Monthly Archives: 7月 2018

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先日、イベント業務管理士2級の試験を受験。
なんとか、合格、併せてイベント検定試験も合格しました。
私も、この業界で、ご飯を食べさせていただいて、既に34年近くになります。
そのころは、バブル全盛期で、その後博覧会ブームがあり、イベント花盛りともいえる時代が続きます。
しかし、平成の時代になり、バブルが崩壊、阪神淡路大震災などの自然災害が起こり、リーマンショックなどの
経済の破綻、またインターネット・携帯電話・スマートフォンの普及は生活のあり方を変えただけではなく、
様々な業種の衰退・滅亡すら招いています。
そんな急激な時代の大きなうねりの中、イベント業界も紆余曲折しながら発展進化してきました。
イベント業務管理士の試験は、平成7年から行われている
一般社団法人 日本イベント産業振興協会(JACE)が主催する資格試験です。
この資格制度は、
時代の変化に対応し、新たな時代を切り開きうるイベント・プロフェッショナル人材の育成であり、
そのためのスキル標準(職務知識・技能標準)の明確化と、中長期にわたる人材育成を考慮したキャリアパスの明示にあります。
(出典:JACEホームページ抜粋)
この資格制度ができる前までは、イベントに携わる人の基準が無かったのも確かです。
私自身も、20歳の頃からこの業界にお世話になり、その後9年のサラリーマン時代を経て、1995年に今の会社を創業し、24期目になりますが、その間、時代のうねりとともに、実に様々なことがありました。
イベント業界自体も、時代とともに、成熟し、変化している事も確かです。
ある意味で、やっと時代に追いつきつつある、ということかもしれません。
なので、改めてイベントを体系的に学び直すために、「イベント業務管理士」の試験を受けてみました。
この資格を持っているから仕事が増えるというわけでありませんが、体系的に、また論理的に「イベント業界」を理解し、その普及に務めるには非常にいい機会となったことは確かです。
漠然とイベントとは何か、勘と経験だけに頼ることで果たして良いのか、イベントに携わっている皆が一度そこをしっかり整理することは重要なことと考えます。
もちろん、理論だけで、現場の力をおざなりにするつもりはありませんが・・・・・
 一ヶ月以上に渡って、開催されたW杯ロシア大会もフランスの優勝で幕を閉じました。戦前はあまり盛り上がらなかった、日本代表でしたが、初戦のコロンビア戦の勝利から連日ワイドショーで取り上げられるなど、ほんと手のひら返しの報道合戦でした。
その間、大阪北部での地震や、西日本の豪雨など、猛暑とともに、自然災害が頻発しています。
スポーツイベントも、改めて平和であり、普通の生活が基盤になっていると言えるのではないでしょうか・・・・
W杯で思い出すのは、2002年日韓W杯です。
私は縁があって、仕事で、神戸会場担当で、W杯の生の試合や、その雰囲気を実感できたものです。どこから現れるのかというくらい、その国々のサポーターがやって来ます。今ほど、インバウンドという言葉が一般的てはない時代です。スウエーデンや、ナイジェリアなど、普段あまりなじみのない国々のサポーターを不思議な気分で眺めていた気がします。
W杯ともなると巨大な経済効果が現れます。スポーツ系イベントで五輪よりも波及効果があるのでは、と言われています、、、
テレビ放映料、広告露出、プロモーション、マーケティング、マーチャンダイジング・ライセンシングなど様々なビジネス利権が、経済を大きく動かします。
スポーツ系イベントは競技そのものの運営もさることながら、それにまつわる、様々な関連イベントが開催されます。歓迎レセプションや送迎レセプション、表彰式運営、プレスセンター運営、各プロモーション運営など。その派生効果は計り知れません。
2020年の東京オリンピック開催もあとわずかです。招致の際は、賛否両論、当然今尚、それぞれの意見はあるとは思いますが、2年後には、開催されるわけですので、選手はもちろん、関係者の方々には頑張っていただきたいと思います。
おそらく、私が生きている間に日本で行われるオリンピックは最後だと思います。
1964年のオリンピックは生まれて間も無く、全く記憶にはないですが、
4年に一度のスポーツの祭典を楽しみたいと思います。
 私のイベント業界における原点の一つが、1990年・大阪鶴見緑地で開催された「国際花と緑の博覧会(通称:大阪花博)」です。
大阪花博は、国際園芸家協会の承認を得て、博覧会国際事務局(BIE)の承認を受けた特別博です。
博覧会には、登録博と認定博の2種類に分けられます。
 2025年に大阪に誘致している博覧会は、登録博で、日本で開催されれば、1970年の大阪万博、2005年の愛・地球博に次いで3度目の登録博となります。
 さて、1990年の大阪花博ですが、私にとって非常に重要なプロジェクトの一つです。バブルがはじける前の最後のあだ花とでも言いましょうか。それなりに、予算もかけていましたし、博覧会らしいイベントとしては、それ以降はあまり「らしいイベント」は開かれていないのではないでしょうか・・・・
それは、単に、予算をかけていたということではなく、パビリオンの演出内容、それにまつわる運営業務、待ち客対策の催事の実施や、事業推進していく上での組織体制づくり。それら全てに関わることができたことは私にとっては非常に勉強にもなりましたし、全体を俯瞰して制作推進できたことは、後々得難い経験・財産を得たようなものです。
最近は、安全管理、リスクマネジメント、ユニバーサルイベントの対応など、当時はそれほど言われていない課題もあります。
技術の進歩とともに、人的な対応もそれに合わせて進歩していかないといけないですが、まだ経験と勘に頼っているのも事実でしょう。
今年の秋には、博覧会が大阪に招致されるかどうかが、決まります。業界人としては、是非大阪で開催されることを期待していますし、今までの経験と知識を最大限活かして取り組んでみたいプロジェクトです。
先日、太陽の塔の内部の入場予約が取れたので、行ってきました。実に48年ぶりです。小学1年生でしたので、その時の記憶は薄らいでいますが、今回見てもその当時にこれを創造したことへの畏怖を感じました。まさしく、岡本太郎のレガシーであり、日本人のレガシーです。
今回の博覧会が決まったら、是非後世に残るレガシーを創造して欲しいものです。