Category Archives: あそび塾

あそび塾について、情報発信します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弊社から15分もいけば大阪城公園に着く。

運動不足解消のため、僕は、時折散歩に出か

ける。新型コロナウイルス禍のここ3年間は、

インバウンドも途絶え、本当に、閑古鳥が鳴

く状態だったが、やっと最近は人出も戻って

きた。そして、何よりも嬉しいのは、そこで、

遠足や修学旅行の小学生の笑顔が見れること。

学校行事で思い出すのは、僕が小学6年生

(1975年)の修学旅行。その頃は大阪か

ら鳥羽・伊勢方面、2泊3日が定番だった。

当時は生徒も多くて、8クラス約400名の大

所帯、バスは1台に約50名、電車は全車両貸

切で、修学旅行専用列車だった。

何より楽しみだったのが、「行く前の準備」

決められた値段の中で、どんなおやつをチョ

イスするかや、グループ分けで気になってい

た女の子と一緒になれるかどうかなど、それ

だけで、ワクワクしていたことを思い出す。

そして、とりわけクラスで盛りあがったの

が、バスの中で一緒に歌うための「歌集」づ

くり。童謡唱歌だけではなく、当時の流行歌

を選んで、わら半紙に印刷して、みんなで一

緒に歌うために作った。歌はデータなどでは

なく、カセットテープで再生して流していた

ので、歌1曲流すだけでも、ちゃんと用意が

必要だったし、準備が大切だった。クラス独

自の歌集を作るのに、どんな曲を入れるか、

みんなで話し合いをしながら決めた。

「なごり雪」「22歳の別れ」「岬めぐり」

「翼をください」「学生街の喫茶店」「『い

ちご白書』をもう一度」など、今も歌い継が

れている名曲ばかり。

そんな中、担任のS先生が「入れて欲しい曲

があるんだけど・・・」と言って選んだ曲が、

チューリップの「心の旅」。当時この曲を知

っている生徒の方が少なかった気がするが、

先生のたってのお願いなので、賛成多数で歌

集に入れた。S先生が、バスの中で自ら歌っ

て聴かせてくれた。いい曲だったが、小学6

年生の僕たちにその意味がわかったかどうか

は覚えていない。もちろん、その他の流行っ

ていた曲の歌詞も同様に理解できていなかっ

ただろう。それでも、素敵な曲は心に響くも

ので、みんなで歌ったのを覚えている。

 

今でも「歌集」に入っていたメロディーを

聞くたびに、修学旅行でのバスの中の光景や、

当時気になっていた女の子の仕草を思いだす。

そして「心の旅」を聞くとS先生を思いだす。

その時の先生の年齢は定かではないけれども、

20代半ばくらいだったように思う。そう考

えると、S先生にとって「心の旅」はどんな

心情で歌っていたのだろうと、想像してみる。

流れゆく月日とともに、思い出は薄れてい

くけれども、メロディーが流れると、心の奥

底に眠っている光景が映像となって動きだす。

歌と共に思い出は生きていることを実感する

のだ。

 

大阪城公園の小学生の笑顔を見ながら、今

の子供達に遠足や修学旅行の「歌集」ってあ

るんだろうか、と考えてみる。彼らの3年間

は、大人のそれとはまた違う歳月だったので

はないか、思い出をたくさん作る日々にマス

クで過ごさざるを得ない、友達の素顔も見る

ことができない、一緒に歌を唄うこともでき

ないことなどを考えると、やはり少し複雑な

気持ちになる。

〈今から、楽しい思い出をいっぱい作れよ!〉

心の中でエールを送る。

スマホで持ち運びできる時代に、友達と一

緒に聞く歌の存在はどうなんだろう。便利な

時代ではあるけれども、個々の思い出よりも

友人と一緒に歌った曲を思い出として残して

欲しい。

インド・ネパール17日間。僕が社会人になる前の大学の卒業旅行。

今もなぜ、「インド」だったのか、作家、藤原新也さんの「印度放浪」という本を読んだせいだったのか、それだけではなかった気がする。働き出すと自由な時間がなくなるので、その前に「気軽な旅をしてみよう」そんな思いだった。もう36年前になる、1987年。
コルカタ(旧カルカッタ)というインド北東部の都市へ入って、17日目にニューデリーから出国。決まっているのはそれだけ、宿泊先も、行先も全く自由な、自分自身で決める旅。初めての海外で、ひとり旅。頼りは『地球の歩き方』という一冊の本のみ。今考えると、こんな無謀な旅は若さゆえにできたのだろう。今では、こんなことは考えもつかないし、思っても実際はできないだろう。  コルカタに到着したのは、3月初旬だったけれども、空気はモワッとし、暑い。えも言えぬ匂いが鼻につき、町中が喧騒に包まれている。道には牛が堂々と歩き、糞だらけ、ゴミも散乱している。物乞いの子供達が近寄ってくる。僕は、異国に来たことを強烈に感じ戸惑った。  まずは、最初の目的地へバスと列車を乗り継ぎながら向かう。現地ではインド人に色々助けてもらった、バスの停留所や駅のホームなど、行先を言うと連れてってくれる、お礼に、百円ライターをあげると、こちらがびっくりするくらい喜んでくれたのを思い出す。 困ったのは、やはり食事だ。渡航前から水には気をつけるように言われていたので、極力生水は避け、水分は果物で摂っていた。しかし果物を洗っていた水が残っていたのか、何度もお腹をくだした。抗生物質でなんとか回復はしたけれど。あと、案外役に立ったのが、蚊取り線香だ。蚊だけではなく、よくわからない虫が部屋の中に住んでいる。初めは驚いたが、次第にあたりまえになっていた。そんな時の蚊取り線香は無敵だった。
また、その日泊まる宿を探す。今はどうかわからないが、当時は安い日本人が集まるユースホステルもあったので、案外そこは苦労をした記憶はない。
ドタバタしながら、最初の目的地、バラナシへ。ヒンズー教徒の聖地と呼ばれる場所。ガンジス川の川辺にある、よく沐浴風景がパンフレットなどに載っている場所だ。右岸には、寺院や巡礼者の宿舎など、所狭しと建物が立っているが、向こう岸の左岸はだだっ広い土地が広がっているだけ、インドでは左は不浄と思われている。理由は様々なんだろうが、トイレは左手、食事は右手。
川の色も黄土色で決して清潔とは言い難いが、巡礼の人々は、川に入る。また、そこで暮らしている人々は、歯磨き、洗濯などの日常生活を営んでいる、まさに混沌としている風景が広がっていた。
川辺で、目に入った光景に僕は少し緊張し、固まっていた。煙がゆっくりと立ち昇っている。「火葬場」だ。じっと見ていると、目つきの鋭い、彫りの深いインド人が耳元で「ロング ルッキング プロブレム」と囁いていた。(ここは言うことを聞かないとヤバいな)そっと、視線を外し、英語が全くわからないフリをして、その場を離れた。その後、観光客用の小舟に乗る。川面を見ながら、「あぁ、僕は単なる観光客なんだ。決して、川には入れないし、そこで歯磨きもできない。」

彼らにとって、街の汚濁や喧騒などは実に些細なことなのだ。輪廻転生、「生まれ変わる人生」に祈りを捧げに来ている。火葬されガンジスに流されることで全ての罪が洗い流され、生まれ変われると信じているのだろう。
カオスの象徴のようなガンジスのそれは今なお、僕の心の奥底に刻印されている光景の一つである。

2年後に迫ってきた『2025年日本国際博覧会(略称「大阪・関西万博」)』
1970年の大阪万博と比べられるが、時代背景も状況も違っている中で、そこを論じても答えはない。
また、東京オリパラでの不祥事が解決されていない中、疑念があることも確かである。

何が正解かどうかはわからないけれども、地方博含めて、大規模イベントが地方活性化の起爆剤の一つであることは間違いない。
ただ、あくまで起爆剤であり、「その後」が大事である。
花火と同様、打ち上げた美しさに見惚れていてもダメ。
その実績をどのように未来へ繋げていくかが重要である。

1970年の大阪万博のレガシーは間違いなく、「太陽の塔」であろう。
当時、大きな反響があったことは、のちにメディアなどで知ることになる。
50年以上経って、岡本太郎のメッセージの意味が伝わっているのではないだろうか。

テーマ「人類の進歩と調和」とは如何なるものか・・・
しかしながら、「万博」開催自体は、賛否あれどもその後の日本の繁栄を世界に知らしめたことは間違いない。

そして、2025年、再び行われる万博。
どんなレガシーを残すことができるのであろうか。

40年近く、イベント業界でお世話になっているからこそ、その意味を考えたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに聞いた藤原新也さんの名前に惹かれて、日曜美術館(NHK)という番組を見た。

「日曜美術館 死を想(おも)え、生を想(おも)え。 写真家・藤原新也の旅」

そうだ、この人の本を読んで印度に行きたくなって、行ったんだ。
23歳、大学の卒業旅行で選んだのが、インド。
初めての海外、それもひとり旅。
無謀が若者の特権とは言え、やはり今思うと何も考えずに、ただひたすらにインドへ行くことしか考えていなかったのだろう。

行きの飛行機と、帰りの飛行機だけ決めて、その間17日間は、気の向くままのフリープラン。

頼りは「地球の歩き方」1冊と、抗生物質をカバンに忍ばせて、トラベラーズチェックで換金。

本当に、よくぞ出国したな、と褒めてやりたい。

同じことは絶対できない。大人になって「無謀の怖さ」を知ったからかも知れない。
また、世の常識に慣れたせいかも知れない。
若さは、それゆえに未熟であり、リトマス紙のようであり、無鉄砲な存在だ。

印度で目にし、息をし、歩き、夢を見た。

潜在意識にしまっておいた、記憶の片々が、「藤原新也」の名とともに蘇る。

そうか、もう彼は78歳か、20も年上なんだ・・・・・・

35年前の記憶がスライド写真のように、ゆっくり、そして鮮明に浮かんでくる。

印度放浪は、僕の大きな大きな旅の1ページ。

 

2022年も半分が過ぎました。コロナ禍のアフター?ウイズ?を考える時期なのかもしれません。
あらゆる業界にとって、変容すべきタイミングなんだろうと思います。
変化の時期はチャンスの時期でもあります。
久々に東京ビックサイトの展示会に行きました。
「イベント総合EXPO」「ライブ・エンターテイメントEXPO」「eスポーツビジネスEXPO」「XR総合展」「CONTENT TOKYO2022」など、弊社に関係する業種が出展していました。
コロナ禍でなかなかリアルな展示会も最近は久々でしたが、なんとも人がいっぱいでしたね。
再び、新型コロナ感染も増加傾向にありますが・・・・慣れなんでしょうか。
夜の新橋あたりは大賑わいでしたし。この辺りは完璧コロナ前状態でした・・・・
それはともあれ、今回は展示ブースだけではなく、関連セミナーも積極的に受講してきました。
ウイズコロナ、アフターコロナ・・・色々言い方はありますが、確かにイベントの業態が変容していることは事実です。
イベントの醍醐味はリアルで、期間限定、仮設、その場だけの共有、など、そこに行くこと自体に価値があったし、そこでしか味わえないものがあることがイベントそのものだった、と思います。
しかしながら、新型コロナ感染症が、あらゆる業界のそれまでの価値観をひっくり返したのが真実。
イベント業界も、リアルからオンライン、ハイブリッド、そして仮想空間へと、それぞれの特徴を活かしたやり方が必要な時代になってきた気がします。偏に、ターゲットであり消費者である、伝えたい人々の価値観、生活様式の変化がそうさせているのでしょう。
リアルイベントの効用、オンラインイベントのメリット、ハイブリットイベントの役割、仮想現実の世界でのイベントの在り方・・・・・
その方法論だけではなく、その先にどういう効果を期待するのか、、、、、、、
今後、我々が考えるべきことはそこのところかもしれません。
ツꀀ

少しご無沙汰です。

一向に、新型コロナも終息する気配はなく、

欧州方面では今なお戦闘が続いている。

国内においても、遊覧船事故やなんか悲しい、やるせないニュースばかりで、

春の陽気に浮かれるわけにもいかず、・・・

 

ここ2年余りの間に、生活様式も変わって来たように感じます。

 

イベント業界も以前のようにとはいかないですし、制約が緩和されているとはいえ、

まだまだ、マスク着用の中、自由に声援をおくったり、大声を出すことはできない。

なんか、もやもや感は否めない。

 

気を変えようと、部屋の整理などをしていると、社会人になって初めてやった仕事の写真とチラシが出て来ました。

 

オールディーズのミュージカルです。

アメリカはダラスから招聘された21名のアメリカの出演者やスタッフと1ヶ月余り過ごしたイベントです。アメリカ人のステージマネージャーのアシスタントとして、ミュージカルを陰から支えさせていただきました。

本番後、皆で飲んで踊って騒いだことを思い出します。

あれから35年、確実に私のイベント人生での大きな仕事の一つであったと思います。

 

 

 

 

仕事でも、プライベートでも予期せぬことが起こることはよくあることで、アクシデントが起こった時の対応力がこれからの時代、生きる力となり得るのだろう。SNSというものが他人の様々な情報を可視化し、拡散化する時代。

打たれ強いことも、必要なスキルの一つと言える。

ただ、我慢するだけでそのアクシデントを受け入れるにはちょっとしんどい気がする。ストレスをいかに溜めないようにするか。

 

大阪の文化は笑いの文化である。

小学生の頃から、吉本新喜劇を見て育ってきた。

日常生活に、ツッコミとオチの会話がある。

喜怒哀楽を、笑いに代えることで日常を守ってきたのかもしれない。

そして今こそ、そのスキルが生きる力になっている。

笑い飛ばすくらいの生命力が必要な時代。

SNSで匿名で誰が言っているかわからないことを気にしすぎて、ストレスを溜めるよりは、それさえも笑いにかえる。

 

大阪人が二人集まれば、それは漫才だ、と言ったのは、かの渋谷天外さんとか・・・・さもありなん。

 

アクシデントをサプライズに変える力、笑いは生きる術だ。

 

アクシデントが起こった時こそ、おいしいと思う。ネタネタと一人ほくそ笑み、「これぐらいで許しといたろ!」

転けてもただで起きないのが大阪人、それが今の時代必要なスキルなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気づいたら、冬季オリンピックも終わってしまいました。

 

なんとなく、欧州方面が不穏な雰囲気になりつつありますが・・・

 

平和の祭典の中でも、いろいろ問題があった気がします。

まぁ、今に始まった事ではないけれど、大義名分と現実の落差。

 

それでも、アスリートたちの懸命な姿は我々の心を打つ。

 

私も、スポーツをしていたので、その限界へのチャレンジの尊さは理解しているつもりです。

そのチャレンジに対して、誰も何も言えるはずがないですね。

他人を中傷する前に、我が身を振り返れよ、って思います。

 

昨今、SNSのせいなのか、顔の見えない匿名中傷者の、いかに多いことか。

それだけで、世の中が荒んでしまう気がします。

もっと、賞賛が溢れたらいいのに、と思うのは自分だけだろうか・・

 

 

しかし、ロコ・ソラーレのカーリングの選手たちには、感動をいただきました。

彼女たちの笑顔がどれだけ我々に勇気と癒しをもたらしたか・・・

吉田知那美選手が「楽しむには覚悟がいる」「笑顔がポーカーフェイス」っておっしゃってた。

なんて、深いんだろう・・・・

彼女たちの日々の努力が結集したのが、今回の「銀メダル」です。

ただただ、素直に拍手だし、「ありがとう」です。

 

この矛盾に満ちた世界の中で、忘れてはいけないものをアスリートのみんなに思い出させていただいた。

 

今一度、自分にできることを、精一杯やる覚悟が大事だな・・・・・

 

それにしても、最近の若者はなんてしっかりしているんだろう、日本のオリンピアンズのインタビューの受け答えを聞いてると、本当に感心してしまいます。こちらこそ、ありがとう!ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年(令和4年)も既に1月も終わりに近づきつつあります。

 

一方、新型コロナ感染症は、新たなオミクロン株が猛威をふるって

今まで以上に感染者数が急拡大しています。

重症化しにくいと言われていますが、そうは言っても後遺症など、やはり心配のタネは尽きません。

専門家含めて、いろんな方々が、様々な観点からご意見を言っているけれども、果たして何が正しいのか、明確にはわかりません。

 

2020年1月頃から騒ぎ出して丸2年、わかったこと、わからないこと、どうすればいいのか・・・・・・残念ながら、今もなお不明な状態は変わりません。

 

我々がいかに、未来に対して無力であるかを突き付けられた気がします。

 

イベントを生業にしている弊社は、モロに影響がありましたが、そのことにより、別の方法・手段でのイベントの在り方が考察されています。リモート・オンラインでの配信、インタラクティブな形での参加性など・・・・・

会場が無観客でもできることを模索している事実。

最近、やっと観客を入れて徐々に満席を目指していたところでの、

感染拡大。一体この先どうなるのでしょうか・・・

 

平凡なことがいかに大切かを、このコロナ禍で嫌というほど知らされた気がします。

しかしながら、時は止まりません。時を戻すこともできません。

未来に対して無力な我々が抵抗できるとしたら、「今」をどう過ごすか、、、

そこに、答えがあるのでしょう。

 

弊社も2月から、28年目に入ります。

 

思えば、いつも「今」を必死にやってきた結果が28年という歳月になった気がします。様々な人たちに助けていただきながら、今なおイベント業界で過ごさせて頂いてることを思うと、感慨深いものがあります。

 

しかしながら、まだまだ青二才、為すべきことはたくさんあります。

1年に一度、初心忘れるべからず、「今」を必死に前向きに進んでいきたいと思います。

昨今「コロナ禍」が、通常の生活と思っている・・・
2年という月日がそれを日常にしているような錯覚にする。
いや、錯覚ではなく、これからの日常が「今」なのだろう・・・・
不自由な制約の中、できることを精一杯やってきた。
ことのほか、イベント業界における制約は未だ厳しいと言わざる得ない。
“たくさん集まらない”“声を出さない”“人と人の間を一定空けること”などなど
そんな中でもできうる限りの対策を講じながら、イベントを成立させようとしている。
制作者も、演者も、そして観客も・・・・・
三位一体でのイベントづくり。
そんな状況下だからこそ、ライブでのイベントが希求される。
リモートやオンラインなど、コロナ禍だからこそ成立したビジネスモデルは、
その限界を露わにし、振り戻しよろしく生イベントの良さを改めて実感している。
極論すれば、生ライブに飢えている。コンサートしかり、漫才・演芸しかり、展示会、講演会、その他イベントであることで成り立ってきたビジネスが、元に戻りつつある。
そう考えると、コロナ禍の2年の歳月は無駄じゃなかった気がする。
何事も、マイナスがあれば、プラスがあり、そして何かが生まれ、滅んでいく。
結局、人に求められるものは生まれ育ち、残り続けるけれども、
人に求められないものは、廃れ、失われていく。
栄枯盛衰は世の常といえよう。
2022年はどんな一年になるのだろう。
楽しみであることに変わりはない、世の中がどのように変化しようが、どのようになろうが、
自分自身の立ち位置を見極めることができていれば怖くない、ということをコロナ禍で学んだ気がする。
求められれば、全力で、立ち向かい。100点以上を目指すのみ。
2021年はそれを実感した年であり、今後それをどう活かしていくか、自分自身のミッションである。

2021年も師走になり、残り半月です。

歳とともに、月日が早く過ぎるのはなんでだろう・・・と同世代の友人と話をすることが多くなりました。

また、この時期には喪中ハガキもたくさん届きます。

親戚、親御さん、どうしても、高齢化社会と共に、同世代の人々の周りにお亡くなりになる方も、増えてきた気がします。

私の親父も、9月に逝ってしまいました。コロナ禍という状況にため、入院中は見舞いにも行けず、寂しい思いをさせた気がします。その分、これから心の中で供養したいと思います。

 

ともあれ、日本において、やっと新型コロナ感染症も、オミクロン株の状況がわかりませんが、落ち着きつつあります。

 

イベント業界も、感染症対策を講じながら徐々にコロナ前のように、戻りつつあります。

とは言いながら、マスク着用、手指消毒、ソーシャルディスタンスの確保、換気の徹底などと共に、

大きな声での声援などは制約されているのが実情です。

当然、コロナ前と一緒というわけには行きませんし、その分、手間暇がかかるのも仕方がありません。

リアルイベントに、プラスαでオンライン配信など新しいイベントの形が常識になりつつあります。

 

そう考えると、様々な業界において、良いか悪いかは、歴史が判断すると思いますが、コロナ禍がある意味、社会の常識を変容させ、新たな常識を生み出したと言えるでしょう。

ある意味「変革」には痛みが伴いますが、コロナ禍で否応なく、新たな常識が定着しつつあります。

 

 

そんな状況下、「イベント」も変容しながら復活しつつあります。

一時は、オンラインに取って代わるように言われたこともありますが、やはりそのだけでは物足りない

が実感です。

演者も、観客も、同じ空間・同じ時間、臨場感を共有するリアルイベントに渇望してたんだと思います。

この2年間の歳月が、改めて「臨場感のあるイベントの良さ」に気づかさせてくれたのではないかと思います。

声援はできないけれど、その分大きな拍手が響き渡ります。演者も100%以上のパフォーマンスを出そうとしてくれます。一体感を感じる瞬間です。これはオンラインイベントでは絶対に味わえない醍醐味です。

それは、「心震えるような感動」です。それを共有できる限りイベントは不滅だと思います。

 

我々はそんな「心震えるようなイベント」を企画制作し、届ける努力をし続けたいと改めて思います。

 

 

当初は予定に無かったけれど、関わったイベントがこうして喜んでいただけるとは、非常に嬉しいし、イベント屋冥利に尽きます。
是非、ご覧いただければ、幸いです。
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開会式から1ヶ月経ちましたが、この間、県民の方々から「もう一度見たい」、
全国の方々から「全編を見たい」等々、嬉しいお声を頂いておりました。
 この度、皆様のリクエストにお応えすべく、期間限定で『アンコール配信』を
実施することとなりましたので、ご案内致します。
■開会式『アンコール配信』
【期間】R3.12.3(金)~R4.1.4(火) *1ヶ月のみの期間限定配信
【主体】第36回国民文化祭、第21回全国障害者芸術・文化祭和歌山県実行委員会
【媒体】紀の国わかやま文化祭2021公式ホームページ
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38年近く、イベント業界で仕事として色々なことをさせて頂いています。
博覧会でのパビリオン運営、アワードイベントの演出・進行、展示会のブースの企画など
実に様々なイベントに携わらせて頂いてきましたし、これからも携わっていくことでしょう。
しかしながら、イベントの悲しい性は仮設であり、期間限定であり、プロジェクトチームも有限であるということです。
一定期間の「夢のチーム」は解散し、また別のチームへと別れゆくのです。
一つの目的のために、演者はもちろん裏方のテクニカルスタッフ、制作スタッフ、多岐にわたって組織されたチームも
目的を果たした後は、解散です。
1日だけであったり、1週間であったり、期間の長短はありますが、イベントは必ず終わります。
そういう意味においては、「1度きりの舞台」と言えるかもしれません。
同じスタッフで、同じ演者で、とはならないのがイベントです。
だからこそ、その一度きりに必死になるのかもしれません。
最近は、映像配信などで、イベントそのものがアーカイブとして残ることが普通になりました。
終わった後も、映像で振り返ることができます。
ありがたいことです。
でも・・・・・・
やはり、現場の息遣いやノイズ、空気感など「生の舞台」でしか味わえないものがあります。
「1度きりの舞台」だからこそ、心に刻み込めるような印象深い舞台にしなければなりません。
そんな思いを持って創る。
イベント屋冥利に尽きるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

情報解禁になりましたので、宣伝です。

 

1年以上に渡って、準備・推進してきた本イベントが、

NHK総合にて全国放送されます。

 

■放送の概要

【日時】11/23(火・祝) 10:05~11:05

【ch】NHK総合

【番組】紀の国わかやま文化祭2021/国文祭・芸文祭みやざき2020

*同年開催の宮崎県と和歌山県で、30分ずつダイジェスト放送

*和歌山の開会式は、前半に放送予定

 

和歌山県HPの「知事からのメッセージ」ページが、更新されました。

こちらも合わせて、ご覧いただけると幸いです。

 

『よみがえりの地でのよみがえりの文化祭』

https://www.pref.wakayama.lg.jp/chiji/message/20211115.html

 

 

 

昭和61(1986)年度の第1回大会から当時の浩宮殿下に御臨席いただいて以来,皇太子殿下になられた後も御臨席いただき,令和元(2019)年度から天皇皇后両陛下御臨席の下,文化庁,開催都道府県,開催市町村及び文化団体等の共催により開催されています。(出典:文化庁HP)

 

和歌山県域では、10月30日(土)に生放送されましたが、今回のオンエアはそのダイジェスト版となります。

*今年度は新型コロナで延期されていた宮崎大会との2県開催です。

 

新型コロナ禍の中、非常に難しい時期での推進事業でしたが出演者・スタッフの熱い情熱のおかげで無事に開催されました。

毎月1回、オンラインのマーケティングの勉強会に参加しています。 ある意味、時代に翻弄されない「ビジネス」の考え方。 マーケティングの王道と言える。 業種、業態に関わらず、その考え方を当てはめていくと、 新たなビジネスモデルのヒントが隠されている。 昨夜は、「5つ窓の法則」 非常に、納得性のあるマーケティング理論であり、まさしくどのような業界でもその法則が当てはまります。 昨夜も15回目のマーケティング勉強会、コロナ禍の中、1年以上続いています。 リアルなものも良いですが、オンラインで参加できるのは、移動時間の短縮考えると、とても効率的です。 終わった後の、お酒飲みながらのリアル雑談も、そのヒントを膨らませる機会ではあるのですが・・・・・ コロナ禍から、なかなか日常が戻ってきませんが、ある意味「今」が日常と考えると、 この状況下で、いかにビジネスを展開していくか、、、 変化が必要なのは、我々の方なのだろう・・・・・・