インド・ネパール17日間放浪記には、少しまだオチがあり、結局、大阪空港に無事着いたんですが、ロストバーゲージで、荷物はどこへやら・・・・・・2週間後に自宅に帰ってきましたが。

 

まぁ、そんなことで、学生時代とケジメをつけて、さぁ縲怐Aということで。

就職先の会社は手ぐすねして待っていたようです。

そして目出たく、社会人初めての仕事が「アメリカンジュークボックス」という、アメリカはダラスで公演されていたミュージカルの日本公演のバックステージスタッフです。言い方はかっこいいですが、アメリカスタッフの御用聞きですね。ケビンという舞台監督のアシスタントとして、多分2週間くらいの公演だったと思いますが、ホールに通い詰めです。

リハーサルでは、聞き取れない英語が飛びかう中、必死に道具を運んだり、大道具を操作したり、小道具をスタンバイしたり・・・・・・演者さんが舞台でスムーズに演じられるように、いかに効率よく、効果的に短時間でスムーズにスタンバイをするか・・・

公演していたホールの近くにそのスポンサーさんの新しいアメリカンチックなレストランができるということの記念公演のようなものでしたので、終わっては、毎日そのレストランで飲んで踊って、、、なんたって陽気なヤンキーさんですから。そうなると、公演中もチームヤンキーで仲良く楽しく、、、、、、、、英語はわからずも、ボディランゲージでコミュニケーションは大丈夫。

本当に楽しかったなぁ・・・・社会人最初のイベントがミュージカルのバックステージスタッフ、って考えたらものすごく光栄なことでしたね。本当に、みんなイイやつらでしたし、日本のスタッフにも助けられました。

ただ、ペーペーの頃ですから、「弁当の中身がいつもと一緒」「弁当持ってくるのが遅い」「打合せで、聞いてないことはできない」「無理」「できない」「いやだ」・・・・・・・・・・テクニカルスタッフには嫌という程、いじめられました。いや訂正、いじめてたのではなく、彼ら理論でいくと育ててやってるんだ・・・ということでしょう。まぁ、ほんと、理不尽でしたよ・・・・でもそんな理不尽さの中から、プロとしての考え方、姿勢を学んだと思います。今だからわかることです。

やはり、社会人なりたてで、学生気分が抜けきってなかったんでしょう。それを見透かされてた気がします。

この2週間の現場は本当に、頭打ち、悩み、悔しく・・・でも愉しい仲間との舞台作りを体験させていただいたと、感謝しています。

 

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