Category Archives: 業務実績

先日、和歌山ポルトヨーロッパにて、「ドローンパフォーマンス」を初めて見た。
テレビなどでは東京オリンピックなど様々な場所でやっているのを見たけれども、
生のパフォーマンスは初めてだ。
イベント屋としては、向学のためには是非とも見たかったので、タイミングとしては、良かった。
気象状況や、場所などの制約があるだろうけれども、10分間のパフォーマンスはそれなりのショーではあった。

プロジェクションマッピングも各所で行われているし、これからも、それなりに楽しめるパフォーマンスと言えるかもしれない。

これも、技術の進化の賜物だろうし、今後も益々、様々なパフォーマンスを見せてくれるのだろう。
ただし、気象など条件をクリアにしつつ、コスト見合いが課題かもしれない。

ドローンに関しては、流通や防災などの活用も研究されているし、実用化に向けて今後楽しみではある。
是非とも、被災地支援に活用できるように技術的に進化してほしい。
被災状況把握や物資補給など、天候に左右されない進歩を切に願う。

400機のドローンパフォーマンスを見ながら、想いはそちらに飛んでいた。

 


2024年・令和6年になりました。
新年早々令和6年能登半島地震が発生。
お亡くなりになられた方々に、お悔やみ申し上げるとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。昨年は1年以上にわたって準備した本番のために、石川県に頻繁に通っておりましたので人ごとではありません、出演者の皆さん、スタッフの皆さん、どうか無事でいて欲しい。僕ができることがあれば、なんとか手助けをしたい、そう思っています。
まだまだ、余震が続いています、どうか無事でと祈るだけです。
今日は5日、仕事始めです。
まだまだ、必要とされるなら気張りたい。
一期一会、常にその気持ちを忘れずにいようと思います。

2023年も、本日をもって仕事納めです。
取引先の皆様、協力会社の皆様、弊社に携わっていただいた皆様に感謝です。コロナが5類に移行し、ようやくイベント業界も以前のような形態に戻りつつあります。しかしながら、3年の歳月で失ったものもあり、新たに再構築していく必要があるのは確かです。時代の移り変わりとともに、様々な技術も進化しています。イベントに求められているミッションを実現するために、日々努力が必要です。2024年は、弊社が創業し、30年目を迎える事になります。人生の半分をこの会社とともに、過ごした事になります。新しい年を新たな気持ちで迎えるととに、原点にかえって、精進したいと思っております。皆様今年は大変お世話になり、ありがとうございました。来年度もどうぞよろしくお願い致します。

 

1年以上準備してきたイベントの本番が終わった。

演出家の師匠と、二人三脚で仕上げた舞台。

 

300名を越す出演者との調整・個別練習と合同練習。

音楽監督との打合せ、そして曲の収録、録音、

映像クリエーターとの映像製作の打合せ。

それぞれのセクションのプロフェッショナルたちと創り上げた舞台。

役割はそれぞれだけれども、一枚岩になれた気がする

 

長期間の準備中に沸々と湧き出る確執を乗り越えて、最後は同じ方向で舞台づくり。

演出家の想い、音楽パート、映像パート、そして舞台監督としてのミッション。

 

変なストレスがない中、舞台づくりに集中できた現場。

 

4大行幸啓の一つ・国民文化祭、やはりロイヤルがご臨席すると、空気感が変わる。

なんだろう、表現足らずだけれど、「優しさに包まれる」とでも言うのだろうか、、、

本当に、「穏やかな気持ちにさせられる」イベントだ。

 

この仕事に携われた、喜び、感謝、誇り、言葉では表現できないほどの想いが

心の奥底から溢れ出す。

もう何度も、ブログに書いているが、「奇跡の同窓会」再び・・・
1990年大阪鶴見緑地を舞台に、「国際花と緑の博覧会」が開催された。
国際博覧会協会(BIE)が、園芸博という特定の部門にテーマを限定した認定博。
2025年に開催予定の大阪関西万博は、登録博で、過去は、1970年の日本万国博覧会と、1975年の沖縄国際海洋博覧会が該当する。

話は、戻って、1990年の花博当時、私は26歳の若手だった。
そして、民間パビリオンのスタッフとして参加。
りそな銀行を中心に(当時は大和銀行)関西で生まれた企業40社が集まって出展した「大輪会水のファンタジアム」パビリオンの催事ディレクターとして勤務。
4月から9月まで、183日間の会期中、実に様々なイベントを企画、実施した。
屋外で、パビリオンに入場するまでの待ち客対策だ。
いかに、「待っていることを忘れてもらうか」が最大のミッションだった。
ミニコンサートあり、トークショーあり、パフォーマンスあり、またドリンクサービスあり、またペガサスをモチーフしたキャラクターマスコットのてんまくんは、お客さんの癒しとして、人気者に。
パビリオンも、出展企業としては、1〜2位を争うぐらいの人気に。知名度が上がれば上がるほど、待ち客対策が重要になったものだ。
暑さや、雨、風邪などの自然との闘いのほか、マスコミが結構殺到してきたので、そこの対応も大変だった。

マスコミ対応で、一番記憶に残っていることが、
会期も真っ只中の8月1日。その年も異常な夏の暑さだった記憶がある。
明確に日にちを覚えているのは、その日が「水の日」だったから。「大輪会パビリオン」のコンセプトは、『生命の根源・水』だったので、この日はとりわけ、いろんなイベントを実施した。
特に、お客様の前で2メートル以上ある氷の塊をおので削ってキャラクターてんまくんを作る氷像パフォーマンスは、清涼感を伴い、お客様の目を楽しませた。
そして、夕方近くに事件が起きた。
マスコミのテレビクルーが「てんまくんの着ぐるみを脱ぐところを撮影させて欲しい」と言っている、と広報担当。
しかし、着ぐるみをお客様の前で脱ぐことは御法度だ。
着ぐるみは、人が入っているのではなく、夢や憧れが入っているのだ。
汗をかいた、暑いと言っているバックヤードを見せることはできない。
その後、
マスコミと一悶着があったが、お互いの言い分を伝え合って、なんとか乗り切った気がする。

あれから33年・・・
いまだに、当時の館員、スタッフ、コンパニオンが集まり同窓会を開催している。ここ最近は、コロナ禍で延期になっていたが、基本2年に1回開催という、継続開催。
イベントは一期一会で、これほど続く同窓会を私は知らない。

以来、「奇跡の同窓会」と呼んでいる。

残念ながら、お亡くなりになられた方もいらっしゃいます。ご冥福をお祈りします。

そして、この同窓会開催に尽力しているコンパニオンの皆さんに感謝です。

今年も、また来月に開催される。

残念ながら、私は別件本番で欠席となるが、あの頃の笑顔を思いつつ盛会を祈りたいと思う。

 

 

私の仕事はイベント制作。様々なイベントを裏方として支えること。既にこの仕事を生業にして40年が経とうとしている。その原点は、大学時代に遡る。
「法律違反以外のことなら、なんでもやりますよ!」私は大学2年になって、友人と「何でも屋さん」なる会社を立ち上げた。今でいうベンチャー企業というやつだ。しかしながら、なんのノウハウもない我々ができることは「元気に、明るく、力持ち!」。
要は「困っているあなたをお助けしましょう」というお節介な商売というのが本当のところ。
 世の中わからないもので、実はこれが大当たり、1984年、昭和59年といえば、今と違って、インターネットなどない時代、ましてやスマホや携帯電話もない、「困ったことを解決する」のは、当時タウンページと呼ばれていた黄色い電話帳一つ。誰に、どこに、どう頼めばいいのかがわからない時代。そんな時代の要請にハマっていたのだろう。最初こそ、暇を持て余していたけれども、そのうち、1台しかない黒電話が鳴りっぱなし。
「換気扇が壊れたから交換してほしい」「化粧品のデモ販売をしてほしい」「吉本新喜劇の大道具を運んでくれないか」「披露宴を盛り上げてほしい」「獅子舞になってほしい」「ライブツアーの運転手をしてほしい」「ビール工場にアルバイト10人ほどきてほしい」などなど、ありとあらゆるお願い事が舞い込んできた。我々もここぞとばかりに、友人知人総出で依頼をこなしていく日々。今でいうところの人材派遣のようなものだ。
 仕事が集まるところには、人も集まる。
 徐々に、組織ができてくる。人が集まってくると、元気だけでは、立ちゆかない。管理体制を固めないといけない。突っ走っていた最初の頃とは随分勝手が違ってくる。不平不満も募ってくる。若いということは、その分我慢も足りない、世間を知らない。喧嘩も絶えない。何かをやり始める時は、「やるぞ!」の気持ちがみんなをひとまとめにするが、「やり続ける」うちにこれは違うんじゃないか、あの方がいいのでは、色んな壁にぶつかってしまう。小さな壁であるうちはいいが、やがて大きな壁が立ちはだかり、若さだけでは乗り越えられないことを知る。
 そんな時期、我々自身が企画実行したイベントが大失敗する。1500人乗りの大型客船をチャーターして1000人ツアーを企画制作。淡路島と徳島を繋ぐ大鳴門橋が開通した1985年、淡路島で「くにうみの祭典」という博覧会のようなイベントが開催された。そこに、若者を集めてオールナイトで客船で盛り上がろう!というイベント。我々スタッフは四方八方、集客を募るのに走り回った。
 しかし、盛り上がったのは最初だけ。集客のノウハウもない我々に1000人集めることは、あまりにもきつい現実だったのだ。
1000人ツアーどころか、100人ツアー。
結果、莫大な借金だけが残った。勢いだけで進むことの難しさと愚かしさを嫌というほど実感した。結局2年弱で「何でも屋さん」は解散。ボクは、就職活動をしながら、イベント制作の専門会社でアルバイトをし、ノウハウを勉強することにした。勢いだけでは、成し遂げられないことを実感した故の決断だ。
 必死に取り組んだこと自体は、失敗体験も血となり肉となっているけれども、それが仕事になったとき、やはり失敗は許されない。
イベントは成功して当たり前。
 あの2年にも満たない「何でも屋さん」の経験が、今、40年この業界で働かせていただいている私の「原点」として活きているのは確かである。
本日1月31日は弊社の1年の締日。
明日から、29期目に入ります。
毎年、1年の締めくくりにあたり、今期も無事に終えることができたことに感謝します。
弊社と業務を共にしていただいている、取引先様、協力会社様にはお礼しかありません。
3年以上にわたり、コロナ禍という異常な状態の中、イベント業界もその荒波に翻弄され、
今なおその波は収まったとは言えません。
しかしながら、今後、大阪・関西万博が控えています。
イベント業界も、徐々に上潮になっていくのではないでしょうか。
私も、20歳の頃からイベント業界にお世話になり、40年ほどこの業界と共に、生きてきました。
恩返しと共に、まだまだ若い人たちと切磋琢磨していきたいと思います。

2年後に迫ってきた『2025年日本国際博覧会(略称「大阪・関西万博」)』
1970年の大阪万博と比べられるが、時代背景も状況も違っている中で、そこを論じても答えはない。
また、東京オリパラでの不祥事が解決されていない中、疑念があることも確かである。

何が正解かどうかはわからないけれども、地方博含めて、大規模イベントが地方活性化の起爆剤の一つであることは間違いない。
ただ、あくまで起爆剤であり、「その後」が大事である。
花火と同様、打ち上げた美しさに見惚れていてもダメ。
その実績をどのように未来へ繋げていくかが重要である。

1970年の大阪万博のレガシーは間違いなく、「太陽の塔」であろう。
当時、大きな反響があったことは、のちにメディアなどで知ることになる。
50年以上経って、岡本太郎のメッセージの意味が伝わっているのではないだろうか。

テーマ「人類の進歩と調和」とは如何なるものか・・・
しかしながら、「万博」開催自体は、賛否あれどもその後の日本の繁栄を世界に知らしめたことは間違いない。

そして、2025年、再び行われる万博。
どんなレガシーを残すことができるのであろうか。

40年近く、イベント業界でお世話になっているからこそ、その意味を考えたいと思う。

 

2020年、6月新型コロナウイルス感染症が猛威をふるい、世界中がこの先どうなるのだろう、と不安しかなかった時期に、マーケティング勉強会「オンライン内海塾」がスタートしました。

内海塾自体は20年前から開催され、私の人生において欠かすことのできない勉強会です。

WEB会議が、一般化したこともあり、オンラインでの講義も普通になっていました。

 

実際は、マーケティング以外にも示唆に富んだ話題を常に提供いただき、

人生における指南書のような講義です。

迷ったり、戸惑ったりしつつも、王道を忘れることなく、戻るべき場所に連れて行ってくれます。

 

コロナ真只中の2020年から3年弱、オンライン内海塾は30回を数えました。

人と会えない、人が集まれない状況下で、このオンライン内海塾での講義は得難い体験となりました。

昨日、ひとまず第一期が終了しましたが、改めて内海塾長との出会いの不思議さと有り難さを思います。

 

「出会い」は決して偶然ではなく、必然なのだろう。

なぜなら、一つの「出会い」が自分の人生の転機となることが多分にあることは、今までの人生を振り返ってみて、心底感じ、信じられるからだ。

 

またの再会を楽しみに、もう少し自分自身を磨いてみよう。

 

<参考サイト>

内海新聞

https://www.facebook.com/utsuminewspaper

全国内海塾

https://www.facebook.com/utsumijuku

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2002年、日韓共催サッカーワールドカップから、早20年がたちました。
私も、神戸会場の担当ということで、IDカードをいただき、連日会場に足を運んでいました。日本戦は行われませんでしたが、各国のユニフォームで現れた沢山のサポーターを見て、どこから現れたんだみたいな感じで驚いた記憶があります。
世界的なスポーツ大会でもとりわけサッカーのそれは全世界中を熱狂の渦に巻き込んでいます。
「俺関係ないよ」という方もいますが・・・・それも当然ありです。

世界的なイベントは、今大きく揺らいでいます。東京オリンピックを巡る問題は、まだ先が見えません。
そして、2025年の大阪・関西万博にも大きな影を落としていることは確かでしょう。

スモールカンパニーの弊社はある程度決まったタイミングで役割分担の中での業務依頼となりますので、弊社の取引先に頑張ってもらうしかないというのが実情です。

イベント自体の推進にはやはり経験値は必要であり、コンセプト作りから、スケジュール管理、コスト管理、人的キャスティングの配置、などなど実に多岐に渡る作業がある限り1社で制作することは不可能です。なので、弊社のようなスモールカンパニーがそれぞれの得意業務を団結して、制作していく必要性があります。
それは、車や飛行機を製作していく過程で様々な会社が携わるのと一緒かもしれません。
ただし、そのチームのコントロールタワーとなるべきディレクターなり、プロデューサーが重要です。スポーツで言うところの監督という立場でしょうか・・・・
目的達成に向けて、どのように、各社をまとめ上げていくか、まさしくチームワークです。ワールドカップを見ながら、裏方であるイベント作りも実は似ているような気がします。

違うところで、イベント業界が注目されていますが、華やかなその裏側で汗をかいている人々がいることは理解していただきたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

32年前、この業界に入って4年ほど経っていた頃。

1990年4月から9月末まで6ヶ月間、大阪鶴見緑地で、「国際花と緑の博覧会」が開催されました。

 

何度か、ここでも書きましたが

私は、「大輪会水のファンタジアム」というパビリオンの催事ディレクターとして、現地に通っていました。

国際博覧会のパビリオンともなれば、事務局スタッフはもちろんのこと、表に立つコンパニオン、運営、技術、警備、清掃、物販など多岐にわたるスタッフとの連携・協力が不可欠です。

長丁場なので、実にさまざまなことが起こります。

 

当時、世界初のウォーターショーということで、ロボットの指揮者による、ウォーターオーケストラが素敵な音楽を奏でるショーがメインでした。口コミでそのショーの素敵さが広がったせいか、電力館と大輪会パビリオンが人気を二分するほどでした。

嬉しい反面、お客さんが殺到することになり、安全かつ満足度を失わないような運営が求められました。

 

私のミッションは、整理券を求める待ち客対策です。

整理券を得るためにできる行列のお客さんに「待っていること」を忘れさせるイベントの実施が求められました。

 

また、当時40社の連合体の大輪会グループでしたので、企業の日ということで、40社の企業のイベントを併せて企画し、実施するために、連日企業周りをしたものです。

 

その甲斐があり、大輪会は大盛況のうちに終了し、その後も同窓会を毎年開催するなど、今なおその当時のチームワークが残っています。

 

残念ながら、亡くなった方もいらっしゃいますが、このイベントを通じてイベント業界だけではなく、実に様々な企業の皆さんと作り上げたこと、今も誇りに思いますし、

私にとってのイベント業界人生でも一際心に残る催事の一つです。

 

2025年には大阪・関西万博が開催されます。

賛否はありますが、やはり楽しみです。

 

コロナ禍で、人が集まることを良しとしない風潮が蔓延しましたが、

改めて、イベントの必要性、イベントの持っているパワー、人を笑顔にする、人の心に突き刺さるものがることも実感したに違いありません。

 

私にとってものカウントダウンのイベント業界人生において、どんな万博になるのか、非常に楽しみです。

 

昨日は、当時一緒に働いていた先輩と懐かしい話に盛り上がりました。

共有できる日々を過ごした、先輩・後輩・同僚たちと、また一杯飲みたいものです。

 

Thank you for ALL.

 

*写真は、キャラクターてんまくんの氷像パフォーマンスの作品です。

真夏の日に、氷像職人さんにその場で製作してもらいました。たくさんのテレビなどの取材を思い出します。

新型コロナウイルスも感染者数は少しずつ減少傾向になってきている。
第何波か、もうわからないくらいだ。
重症化さえしなければ・・・
2020年から、もう、3年弱も経てば人の動きも順応しているのだろう。
感染症対策は必要だけれども、
インバウンドの緩和もされ、徐々に日常が戻りつつあるのだろうか・・・・
新聞に面白い記事を見つけた。
「おてつたび」
人手不足に悩む地方の仕事を、手伝いながら旅をする若者が増えているそうだ。インターネットで情報を共有し、「人手不足地方」と「若者」を農作業など短期アルバイトでつなぐというものだ。
かく言う僕も、40年近く前、大学生時代に北海道の酪農家で1ヶ月余りの住み込みバイトをした経験がある。
町ぐるみで、牧草や昆布の収穫時期に合わせて、都会の大学生を短期間「労働力」としてアルバイトで雇ってくれる、学生は夏休みにアルバイト+地方への住み込みという貴重な経験ができる、双方ともウインウインの関係だ。
まぁ、このような取り組み自体は昔からあったけれども、WEBが当たり前の現代において気軽に情報共有でき、双方の情報入手が手軽になったことも要因の一つだろう。
新型コロナ感染症で出歩くこともままならないここ数年のことを考えると、どんどん、このような取り組みに若者が参加することは、嬉しい限りだ。
また、WEBワークで、働く場所に制限がなくなりつつあることも、今後の生活様式、生き様に影響があると思える。
人生の多様化を許容し、特徴のある生活を享受することは、今後の人生にプラスになるだろう。
過去の価値観が揺らいでいる今こそ「新しい価値」を創造し、構築するチャンスかもしれない。

23年前の1999年、ギリシャ・アテネ市内にあるローマ式のオデオンいわゆる屋外音楽堂・劇場であるヘロディス・アッティコス音楽堂で「ジャパンフェス」が行われ、私は舞台進行スタッフとして1週間近く、滞在。

 

日本からは、音響エンジニア、照明エンジニアそして舞台進行スタッフが現地のスタッフと打合せをしながら、準備を行います。

しかしながら、慣習の違いで、とにかく彼らの仕事の進め方が遅い。シエスタとか何とかで昼間は仕事をしない。昼寝時間だそう。

まぁ、日本であれば、2日で済む打合せと仕込みが倍以上の日程が必要となる。おかげで、休憩時間が増えて観光などができたのは良かった気がするけれど・・・・日本が働きすぎなのか。

 

イベントの内容は、日本から太鼓集団やダンサーグループなど、

日ごろ日本で活動しているアマチュアの団体が渡航費用を払って、世界の名だたる劇場で披露するというもの、お客さんはその国の日本に興味を持っている方々。

プロではないので、ある意味趣味に近いけれども、海外の方々にとっては、物珍しさも手伝ってそれなりに拍手を頂戴していた。

 

民間レベルの文化交流だけれども、このような催しがたくさんあれば、お互いに色々理解が深まる気がする。

 

新型コロナウイルスで、交流が難しい昨今だが、状況的には、世界がグローバルに繋がっていることが、このコロナ禍でハッキリしたのも確か。経済的にも、文化的にも、エネルギー問題など、一国で完結する時代ではなく、様々な国との交流が必要。

 

イベントは一過性のものだけれども、そこで生まれた交流は持続可能なものだし、そこから新しい価値が生まれるはず。

 

コロナによって、大きく変容した様々な価値観を、良い意味で前向きに捉える必要があるのだろう。

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1987年7月から44日間にわたって開催されたイベント。

東京大阪同時開催のテレビ局主催の大型イベント。

大阪はインテック大阪で、様々なパビリオンがあり、さながら小さな万博のようなものでした。

 

私は入社3ヶ月というのに、「メルヘンジャングルはれときどきぶた」というブース運営を任されました。

フジテレビ系列でオンエアされていた幼児・子供向け番組・ひらけ!ポンキッキで人気のあった「はれときどきぶた」という児童文学作品をエンタメ風のアトラクションにしたパビリオンブースです。

その他にも、ゲゲゲの鬼太郎館やラジコンカーにCCDカメラをつけたアトラクションなど、その時代としては、最先端の技術を取り入れたエンターテイメントイベントだったようです。

今も、テレビ局主催のイベントが数多く開催されていますが、その走りのイベントだった気がします。

 

運営スタッフ、出演者、テクニカルスタッフなど総勢100名以上の大所帯です。

 

 

このパビリオン、結構人気があって、連日行列ができるほど盛況。それはそれで嬉しいことですが、

その分、お客さんからの要望がたくさんスタッフに入ってきます。

「待ち時間が長い」「整理券などの対応はできないのか」「暑い」「座りたい」など

子供向けのパビリオンのため、ベビーカーの置き場をどうするか、アトラクションコーナーでの事故防止に必要以上の目配りが必要、家族連れのため、迷子にならないように誘導しなければならない、などなど。人気パビリオンだからこその苦労があった気がします。

しかしながら、我々にとっては44日分の1日ですが、お客さんにとっては、たった一度の体験になります。なんとか、その要望に応えるべく、スタッフと知恵を働かせたものです。

本当に、様々なトラブルが起きましたが、今の私の原点を学んだイベントの一つではあります。

 

その中でも、重要なのがクレーム対応です。

対応の仕方を間違えると、ちょっと大変です。

主催者サイドも大変ですが、お客さんの思い出も嫌なものになってしまいます。

しかしながら、そこをうまくすることで、お互いに納得できるものになることも確かです。

 

全ての場面に当てはまるかどうかわかりませんが、概ね下記のような対応は最低限必要です。

 

1ークレーム相手の話を中断することなく最後まで親身になって聞く。

2ーその場での議論は絶対に避ける。

3ー明確に解答できない問題は、担当責任者が対応、それでも難しい場合は主催者が対応。

 

いずれにしても、クレームが発生したときは、冷静な判断と対応が必要です。

 

人がたくさん集まるイベントにおいて、その世界はある種、異空間であり夢の世界、ちょっとテンションが上がっていることも確かです。

みんなが笑顔で過ごせる環境づくりを心がけたいものです。

 

1987年、バブル日本が全盛期時代のイベントの一コマでした。

 

少しご無沙汰です。

一向に、新型コロナも終息する気配はなく、

欧州方面では今なお戦闘が続いている。

国内においても、遊覧船事故やなんか悲しい、やるせないニュースばかりで、

春の陽気に浮かれるわけにもいかず、・・・

 

ここ2年余りの間に、生活様式も変わって来たように感じます。

 

イベント業界も以前のようにとはいかないですし、制約が緩和されているとはいえ、

まだまだ、マスク着用の中、自由に声援をおくったり、大声を出すことはできない。

なんか、もやもや感は否めない。

 

気を変えようと、部屋の整理などをしていると、社会人になって初めてやった仕事の写真とチラシが出て来ました。

 

オールディーズのミュージカルです。

アメリカはダラスから招聘された21名のアメリカの出演者やスタッフと1ヶ月余り過ごしたイベントです。アメリカ人のステージマネージャーのアシスタントとして、ミュージカルを陰から支えさせていただきました。

本番後、皆で飲んで踊って騒いだことを思い出します。

あれから35年、確実に私のイベント人生での大きな仕事の一つであったと思います。