インドネパール放浪記
縲悄迫≠フ街縲彌r

日々、「地球の歩き方」と睨めっこしながら、どこへ行こうか・・・・決まっているのは、最後は、ニューデリーから、帰国することだけ。

コルカタ(旧カルカッタ)から、次に目指したのは、インド北部のヒンドゥー教の巡礼者の聖地・バラナシー(ベナレスあるいはワーラーナシーとも言う)
ガンジス川沿いにあるこの街にヒンドゥー教徒たちは、巡礼にやってくる、あるいは、ここで死を待つ人もいるらしい。皆その聖なる川で、ひたすら沐浴をする。
私は、船からそれを眺める。河岸に煙が上がっている一角がある、船頭さん曰く「火葬場だよ、長く見るんじゃない」と窘められた。輪廻転生、この川にその灰を流されることで、生まれ変われることを祈る。
まだ、なおカースト制度が深く残るインドの人々の祈りだろうか・・・・
船頭さんの父も、祖父も船頭さん・・・・・他の職業に就く自由はない。
子供の死体が、半焼けで流されている・・・・
沐浴をする人々、洗濯をしている人々・・・同じ川に、死と生が同居している。

その時は、ただただ、船からの眺めにただ愕然としていたものだ。
川辺の右岸には、沐浴をする人々の背後には、ひしめくような建物が川面に映る反面、一方の川辺の左岸には建物が一つもなく、見渡す限りの原野が広がっている。

左は不浄という思想のせいらしい。なので、ご飯は右手で食べ、左手はトイレ時の洗浄となる。

混沌としている街には、像が、牛が、人々と一緒に歩いている、・・・

陸も川も、この煩雑としている国、インド・・・・

今思い起こすと、人間の業がその街に凝縮されているような気がする。

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