やっと、長い梅雨が明けたと思ったら、猛暑到来です。熱中症には気をつけて頂きたいものです。
8月になると思い出します。梅雨のない北海道の夏。19歳の時のことです。
1年間の浪人生活を終え、1983年4月関西大学経済学部に入学。
本来は、体育の教師を目指していましたので、福岡教育大学を第一志望にしてましたが、
当時の「共通一次試験」と「二次試験」で合格は叶わず、社会科の教員免許の取れる、関西大学に入りました。
浪人時代の辛さを考えると、社会科でも教員を目指せるならばと、入学当初、大学生生活にウキウキしたものです。
4年間の社会人になるまでのモラトリアム期間、どのように自分自身をデザインするか、体育の教師の道が閉ざされたので、
体育会系(当時器械体操をしていました)の部活に入る必要もなく、とにかく色んなことにチャレンジしよう。
と言うことで、3つのことを自分自身の約束事として決めました。
「教員免許を取る」こと、「普通自動車の免許取得」そして「北海道に行く」ことの3つは絶対叶えると決めて、
その他は、なんでもやろう!みたいな感じで、キャンパスライフが始まりました。
そして、「北海道行き」は案外早く訪れました。
単に行くだけなら、お金さえ貯めればいけるので、「それは面白くない」
当時、扇町公園の西隣に「学生相談所」なるものがありました。
そこに行けば、アルバイトを紹介してもらえるのです。
関西の大学生であれば、誰でも紹介してもらえたのではないでしょうか・・・
少し記憶が曖昧ですが、当時は、アルバイト情報誌とかが、まだ一般的じゃなかった気がします。
あっても、情報誌自体が有料だったり、人材派遣業も一般的ではなく、
大学生がアルバイトというと、「学相に行く」が定番だった気がします。
そこで、見つけたのが「夏季・酪農家アルバイト」です。
1ケ月近くの住み込みアルバイト、バイト代がもらえて、3食・寝泊まり付きです。交通費も出ます。
至れり尽くせり、と思って私はすぐに申し込みました。
酪農家のほか、昆布漁などもありましたが、私がチョイスしたのは、北海道帯広豊頃町の酪農家です。

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