Category Archives: 中野ヒストリー

弊社の新春恒例行事「戎さん参り」です。

弊社創業時から続けています。
今年で22回目になります。1995年の1月です。
その後まさか神戸であんなに大きな地震が起こるなんて想像もできなかったことを思い出します。
2月が実質的なスタートでしたが、意気揚々と気合を入れてました。
しかし震災で、一気に「一寸先は闇」状態です。予定されていたイベントの数々が中止もしくは延期になりました。
昭和天皇が崩御されたのも、1月でした。世の中全体が重く暗くなったのが蘇りました。
その後、3月にはオウム真理教のサリン事件が起こることを考えると、1995年はある意味時代がガラリと変わる予兆だったのかもしれません。

そんな先が見えない1995年1月震災前に「戎さん」にお参りして笹を買って事務所に飾っておきました。
商売繁盛、新しい会社の門出です。少し奮発して笹を買ったのを思い出します。
最初の事務所は中津のマンションの一室です。間借りした4畳半ほどの狭いスペースです。オフィスフォンと机が2つ、ジム棚があるだけのシンプルなオフィスルームです。
笹を購入して、そのオフィスに飾って2月のスタートを待つのみでした。

1月中は以前の会社での引き継ぎがありましたので、新オフィスには夕方以降に行く日々です。

そして1月17日朝、私は和歌山の自宅で寝ていました。
しかし、その揺れは今も忘れません。横に寝ているまだ幼なかった2人の子供たちに覆いかぶさったことを覚えています。「ゴ縲懊€怐vという地鳴りとともに、大きく揺れました。ちょっとこの地震は大きいぞということで、テレビを付けました。NHKではその地震速報を流しています。まだ携帯がそれほど普及していませんでしたので、義父母の家に電話をかけ、無事を確認したので、少し安心していました。その後、震度情報が全くなかった「神戸」方面の状況がわかるにつれ、「これはちょっと尋常じゃない」と。
その後のことはあまり覚えていません。とにかく、弟夫婦や会社の知人の無事確認をしたのを覚えています。
その後、仕事自体が中止になったりしましたので、新オフィスにもなかなか足を運べなかった気がします。

そして、何日かたって、その狭いオフィスにいくと、壁に立てかけてあった「戎さんの笹」が倒れずに立っていました。あれだけの揺れの中、机などは動いているにもかかわらず、「笹」はそのままの状態で立っていたのです。

時に、世の中には理屈では言えない・理解できないことが起こるものです。

私はただその状態を見たときに、「これからの起業家人生」を迷わず歩いていける気がしました。全く根拠はなかったですが・・・

それ以来、毎年「堀川戎」にはお参りさせていただいています。「笹」を無事に返却できることに感謝をするために・・・

私はその当時のその笹を「奇跡の笹」と呼んでいます。

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27年前・1989年の今日、まさしく「平成時代」がスタートしました。

1月7日の昭和天皇の崩御を受け、臨時閣議で次の元号が「平成」となり、8日から新しい元号が始まったのです。

私は、社会人2年目のまだまだペーペーの頃です。
今でも思えているのは、バブル全盛期で仕事は断るほどあった頃ですが、ほとんどのイベントが中止もしくは延期になり、世の中全体が喪に服しているような状態でした。

バブルでブレーキもかけずに走っていた車が急に止まらざる得ないような、そんな感じです。
その後、私自身も業界は同じですが、会社を代わり、平成時代とともに、バブルが弾け、ギラギラな世の中が徐々に息苦しいものになったような気がしました。
銀行による貸し剥がしなどとともに、不良債権処理など暗澹とした時代が続きます。
今思い返せば、バブル自体が異常なので、その後の反動はまともな世の中に戻ろうとする時代の要請だっととも言えます。

バブル崩壊から、アメリカ同時多発テロ、リーマンショックによる世界金融危機、阪神大震災・東日本大震災など、度重なる自然災害。
インターネットの大波による経済構造の大変化。蔓延するいじめなどの教育現場の混乱と陰湿化、ISなどによるテロの日常化。
平成時代を形作る様々な事象。

単純化はできないですが、実に様々なことが絡み合い、その原因・結果をわかりにくくしています。

決して過去を振り返り美化するつもりはありませんが、やはり昭和はどうだったろうと比べてしまいます。

第二次世界大戦による傷跡は、今なお、多くの方々の心のなかにあります。今なお癒されていない。

時代が移ろい、昭和が平成に変われども、次から次へと起こる課題。

豊かなそして穏やかな暮らしを誰もが求めているはずなのに、無くならない争いごと。
今世界で起こっている事どもに対して、
我々日本人として何ができるのか、もう一度足元を見つめてみることが必要なのかもしれません。

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今日は1月7日、その年の一年の無病息災を願って食べられる七草粥は日本の行事食です。

春の七草を具材に、お正月の祝膳・祝酒で弱った胃を休める為とも言われています。

 2016年(平成28年)は、選挙の年とも、オリンピックイヤーとも言われていますが、松の内が明け切らぬ昨日は北朝鮮が核実験をおこなったということで、世界中がその成り行きを注目していますし、シリア内戦は今なお、混沌としています。
一説にはサリンなどの、化学兵器が使用されたとの情報もあり、地球上では新年だから、リセットというわけにはいかない出来事が起こっています。

とまれ、そんな時代に生きている我々としては、我々自身ができることを真っ当に行うべきと考えます。
グローバル化とIT化の大波の中で、どのようなロードマップを描いていけるのか、またどのような成果を求めていくべきなのか。

インバウンドの問題、限界集落の抱える問題、少子高齢化がもたらす数々の課題。防災・減災に関わるインフラ整備など、様々な問題・課題は裏返せば、ビジネスチャンスを創出するチャンスと言えます。
困ったところには、必ずビジネスモデルの萌芽が隠れていると言っても過言ではありません。

様々な業種の融合における新ビジネス形態の創出。
その生まれた業態をどのように軌道にのっけていくか、継続するということは、ビジネスとして成り立つということ。
産み出す力も大事ですが、継続する力はもっと大変な作業です。確固たる意志が必要です。
とは言いつつ、そのものに盲信することも危険です。
様々な角度から、色々な立場の方々からの意見にもしっかり耳を傾けることも重要です。

さて、弊社として一体なにができるか。22期目に突入するにあたり、温故知新、良いものは継承し、そしてより良いものを発掘すべく努力と研究を重ねていきたいと考えます。
今推進している業務はもちろんこれから推進すべき業務もしっかりと行なって参りたいと思います。

年が明け、まだまだ不透明な時代の幕開けとなりましたが、
課題の先に未来があると信じます。

弊社でできること・すべきことを2016年も行なって参ります。

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新年明けましておめでとうございます。

2016年の仕事始めは、住吉大社からスタートです。
縁があって、ロケハン兼ねて、参拝をしてまいりました。
すごい人です。日本中の神社で参拝人数が、必ずベスト10に入っている大阪一の初詣神社です。

 しかし、年末年始を通して、1年を振り返り、その月日の早さに愕然とします。
とは言え、やはり新しい年にはそれなりに心静かに祈り誓うこともあります。

私事になりますが、毎年初出社は、世間のそれよりも1日もしくは2日早く、オフィスで頂いた年賀状を眺めつつ、その繋がりに感謝をします。
最近はSNSなどで、近況を把握できますし、皆さん元気に活躍している様子を垣間見ることができますが、やはり年一度の年賀ハガキには思入れを感じます。

1年間、おそらく順風満帆にいくことはないだろうことは想像に難くないですが、そんな中でいかに粘り強く、またその現実を受け止めつつ次のステップに進んでいけるか・・・

私は、新しい年とともに、必ず次のステージに行くそんな決意を込めて、毎年New Year Next Stageと年賀状には書いています。

止まっていても何も始まりません。
待っていても何もやってきません。
ただ、愚直に「前のめり」でいいので、歩いていくことに意味があると信じます。
当然、闇雲に歩いてもダメです。
自分なりに知恵と工夫を持ってひたすら歩くこと。

世間がどうだとか、時間がないだとか、誰彼がどうだとか・・・・・
できない理由、やらない理由を並べる前に、言い訳のない時間を自分なりに歩いていくことに意味がある、と思います。

とにかく、行動あるのみ、です。
仕事はもらうものではなく、創っていくものです。

2016年も「前のめりな人生」にしたいものです。

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 2015年も、あとわずかで終わります。

振り返ると、実に様々な出来事が世界中で起こりました。
テロの拡大は一向に収まりそうもありません、自然の脅威は時に信じられないくらいの破壊力を発揮し、我々人間の生活を脅かします。数々の犯罪や事故など、人間社会が本当の意味で安らかになるのは、いつなんでしょうか・・・

しかし、一方でそんな不幸なことばかりでもありません。
日本人のスポーツ界における活躍やノーベル賞受賞、また様々な分野における進化・発展は未来への希望でもあります。

そんな2015年、弊社にとってもこのように年越しできることは、改めて感謝をしないといけません。

取引先のご担当者の方々、そして弊社に協力いただいている皆様方。本当にこの業界は一人で成せる業種ではありません。
様々な方々の協力・お力添えがあってこその業務推進です。

うまくいったものもあれば、ちょっとダメだった案件など、一筋縄ではいかない、難しさはありますが、それでも、何とか知恵を絞り、創意工夫をしながら、より高みへ、より鮮度の高いモノづくりを目指さなければ、と思います。

グローバル化された、今の時代においてスピードは重要な要素です。また、いかにレスポンス早く対応していくかも問われる課題のひとつです。

これからは、できることを遂行するだけではなく、いかに想像力を働かせて、創造していくか・・・・

与えられしことを、当たり前に思うことなく、自らが創り出す力にならなければならない。

2016年は想像力と創造力を融合させて新しいチャレンジをすべき年だと考えます。

本年、お世話になった皆様にお礼を申し上げるとともに、来年はさらなる飛躍をしたいと、思います。

2016年・新たな年も、一期一会を大切に、感謝を忘れずに邁進したいものです。

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 2015年もあとわずかになりました。クリスマスソングが終わればあっという間にお正月です。

昔ほど、お店が正月休みを取らなくなったせいか、買いだめする必要もなく、なんとなく、日常と変わらぬパターンで過ごせるのも、便利なのか物足りないのかわかりませんが、お正月の過ごし方も年々変わってきています。

 仕事納めも今年は28日くらいでしょうか・・・
大企業は26日あたりから冬季休暇が始まっているかもしれません。
そのせいで、「挨拶まわり」が難しい日程です。
クリスマスが終わっての挨拶まわりのはずが、なんとなく行きそびれてしまうスケジュールです。
最近はセキュリティの問題で、入り口でわざわざ呼び出してご挨拶しなければなりません。
私がまだ若い20年前頃までは、取引先のフロアーまで勝手に入って、机の横までご挨拶に行ったものです。
また、その脇では、着物姿の北新地のママらしい女性がお土産袋を持って、あっちへ、こっちへ・・・・
その挨拶されること自体がステイタスみたいな時代。
今思えばのんびりした挨拶周りだった気がします。

お正月といえば、初詣ですが、私は、5年前から、大神神社にご登拝させていただいています。
奈良県桜井市にある日本最古の神社のひとつで、御山自体がご神体です、明治時代までは一般人は入山できない神域でした。
昨今ではパワースポットとしても有名な神社です。

私は、お正月ではなく、月に一回、最低2ケ月に一回はお礼参りに伺います。
それもしっかりご登拝させていただき、自分自身そして家族、仲間たちの無病息災を感謝します。
日頃からけじめとして感謝する時間をつくることは、とても大切なことです。

一年の終わりに、その年にお世話になった、ご縁のあった方々へ感謝し、そして来るべき新しい一年に向けて新たな出会い、そして出来事に感謝できるように、時には心しずめていたいものです。

自分に起こることは全て必然である、そんな覚悟があれば慌てふためくこともなく、その現実を受け止めることができるのではないでしょうか・・・

2015年もあと、1週間です・・・・・・

株式会社ニューズさんの写真
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 弊社はいわゆる「プロモーションイベント」のプラン・プロデュースを制作し、実施しています。

ミュージシャンのコンサートや、野球などの興行イベントと一線を画しています。

集客のため、販売促進のために、どうすればいいかを考えながら、そのイベントを考え、制作し、実施します。
企業の表彰式なども社員さんのモチベーションをあげることで、日頃の努力に報いるイベントです。
展示会などでは、その商品や会社そのもののブランドイメージを高める為に出展します。
キャンペーンでは実際に商品をサンプリングしたり、購入者にプレゼントを贈ったり、実際に商品を手にとっていただく為の仕掛けです。

このように、プロモーションイベントは、目的を明確化し、その目標を達成する為に、開催・実施します。
なので、当然効果がなければ見直されます。
広告宣伝でいうと、4大メディア(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌)とインターネットを活用した様々な仕掛け。OOH(out of home)と言われる、屋外広告や交通広告など。
実に様々な形で宣伝を行います。

プロモーションイベントとはその中でも顧客に近いコミュニケーション手段です。マスではないですが、より顧客の声を汲み取りやすいイベントと言えます。
時代とともに、様々な形で顧客の声をすくい上げ、それを商品に反映し、弛まぬ努力が必要です。

先日、1999年の12月から、弊社が制作し始めて17年続いている「クリスマスラリー」が神戸で開催されました。
Amwayのディストリビューターのラリーイベントです。

通常、イベントがレギュラーで毎年開催されることも、最近では稀なことです。予算のことや、方針変更などで中止になったりが結構あります。
しかし、このクリスマスラリーは毎年、4500席のチケットは数10分で完売です。
本当に熱気にあふれる“奇跡のイベント”の一つです。
だからこそ、我々も心して制作しないといけないと、思います。

今年より、来年、来年より再来年。
毎年進化し続けないといけません。
そして、このイベントを毎年させていただいている、
主催者に感謝です。

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 師走も半分が過ぎ、後いくつ寝るとお正月・・・って感じですね。

小学校時代はお正月が待ち遠しかったように思います。
ひとえに、「お年玉」がもらえる喜び、そしてやはり新年を迎える世間や家族のワクワク感が子ども心に高揚感をもたせたのだと思います。
いつしか、時の流れの速さにかまけ、そんなワクワク感も感じにくくなっています。
そんな慌ただしい中でも、仕事納めに向かっていろいろと忙しくやらないといけないことのひとつに、「年賀状」があります。

今日15日から、年賀状の受付が始まります。

日本郵便によりますと、スマートフォンの普及でネットを通じた新年のあいさつが広がるなか、年賀はがきの発行枚数は年々減少していて、来年分はことし分より3億枚少ない、およそ30億枚が発行される予定です。
それでも12月に扱う郵便物は通常のおよそ3倍に増えるため、日本郵便では、元旦に年賀状を届けるには、できるだけ今月25日までに投かんしてほしいと呼びかけています。
(NHK・NEWSWeb)

会社の年賀状、個人の年賀状。
ここ数年はパソコンで簡単に作ることができるので、その良し悪しは別として、自分なりの個性を発揮しつつ、作り上げます。
その年を振り返りつつ、来年に向けての思いを込めます。
本当は一枚一枚相手の顔を思い浮かべながら一言添えるべきなんでしょうが、何百枚ともなると、なかなかそこまでできません。なので、せめて自分の思いの詰まった年賀状を作成します。

今は、メールや SNSなどで、近況を簡単に知らせることができますし、連絡もたやすく取れる手段があり、疎遠になることも少なくなってきています。
非常に手軽になった分、一方では、有り難みが減ったようにも思います。
とは言いつつ、日頃の活躍をSNSなので見ると、勇気をもらったり、刺激になったりするので、いい意味で活用しています。

「年賀状」は一年のけじめという意味でも、先方への挨拶代わりに出すようにしています。
たった一枚の年賀状ですが、新年の始まりに「あっ、元気にしているんだな・・・」なんてほっこりできる瞬間もまたそれはとても大切な時間だと考えます。

歳とともに、出会いよりも別れが増えてきます。
本当は、会える時にその方と会いたいものです。

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 滋賀県長浜市は、滋賀県の北東部に位置する城下町です。

羽柴秀吉が整備して以来湖北地方の中心地で、大通寺の門前町、北陸街道や琵琶湖水運の要衝として発展した町です。

 昭和27年から開催されている「長浜盆梅展」は歴史・規模ともに「日本一の盆梅展」として関西の新春の風物詩として親しまれています。
来年は1月9日から3月13日まで開催されます。
期間中、ライトアップを行う日もあり、会場でもある慶雲館の庭園も見どころのひとつです。

そして、1月30日(土)31日(日)2月6日(土)7日(日)の4日間、「第二回長浜梅酒祭り」を開催します。
場所は、長浜盆梅展開催の慶雲館の向かい側にあります、「長浜鉄道スクエア」の2階です。

この建物は日本に残る一番古い駅舎・旧長浜駅です。
明治15年、北陸線の始発駅として建てられた駅舎です。
文明開化を伝えるイギリス式の珍しい建物として一般公開しています。
その歴史ある建物を会場に、今回も50種類の本格梅酒を厳選し、飲み比べをしていただきます。
日本で唯一の梅酒ソムリエ・金谷優氏の選んだ全国の珍しい本格梅酒を味わっていただけます。

盆梅展で梅を愛でてもらった後は、梅酒祭りで、梅を味わっていただく、まさに梅三昧の4日間です。

また、31日、6日の2日間は「梅酒づくりワークショップ」も開催(事前予約・長浜観光協会へ)自分なりの梅酒を作ってみるのもいいかもしれません。

冬の長浜は、寒いですが、旧市街地の黒壁スクエアなどを散策するのもいいかもしれません。

株式会社ニューズさんの写真
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 ボージョレヌーボーは今や誰でも知っているワインです。

11月の解禁日には、イベントとして、多くの人々が楽しんでします。

 ボジョレー・ヌヴォー (Beaujolais Nouveau) とはフランスのブルゴーニュ地方南部に隣接する丘陵地帯・ボジョレーで生産されるヌヴォー(プリムールまたは試飲新酒)仕様の赤ワインである。したがって、ボジョレーの通常の赤ワインとは異なる。試飲酒だけに、通常のワインが出来上がるより早く試飲できなければ意味がないために、ヌヴォー(試飲新酒)用のボジョレーは、ブドウを収穫したら速やかに醸造してボトルへ詰め、収穫したその年の11月に出荷を済ませる。ヌヴォー仕様で軽い仕上がりの赤ワインである。(出典:ウィキペディア)

同様に、「梅酒ヌーボー」というものがあります。その年に漬け新酒を「梅酒ヌーボー」と名付け、12月最初の金曜日を解禁日としています。
まだまだ、知名度は低いですが今後メーカーの垣根を超えて多くの人々に受け入れられると思います。

そんな酒造メーカーの垣根を取っ払って梅酒振興のために、設立された「日本梅酒協会」があります。
全国で唯一の梅酒ソムリエ金谷優氏が理事長を務める協会です。

今年の2月には、滋賀県長浜において「第一回長浜梅酒祭り」を開催。梅酒ソムリエ厳選の50種類の梅酒の飲み比べができる祭りです。
これこそ、メーカーの垣根を超えたイベントで、貴重な梅酒を発見できるイベントです。
実に様々な梅酒があることを実感していただけるイベントを弊社もお手伝いさせていただいています。

将来的には「梅酒ヌーボー」から始まり、1年中、「梅酒」を身近なお酒として味わってもらいたいと考えています。

第2回長浜梅酒祭りは4日間開催されます。
昭和27年から開催されている「長浜盆梅展」の併催行事として、歴史を刻みたいと考えています。

是非、長浜へお越しいただきたいと思います。

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 1泊2日の東京出張、打合せに合わせて別件訪問先のアポを取りつつ、東京にしかないものを見に行きます。

美術展、展覧会、展示会など、大阪では見られない催しものを・・・
今回は、岡本太郎記念館、森美術館で開催されている、「村上隆 五百羅漢図展」そして、東京ビックサイトで開催されている、国際ロボット展。
当然、しっかり打合せをしての間の観覧です。

 岡本太郎記念館は、東京青山の自宅を記念館として開放されています。氏のアトリエなどその当時を偲ぶように残されています。庭には所狭しと、氏の作品が無造作に置かれています。私はその作品群の庭でしばし瞑想することが好きです。

その後、六本木ヒルズまで、徒歩15分くらいでしょうか、森美術館の「村上隆」の展覧会へ。
圧倒的な五百羅漢図は現代の閉塞した世の中ををぶち破るような迫力でした。

そして、岡本太郎も村上隆も作品を自由に撮ってかまわないという点が良い。
芸術の無限さはその作品を写真で撮ったからといって、変わるものでもなく、またそれによって個々人へのアプローチが違う形で迫ってくる、そんな挑戦のように感じます。

そして、昨日は2年に1度開催される、「国際ロボット展」へ。

展示会ではそのブースデザインや、演出手法など製品などには直接関係がなくとも勉強になります。
ロボット展で見たロボットの進化は言葉で言い表せないほどです。産業用だけではなく、介護、医療、防災・減災、その他、人不足のおり、人に変わってロボットがその役目を果たしています。
いい意味で、危ない場所や単純作業など、人に変わって作業してもらった方が良い場合も沢山あります。
それによって、事故が減ったり、生命に関わるようなことがなくなれば、それはとても意義のあることです。

ただ、進化したロボットたちを見ていると、実は人間が使われているような錯覚陥ります。

33年前の今日、あの「E・T」が公開された日です。空前の大ヒット作品のE.T.はExtra-Terrestrialの略で「地球外生物」のことだそうです。

あれから30余年、ロボットが当たり前のように闊歩し始めるのもそう遠くないような気がします。

地球外生物はそんな地球をどんな思いで見ているのだろう、聞いて見たい気がします。

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 中学時代の恩師の卒業式での言葉、です。

日頃は冗談ばかり言っていた恩師が妙に真面目な顔つきで、黒板に書いてくれた言葉です。

 今日から師走。師走は当て字で語源は諸説あるようですが、
師匠の僧がお経をあげるために、東西を馳せる月と解釈する
「師馳す(しはす)」が有力だそうです。
(出典:語源由来辞典)

とにかく、12月はアッという間に終わってしまう印象があるのも確かですね。
1年を振り返りつつ、忘年会に連日連夜参加し、クリスマスそして、大晦日がやってきて、新年を迎える。
今年はどんな年だったかなんて、振り返るにつれ、その歳月の早さに唖然としてしまうものです。

標題のごとく、
行く雲、流れる水は再び帰って来ない。
まさに、2015年は後1ヶ月で終了。
また新たな年になり、新たな出会い、新たな出来事に遭遇することでしょう。
この歳になってもなお、まだ勉強すべきこと多く、迷い戸惑いそしてそれでもなお、前を向いて歩くしかない。

この歳になると振り返ることが多くなりますが、
私は今後も「前のめり」に日々歩いていたいと思います。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
(方丈記 鴨長明)

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 8年前に、初めて受講した『普通救命講習Ⅰ』
呼吸や心臓が止まったときに大切な「AEDの使い方」を含む心肺蘇生法を学ぶ講習で、主に成人に対する処置の方法を学びます。
基本中の基本です。
しかし、幸いというか、実際の生活の場で私がその経験を活かすことは、今までまだありません。
 月日が経つと、すっかりその講習で学んだことを忘れてしまったので、昨日8年ぶりに消防署で講習を受けてきました。
実際に冊子を元に、講義があり、その後実演です。
人形を相手にその実際を経験します。
1・・・意識があるか、呼びかけます。
2・・・周りの人に助けを求めて、救急車、AEDの手配をお願いします。
3・・・実際に息をしているかどうかを確認します。
4・・・胸骨圧迫そして、気道確保して人工呼吸
5・・・AEDが到着すればすぐにAEDを。
日本では毎年約6万人の人が突然心臓が止まって亡くなっているそうです。側にいる人が応急手当を行なっていれば助かる命も増えるはずです。
 しかし実際、人形相手であっても、胸骨圧迫の場所がわかりにくかったりしますし、本当にそのような場に居合わせた時に、自分は応急手当ができるのだろうか・・と考えてしまいます。
 理屈では理解していることでも、いざという時に本当に行動できるのかどうか、自信がないのが、正直な気持ちです。
救急車が到着するまでの時間が約8分と言われているそうです。なので、その8分の間にできること、最善を尽くすこと、難しいことではないと思いつつ、その勇気があるのだろうか・・・
技術的なこととか、専門的な知識以上に日頃からの心掛けといざという時の勇気が必要な気がします。
いつ、何時、そのような場に居合わせるかわかりません。
心したいものです。

 政府は、エネルギーを多く消費する白熱灯と蛍光灯について、国内での製造と国外からの輸入を2020年をめどに、禁止する方針を固めたようです。省エネ法の政令を改正することで、LEDに置換することになりそうです。

http://www.asahi.com/articles/ASHCT5JHKHCTULFA021.html

電球は、まさしく日本の明るい未来を象徴してた製品とも言えます。

「水道哲学」は、言わずと知れた経営の神様・松下幸之助氏の経営哲学のひとつです。

産業人の使命は貧乏の克服である。その為には、物資の生産に次ぐ生産を以って、富を増大しなければならない。水道の水は価有る物であるが、勝手に公園の水道水を飲んでも誰にも咎められない。それは量が多く、価格が余りにも安いからである。産業人の使命も、水道の水の如く、物資を無尽蔵にたらしめ、無代に等しい価格で提供する事にある。それによって、人生に幸福を齎し、この世に極楽楽土を建設する事が出来るのである。松下電器の真使命も亦その点に在る。
(出典:ウィキペディア。「勝手に」は筆者改文)

この言葉はまだ戦前・昭和7年における氏の演説の一部です。この後第二次世界大戦を経て、高度成長期に入る日本を豊かならしめたのは、氏の言う「水の如く」様々な電化製品などが一般国民に普及していったからです。
当然財界の努力とともに、政治・官僚、まさしく一億総中流を目指した結果と言えるかもしれません。

戦後の日本の経済復興は奇跡とも言われます。
当然、様々な世界情勢もその奇跡に寄与したことは否めません。
翻って現在の世界情勢はどうでしょうか。
テロが蔓延し、国境のない戦争とも言われています。原因は様々で、ことはそう単純ではないですが、ひとつは貧困格差による、若者たちの絶望・諦め・妬みなどがテロを生んでいることも確かです。

今、日本が為すべきことは、松下幸之助氏の「水道哲学」を世界において具現化することではないでしょうか。貧困格差の解消に向けて、日本国なりの世界貢献とは・・・・
簡単に論じ解決できないことであるのは承知していますが、ひとつの方向性ではないでしょうか・・・

今日は松下幸之助氏生誕121年目です。氏は黄泉の国(よみのくに)から、今の世界をどう思っているのでしょう・・・・

政府は、エネルギーを多く消費する白熱灯と蛍光灯について、国内での製造と国外からの輸入を、202…
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 大阪府知事・市長のW選挙は維新vs非維新の構図でしたが、蓋を開ければ、維新の圧勝と言えるでしょう。

これはある意味、大阪vs東京という構図にもなるかもしれません。
今後の大阪の暮らしを良くするために、一枚岩で大阪活性化を目指して欲しいものです。

昨今の景気動向は、どうなんでしょう。
夜の街に繰り出すとその人出の多さを感じます。
昼間はやはりインバウンドによる海外の人々の姿が多く見られます。特に大阪道頓堀界隈は、まさしくアジアマーケットと間違いそうになるくらい、多言語看板が目立ちます。

私が社会に働き出したのは、1987年、まさしくバブル時代です。それこそ街は活気にあふれ、北新地などは社用族でいっぱい。タクシーは全然つかまらない。仕事も断りきれないくらい次から次へとやってきた頃です。
まだ、私はペーペー時代ですが、飲み歩くのに困った経験があまりない、先輩にいつもご馳走になっていた時代です。
しかし、そんな豪華絢爛な時代が終焉に近づいていることに気づかず、時代は過ぎて行きます。
大阪では1990年国際花と緑の博覧会が大々的に開催され、企業パビリオンはその技術力や、豪華さ、華やかさを競ったものです。
とりわけその頃は、銀行を中心としたパビリオンはライバルに負けじと費用をかけて威信をかけたものです。
その後、1990年以降、急速に景気が停滞していきます。その時はこれがバブル崩壊とは気づかず、きっとまた反転するだろうと思いつつ、「こんなはずじゃない」と誰もが考えてたのかもしれません。
そして、当時日本の四大証券会社のひとつ、山一證券が自主廃業したのが、1997年の今日11月24日です。男泣きした社長会見は大きくメディアに取り上げられ、バブル崩壊の象徴的なシーンになります。

その後、失われた20年と呼ばれる経済低迷期に突入。あれほど栄華を誇っていた都市銀行も13行ありましたが、その後合併などを繰り返し、今や5行(定義によっては4行)になっています。
社会人になって30年、その間の日本経済の浮沈、中国の台頭等、グローバル化は一層進んでいます。極東の島国日本が、その中だけで経済発展できるほど世界は緩くないです。競争だけが全てではありません。しかし、そのグローバルな世界の中でいかに日本としての立ち位置を作っていくか・・・・・
景気は常に変動するものです。その波に揉まれないくらいの技術力とノウハウと情報力を持たないといけません。
今一度足元を見つめなおして真摯に仕事と向き合いたいものです。

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