久しぶりに、団塊の世代の先輩と食事をする機会があり、いろいろと語り合いました。
私より、14縲怩P6年先輩になります。

人口論による一般的な定義としては、第一次ベビーブーム時代の「1947年から1949年までの3年間に出生した世代」を指すそうです。

その世代の方々が70歳、そして80歳になっていく、仕事という生きがいを離れて、どのように人生を全うしていくか・・・・
そう遠くない時代に超高齢化社会になるのは、厳然たる事実ですね。
「事業とは雇用創出」と言われています。
これからの高齢化社会に対して、「生きがい創出」が事業のテーマになるような気がします。
昨夜は
世代を超えて、そのテーマをどのように具現化するか・・・・
興味は尽きないまま、お開きとなりました。

「生きがいを、感じる場作り」がこれからの日本には必要な気がします。

先日、久しぶりにUSJに行ってきました。
10数年前に、ここのCM撮影のエキストラを集めて、撮影に協力したことがあります。閉園後なのに、明るくバックヤードから、そこに入るとやはり夢の世界にいるようで、ワクワクした覚えがあります。
エキストラもみんな笑顔一杯で、本当に楽しかった仕事のひとつです。

今回は、プロジェクション・マッピングと、オペラシンガーそして、巨大なクリスマスツリーの織りなすショー「天使のくれた奇跡Ⅱ縲弋he Song of Angel~ 」を観るために行ってきました。
西日本では、最高のエンターテナーショーです。

イベント業界にいてるものとしては、見ておかなければ、ということで寒風吹きすさぶ中、久しぶりのUSJです。
ショーの出来・感想は、見た方に委ねるとして、やはりこんなショーを創ってみたいと思いますね。
お金もかかっているだろうけれども、ある程度は自由な裁量で創り上げることのできる、ショー。
中途半端なものよりも、ある程度突き詰めてみたい思いがあります。

昨今のマッピングブームに少しウンザリしているのも確かですし、
驚き感も薄れてきている・・・・それは、きっとハード的な驚き感では味わえない、もっとプラスアルファの何かが足りない気がします。

今後、マッピングがどのように進化していくのかは、楽しみではありますが、確実に言えることは、ハードだけでは飽きてくるということです。
そこに、魂のようなものが無いと、感動は生まれない、と思います。

エンターテイメントを創造する一員として、肝に命じたいと思います。

株式会社ニューズさんの写真
株式会社ニューズさんの写真
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ロケハンとは
映画などで撮影に適した景色のある場所を探すこと、ロケ地を選定することを指す語。ロケハンは「ロケーションハンティング」の略で、和製英語。(出典:辞典・百科事典の検索サービス – Weblio辞書 )
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

業界用語的には、撮影に適した場所探しになりますが、我々イベント業界的には、「実施する(予定)場所」を現地調査する意味になります。

本番に向けて、レイアウトの設定、ステージやテント、入口・出口、電源は足りるか、客動線をどうするか・・・等。
イベント内容によって調査する内容は細かく変わってきますが、概ね、現場を調査しつつ、本番に向けての実施計画を立てていきます。

なので、
我々の一番最初の仕事がロケハンと言えます。
見ない場所をあれこれは言えない。

仕事の始まりはロケハンと言えます。

そして、
時には、何度もロケハンをします。時期によっては、温度が違う、風が吹くなど、気象条件をもリサーチします。

ただ、最近は便利になりすぎて、現場を見ないスタッフが増えてきました。図面上だけで判断する、google earthで行った気になる・・・・

仕事のスピードが速くなっている昨今、仕事の丁寧さも少し失われつつあるような気がします。

現場にしか、ヒントはないし、現場に行かないと落とし穴は見えない。
必ず、動線を確認しながら、問題点がないか?
あればどうするべきか?

そんな自問自答を繰り返しつつ、リスクヘッジをしていきます。

「現場に答えが・・・、ある」

写真: ロケハンの重要性</p>
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ロケハンとは<br />
映画などで撮影に適した景色のある場所を探すこと、ロケ地を選定することを指す語。ロケハンは「ロケーションハンティング」の略で、和製英語。(出典:辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書 )<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・</p>
<p>業界用語的には、撮影に適した場所探しになりますが、我々イベント業界的には、「実施する(予定)場所」を現地調査する意味になります。</p>
<p>本番に向けて、レイアウトの設定、ステージやテント、入口・出口、電源は足りるか、客動線をどうするか・・・等。<br />
イベント内容によって調査する内容は細かく変わってきますが、概ね、現場を調査しつつ、本番に向けての実施計画を立てていきます。</p>
<p>なので、<br />
我々の一番最初の仕事がロケハンと言えます。<br />
見ない場所をあれこれは言えない。</p>
<p>仕事の始まりはロケハンと言えます。</p>
<p>そして、<br />
時には、何度もロケハンをします。時期によっては、温度が違う、風が吹くなど、気象条件をもリサーチします。</p>
<p>ただ、最近は便利になりすぎて、現場を見ないスタッフが増えてきました。図面上だけで判断する、google earthで行った気になる・・・・</p>
<p>仕事のスピードが速くなっている昨今、仕事の丁寧さも少し失われつつあるような気がします。</p>
<p>現場にしか、ヒントはないし、現場に行かないと落とし穴は見えない。<br />
必ず、動線を確認しながら、問題点がないか?<br />
あればどうするべきか?</p>
<p>そんな自問自答を繰り返しつつ、リスクヘッジをしていきます。</p>
<p>「現場に答えが・・・、ある」

5ケ月にわたる準備期間を経て、昨日無事本番が終了。
その準備期間が長いか、短いかはそのプロセスの内容にもよりますが、今回は結構ハードな5ケ月でした。

その間に積み上げて、収斂したものが、進行台本であり、運営マニュアルです。

多くのスタッフの共有すべき資料が、運営マニュアルであったり、進行台本になります。

そして、それぞれの専門セクションがその資料をもとに、動きます。

その中でも一番の最前線に立つのが、司会者です。

進行台本に書かれた台詞を読み上げるだけではなく、そこに書かれている意図を理解し、すべての進行を担い・表現する立場。我々裏方の思いをすべて託していると言っても過言ではありません。

この司会者の良し悪しで、そのイベントが成功するかそうでないか、とも言えます。
当たり前に進行することは、言わずもがな・・・・・

本番中の想定外のトラブルに対してどのように、対処するか、ここが、その司会者の力量が問われる瞬間です。
起こるであろう、トラブルを想定することは、難しく、その瞬間の判断に委ねられる。

まさしく、昨日の本番では、思いもよらないことが起こりましたが、
そこをしっかり凌いでくれました。

久々に、プロとしての司会者に出会いました。

また、一緒にしたい司会者のひとりです。

写真: プロとしての力量は「いざという時」に、問われる・・・</p>
<p>5ケ月にわたる準備期間を経て、昨日無事本番が終了。<br />
その準備期間が長いか、短いかはそのプロセスの内容にもよりますが、今回は結構ハードな5ケ月でした。</p>
<p>その間に積み上げて、収斂したものが、進行台本であり、運営マニュアルです。</p>
<p>多くのスタッフの共有すべき資料が、運営マニュアルであったり、進行台本になります。</p>
<p>そして、それぞれの専門セクションがその資料をもとに、動きます。</p>
<p>その中でも一番の最前線に立つのが、司会者です。</p>
<p>進行台本に書かれた台詞を読み上げるだけではなく、そこに書かれている意図を理解し、すべての進行を担い・表現する立場。我々裏方の思いをすべて託していると言っても過言ではありません。</p>
<p>この司会者の良し悪しで、そのイベントが成功するかそうでないか、とも言えます。<br />
当たり前に進行することは、言わずもがな・・・・・</p>
<p>本番中の想定外のトラブルに対してどのように、対処するか、ここが、その司会者の力量が問われる瞬間です。<br />
起こるであろう、トラブルを想定することは、難しく、その瞬間の判断に委ねられる。</p>
<p>まさしく、昨日の本番では、思いもよらないことが起こりましたが、<br />
そこをしっかり凌いでくれました。</p>
<p>久々に、プロとしての司会者に出会いました。</p>
<p>また、一緒にしたい司会者のひとりです。

我々の仕事は、何ヶ月もかけて準備するものもあれば、数週間しか準備期間がないものもあります。

時間、経費、環境など様々な制約の中で、より良いものを、より鮮度の高いものを納品する。それがプロ。。。。

言い訳は許されません。

代わりの会社や、スタッフはたくさんいる、・・・と思わせない、力量が問われます。
それは、様々な要素があります、発想、経験・実績、スピード感、クオリティーさ・・などなど。

そして、想定していないことが起こった時に、いかに対応できるかの瞬時の判断・決断が必要なことがある。

準備期間のある、なしに関わらず、想定外を想定すべきは、プロとして、とても重要な要素の一つ、です。

高校受験・・・・
当時は私立は、滑り止め。
府立が本命、という中で、
自分の偏差値に基づいて、「受験校」を決めていました。

大学進学を見据えるか?→進学を考えるなら、摂津高校
高校で野球を続けるか?→野球するなら、島上高校
一か八かの勝負をするか?→両方とるなら、東淀川高校

今の偏差値はわかりませんが、当時はこんな感じです。

結局、大学行くなら「摂津」ということで、摂津高校に受験・入学しました。

そこには、「野球部」がありませんでした。

当時、摂津高校はサッカーが強く、大阪で全国大会を狙える強豪校でした。実際何度か全国大会に出てます。
そのせいか、体育教員の先生は、元オリンピック選手など、その業界では名だたる有名人が沢山いました。
その頃は、「野球」はスポーツじゃない、投手と捕手のスポーツ、というような風潮があったようです。
まぁ、サッカーが強かったせいで、グランドを広く使う野球が敬遠されていたのかもしれません。

野球少年の私は、ちょっと残念に思いつつ、高校生活をどのように過ごすか、やはり部活には入りたいと、思って様々なクラブ見学をしました。

そして、いまでもなぜだか、不思議なんですが「器械体操」というま全く興味もなかったクラブに入部することになります。
たまたま、同じクラスになった友人が「センス良い」とおだてられて入ったクラブが体操・・・・
私も、その友人に連れられて、勢いで入部した感じです。

当時「器械体操」(6種目)は減点競技です。10点満点から、規定演技のミスから減点をしていく競技です。落下した、技を抜いた・・等等。
所謂決められたことが出来て当たり前・・という競技です。
今のように、難度の高い技を入れて加点されるものではありませんでした。

コマネチ(当時ソ連)選手が10点満点連発したオリンピックで点数表示板に「10点」がなく、しかたなく、「1点」と表示したのもそのためです。

野球やサッカー、ラグビーなどの加点競技、テニスやバレーボールなどの決められた点数を早く取った方が勝つ、そんな競技とは明らかに違うルールの器械体操。

それは、
「練習で、できない技」は、「試合では絶対できない」という事実です。
「練習で、できた技」も、「試合では絶対できる」という、保証の無いのも事実です。

「器械体操」を3年やり続けたことは、その後の私の人生に大きく影響を与えたことは確かです。

http://www.jpn-gym.or.jp/

日本体操協会 | Japan Gymnastics Association
www.jpn-gym.or.jp
日本体操協会オフィシャルサイト

昭和27年から続いている「長浜盆梅展」をさらに盛り上げるイベント「長浜梅酒祭り」を開催します。

弊社も少しお手伝いさせて頂いています。

日本でただ一人の、梅酒ソムリエ金谷優氏が全国各地厳選した梅酒および梅ジュースを50種類ご用意し、お待ちしております。あなたのお気に入りの一杯が見つかる貴重な機会になると思います。ご友人、ご家族と共に、是非お越しください。

http://www.nagahama-umeshu.com/

台風がまさしく近畿にも近づいてますね。
日本列島縦断する勢いです。

各地の皆さんの安全を祈念します。

しかし、火山噴火や、台風、豪雨にともなう、土砂災害、河川氾濫など、自然がもたらすその力は、人間ではどうしょうもないくらいの力を発揮します。インドでは大型サイクロンが上陸して何十万人の人々が避難しているようですし・・・・・

私も仕事柄いろいろな分野の仕事をさせていただきますが、7月にお手伝いした「消防訓練」の現場は今まででも記憶に残る現場でした。
関西の救急救命士さんがその技術を競う大会でした。
それは、「いざという時」の為の訓練であり、「いざという時」は想定出来ない時なので、いつもその技術を磨いておく必要があります。
体力も要ります、心身ともに、ゆっくりできないんじゃないか、と思います。
たまたま、その時に「藤原紀香」さんが来られていました。
NHKでオンエア中の「ボーダーライン」というドラマでお世話になったことが縁でした。
私も、そのドラマを見ていますが、大阪が舞台ということもあり、親近感を持ちながら、見ています。
日頃我々が知らない消防士の方々の日常・活動・・・・・・
非常に考えさせられるドラマです。

自然災害だけではなく、命を懸けて活動している方々に敬意を払わずにはいられません。

この大型台風でも命を懸けて、人々の安全を守ってくれる人がいることを忘れてわならないと、思います。

それから、このドラマの料理指導をしているのは、昨年「食博」でお世話になった。久保先生がやっておられます。料理シーンも見物です。

http://www.nhk.or.jp/dodra/borderline/

土曜ドラマ「ボーダーライン」
www.nhk.or.jp
毎週土曜日夜9時、NHK総合テレビ(~11月1日まで 全5回)で放送している土曜ドラマ「ボーダーライン」のホームページです。
1964年の今日10月10日、東京オリンピックが開催されました。
私が生まれた次の年ですから、当然覚えていませんし、後々、ビデオなどで見た記憶が残っているだけです。
高度経済性成長を体現すべく、オリンピックに併せて、東海道新幹線、首都高速道路など、インフラも整備されていった時期でもあります。

いみじくも2020年、東京でオリンピックが開催されます。

あの頃とは、時代も日本の状況も、世界情勢も全く変わっていますので、「東京オリンピック2020」の在り様も当然変わって来るはずですね。
経済優先の、50年前。

政治とスポーツは別といえども、どこかで暗い影を落としているのも確かな真実であり、不確かな今の世界の中で、オリンピックが果たす役割、ひいては極東日本が果たすべく役割は大いにあるような気がします。

唯一の戦争被爆国として、祈り平和を希求し宣言し続けることは、様々な紛争、混乱が止まらない世界への警告として、日本が果たすべき役割は決して小さくはない、と考えます。

様々な困難を克服すべく、「東京オリンピック2020」が世界平和の一助になることを願ってやまない、50年前のオリンピックを思いつつ、6年後のオリンピックに思いを馳せます。ツꀀ窶鐀 場所:ツꀀ株式会社ニューズ

写真: 東京オリンピック</p>
<p>1964年の今日10月10日、東京オリンピックが開催されました。<br />
私が生まれた次の年ですから、当然覚えていませんし、後々、ビデオなどで見た記憶が残っているだけです。<br />
高度経済性成長を体現すべく、オリンピックに併せて、東海道新幹線、首都高速道路など、インフラも整備されていった時期でもあります。</p>
<p>いみじくも2020年、東京でオリンピックが開催されます。</p>
<p>あの頃とは、時代も日本の状況も、世界情勢も全く変わっていますので、「東京オリンピック2020」の在り様も当然変わって来るはずですね。<br />
経済優先の、50年前。</p>
<p>政治とスポーツは別といえども、どこかで暗い影を落としているのも確かな真実であり、不確かな今の世界の中で、オリンピックが果たす役割、ひいては極東日本が果たすべく役割は大いにあるような気がします。</p>
<p>唯一の戦争被爆国として、祈り平和を希求し宣言し続けることは、様々な紛争、混乱が止まらない世界への警告として、日本が果たすべき役割は決して小さくはない、と考えます。</p>
<p>様々な困難を克服すべく、「東京オリンピック2020」が世界平和の一助になることを願ってやまない、50年前のオリンピックを思いつつ、6年後のオリンピックに思いを馳せます。

私の知り合いがやってます。
2日間、船場で音楽三昧はいかがです・・・・

http://plactn.co.jp/saf/index.html

日本国中が、高度経済成長期の中、
1965年以降の経済台頭期は、「巨人・大鵬・卵焼き」はまさしく昭和元禄時代の代名詞。
また3Cと呼ばれる、新・三種の神器(カラーテレビ、クーラー、自動車)が喧伝されたのも、この頃です。
ちなみに、三種の神器とは、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫です。

一方、その時代は公害、安保闘争、過激派闘争・・・・
「浅間山山荘事件」が起こったのも、1972年でした。
経済優先から垣間見える、「ひずみ」がそのようなカタチで噴出していたのかもしれません。
その後、
巨人の9連覇が途絶えた後の、セリーグの混戦がまた新しい時代の幕開けを暗示していたのかもしれません。

1980年代
マイホーム、自家用車の普及、終身雇用による信用増大、それまでは上流階級しか持ち得なかった商品が多くの家庭に普及した時代です。
物質的な豊かさを享受できた、一億総中流時代と呼ばれた時代。
いわゆる「大衆の時代」です。

そんな1980年代、私はまさしく青春時代を過ごすことになります。
中学・高校・大学と・・・・・世の中も安定していた時代です。

小・中学時代は典型的な「野球少年」でした。まだ今ほど、サッカー人気が盛り上がっていない頃でしたので、「プロ野球選手」が少年たちの夢の一番の頃です。

そして、人生初めての試練が、高校受験です。それまでは、甘えが許されたけれども、受験は「結果」が明確に示されます。
「合格」「不合格」・・・・・ある意味初めての人生の岐路というべき、タイミングかもしれません。ツꀀ窶鐀 場所:ツꀀ株式会社ニューズ

写真: ルーツ竏窒R<br />
縲恆蜿Oの時代縲彌r</p>
<p>日本国中が、高度経済成長期の中、<br />
1965年以降の経済台頭期は、「巨人・大鵬・卵焼き」はまさしく昭和元禄時代の代名詞。<br />
また3Cと呼ばれる、新・三種の神器(カラーテレビ、クーラー、自動車)が喧伝されたのも、この頃です。<br />
ちなみに、三種の神器とは、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫です。</p>
<p>一方、その時代は公害、安保闘争、過激派闘争・・・・<br />
「浅間山山荘事件」が起こったのも、1972年でした。<br />
経済優先から垣間見える、「ひずみ」がそのようなカタチで噴出していたのかもしれません。<br />
その後、<br />
巨人の9連覇が途絶えた後の、セリーグの混戦がまた新しい時代の幕開けを暗示していたのかもしれません。</p>
<p>1980年代<br />
マイホーム、自家用車の普及、終身雇用による信用増大、それまでは上流階級しか持ち得なかった商品が多くの家庭に普及した時代です。<br />
物質的な豊かさを享受できた、一億総中流時代と呼ばれた時代。<br />
いわゆる「大衆の時代」です。</p>
<p>そんな1980年代、私はまさしく青春時代を過ごすことになります。<br />
中学・高校・大学と・・・・・世の中も安定していた時代です。</p>
<p>小・中学時代は典型的な「野球少年」でした。まだ今ほど、サッカー人気が盛り上がっていない頃でしたので、「プロ野球選手」が少年たちの夢の一番の頃です。</p>
<p>そして、人生初めての試練が、高校受験です。それまでは、甘えが許されたけれども、受験は「結果」が明確に示されます。<br />
「合格」「不合格」・・・・・ある意味初めての人生の岐路というべき、タイミングかもしれません。

中学を卒業して、単身「大工」見習い。
住み込みでの、飯炊きから掃除洗濯等、
所謂、丁稚奉公ですね。
早く、そんな暮らしから脱却したくて、夜中こっそり腕を磨いたそうです。

私の物心ついた頃は、よく家で父が墨壷から、墨で、ベニヤ板に図面を引いていました。これを図板と言うそうです。
「最近は、家を建てられへん大工が増えた」と嘆いていました。

確かに父は、図面を自分で書き、材料も自分で発注して、一軒家を建てていました。よく仕事場に連れて行ってもらったものです。
足の裏に1寸釘を刺して大泣きしたことを思い出します。

なので、大鋸屑の匂いは、私にとっては父の匂いなんですね。

父はよく、「もうあんな分からず屋とは一緒に仕事はせん」と施主なのか、施工主なのか、まぁ、よく喧嘩をして帰ってきたものです。
その後は、当分仕事に行かずに家にいて遊んでくれました。

そんな父の父、私の祖父は「漁師」でした。
そして、曾祖父(そうそふ)は「宮大工」だったそうです。

宮大工縲恚剋t縲恆蜊H縲怩サして私・・・・・・

また、母の父、母方の祖父は満州で手広く事業をやってたそうですが、戦争ですべて奪われてしまったそうです。母も残留孤児になりかけたところを、中国人に囲われて、無地に日本に帰ってきたそうです。祖父も亡くなっているので、真相は詳しくわかりません。

私が、今の仕事を選んだ理由が、そんな流れの中にヒントがあるような気がします。

サラリーマンが一人もいない。。。。
案外、皆、一匹狼なんですね。わがままなだけなのか、自由闊達なところが好きなのか・・・・・
自分のその先のルーツはどこにあるのか、いつかゆっくり調べてみたいものです。

父は今も健在ですが、もう少し、「父の若かりし頃」を聞いてみたいものです。

大鋸屑の匂いは、私を少年時代にタイムスリップさせてくれます。ツꀀ窶鐀 場所:ツꀀ株式会社ニューズ

株式会社ニューズさんの写真
株式会社ニューズさんの写真
物心ついた頃は、大阪市の東北に位置する東淀川区北江口の市営住宅で暮らしていました。
淀川、神崎川、安威川等、川に囲まれた、まだまだ開発されていない町でした。

今は、立派な住宅地として、奇麗な高層住宅が沢山ありますが、
当時は、平屋ばかりで道は砂道、草木が生え放題の草むら、あちこちに沼地や田んぼがあって、アメンボ、ゲンゴロウ、ザリガニ等、そしてモグラなんかもいました。それだけでも、自然溢れる地域でした。

そんな町で、私は幼年期・少年期を過ごしました。
まさしく、「3丁目の夕日」の世界です・・・・

初めて、世間を意識したのは、「日本万国博覧会」です。
1970年3月14日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵で開催された国際博覧会です。

私の、狭い家に、知らない大人たちがこぞって泊まりに来たのです。親戚はもちろん、親戚の知り合いまで・・・・・
当時、泊まるホテルが無いくらい、日本中から、世界中から大阪に人が集まっていたのでしょう。

その度に、私はアメリカ館の「月の石」を見に、何時間も並んだ気がします。
業界的には、この万博がイベントの原点という人もいます。

昭和30年代、社会自体が、経済台頭期、建設ラッシュで浮かれているこの時代、九州は大分出身の私の父は中学を卒業して、「大工」として修行をしてたそうです。
当然、私が生まれる前の話ですから、父から聞いた話になりますが。

昭和14年生まれの父は、九州・大分県佐賀関一尺屋という、目の前が海の拡がる家で生まれ育ちました。兄弟は10人ほどいてたようですが、戦争や病気で亡くなったそうです。
その頃は男3人、女1人の4人兄弟姉でした。
ほとんどの男衆は「漁師」になったそうですが、「船酔い」が嫌な父は単身・大工の職人になるべく、上阪したそうです。

父の生き様を少し顧みると、そこに今の私のルーツの一端が有るように、思えます。

株式会社ニューズさんの写真
株式会社ニューズさんの写真
引き続き、「陰陽五行説」
10年を一区切りにして、50年。
憲法発布の年から、
10年ごとに「時代」が変わる。
混乱・変革の時代、教育の時代、経済台頭の時代、
大衆の時代、そして権力集中の時代・・・・・・

今、日本は2週目の教育の時代。

私が生まれたのも、1963年今から51年前。教育の時代です。
確かに、皆が高校だけでなく、大学に行く時代。
なので、様々な塾がありました。書道、珠算、学習塾・・・・
また百科事典が一家に1セット置かれた時代。

東京オリンピックが開催されたのが、1964年。
日本万国博の開催が1970年。
新幹線が走り、高速道路が整備され、町なかの道路も砂道からアスファルトに変わっていく時代。
まさしく、高度経済成長期です。

そんな時代に幼少期・少年期を過ごした私は、まさしく「3丁目の夕陽の頃」のわんぱく少年でした。

まだまだ、家の近所には沼地が沢山ありました。ザリガニ釣りや、カメを捕まえたり、ひよこを飼って、気づいたらニワトリになって、困ったこともありました。空き地で焚き火をしながら、焼き芋したり・・・
日が暮れる頃には、近所の夕餉の匂いが当たり前のように・・・
昭和のイイ時代だったのかもしれません。

一方、光化学スモッグ注意報が出たり、公害が社会問題になってました。過激派による、爆破事件など、暗澹たる戦後の暗部をがあぶり出ていた時代でもあります。

そして、今、思い返すと、自分の原点がいくつか、そこにあります。
ひとつは、やはり「父親」です。
そして、高校時代の器械体操部の3年間
大学時代の何でも屋・・・・・・・

この3つを思い起こすとき、今の自分の原点になった気がします。
次回は、そこを少し述べてみたいと思います。

写真: 陰陽五行説から、自分の50年を振り返る。</p>
<p>縲恟コ和の夕陽が懐かしい縲彌r</p>
<p>昨日に引き続き、「陰陽五行説」<br />
10年を一区切りにして、50年。<br />
憲法発布の年から、<br />
10年ごとに「時代」が変わる。<br />
混乱・変革の時代、教育の時代、経済台頭の時代、<br />
大衆の時代、そして権力集中の時代・・・・・・</p>
<p>今、日本は2週目の教育の時代。</p>
<p>私が生まれたのも、1963年今から51年前。教育の時代です。<br />
確かに、皆が高校だけでなく、大学に行く時代。<br />
なので、様々な塾がありました。書道、珠算、学習塾・・・・<br />
また百科事典が一家に1セット置かれた時代。</p>
<p>東京オリンピックが開催されたのが、1964年。<br />
日本万国博の開催が1970年。<br />
新幹線が走り、高速道路が整備され、町なかの道路も砂道からアスファルトに変わっていく時代。<br />
まさしく、高度経済成長期です。</p>
<p>そんな時代に幼少期・少年期を過ごした私は、まさしく「3丁目の夕陽の頃」のわんぱく少年でした。</p>
<p>まだまだ、家の近所には沼地が沢山ありました。ザリガニ釣りや、カメを捕まえたり、ひよこを飼って、気づいたらニワトリになって、困ったこともありました。空き地で焚き火をしながら、焼き芋したり・・・<br />
日が暮れる頃には、近所の夕餉の匂いが当たり前のように・・・<br />
昭和のイイ時代だったのかもしれません。</p>
<p>一方、光化学スモッグ注意報が出たり、公害が社会問題になってました。過激派による、爆破事件など、暗澹たる戦後の暗部をがあぶり出ていた時代でもあります。</p>
<p>そして、今、思い返すと、自分の原点がいくつか、そこにあります。<br />
ひとつは、やはり「父親」です。<br />
そして、高校時代の器械体操部の3年間<br />
大学時代の何でも屋・・・・・・・</p>
<p>この3つを思い起こすとき、今の自分の原点になった気がします。<br />
次回は、そこを少し述べてみたいと思います。

東京から、内海塾長がボランティアでやって頂いている、月一回のマーケティングの勉強会です。
2005年からですので、10年通ってることになります。
どんな本にも書かれていない、様々なマーケティング法則を教えて頂いています。

また、マーケティング以外にも、ビジネスモデルにおける考え方、組織論、経営論など、その講話の題材は多岐に渡っています。

その中でも毎年1回必ずお話されるのが「陰陽五行説」です。
何千年も前から、伝えられている50年周期の説です。

それに、自分の50年の人生ヒストリーを重ね合わせると、ちょっと面白いですね。

現在は、教育の時代、後3年もすれば、経済台頭期・・・
抗うことのできない、見えない時代の流れに、それとなく自分の生き様を重ねてみると、これからの行くべき道がおぼろげながら、見えてきます。

私も人生、2週目に入ってきました。あらためて、為すべきことを
今、模索しております。ツꀀ窶鐀 場所:ツꀀ株式会社ニューズ

写真: 大阪内海塾<br />
縲怩T0年周期の陰陽五行説縲彌r</p>
<p>東京から、内海塾長がボランティアでやって頂いている、月一回のマーケティングの勉強会です。<br />
2005年からですので、10年通ってることになります。<br />
どんな本にも書かれていない、様々なマーケティング法則を教えて頂いています。</p>
<p>また、マーケティング以外にも、ビジネスモデルにおける考え方、組織論、経営論など、その講話の題材は多岐に渡っています。</p>
<p>その中でも毎年1回必ずお話されるのが「陰陽五行説」です。<br />
何千年も前から、伝えられている50年周期の説です。</p>
<p>それに、自分の50年の人生ヒストリーを重ね合わせると、ちょっと面白いですね。</p>
<p>現在は、教育の時代、後3年もすれば、経済台頭期・・・<br />
抗うことのできない、見えない時代の流れに、それとなく自分の生き様を重ねてみると、これからの行くべき道がおぼろげながら、見えてきます。</p>
<p>私も人生、2週目に入ってきました。あらためて、為すべきことを<br />
今、模索しております。