エンタメ業界救済の施策「Go Toイベント」が始まるが、

その他の、トラベル、イート、商店街ほど、うまくいくのだろうか・・・

そもそも「観客の入場者数」に限界があるし、日頃から「観劇」の習慣のある人がどれほどいるのか・・・

 

観劇の問題点は、働き方改革と一体化しないとなかなか促進されないのではないか。

コロナ禍ということではなく、根本的な観劇環境の問題。

 

文化・芸術との関わり方は休暇や働く時間など他の要因が大きい気がするのは私だけだろうか・・・

 

この際、休暇の平日分散化や時短勤務など、「もう同じ時間に出勤して、同じ週末しか休めない」『皆同じ働き方』を改革する良いキッカケのような気がするんだけど。

 

私は、結構自由にしているので、ノンストレスで働いているのでそう思う。

 

 

10月も後半になり、朝夕と昼間の寒暖差が大きくなってきています。
コロナ禍の中、体調管理をしっかりしていたいものです。
毎年、台風や豪雨そして地震など、日本国中どこかで、災害が起こり、残念ながら多くの方々が、命を奪われたり、家屋などの財産が脅かされたり・・・
しかしながら、災害列島と呼ばれている日本において災害0は望めないことと、その対策に慎重を期したいものです。
日頃から、避難用具の用意・補充などを欠かさない、避難ルートの確認、家族との連絡系統の確認など「いざという時の緊急体制」はまさしく自助・共助としては必要不可欠です。
先日、豪雨などで、浸水しやすい地域のことなどをテレビでやっていました。
その土地の成り立ちにその原因があるようです。
今は、住宅地であっても、昔は河川が通っていた土地とか、埋立地で海に近かったとか・・・・・
国土地理院の地図には様々なテーマの地図があります。ハザードマップなど。
その中でも、昔の土地の状況がわかる地図などもあり、その高低差で浸水しやすい土地かどうかも推測できたりします。せめて自分の住んでいる地域の情報は理解しておきたいものです。
「災害は忘れてころにやってくる」と言われていましたが、昨今は「災害は忘れていないのに、やってくる」くらい、頻繁になってきています。
自らの命は、自ら守る備が必要な時代です。
https://www.gsi.go.jp/syoukai.html

新型コロナウイルスとの共存生活も慣れてきたのか、

マスク着用、入り口での消毒など、少し緩くなってきた感がありますね。

「大丈夫」って思っているのだろうか・・・・

 

ルーティンになればそれも苦にならないので、最低限の感染予防はやり続けたいものです。

 

テレビでもコロナ対策の「様々な新たな取り組み」が紹介されていますが、

まぁ、テレビや新聞で紹介されるときは、すでに情報としては、「古い」けれども、

とはいえ、皆がその情報を知っているわけではないので、ここで少し、紹介したいですが・・・

 

 

ある、スーパーの取り組みです。

ショッピングカートにレジがついているというもの、

コードをその場で読み込みカートに乗せる。

レジに並ぶ必要もなく、支払いは事前登録カードの引き落とし。

これで、並ぶ必要もなく、自分の欲しいものを買って、そのまま帰宅へ。

レジの人員削減にもなり、お客さんの滞留も防げる、また商品補充も迅速にできると、一挙三得って感じですね。

 

これからは、非接触がキーワードになるだろうと思っていましたが、

まさしく、

店員との接触頻度も低く、キャッシュの出入りもなく、これからはその方向に向かうのではないでしょうか・・・

 

レジカート(仮称)*のコストパフォーマンス次第ですが・・・・

 

 何年も前から、注目し、興味があったんですが、なかなか行けなかったこのイベントにやっと行くことができました。
六甲の既存の施設(六甲ケーブル駅、六甲オルゴールミュージアム、ガーデンテラスなど)を周遊する形で、アートを配置し、また使われなくなったホテルや空き地もうまく活用し、各施設への誘引もしっかり考えています。
六甲の自然を借景に様々なアートがその存在感を競っていた気がします。
アートそのものの優劣は各人の好みもありますので、そこの感想は、見た方々にお任せしますが、
プロモーション的観点で言うと、やはりアートの吸引力は確かにある気がします。
アートがないと、既存施設をゆっくり回っていたかどうか・・・・
その動議づけにはなっていましたし、その魅力を再発見したように思います。
地方活性化に、アートはよく取り上げられますが、アートの力もそうですが、その借景たるその土地力が大切だと思います。それは、自然であり、その地域の物産であり、迎え入れる人々の包容力であったり、、、その地方のオリジナルPRポイントが何かを明確に伝えることが必要です。
そして、決して自己満足にならない「魅力の判断は、こられた方々の満足度」が一番重要と考えます。

10月は神無月。

全国の神様が「出雲国」に集まって、留守にするからと言われています。

なんとも、ロマン溢れる話です。

 

神様の年1回のMTGらしい。

 

島根県出雲、毎年、仕事で訪れるその地は確かに何か「空気感」が違う気がします。

 

初めて、その地にいったのは、高校3年の大学受験。

共通一次試験が終わって、二次試験のためです。

島根大学、教育学部体育学科。実技試験を受けに行ったのを思い出します。

2次試験の割合が他の大学と比べて比較的高かったので、全国から受験生が集まって来ていました。

その瞬間、「皆同じこと考えるんやなぁ、これはあかんわ」と受ける前から、諦めてた気がします。

案の定、浪人生活が始まりましたが・・・・・

 

その際に、「もう島根には来ないだろう」ということで、出雲大社まで行きました。

あの大きく太い国内最大級のしめ縄を見るために。

 

あれから、35年近く経って、再びその地を仕事で訪れました。

 

若かりし頃の受験時代にフィードバックしました。

日頃忘れている潜在意識に潜んでいる「思い出」がすーっと現れる。

出雲大社から、西へ「神迎の道」を歩いていくと、海岸に行き着く。

そこはまさしく、神出ずる海のようだ。

目に焼き付いたその光景は、今も目を閉じるとはっきりと浮かんできます。

 

神がまさしく、舞い降りるような美しい海と空。

 

「神さん」は人々の心の中に、必ずいてる気がします。

 

コロナ禍の今こそ、それを信じていたいものです。

 

 

やっと、秋らしい気配が漂う中、新型コロナウイルスで制限されていた、

イベントにおける入場者の人数が緩和されることが決まった。

 

未知のウイルスとの闘いで、3密回避、換気、など多くの人が集まるイベントに、そのリスク回避もあって、制限がかけられていたが、最近の感染者の拡大に一定の歯止めがかかってきたこと、感染拡大の状況がわかり始めたことを踏まえた処置だろう。

 

演劇、映画、歌舞伎などは満席を容認する一方ライブハウスやナイトクラブのイベント、キャラクターショー、競馬など、つい声を出してしまいそうなイベントは制限がかけられたまま。

 

まぁ、一定の基準が緩和され、主催者サイドの判断に委ねられたということ。

しかしながら、一気に緩和して、クラスターが発生したら、と思うと、「はいそうですか」とはならないだろう。

 

どうも、「赤信号みんなで渡れば怖くない」式で、他のイベントや、競技などを鑑みながら、判断していくことになるような気がする。

感染は、防御しても、100%防ぐことはできないことを前提に考えなければならない。

対策を十分に取っていても、「もしかしたら」はある。

そんなとき、クラスターがでたら、我先と批判の嵐は目に見えている。

 

感染者の発生よりも、そのバッシングの嵐を恐れて、主催者が思い切って開催できない、

その風潮を改めない限り、ビフォーコロナには戻らない気がする。

 

人々の思考がWithコロナに、まだ追いついていないことが、一番気になることである。

 

 

先日、8月25日に『大阪・関西万博』のロゴマークが決定しました。
応募総数5894作品の中から最優秀作品が発表され、
今後、大阪・関西万博の告知ポスターや、グッズなどに活用され、2025年に向けて機運を盛り上げるために活用されていきます。
最終5作品から選ばれた、「最優秀作品」については、賛否両論が巻き起こっています。
良い作品・悪い作品としての評価は今後時間の経緯の中で判断されるのでしょう。
まぁ誰もが、好き嫌いがありますし、その価値基準も人それぞれなので、選ばれた作品に対しては、
異論もたくさんあるようです。
デザインに100点満点はありません、正解・不正解もありません、百人いれば、百人の意見・感想があります。
思えば、1970年の大阪万博の時、私は小学生1年。ワクワクな思い出しかありません。
そして、太陽の塔がそのレガシーとして50年たった今でも、その理念を伝えています。
しかしながら、当時「太陽の塔」へのバッシングはもの凄いものだったようです、後のテレビなどで知っただけですが・・・・
まぁ、岡本太郎さん自体が世間へのアンチテーゼの代表だった気もしますが・・・・
来る2025年、あと、5年しかありません。
そこに向かって、長年イベント業界でお世話になっている私としては、恩返しできることが無いかを考えます。
2025年の大阪・関西万博への想いはある意味、私自身のイベント業界での総決算と言えるかもしれません。
感謝と恩返し!
しかし、
ロゴマーク、見れば見るほど、味が出て来た・・・・・不思議な魅力があります。
「非日常」というキーワードが、イベント業界の解決の糸口になるかもしれないと思います。
その「非日常」を欲している人が誰かがわかれば、そこにアプローチする。
興味のない人に、いくらお得だよって言っても、購入してもらえないのと同様です。
行きたい、欲しい、見たい、やりたい、・・・・・欲望がそこにあれば、あとは、一押しかもしれません。
しかしながら、誰がどんな欲望を持っているかなんて、分かりません。
なので、マーケティングが必要なんでしょう、しかし今や状況的に待ったなし、です。
今ある、資産をどう活用するか、、、、、
面白い記事を2つ見つけました。
一つは、前回も書きましたが、普段はなかなかその場で演奏やパフォーマンスのできない素敵なプロの舞台で、普段触れないピアノで演奏できるという企画です。
もう一つは、この「コロナ禍」だからこその企画です。
尼崎のアルカイックホールが企画した「最高級のグランドピアノを奏でよう」
小中高生をターゲットに、ホールにある「スタンウェイ」を弾くことができ
「一流のアーティスト」気分を味わってもらえるイベントです。
子供たちもさることながら、親御さんのザワメキが聞こえてきそうです。
また、もう一つは、運行されていない、バスの倉庫巡りイベントです。
鉄ちゃんならぬ、バス大好き人間にとっては、涎ものかもしれません・・・・
この2つの事例でわかることは、ターゲットがしっかりしていることです。
ピアノ大好きな小中高生、バス大好きなマニアの人たち。
どんな業種でも、マニアは必ずいます。
その塊に「マニアが欲するイベント」をアプローチすれば、ビジネスモデルが生まれる可能性が高まると考えます。
日常の出来事を、反転して「非日常」にかえる仕掛けがあれば、人は興味を持ちます。
また、「今だけ」という期限性も必要です。いつでもできる、いつでも見れるでは人は動きません。
今を逃せば、「次」はない・・・そんなある意味恐怖感に人は弱いものです。
イベントは人を集めることが本質ですが、そこは今は難しいのであれば、配信などいろんな手法があります。
イベントは「非日常」であり、「期限性」「仮設」なもの、そこに人の心理をくすぐるヒントがあります。
マニアをくすぐる施策を見つけたいものです。
イベントとは、「ある目的を達成する為」に、期限が設けられ、仮設で、かつ非日常を演出するものという定義があります。
コンサートしかり、演劇しかり、オペラしかり、歌舞伎しかり・・・
また、プロモーションイベントもそこを意識します。
例えば、優秀営業マンの表彰式なんかは、日頃の優秀な成績をあげた営業マンに「高級ホテル」の大舞台で演出照明に照らされ、大音響で迎えられ、選ばれし人だけが味わう授賞式として、非日常感を演出します。
成人式や入学式もたった一度の「その時」を盛大に演出し、祝います。参加者も、着物やスーツに身を固めて、非日常に酔いしれます。
日常からの解放こそが、「イベントの醍醐味の一つ」と言えます。
25年ほど前に、ギリシャのアテネに仕事で行かせてもらいました。
ヘロディス・アッティコス音楽堂でのイベントです。
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アクロポリスの丘南側のスロープを利用して建てられたこの音楽堂は二世紀に、ヘロデス・アティコス(現代ギリシャ語読みだとイロディス・アティコス)という人物によって建てられました。
(出典:トラベルコ)
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その伝統のある古代劇場で、「日本の今の文化・芸術をアテネ市民に見てもらう」をコンセプトにジャパンフェスのようなイベントです。
出演者は、アマチュアの演奏者たちや、ダンサーたちです。お世辞にもブラボーとは言えません。
が、渡航費も出演費用も自分達持ちです。出演者もさることながら、応援しに一緒に来てる人たちもいます。詳細は忘れましたが、総勢20チームくらいはいてたでしょうか・・・・
太鼓団体あり、コーラスあり、パフォーマンスあり、・・・・日頃の成果をギリシャのアテネの古代劇場で披露する、なんと贅沢なお披露目の場でしょう。アテネの人たちも、極東のパフォーマンスに、ある意味魅せられていたのかもしれません。
これこそ、「非日常」です。
出演者の人たちは、一生に一回ということで、高額の渡航費用を支払っても、そのイベントに出演したいと考えたのでしょう。日頃は、地元の公民館や市民会館でのお披露目を超有名な劇場ですることに大いなる意味があったのでしょう。
私は、ステージ進行スタッフとして、アテネ、その後ニューヨークのカーネギーホールにも行かせていただきました。
このイベントの面白さは、出演者がイコールクライアント(お金を出す側)であるということ、
宿泊、渡航旅程などは旅行エージェンシーが取りまとめをして、イベントの仕切りは我々イベント会社が行う、というまさしく三方良しのイベントです。
コロナ禍で、瀕死のイベント業界ですが、「非日常」のキーワードを紐解くと、その解決策の一つが浮かび上がってきます。
できないことを嘆くより、できることを考えたい。
次回は、そんな取り組みについて書いてみたいと思います。
ツꀀ 昨日、8月24日、政府は村型コロナウイルス対策の分科会において「大規模イベントの参加人数を5,000人以下とする措置について、9月末まで延長すること」を決めた、というニュース。
結果、プロ野球やJリーグ、大型コンサートは、現状の5,000人以下での開催を余儀なくされるということ。
一方、海外ドイツでは興味深い実験が行われている。
2,000人の観客(ボランティア)を会場に入れて、屋内イベントの感染実験を行なったというニュース。(記事出典:Forbes JAPAN)
感染拡大に対する対策は必要不可欠ではあるけれども、「できないのであれば、できるためにどうするかの対策」を考える方向性と、「できないのであれば、規制をするしかない」方向性。
どちらもある意味正しいとは思うけれども、
感染で影響のある命と、経済を止める・規制することで止まる命もあることを考えていかなくてはいけない時期ではないか、2月ごろから既に半年。様々な業界への影響は計り知れない。
我々イベント業界は休業要請を直接要請されているわけではない。従って保障もない。
しかしながら実情は「開店休業状態」
人が動かないことは、イベントが開催されないということ。
本来の「人をたくさん集める」ことがイベントの本質であるならば、「人を集めてはいけない」はその本質に真っ向反対のことを余儀なくされている。
大型イベントへの規制が緩和されない限り、中小規模のイベントはさらに開催しずらいことに変わりない。
エンタメ系のアーティストやミュージシャン、舞台俳優の方々だけではなく、裏方の音響・照明・映像・大道具・特殊効果・舞台監督、進行スタッフなど、舞台やイベントを支えている様々な裏方スタッフが職を奪われかねない。
長年の経験やノウハウを持った優秀なスタッフが消えていく恐れ。
何よりも、それが怖い。
インベント再開!に彼らの存在無くしてはできない。
ならば、少しずつでも、「開催できる方策」を考え出し、スタッフを守って行かねばならない。
イベント業界の構図的には、クライアントがいて、「コンテンツ」を企画・演出して、実施計画のもと、開催されていくもの。
スタッフが自ら動いても限界がある。ある意味そのイベントを実施構想するクライアントが必要だ。
リアルイベントを待っている観客はいる。
「見えざる疫病」と闘いながら、なんとかイベント業界の灯りを消さない、イベントスタッフが再び活躍する場を取り戻したい、と切に願うばかりだ・・・・・・

2025年大阪・関西万博の正式ロゴマークの最終候補5作品が発表された。8月下旬ごろには決定されるようだ。

 

ロゴマークで思い出すのは、東京オリンピックの際のゴタゴタ・・・・

どこかのロゴと似通っていると問題になって、再考して決まった例の市松模様のロゴ・・・・

しかし、全世界、「新型コロナ」騒動に巻き込まれて、東京オリンピック自体が1年延期となる。

というか、全世界それどころじゃない・・・・・

果たして来年2021年に無事オリンピックが行われるのだろうか、今の世界の状況を鑑みるに悲観的にならざる得ない。経済的な損失ばかりか、世界のアスリートの胸中いかばかりか、4年に一回の「その時」に目標を定めてきた彼らにとって、それは・・・・・言葉も出ない。

 

本当に、「新型コロナ」が世界を変えた、また今後の世界の在りようすらも不明確だ。

 

そんな時代、5年後、大阪に万博がやってくる。

 

思えば、19790年大阪万博の時、私は、小学1年、・・・・

大阪に住んでいた私に家に会った事もない「親戚」もどきの人たちが、ひっきりなしに期間中泊まりにきていた気がする。大阪万博に行くために、泊まるところが無かったのかもしれない。

 

とにかく皆「アメリカ館の月の石」目当て・・・・・

 

小学1年の私がどこまで理解していたか、今となってはどうかわからないけれども「大阪万博」時代の日本の熱気だけは今も思い出す。世の中全体が、熱く前に進んでいる感じ、まさしく高度経済成長期真っ只中。

ウキウキ・ワクワクした時代と言っても過言ではないだろう。

 

そう思うと、2025年が楽しみでならない。賛否両論色々言いたい人もいるだろうけれども、やはり、「心躍るようなイベント」が大阪で開催されることは確かなこと。

辛いこと、嬉しくないことが多い昨今の事情を考えると、ウキウキ・ワクワクしたいではないか・・・

50年経って、子供の頃に戻れるようなそんな感覚に・・・・・

 

 

イベント業界にお世話になっている身としては、大阪・関西万博で、是非恩返しをしたいものだ・・・・・

 

 

新型コロナウイルス、「夏になると落ち着くから秋冬のために対策を」とテレビのワイドショー。
しかしながら、残念ながら、7月に入って陽性者数は増加の一途。
一方、その数の増加にも関わらず、重傷者数・死亡者数は、増えていないことは幸いと言うべきだろう。
また、陽性者を年齢別に見てみると、圧倒的に20代、30代であることを考えると、若者がその数を押し上げている。
<参考:東洋経済 新型コロナウイルス 国内感染の状況>
https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/
「正しく、恐れる」ことを意識しているので、毎日の陽性者数だけで一喜一憂してはいけない。
一方、大阪では、6日から一部の繁華街の営業が20時までの要請、東京、愛知でも同様な自粛要請が出されている。
当然、各地での対策はその首長が一番理解しているので、その対策に関しては、仕方ないことだろう。
けれども、2月から続いているこの状況下において、皆「もう息継ぎできない」状況まで追い込まれていることは確か。
一部の新型コロナ景気に浴しているところ以外は、個人・零細企業などは、どの業界も同じではないだろうか・・・
コロナの種火が消えない限り、その状況下で暮らしていくしかない。どれほど対策を練っていても気をつけていても、「新型コロナ」に感染するときは、するのだ。
24時間、どこにも行かず、外にも出ず、誰にも会わず、、、そんな生活ができるというのか。
様々な業種でのガイドラインが定められている、基本はそれに則って、最低限できる対策は取る。
それでも、「感染したときは」治療に専念するしかない。また、近くの人々は、「感染した人」を糾弾すべきではない。悪いのはその人ではなく、「新型コロナウイルス」であることを忘れるべきではない。
新しい生活様式なんて言われているけれども、確かに、様々な今までの常識が変化していくだろう。
お酒を飲みながら、口角泡飛ばして熱く議論なんてできない状況。カラオケは、ひとりカラオケのみ、みたいな・・・
キャバクラは、ガラス越しで、動物園状態か・・・・
冗談は別として、本当に様々な業種で変化を余儀なくされている、しかし一方そのような変化を捉えて、
どうニーズをビジネスとして構築するか、そこが勝負のような気がする。
今こそ、次なる時代へジャンプするために、力と知恵を蓄える時間かもしれない。
写真は、
酒造メーカーさんが日頃入れないエリアをオンラインで撮影して、飲食店の経営者の皆さん見てもらい「日本酒」の魅力を伝えるニュース(NHK)
慣れなんだろうか・・・日々感染者数が全国で増えているにも関わらず、
緊急事態宣言時のように、自粛生活に入らない。
身近な人が感染していないからだろうか・・・・
しかしながら、なんとなく「足に鎖を巻かれているような重苦しさ」が拭えない。
当然、マスク着用、消毒液、手洗い、3密回避などを意識してそこはしっかり守りながらも、
適度に、外食もし、プールで泳ぎ、公園をジョギングしている、打合せもオンラインではなく、
同じテーブルで、喧々諤々と・・・・・
流石に、飛沫が飛ぶような状況下には、行かないし、避けているけれども・・・・
緊張感が足りないわけではない。しかしながら、状況は第2波と言っても過言ではない。
イベント業界は、様々なコンペが水面下で活発に行われているけれども、実際にビフォーコロナのようなイベントは難しい。Go To イベントもどこまで効果的に行われるかどうか・・・・そもそも今の状況では無理であろう。
経済社会活動を回しつつ、新型コロナ対策を行うと、政府は言う。
しかしながら、新型コロナがそれでなくなっていくわけではなく、
我々も、「いつか感染するのではないか」と言う諦めに似た感情があるような気がしてならない。
「正しく恐れる」ことが必要だと、分かりながら、状況が一向に改善されない中、Withコロナ生活に慣れてしまったのか。
重苦しい今の状況を打破する施策とは一体何だろう・・・・
Go to トラベルでゴタゴタしております。
一方、全国的に新型コロナ感染者が増大中・・・・
第2波か・・・・・
第1波とはその中身が違うので、対策もそれなりに・・・・
とは言え、相変わらず、団体旅行はダメよの一方でGo to トラベルが始まる。
地域によっても違うとは言え、国民にその判断を委ねるのはいかがなものか・・・・
先日日曜日、大阪駅近辺を歩くと、普段と全く変わらぬ状態、「あれ?新型コロナは?」って感じです。
イベント業界は相変わらず、ですが、少しずつ止まっていた案件が動き出しています。
100%リアルイベントは厳しい中、オンラインを活用したイベントとのハイブリッド仕様。
しかしながら、需要が増えると供給側も過当競争で、値が落ちる。
内容を問う前に、値段勝負みたいな感じ・・・・・
自粛生活でオンラインに慣れている中、簡単にそれができるという感覚。
コンペティションの判断材料が、値段だけになる怖さ・・・・・
何か、違う方向に行っている気がしてならない・・・・・
Withコロナの新しいイベントの在り方がのスタンダードがまだ揺れ動いている。
それでも、必死に「案件」を取りにいく。
「仕事ください」で簡単に仕事がいただけるほど、世の中甘くない。

オンラインイベントにとって、どんなプラットフォームが最適なのかを考える。

 

セキュリティ、顧客管理、アンケート収集・分析、インタラクティブなチャット機能、アーカイブなどなど、その用途・機能は様々です。

無料のものもあれば、有料のプラットフォームもあります。

 

リアルイベントとオンラインイベントのハイブリッドを目指す時に、ゴール地点を設定し、そのイベントの目的・成果をどこに設定するか、そしてそこへいくための手法を考えます。

BtoBなのか、BtoCなのか、、、、、

 

予算は、なるべく抑えたいのは、どのイベントも共通の課題だけれども、それだけを解決できればいいというわけでもない。

必要な機能を効果的に活用し、そのイベントをより鮮度の高い、より良いイベントに仕上げるかが問われています。

 

しかし、本当に色々なプラットフォームがあるもので、この新型コロナ騒動前から、開発していたんだろうことを考えると、一気にこれらのプラットフォーム合戦が始まった気がします。