1990年は、ある意味、私のイベント業界での最初のエポックメイキングな年になりました。世間では、まだバブルが弾けるとは、考えにくい頃、大阪で1970年以来の国際博覧会が開催されました。

Wikipediaより・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

国際花と緑の博覧会(こくさいはなとみどりのはくらんかい、英:The International Garden and Greenery Exposition,Osaka,Japan,1990)は、大阪府大阪市鶴見区と守口市に跨る鶴見緑地で、183日間の会期(1990年4月1日ツꀀ-ツꀀ9月30日)で行われた博覧会国際事務局ツꀀ(BIE) 認定の国際博覧会であり、また国際園芸家協会(AIPH)の大国際園芸博覧会でもある。会場面積は約140haで、略称は「花の万博」「EXPO’90」。「花と緑と人間生活のかかわりをとらえ 21世紀へ向けて潤いのある豊かな社会の創造をめざす」をテーマとし、日本を含む83カ国と55の国際機関、212企業・団体が参加した。総来場者数は2312万6934名で、特別博覧会史上最高を記録した。

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私は関西で生まれた企業40社の企業体「大輪会 水のファンタジアム」というパビリオンの催事ディレクターという立場で仕事をさせていただきました。

前年の準備から考えると2年にわたる、「大プロジェクト」でした。

その間の出来事などを、追々お話していこうと思います。

 

 

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