20年ほど前、取引先の担当から、「イベント屋さんほどイベント見てないよね」って言われてからなるべくお金を払ってぴあでチケット買って見に行くようになった。芝居、オペラ、歌舞伎、クラシック、スポーツ、ジャンルを問わず、観に行った時期がある。時間とお金を使って見る価値があるかどうか・・・イベントの成否は結局のところそこに行き着く気がする。また、「イベント見たい観たい」が再発してきたな・・・・
2014年から携わっている近大入学式、11年目の春が無事終了。
手探りで始めた様々な演出や構成も、紆余曲折があったけれども、
11年目の今年度はその集大成の如く、新入生の大盛り上がりで幕を閉じた。
本当に、小さなミスや大きなミスを重ねながらも、その課題を潰しつつ、
毎年制作させていただいたことに感謝。
そして、何よりも新入生の笑顔が満開になることを最終目的に、
スタッフも寝る間を惜しんで頑張ってくれた。
半年に渡る準備が報われたことに、ホッとするとともに
収録した映像を見ながら、自分自身、小さなミスを探しているが、
今日ぐらいは感謝に浸っても良いだろう。
イベント屋冥利に尽きるなと思う。
2024(R6)入学式
https://www.youtube.com/watch?v=DX47E-WWFBQ&t=1660s
ウェルカムパフォーマンス
先日、和歌山ポルトヨーロッパにて、「ドローンパフォーマンス」を初めて見た。
テレビなどでは東京オリンピックなど様々な場所でやっているのを見たけれども、
生のパフォーマンスは初めてだ。
イベント屋としては、向学のためには是非とも見たかったので、タイミングとしては、良かった。
気象状況や、場所などの制約があるだろうけれども、10分間のパフォーマンスはそれなりのショーではあった。
プロジェクションマッピングも各所で行われているし、これからも、それなりに楽しめるパフォーマンスと言えるかもしれない。
これも、技術の進化の賜物だろうし、今後も益々、様々なパフォーマンスを見せてくれるのだろう。
ただし、気象など条件をクリアにしつつ、コスト見合いが課題かもしれない。
ドローンに関しては、流通や防災などの活用も研究されているし、実用化に向けて今後楽しみではある。
是非とも、被災地支援に活用できるように技術的に進化してほしい。
被災状況把握や物資補給など、天候に左右されない進歩を切に願う。
400機のドローンパフォーマンスを見ながら、想いはそちらに飛んでいた。
2023年も、本日をもって仕事納めです。
取引先の皆様、協力会社の皆様、弊社に携わっていただいた皆様に感謝です。コロナが5類に移行し、ようやくイベント業界も以前のような形態に戻りつつあります。しかしながら、3年の歳月で失ったものもあり、新たに再構築していく必要があるのは確かです。時代の移り変わりとともに、様々な技術も進化しています。イベントに求められているミッションを実現するために、日々努力が必要です。2024年は、弊社が創業し、30年目を迎える事になります。人生の半分をこの会社とともに、過ごした事になります。新しい年を新たな気持ちで迎えるととに、原点にかえって、精進したいと思っております。皆様今年は大変お世話になり、ありがとうございました。来年度もどうぞよろしくお願い致します。
1年以上準備してきたイベントの本番が終わった。
演出家の師匠と、二人三脚で仕上げた舞台。
300名を越す出演者との調整・個別練習と合同練習。
音楽監督との打合せ、そして曲の収録、録音、
映像クリエーターとの映像製作の打合せ。
それぞれのセクションのプロフェッショナルたちと創り上げた舞台。
役割はそれぞれだけれども、一枚岩になれた気がする
長期間の準備中に沸々と湧き出る確執を乗り越えて、最後は同じ方向で舞台づくり。
演出家の想い、音楽パート、映像パート、そして舞台監督としてのミッション。
変なストレスがない中、舞台づくりに集中できた現場。
4大行幸啓の一つ・国民文化祭、やはりロイヤルがご臨席すると、空気感が変わる。
なんだろう、表現足らずだけれど、「優しさに包まれる」とでも言うのだろうか、、、
本当に、「穏やかな気持ちにさせられる」イベントだ。
この仕事に携われた、喜び、感謝、誇り、言葉では表現できないほどの想いが
心の奥底から溢れ出す。
もう何度も、ブログに書いているが、「奇跡の同窓会」再び・・・
1990年大阪鶴見緑地を舞台に、「国際花と緑の博覧会」が開催された。
国際博覧会協会(BIE)が、園芸博という特定の部門にテーマを限定した認定博。
2025年に開催予定の大阪関西万博は、登録博で、過去は、1970年の日本万国博覧会と、1975年の沖縄国際海洋博覧会が該当する。
話は、戻って、1990年の花博当時、私は26歳の若手だった。
そして、民間パビリオンのスタッフとして参加。
りそな銀行を中心に(当時は大和銀行)関西で生まれた企業40社が集まって出展した「大輪会水のファンタジアム」パビリオンの催事ディレクターとして勤務。
4月から9月まで、183日間の会期中、実に様々なイベントを企画、実施した。
屋外で、パビリオンに入場するまでの待ち客対策だ。
いかに、「待っていることを忘れてもらうか」が最大のミッションだった。
ミニコンサートあり、トークショーあり、パフォーマンスあり、またドリンクサービスあり、またペガサスをモチーフしたキャラクターマスコットのてんまくんは、お客さんの癒しとして、人気者に。
パビリオンも、出展企業としては、1〜2位を争うぐらいの人気に。知名度が上がれば上がるほど、待ち客対策が重要になったものだ。
暑さや、雨、風邪などの自然との闘いのほか、マスコミが結構殺到してきたので、そこの対応も大変だった。
マスコミ対応で、一番記憶に残っていることが、
会期も真っ只中の8月1日。その年も異常な夏の暑さだった記憶がある。
明確に日にちを覚えているのは、その日が「水の日」だったから。「大輪会パビリオン」のコンセプトは、『生命の根源・水』だったので、この日はとりわけ、いろんなイベントを実施した。
特に、お客様の前で2メートル以上ある氷の塊をおので削ってキャラクターてんまくんを作る氷像パフォーマンスは、清涼感を伴い、お客様の目を楽しませた。
そして、夕方近くに事件が起きた。
マスコミのテレビクルーが「てんまくんの着ぐるみを脱ぐところを撮影させて欲しい」と言っている、と広報担当。
しかし、着ぐるみをお客様の前で脱ぐことは御法度だ。
着ぐるみは、人が入っているのではなく、夢や憧れが入っているのだ。
汗をかいた、暑いと言っているバックヤードを見せることはできない。
その後、
マスコミと一悶着があったが、お互いの言い分を伝え合って、なんとか乗り切った気がする。
あれから33年・・・
いまだに、当時の館員、スタッフ、コンパニオンが集まり同窓会を開催している。ここ最近は、コロナ禍で延期になっていたが、基本2年に1回開催という、継続開催。
イベントは一期一会で、これほど続く同窓会を私は知らない。
以来、「奇跡の同窓会」と呼んでいる。
残念ながら、お亡くなりになられた方もいらっしゃいます。ご冥福をお祈りします。
そして、この同窓会開催に尽力しているコンパニオンの皆さんに感謝です。
今年も、また来月に開催される。
残念ながら、私は別件本番で欠席となるが、あの頃の笑顔を思いつつ盛会を祈りたいと思う。
2年後に迫ってきた『2025年日本国際博覧会(略称「大阪・関西万博」)』
1970年の大阪万博と比べられるが、時代背景も状況も違っている中で、そこを論じても答えはない。
また、東京オリパラでの不祥事が解決されていない中、疑念があることも確かである。
何が正解かどうかはわからないけれども、地方博含めて、大規模イベントが地方活性化の起爆剤の一つであることは間違いない。
ただ、あくまで起爆剤であり、「その後」が大事である。
花火と同様、打ち上げた美しさに見惚れていてもダメ。
その実績をどのように未来へ繋げていくかが重要である。
1970年の大阪万博のレガシーは間違いなく、「太陽の塔」であろう。
当時、大きな反響があったことは、のちにメディアなどで知ることになる。
50年以上経って、岡本太郎のメッセージの意味が伝わっているのではないだろうか。
テーマ「人類の進歩と調和」とは如何なるものか・・・
しかしながら、「万博」開催自体は、賛否あれどもその後の日本の繁栄を世界に知らしめたことは間違いない。
そして、2025年、再び行われる万博。
どんなレガシーを残すことができるのであろうか。
40年近く、イベント業界でお世話になっているからこそ、その意味を考えたいと思う。
2020年、6月新型コロナウイルス感染症が猛威をふるい、世界中がこの先どうなるのだろう、と不安しかなかった時期に、マーケティング勉強会「オンライン内海塾」がスタートしました。
内海塾自体は20年前から開催され、私の人生において欠かすことのできない勉強会です。
WEB会議が、一般化したこともあり、オンラインでの講義も普通になっていました。
実際は、マーケティング以外にも示唆に富んだ話題を常に提供いただき、
人生における指南書のような講義です。
迷ったり、戸惑ったりしつつも、王道を忘れることなく、戻るべき場所に連れて行ってくれます。
コロナ真只中の2020年から3年弱、オンライン内海塾は30回を数えました。
人と会えない、人が集まれない状況下で、このオンライン内海塾での講義は得難い体験となりました。
昨日、ひとまず第一期が終了しましたが、改めて内海塾長との出会いの不思議さと有り難さを思います。
「出会い」は決して偶然ではなく、必然なのだろう。
なぜなら、一つの「出会い」が自分の人生の転機となることが多分にあることは、今までの人生を振り返ってみて、心底感じ、信じられるからだ。
またの再会を楽しみに、もう少し自分自身を磨いてみよう。
<参考サイト>
内海新聞
https://www.facebook.com/utsuminewspaper
全国内海塾
https://www.facebook.com/utsumijuku
2002年、日韓共催サッカーワールドカップから、早20年がたちました。
私も、神戸会場の担当ということで、IDカードをいただき、連日会場に足を運んでいました。日本戦は行われませんでしたが、各国のユニフォームで現れた沢山のサポーターを見て、どこから現れたんだみたいな感じで驚いた記憶があります。
世界的なスポーツ大会でもとりわけサッカーのそれは全世界中を熱狂の渦に巻き込んでいます。
「俺関係ないよ」という方もいますが・・・・それも当然ありです。
世界的なイベントは、今大きく揺らいでいます。東京オリンピックを巡る問題は、まだ先が見えません。
そして、2025年の大阪・関西万博にも大きな影を落としていることは確かでしょう。
スモールカンパニーの弊社はある程度決まったタイミングで役割分担の中での業務依頼となりますので、弊社の取引先に頑張ってもらうしかないというのが実情です。
イベント自体の推進にはやはり経験値は必要であり、コンセプト作りから、スケジュール管理、コスト管理、人的キャスティングの配置、などなど実に多岐に渡る作業がある限り1社で制作することは不可能です。なので、弊社のようなスモールカンパニーがそれぞれの得意業務を団結して、制作していく必要性があります。
それは、車や飛行機を製作していく過程で様々な会社が携わるのと一緒かもしれません。
ただし、そのチームのコントロールタワーとなるべきディレクターなり、プロデューサーが重要です。スポーツで言うところの監督という立場でしょうか・・・・
目的達成に向けて、どのように、各社をまとめ上げていくか、まさしくチームワークです。ワールドカップを見ながら、裏方であるイベント作りも実は似ているような気がします。
違うところで、イベント業界が注目されていますが、華やかなその裏側で汗をかいている人々がいることは理解していただきたいものです。
32年前、この業界に入って4年ほど経っていた頃。
1990年4月から9月末まで6ヶ月間、大阪鶴見緑地で、「国際花と緑の博覧会」が開催されました。
何度か、ここでも書きましたが
私は、「大輪会水のファンタジアム」というパビリオンの催事ディレクターとして、現地に通っていました。
国際博覧会のパビリオンともなれば、事務局スタッフはもちろんのこと、表に立つコンパニオン、運営、技術、警備、清掃、物販など多岐にわたるスタッフとの連携・協力が不可欠です。
長丁場なので、実にさまざまなことが起こります。
当時、世界初のウォーターショーということで、ロボットの指揮者による、ウォーターオーケストラが素敵な音楽を奏でるショーがメインでした。口コミでそのショーの素敵さが広がったせいか、電力館と大輪会パビリオンが人気を二分するほどでした。
嬉しい反面、お客さんが殺到することになり、安全かつ満足度を失わないような運営が求められました。
私のミッションは、整理券を求める待ち客対策です。
整理券を得るためにできる行列のお客さんに「待っていること」を忘れさせるイベントの実施が求められました。
また、当時40社の連合体の大輪会グループでしたので、企業の日ということで、40社の企業のイベントを併せて企画し、実施するために、連日企業周りをしたものです。
その甲斐があり、大輪会は大盛況のうちに終了し、その後も同窓会を毎年開催するなど、今なおその当時のチームワークが残っています。
残念ながら、亡くなった方もいらっしゃいますが、このイベントを通じてイベント業界だけではなく、実に様々な企業の皆さんと作り上げたこと、今も誇りに思いますし、
私にとってのイベント業界人生でも一際心に残る催事の一つです。
2025年には大阪・関西万博が開催されます。
賛否はありますが、やはり楽しみです。
コロナ禍で、人が集まることを良しとしない風潮が蔓延しましたが、
改めて、イベントの必要性、イベントの持っているパワー、人を笑顔にする、人の心に突き刺さるものがることも実感したに違いありません。
私にとってものカウントダウンのイベント業界人生において、どんな万博になるのか、非常に楽しみです。
昨日は、当時一緒に働いていた先輩と懐かしい話に盛り上がりました。
共有できる日々を過ごした、先輩・後輩・同僚たちと、また一杯飲みたいものです。
Thank you for ALL.
*写真は、キャラクターてんまくんの氷像パフォーマンスの作品です。
真夏の日に、氷像職人さんにその場で製作してもらいました。たくさんのテレビなどの取材を思い出します。