Monthly Archives: 12月 2019

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今年は、年号が、平成から令和へ変わり、新しい時代を感じながら年末を迎えております。

弊社も、本日27日で仕事納めとなります。

1年を振り返ると、本当に様々な出会いの中で、いろいろな仕事をさせて頂きました。

また、縁がなく、取りこぼした仕事も数多く、もっと精進しないといけないと思います。

全ての事が、うまくいくわけがないのは理解していますが、心のどこかで「もう少しこうすれば良かった」の思いは拭きれません。

運や、タイミングなど、実にその理由は様々です。

しかしながら、

携わった全てのことが、糧になり、また未来に出会う様々な仕事にフィードンバックするものと信じています。

さらなる高みに向かって、1年を振り返りつつ、令和2年に向けて、心新たに取り組んでいきたいと思います。

今年出会った、全ての方々に感謝したいと思います。

2019年 12月27日 株式会社ニューズ 中野幸次

毎年、クリスマス間近の日曜日に神戸で行なわれるイベントです。 1999年から、その仕事に携わって、今年で21回目となります。 4500名の観客の方が参加する「RALLY」と600名の方が参加する「Xmas パーティ」の2部構成。 毎年、大盛り上がりのイベントです。 そして、弊社もこのイベントでその年の大きな仕事は、仕事納めとなります。 このイベントが無事終わると、「その年」を振り返ります。 実に様々な仕事に携わらせていただいたことを改めて感謝しますし、 新たな出会いにも不思議な縁を感じます。 今年は、平成31年から令和元年へと、年号が変わり、新しい時代の幕開けでした。 思えば、令和元年最初の皇室の「四大行幸啓」の一つ「全国豊かな海づくり大会あきた大会」の仕事をやらせていただいたことは本当に光栄でしたし、今後も皇室のお仕事をさせていただけることは、弊社にとっても大変誇りに思います。 その他にも、実に様々な仕事をやらせていただいたことは、これからの弊社の経験値として大きな財産になりました。 また、来年はオリンピックイヤーとなります。 メディアが大いに煽ることが予想されます。東京方面は、人不足、ホテル不足など、 イベント業界にも大きな影響があります。 とはいえ、祭りの後のなんとやら・・・で、その後が大事です。 浮かれてばかりでいられません。 やるべきことをしっかり地道にやり続けることが必要です。 イベントは仮説であるが故に、儚く、そして尊いものです。 筋書きのある非日常空間の演出が、イベントの醍醐味です。 オリンピックという非日常を楽しんだ後は、足元をしっかり見据えて、取り組みたいものです。 来年もまた、クリスマスはやって来ます・・・・・

 

今週末の本番の準備をしながら、少し、令和元年を振り返る、、、、

 

 

年号が新しくなった平成から令和へ・・・・・

 

思えば、昭和から平成へ変わった時、日本国民は慌てふためいていた気がします。

32年前、昭和64年、正月が明けて、1月7日昭和天皇が崩御。

私は、就職して、2年が経とうとしていた頃で会社を辞めることを決めていました。

天皇崩御のため、社会全体が喪に伏したような状態になったため、軒並みイベントは中止・延期を余儀なくされ、

私は、2月に会社を辞めました。

私の社会人での最初のターニングポイントが重なった年だった気がします。

 

そして今年、生前退位ということもあり、どちらかというと、歓迎ムードの中の新しい時代の始まりになりました。

 

私にとって、令和元年はどんな年だったろう、、、、、

 

最も、大きなことは、やはり、初めてのラジオパーソナリティへのチャレンジかもしれません。

決して、ずっとやりたかったわけでもなく、縁があってそうなった気がします。

やり始めると、これが結構楽しい、構成を考える間も整理がついて面白い。

そして、なんと言ってもゲストとして出ていただいた方々には感謝しかありません。

忙しい中、古川橋のスタジオまで、御足労いただき、その人の人生を少し垣間見せていただいた気がします。

30分という短い中、言い足りないことが多々あったことはご容赦願いたいですが、また、ゲストに来ていただいてもう少し、深く話をお聞きしたい方々ばかりでした。改めて感謝申し上げます。

また、この先、ゲストに来て頂く方々との出会いが楽しみです。

 

ラジオのパーソナリティという未知の世界に踏み込んだおかげで、仕事にも好影響がありました。

全体をしっかり構成し、進めていくことを再認識できました。俯瞰で見ることの大事さを改めて感じましたし、

そして何よりも、相手に伝えるためにどのように言葉を組み立て、どのように言葉を発し、何を伝えたいかをしっかり自分自身が認識するということ。自分自身の頭の中で整理できていないことは、相手に伝わらないことがわかりました。

特に、演出・舞台監督をやっている時こそ、的確に相手に伝えないと、うまくいきません。

時間の制約のある中で、これは大きかったです。ラジオのおかげだと思います。

タイムキープする難しさを感じながら、特訓できた気がします。

 

そして、令和2年はどんな年になるのでしょうか・・・・・・

ラジオに関しては、まだまだイベント業界で出会った素敵な方がいらっしゃいますので、

是非、お時間をいただき、ゲストとして来ていただき、皆さんにご紹介したいと考えています。

 

https://www.yumenotane.jp/musounotouzainanboku

 

 

 

先日、神戸マラソンに出場。 2015年に京都マラソン、2018年大阪マラソンと、関西の3大マラソンを制覇させていただいた。 しかし、最初は抽選に当たらず、外れれば外れるほど、走りたい熱が燃え上がるばかり・・・・ とは言え、毎年1歳ずつ歳は重ねるわけで、身体のあちこちが痛くなったり、弱くなったり、 フルマラソンに耐える体力を維持するのも、大変な状態。 特に、首の椎間板ヘルニアは、腕や指、肩甲骨などの痺れをもたらし、単なる体力維持ではすまない。 しかしながら、記録ではなく、完走(完歩)し、ゴールへの意気込みは衰えず、大阪城公園を走る日々。 また、市民プールでアクアウォークで体力をつけて、なんとか出場。 昨年辺りから、20km辺りから、ペースがガクンと落ちてくる。 ふくらはぎの痛み、膝の痛み・・・・・エアーサロンパスを携帯して走る。 エアーサロンパスを吹き付けて、誤魔化し、誤魔化し、前に進む。 1歩ずつ、とにかく前に進む。このタイミングは、走ることよりも、ただ、前に進むことしか考えていない。 バスによる強制収容時間との戦いの中、なんとか前に進む、ゴールを目指す・・・・・・ 思えば、中学生の頃から、走っていた気がする。 住んでいたのが、安威川や神崎川、そして淀川に囲まれた地域だったのも影響があった気がする。 何かあれば、川原で遊んでいた、その当時、良くも悪くも川の近くは、我々の遊び場だった。 流れる川の様子を見ながら、遠く、琵琶湖を思ったり、また大阪湾を想像しては「早く大人になりたい」と考えていた。 堤防は格好のランニングコースだった。 小学、中学、高校と学生時代にはいつも川があり堤防を走っていた。 もしかしたら、その頃の心象風景を思い出すために走っているのかもしれない。