七夕の季節になると思い出します。
残念ながら、淡い恋物語などではなく、「巨大七夕購入事件」です。
今から、35年ほど前になります。
大学生の私は、友人と「何でも屋」を共同経営していました。若さだけが取り柄の「何でも屋さん」です。
友人のほか、学生連中にアルバイトを斡旋する、人材派遣業のはしりです。
ワンルームマンションに固定電話を引いて、チラシをポスティングすることから始まりました。
当時は、インターネットはもちろん携帯電話もない時代です。
情報をつかむことはそれだけでビジネスのタネを掴むようなものです。
「知っていることがノウハウ」の時代
タウンページという黄色の分厚い本しか情報源はありません。
そんな時代です。チラシのポスティングだけで、いろんな相談電話がありました。
「何でも屋さんですか?換気扇洗って欲しいんですけど・・・・」
「結婚式の披露宴の余興して欲しいんですけど・・・・」
「吉本新喜劇の大道具を運んで欲しいねんけど・・・」
などなど、個人から会社まで、実に様々な依頼が舞い込んできました。
七夕が近づいた初夏の頃です。
「平塚の巨大七夕を運んで欲しいねん」
平塚の七夕ってなんや?
聞いてみると、神奈川県平塚市で開催されている「平塚七夕まつり」(現在は湘南ひらつか七夕まつり)の巨大な七夕の飾りを運んで、大阪の商業施設に飾るらしい。その運搬の仕事です。
どういうルートで話をつけたのかはわかりませんが、「平塚七夕まつり」が終わった夜の撤去のタイミングに行って、お金支払って、引き取る仕事です。
アルバイトスタッフと2人で運転を替わりながら、平塚まで行き、無事巨大七夕を大阪へ運び終えました。
今考えると、用無しになった巨大七夕を安値で買い上げて、リユースする。
「平塚の七夕」というブランドが必要だったんだと思います。
大阪の商業施設では、その後1ケ月の夏商戦で「七夕まつり」が開催されて、大いに賑わったものです。
我々の何でも屋は、大きなビジネスモデルの隙間を埋めるような仕事が多かった気がします。
誰もやらない、やりたがらない隙間の作業。
しかし、その隙間から見た風景はキラリと光るビジネスチャンスの宝庫でもありました。
若さ故、その後、何でも屋は分裂して、終わりを告げます、2年弱の活動でしたが、そこで得た経験は今もなおビジネスチャンスのタネを見つける視点を持たせてくれています。
ちなみに、その後商業施設での「七夕まつり」
「巨大な水槽作ってな、的に当たったら、水槽に落ちる人探してんねんけど、やってくれるか!」
1ケ月、我々は、誰もやりたがらない、巨大な水槽に1日何度も落ちる羽目になりました。
あの頃は、なんも怖いものが無かった気がします・・・・・

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