、携わっています。

インテックス大阪全館を使ったイベントということで、関西では多くのお客様が来場されます。さすが食い倒れ大阪ということで、面目躍如ですね・・・・・・

粉もんだけではなく、関西の名だたる名店、各県の美味しいもん・・・・企業ブースなど、実に様々な切り口での食の文化を堪能できます。

今回は、3号館で実施される、「キッズ★ワンダーレストラン」の運営進行をお手伝いしています。

 

 

 

 

 

 

子ども達に、レストランでの接客体験、調理体験、そして食事マナーなどを実際に外食産業の現場の方々から教えて頂き、食、お店などに興味を持って頂く、貴重な体験イベントです。是非たくさんの子ども達に参加してほしいものです。

11日間という長丁場の現場ですが、最近はなかなかこのようなイベントもありません。そういう意味においては、我々だけではなく、一緒に働く司会者、スタッフとともに、思い出に残るイベントにしたいものです。

 

 

 

間もなく、4年に1度開催の食博が開幕します、11日間の長丁場のイベントです。葉さんとは、4年前に初めて出会いました。

「花の舞台」での出演者として、参加いただきました。

 

 

 

 

 

 

その後、様々なイベントでご一緒させていただき、昨年度は京都清水寺の本堂前での「日中国交正常化40周年祭典」の舞台監督をやらせていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

また、娘さんのさくらさんも、とても優秀な中国琵琶奏者のひとりです。2007年に北京で開催された中国中央テレビ局主催の「2007CCTV中国民族楽器コンクール」において最年少で銅賞を獲得するなど、数々の賞を受賞されています。師であり、父親でもある葉さんとの「親子中国琵琶の競演」は人気を博しています。
私にとっては
今では、とても大切な友人の一人です。
http://ccgd.qee.jp/profile.html

見杉さんは、自身のホームページ上で1000作品を目指して「1000 illustration project」、ほぼ毎日1作品イラストを掲載されています。

先日、ついに4月で700枚突破を記念して開催された、
「1000 illustration project 700/1000 オープニングパーティー」にお招きされて行ってきました。
想像してたものとは、ちょっと違い、“マッチ箱サイズ”の額にキュートな絵が描かれています。ジャンルは問わず、様々な表情のある絵を描いていらっしゃいます。

ちなみに、700作品で2年半かかっているそうです。
1000枚到達に期待です。

 

http://www.h-misugi.com/top.htm

4年に一度の食の祭典。いよいよ、4月26日から、11日間開催されます。

http://www.shokuhaku.gr.jp/index.html

前回、前々回も携わらせていただきました。

インテックス大阪全館を使ってのイベントは最近ではなかなかありませんが、このイベントは1985年から4年に1度、実に今回8回目となります。

詳細は、また追ってお報告させていただきますが、是非今年のゴールデンウィークは食博覧会へお越しください。

私も昨年1度コンサートを見に行きました。素敵な音色に優しくなれますね・・・・
様々な活動を積極的にされています。

奥さんのHPのメッセージから・・・・・・・

はじめまして ヴィオリスト奥幸代です♪

依頼演奏などのパーティでのミニコンサートやオーケストラなどでエキストラ出演、
DUO CONCERTの企画開催など積極的に活動させていただいています。

2011年より始めましたDUO CONCERT。色んな楽器のアーティストの方々と
色んなジャンルの曲を演奏させていただきました。
沢山の方々に出会い支えていただき、本当にありがとうございます!
今年も沢山の方々にお会いできるのを楽しみにしてます。

音楽の枠にとらわれず、色んな事にチャレンジしていきたいと思います。
どんどん頑張ってまいりますので応援よろしくお願いします。

http://www.viola-sachiyo.com/index.html

今週日曜日には、下記のコンサートが開催されます。

2013/4/14 大阪室内合奏団 Osaka String Ensemble デビューコンサート
川口基督教会 2013年4月14日(日) 16時開演

1989年1月、社会人2社目のスタートです。東京に本社がある会社でしたので、現地採用の私以外は東京本社からのスタッフです。何かと、やり方、考え方、進め方が違うので戸惑っていましたが、前社でのチャレンジング精神のおかげで、臆すること無く、こなせた気がします。

東京発の仕事は、やはり悔しいけれども全国区です。

東京・名古屋・大阪・福岡・札幌と、あるペットフードメーカーのバイヤーさんへの新製品発表会で全国を回りました。仕事はもとより、各地での飲み会が楽しみで、それはそれは、遊びましたね・・・・・・札幌ラーメン食べた次の日は博多ラーメンでしたから・・・・・

その後も、鈴鹿サーキットでのF1レースでのプロモーションや、Jリーグ横浜マリノスのプロモーション、こどもクッキングコンテストなど、大阪だけではなく、全国飛び回ってた気がします。

徐々に、仕事も任せられるようになってくると、JOB(案件)を自分が制作推進していくことになっていきます。多くは、取引先としては、大手の広告代理店さんの担当と推進していきます。

クライアント(スポンサー)は主催者とも言えますし、お金を出している所とも言えます。例えば、ラーメンのメーカーさんであったり、車のメーカーさんなどですね。

広告代理店はそのスポンサーさんの製品(商品)をどのように世間に知らしめ、かつ販売促進するかを、様々な媒体を使って推進していきます。

我々は、セールスプロモーション(販売促進)活動ということになります。

媒体とは、簡単に言えば、テレビCM、ラジオCM、新聞広告、雑誌広告、インターネット広告、その他、駅ばり、屋外広告、電車の中刷りなどなど・・・・・・です。

セールスプロモーションとは、街頭キャンペーンや展示会出展、パーティ企画、講演会、シンポジウム、表彰式など、媒体以外で集客や購買促進、認知度アップ、試飲会などを行なうことです。

そんな中で、案件推進を任せられてくると、今までのやり方、立ち位置ではどうしても処理できないことがたくさん出てきます。

コスト管理、スケジュール管理、キャスティング管理です。今までは与えられていたことをこなすだけだったのが、自分自身で考え管理していかなければなりません。

ヒトが、ある瞬間に脱皮するときは、120%以上の仕事を与えられたときなんでしょう。1989年は、自分自身が大きく脱皮するタイミングの年だった気がします。

 

大学を卒業して就職した会社には、結局2年弱しか在籍しなかった。ただ、その2年間では、本当に様々な経験をさせていただいた。

「小石でも、拾い上げるとその裏に仕事なんて、どこにでも落ちてるよ・・・」当時の社長はよく私に、言ってた言葉です。仕事は選ばなければ、あるもんだ。まぁバブル時代ということもありましたが・・・・・・

というより、今は、その言葉の裏には、「やったことのない仕事でもチャレンジするんだよ」という意味に感じます。その会社は小さかったけれども、常にチャレンジングでした。ペーペーの私を運営リーダースタッフとして50日間も任せたり、その他にも映像編集の仕事や、書いたことの無い台本書きや、当時まだ一般的ではない「ワープロ」を打たせたてもらったり・・・・・・

“やったことがないから、できない”という発想は全くない社長でした。その後の、独立後の私の営業姿勢の原点かもしれません。

ただ、色んな理由の中で、退社をすることになりました。

若気の至りだったんでしょう。その時は、その後のことは全く考えてなかったくらいですから。

ただ、まだまだ、バブル時代でしたので、業界的には人材不足の時代だったんでしょう。「やめる」と聞いた先輩から、お誘いがありました。

近しい会社だと、何かと、前の会社に迷惑がかかりそうな気がしてましたが、幸いそのタイミングに東京本社のPR会社が大阪支社を開設するということだったので、それならば、ある意味新しいフィールドで働けるんじゃないか・・・・

 

折しも昭和天皇が崩御され、イベントというイベントがすべて自粛していた、1月に私にとって、社会人2社目がスタートしたのです。

 

 

FBページ技志輪人伝のカバー写真kon-garaのメンバーでもあります、中野さん。
中野さんは、
エアーブラシによるリアルイラストから、立体・オブジェ・フィギュアの原型制作、キャラクター制作、チーム体制での映像(クレイメーション)の制作
主な仕事として、博物館やイベントでの展示画や立体物、ディスプレイ、映像制作、図鑑・科学専門誌、ゲームのポスター、パッケージイラスト、CDジャケット等

をされていますが、

受賞歴をご覧頂くとわかりますが
世界的に認められているイラストレーターです。

いつかは、ご一緒したい素敵なアーティストのお一人です。

http://www5.ocn.ne.jp/~ideal-na/ind1_info/index1.html

夢工場は当時インテックス大阪1号館から5号館までを使ったイベントです。

夏休みの開催でしたし、関テレではバンバンコマーシャルしてたので、それはそれは大人気でした。


 

中でも、私が受け持っていた「はれときどきぶた」パビリオンは毎日、長蛇の列です。中に、100名(だったと思います)くらいのシアターがあり、その前後に様々な体験・体感アトラクションがありました。入場制限をしながらの誘導でしたので、運営スタッフの意気のあった対応がとても重要でした。

 

今考えてもチームワークはバツグンだった気がします。

それぞれのセクションでそれぞれの役割を十二分にこなしてくれたと、今更ながら感心します。運営スタッフはほとんどが学生さんでしたから・・・・・

そして、事件が起こったのです。もう26年も前ですから時効でしょうが・・・・・

最終日、「はれぶた」パビリオンを楽しみにして来られたお客様がいました。が、残念ながら、終了までに入場制限をせざる得ません、これは毎日のことです。イベントに終了時間があるように、こなせるタイミングの限界時間で入場をお断りせざる得ないのです。ただ、その日は「夢工場」そのものの最終日です。二度と入れないのです。

お客様も粘りましたが、我々運営スタッフとしても、断腸の思いなんですが・・・・・そこはある程度割り切らざる得ません。

そして、運営スタッフがお客さんに殴られました。大騒ぎです。私は運営リーダーとして、事務局を通して抗議をしたんですが、そのアルバイト君が「中野さん、いいですよ、お客さんの気持ちもわかるし、そして何よりもここで大騒ぎしたら、折角のはれぶたスタッフに迷惑かけますから・・・穏便に行きましょう」

対処の仕方が、本当に良かったかどうかは、議論の余地がありますが・・・・・・

その彼の言葉がすべてを現しています。

このイベントは決して一人で完遂できたものではなく、それぞれのスタッフが持ち場だけじゃなく、自分たちのパビリオンという意識で働いてくれた結果だと、今でも思います。

イベントの難しさ、楽しさ、そして素晴らしさを知った50日間でした。

今でもインテックス大阪に行くと「キュン」としてしまうのは、あの時の

彼の言葉を思い出すときです・・・・・

 

 

コミュニケーションカーニバル 夢工場’87』(コミュニケーションカーニバル ゆめこうじょうはちじゅうなな)とは、1987年7月18日から8月30日まで日本で開催されたフジサンケイグループ・フジテレビ・関西テレビ主催のイベント。東京・晴海の東京国際見本市会場と大阪・南港のインテックス大阪で行われた。(Wikipedia)

その年の夏、急遽この現場に行くようになりました。

「はれときどきぶた」という当時、「ひらけ!ポンキッキ」で歌われて人気のあった絵本をパビリオン化したものです。

実際に役者さんが、そのストーリーを演じ、空から豚が降ってくるというとてもロマンティックなシアターや映像で滝が流れるコーナーや、ボールを投げるとセンサーが反応して絵が壊れる・・・・当時の最新技術を駆使したフジサンケイグループの大イベントのハシリですね。

まぁ、急遽ということは大人の事情があってのことで、現場に入ると既にパビリオンが出来上がっていますし、キャスティングも決まっています。

コンパニオンも司会のお姉さんも、役者さんも・・・・・すべて、配役は決まってます。

決まっていないのが、運営スタッフです。ということで、私が「何でも屋」の経験から若いアルバイトくんを集めて、会場に入りました。

入ってびっくり、全体をまとめるディレクターがいない・・・・・・・・

というより、私がその役目になってしまった・・・・・・

「ちょっと待ってよ」って感じですが、サイは投げられたままです。

東京のプロデューサーとやっつけの打合せを済ませた後は、すべてを知っているかのように、振舞いながら、役者さん、司会のお姉さん、コンパニオン、運営スタッフすべてに指示を出していました。

今から考えても、よく社会人1年生の私をそんな総勢100名以上のスタッフ・演者さんのまとめ役にしたなぁ・・・と。バブルのなせる技ですね、キット。あの頃は仕事が多過ぎて断っていたくらいでしたし・・・・・・・

そして50日近いイベントが開幕したのでした。

 

 

インド・ネパール17日間放浪記には、少しまだオチがあり、結局、大阪空港に無事着いたんですが、ロストバーゲージで、荷物はどこへやら・・・・・・2週間後に自宅に帰ってきましたが。

 

まぁ、そんなことで、学生時代とケジメをつけて、さぁ縲怐Aということで。

就職先の会社は手ぐすねして待っていたようです。

そして目出たく、社会人初めての仕事が「アメリカンジュークボックス」という、アメリカはダラスで公演されていたミュージカルの日本公演のバックステージスタッフです。言い方はかっこいいですが、アメリカスタッフの御用聞きですね。ケビンという舞台監督のアシスタントとして、多分2週間くらいの公演だったと思いますが、ホールに通い詰めです。

リハーサルでは、聞き取れない英語が飛びかう中、必死に道具を運んだり、大道具を操作したり、小道具をスタンバイしたり・・・・・・演者さんが舞台でスムーズに演じられるように、いかに効率よく、効果的に短時間でスムーズにスタンバイをするか・・・

公演していたホールの近くにそのスポンサーさんの新しいアメリカンチックなレストランができるということの記念公演のようなものでしたので、終わっては、毎日そのレストランで飲んで踊って、、、なんたって陽気なヤンキーさんですから。そうなると、公演中もチームヤンキーで仲良く楽しく、、、、、、、、英語はわからずも、ボディランゲージでコミュニケーションは大丈夫。

本当に楽しかったなぁ・・・・社会人最初のイベントがミュージカルのバックステージスタッフ、って考えたらものすごく光栄なことでしたね。本当に、みんなイイやつらでしたし、日本のスタッフにも助けられました。

ただ、ペーペーの頃ですから、「弁当の中身がいつもと一緒」「弁当持ってくるのが遅い」「打合せで、聞いてないことはできない」「無理」「できない」「いやだ」・・・・・・・・・・テクニカルスタッフには嫌という程、いじめられました。いや訂正、いじめてたのではなく、彼ら理論でいくと育ててやってるんだ・・・ということでしょう。まぁ、ほんと、理不尽でしたよ・・・・でもそんな理不尽さの中から、プロとしての考え方、姿勢を学んだと思います。今だからわかることです。

やはり、社会人なりたてで、学生気分が抜けきってなかったんでしょう。それを見透かされてた気がします。

この2週間の現場は本当に、頭打ち、悩み、悔しく・・・でも愉しい仲間との舞台作りを体験させていただいたと、感謝しています。