Monthly Archives: 10月 2019

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ガンジス川からの光景は、今も自分の心象風景として刻印されている。
あれから、30数年経ても、それは変わらない。
幾分、衝撃的な現実を目の当たりにして、少し滅入っていたのかも知れない。
なので、当時からインドの伝説の宿と言われる「久美子の家」に立ち寄る。
当時日本人なら、必ず立ち寄る、バックパッカー向けのゲストハウス。
ガンジス川の現実に少し疲れたのか、日本人に会いたかったのだろう。
しかし、そこに貼られた「行方不明者の写真」の数々。
インドは治安が悪くないとは聞いていたが、残念ながら、「日本人のパスポート」は高く売れる故に、狙われやすい。安心安全が当たり前の日本とは全く違う価値観。
私は、心身ともに、癒されたくて、ネパールへ向かうことにした。
陸路で国境を越える、エベレストの国・ネパールは顔つきも優しく、なんとなく、日本人に近い気がしたものだ。
私は、カトマンズから避暑地のポカラへ。
インドから逃げるように急いだものだ。
生と死が隣り合わせのインドから、エベレストを背にした町・ポカラ。
ここで、いく日か、深呼吸するのも悪くない。
湖畔のゲストハウスで、何も考えずに、ボーッとする。
激辛の食べ物で胃が暴れていたのを、ここで癒す。
刺激がありすぎると、普通が愛おしくなる。
その後、再びインドに入国。
タージマハルから、ニューデーリーへ・・・・
強烈なインド から身を守る術は観光客に徹すること。
目に入る風景、耳に入る音、街の匂い、寄ってくるインド人たち、それらをあくまで、観光客として捉えること、ポカラからインドに再び入国に際して、自分に課したインド放浪の旅の術だ。
17日間の放浪の旅が終わって、帰国。
伊丹空港に着いて、待っていたのは、ロストバッゲージ。
最後まで、インドらしい気がしたものだ・・・・・・
今、改めて「インドを考える」
13億人という、巨大な人を育むインド 。
暑さ、汚濁、喧騒、環境そのものが混沌としているカオス状態。
カーストに根差した、ある意味、生きることに対する諦め・無常感。
輪廻転生を信じることでそのバランスを保つ倫理観。
今のインドは、知らない。30年以上前の私に刻んだ風景が大きく変わっていることを祈るしかない。

インドネパール放浪記
縲悄迫≠フ街縲彌r

日々、「地球の歩き方」と睨めっこしながら、どこへ行こうか・・・・決まっているのは、最後は、ニューデリーから、帰国することだけ。

コルカタ(旧カルカッタ)から、次に目指したのは、インド北部のヒンドゥー教の巡礼者の聖地・バラナシー(ベナレスあるいはワーラーナシーとも言う)
ガンジス川沿いにあるこの街にヒンドゥー教徒たちは、巡礼にやってくる、あるいは、ここで死を待つ人もいるらしい。皆その聖なる川で、ひたすら沐浴をする。
私は、船からそれを眺める。河岸に煙が上がっている一角がある、船頭さん曰く「火葬場だよ、長く見るんじゃない」と窘められた。輪廻転生、この川にその灰を流されることで、生まれ変われることを祈る。
まだ、なおカースト制度が深く残るインドの人々の祈りだろうか・・・・
船頭さんの父も、祖父も船頭さん・・・・・他の職業に就く自由はない。
子供の死体が、半焼けで流されている・・・・
沐浴をする人々、洗濯をしている人々・・・同じ川に、死と生が同居している。

その時は、ただただ、船からの眺めにただ愕然としていたものだ。
川辺の右岸には、沐浴をする人々の背後には、ひしめくような建物が川面に映る反面、一方の川辺の左岸には建物が一つもなく、見渡す限りの原野が広がっている。

左は不浄という思想のせいらしい。なので、ご飯は右手で食べ、左手はトイレ時の洗浄となる。

混沌としている街には、像が、牛が、人々と一緒に歩いている、・・・

陸も川も、この煩雑としている国、インド・・・・

今思い起こすと、人間の業がその街に凝縮されているような気がする。

初めての海外旅行、それもひとり旅。 パートナーは「地球の歩き方」のみ・・・ 伊丹から、最初はタイ・バンコクでトランジット。 1泊、バンコクのホテルに泊まって、次の日にインドへ向かう。 旅の試練はその日から訪れる。 空港からのタクシーでホテルに向かっていましたが、一向に着かない。 タクシーの運ちゃんが仕切りに営業をしてくる。 おそらく、「知り合いの飲み屋あるけど、行けへんか?可愛い子いてるよ・・・」って感じ。日本人を見ればそういう営業をすることを聞いていましたので、「ノーサンキュー」と断ったが、ホテルの部屋までついて来られた時は、流石に恐怖を感じた。 次の日、バンコクの空港でインド行きを待っていたら、同世代の日本人と出会い、 色々、この先のことなどを話しながら、彼は「昨日ぼったくられたわ縲怐vって・・・ やっぱ日本人は舐められてるな、と改めて気が引き締まる思いになったものだ。 そして、初めてのインド・・・・・・・ 30年以上前です。今はどうかわからない。 あくまで、私の記憶にインプットされたその時の情景。 空港から降り立って、空港から出た時、、、、、、 喧騒、汚濁、悪臭、むせ返るような熱気・・・・街自体がカオス状態 道路には、物乞いが座っている、ストリートチルドレンや障害を持った人がいる。 「バクシーシ(喜捨)」とボウルのようなものを持って、近寄ってくる。 富める者が貧しい者に施しをすることは当たり前という風潮がそうさせているようだ。 組織的な物乞いもいてると聞かされていたので、ここは、グッと堪えて、気づかないように歩き進む。 象のフンがあちらこちらに落とされている。 とにかく、インドの旅は始まったのだ。 「とりあえず、今日の宿を探そう」 私は、“地球の歩き方”に目を凝らしながら、異国の空気を大きく吸い込んだ。

https://www.arukikata.co.jp/guidebook/series/book/D28

 

教育実習が終わって、少し「先生」への未練を引きづりながらも、イベント業界のアルバイトスタッフをしながら、そのノウハウを吸収すべく、大学生活の残りを過ごしていました。
もちろん、就活もしました。
採用は無理だろうと承知で、大手の広告代理店や在阪のテレビ局の試験は受けました。
結果は言わずもがな、ですが・・・・
そんな時に、声をかけてもらったイベント会社が数社ありました。
当時は、この業界、採用試験なんか無い時代です。
アルバイトして気付いたら「名刺」が出来上がっていて、
「ここが君のデスク、明日からおいで・・・」みたいな感じです。
条件面など聞く間もないくらい、当時は、ブラックな業界でした。
業界的に成熟していなかったと言えるでしょう。
昨今の「働き方改革」なんて言っていたら、会社が持たない時代です。
徹夜は当たり前、会社で寝るのも当たり前、遅刻も当たり前、そんな時代です。
色々、悩みましたが、当時「社長入れても3人」のイベント会社に就職を決めました。
残念ながら、今はもうありませんが、1987年卒業後にお世話になりました。
とは言え、結局その会社には、2年弱しか居ませんでしたが・・・・
ただ、その当時の社長に教えていただいたのは、
「仕事を選ばなければ、石ころをひっくり返せば、その裏には仕事はいくらでもある」
今も、その言葉を思い出します。
事業主になればなおその言葉が重く感じられますし、
断るのは簡単だけども、断らない勇気を持つのは、もっと大変な気がします。
今も、縁があって来る仕事は、よっぽどのことがない限り、基本断らない主義です。
実際に就職先が決またあと、もう長い休みなど取れないことを覚悟してましたので、
就職前の1987年3月、卒業旅行に行くことになります。
そして、なぜか、「インド一人旅」それも初めての海外旅行です。
理由は思い出せません。当時バックパッカーが流行っていたのでしょうか・・・
タイ・バンコクでトランジットをして、コルカタ(カルカッタ)に入り、その後は17日後にニューデリーから出国することだけ決めて、泊まる場所も、行き先もすべて行き当たりばったりの、フリープラン。道先案内は「地球の歩き方」というガイドブックのみ、、、、