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アワード(式典、ラリー)シンポジウム、セミナーなどのプロデュース。
タレント、文化人、各種講師、ミュージシャン、レースクイーン、コンパニオン、司会者、モデルなどのブッキングとコーディネート。
各種製品セールスプロモーションの企画制作。

初めての雨に降られたにもかかわらず、最後までカッパを着て、また傘を差して、残っていただいたお客さんには、感謝しかありません。

毎年、基本、実行委員会が、ほぼ1年かけて企画を考えます。
実行委員として、構成内容、収支予想、動員方法など、
プロモーションイベントと違って、クライアントがいない。
従って、協賛、協力、後援を自分たちで集める必要があります。
助成金へのチャレンジもします。

実に様々な方々の力が結集しています。
もちろん、発起人のkogakusyu翔のメンバーは自分たちの活動の合間をぬって、出演者の発掘、交渉など、そしてその後は、出演に際しての合同練習など、本当に、華やかなステージでの演奏だけではなく、実に年間通じて休む間も無く、裏方としても、動いています。

6回続けていることの意味を考えます。
プロモーションイベントは、クライアント(スポンサー)が辞めると言えばなくなります。
当然、プロモーション活動なので、その予算に合った効果がないと、選択肢としては仕方ない面があります。イベントを販促方法の手段とする限り仕方ないことです。
一方、「ユメハネ」はクライアントがいません。協賛頂いている企業さんもありますが、販促目的というよりも、「このイベントの趣旨」に賛同いただいてエールをおくっていただいている感じでしょうか・・・・
正直な話、今後も「エールをおくって頂ける企業さん」が増えると助かります。
本当に、6回続けることは大変なことです。
時間的な制約、経費的な制約など、、、
しかし、クライアントがいないということは、我々の想い、そして参加いただいた学生さん、ゲスト、そして来場いただいたお客さんの想いが一番と言えます。

少しずつ、知名度も上がってきてます、「継続は力なり」と言います。
少しずつ、力を頂いていることも確かです。

平成から、令和へと時代が移り、新たな時代が始まります。
心の時代、その心に刻めるイベントを今後も作っていきたいものです。

改めて、ゲストの方々、学生のみんな、裏方で頑張ってくれた学生さん、プロのテクニカルスタッフの方々、そして雨予報に関わらず、多くの来場者の皆様に感謝をしたいと思います。

秋から冬そして春、4月の入学式を創るために費やす期間。
実に、多くの人たちが関わるプロジェクトです。
2014年、6年前から参画させていただいています。
最初は、手探りの中1時間30分の式典のために、ブレーンストーミングを行いながら、いかにベターな演出・内容ができるかを試行錯誤していきます。
新入生のために、何ができるか・・・・・
また、在校生にも参加いただき、彼らにもこのプロジェクトの意義を理解いただき、素敵な演出の一員として活躍いただいています。
そういう意味では、新入生だけではなく、在学生にもメッセージが伝わっているように感じます。
一見「華やかな入学式」と一元的に捉えられがちだが、
その裏で長い期間の切磋琢磨した時間を理解して頂きたいと思います。
我々プロのバックアップもそんな彼らの頑張りに支えられていることを、改めて感じます。
そして
本番中の笑顔がすべての苦労を洗い流してくれます。
改めて、素敵なプロジェクトに感謝したいと思います。
今年のダイジェスト映像をご覧ください。

 

35年前、バブル景気前から、この業界でお世話になっている。

思えば、まだ業界としても成熟しているとは言えず、給与体系や労働環境など、

今から思えばブラック業界もいいとこで、本当に会社自体もそうだし、

そこで働いている人もどっちもどっちで、好き放題していた気がする。

それでも時代の要請なのか、バブル経済突入とともに、博覧会ブームが到来し、日本各地でJAPAN EXPOが開催されイベント業界も徐々に世間の常識にとらわれざる得なくなる。

当たり前のことを当たり前にできていない業界が、少しずつ整備されて行き、社会の居場所が少しずつ広がっていったと言える。

 

先日、「イベント業務管理士1級」の試験があり、今更ながらチャレンジして、なんとか合格。

この歳になっての「試験」は、なかなか勉強時間のやりくりや、覚えることの難しさに苦労した。

長年、この業界にいるからと言って、「その試験」はまた違ったアプローチが必要で、記述式&小論文だけにいい加減な気持ちでは難しかったと言える。

久々に追い詰められた試験であったことは確かだ。

 

とは言え、今までの経験をロジカルに整理し直すには、非常に役に立ったし、これからもイベントを科学していくことは重要なことではないだろうか・・・

 

イベントと一言で言ってもその概念を理解している人々は稀であろう。

個人のバーベキューから、町の抽選会・・・・・ひいては、万博博覧会・オリンピック全てイベントというカテゴリーに区分けされるだろう。

 

イベントの概念的な定義とは、

「イベントとは、何らかの目的を達成するための手段として行う行・催事である。」

 

今までは、ある意味、勘と経験で創ってきたイベントを「イベント業務管理士」的視点で考察すると、

その論理性が非常に重要になってくる。

 

イベントを構造的に考察していくと、

一過性であり、仮設であり、また複雑性があり、自己実現性があるもので、

4大管理と呼ばれる、安全管理、工程管理、品質管理、原価管理をしっかりと管理業務として捉える必要がある。

 

イベント業界を広く社会的に認知させ、その功績をもっと広く深く理解していただくためには、

その業務の奥深さ、幅広さを論理的に訴求する必要があるのだろう。

裏方業務でありながら、その重要性そして責任性は、年々高まってきている。

勘と経験だけでは、説得できないであろう。

やはり、そこには、ロジカルな説得性が重要と考える。

そのためにも、「イベント業務管理士1級」という存在は、ある意味必要なのであろう。

2019年4月29日(祝・月)ユメハネフェス2019@服部緑地野外音楽堂・・・・・・
2014年から続いています、今年で6回目になります。
是非、お越しください。

https://www.facebook.com/yumehanefes/?__tn__=kC-y.g&eid=ARCx0k8CM1t3XbkcaTSUg-0N-xw411aRvhE-HHnMTQkuv47TYvrvbEBgf7PIY6w0zrpi5qbK-OOZKvvF&hc_ref=ARSSTu_B_wfiTRe_SFFUBkvP2Ba2mZgNcZ4x9Fatn0ZrNNBYWo2RLDdWOjzADBiaw54&fref=nf&__xts__[0]=68.ARDD3gDUOS7D_RJTzfRUDOLZLrThXM-Ie9ROJSOlnTEF1y6B7uR63nCLLhPvUbUa6EpXAvd00Zxxw_gIF-64w0iSefplwfMvVUVutuDT-fzI7SqH9O06W6bX7dZVzAjXTQzo36novgox16y3_SulS16o9yElX4XUoIrdT-PLTsatPd_wBVWm9iT8o-CHXjhI0rcUdsqt6WjzbMLQOdkQIE9HiJeROS9siUWl5ubgPB4N_T9_aGbWQpYR_K-bokgSyo21rGKsUeOfac1xZyLW1PxIa9vF67zL8s4tbua8ikga-50sHL4ya8tsbZycYUpUcpkrCnG25b87pbJ_QqmQ8uTQF8W6P4jeRWnrKulI0xvwt8g_uyHjIpc

ゆめのたね『無想の東西南北、福来る!」番組のHPができました。
明日は、初めてのゲストをお招きしての番組です。
是非、お聞きください・・・・・

3年ぶりの京都マラソンに参加、
思えば、5年前の2014年に初参加して、今回で3度目の京都です。
西京極競技場から、嵐山方面へ、きぬかけの路・西賀茂橋から南下して賀茂川沿いを走って、北山通を東へ、
折り返して植物園を通って、再び、賀茂川南下・・・・・
それなりに順調に走っていても、
25kmを過ぎたこの頃は、もう青色吐息状態です。
脚の膝が激痛、膝裏の腱も切れるんじゃないかというくらいの痛さ、エアーサロンパスを持参して走ったけれども、
それもつかの間の痛み消し・・・・あとは、とにかく一歩一歩、進むしかない、前に行かない限りゴールは見えない。
残り15kmが課題です。

日頃、10kmをそれなりに走っていても、25kmを越えると、足にも、腕にも、足裏にも異変が起こり始める。
今回は、その異変と会話しながらの勝負でした。
いつ悲鳴をあげるか、とにかく完走(歩きつつ)が目標なので、足は、とにかく動くように、、、
しかし、不思議なもので、給水・給食を手に取って口に入れると、体が喜び始める。生き返るような感覚・・・・
特に、バナナ、八ツ橋は美味かったですね・・・スポーツドリンクも、身体中に染み渡る感じです。

昨秋は大阪マラソン・今冬は、京都マラソンに参加しましたが、
それほど、早く走れるわけでもないのに、「なんで走るんやろ?」って自問自答をする時があります。
健康維持ということもありますが、しかし、それだったら、そんなに無理をする必要もない・・・・

残り、10kmあたりになると、痛みも限界です。
しかし、そんな時に「あと10kmで終わってしまうんだ・・・・」って気になっている自分がいます。
走る苦しみよりも、走れる喜びが勝る瞬間です。
走り始めた時は、まだ、40kmもあるって考えるのに、あと、10kmしかないのか・・・・
人間の欲深さなんでしょうか・・・・

走れることの感謝・・・

また、来年こうして走れるだろうか・・・・

当たり前のことが、当たり前に感じれる感覚を忘れないでおこう、と思います。

最近、著名な方々が病魔に襲われて、・・・・・

自分より若い方々だけに、心が痛みます。

本当に、健康がどれだけ、有難いことかを実感します。

よし、来年に向けて、特訓しよう!!!!!

つい先日、年が明けたと思っていたら、もう1月も数日で終わりますね。
“一月往ぬる二月逃げる三月去る”とはよく言ったもので、あっという間に春がやって来るのでしょう。

最近、あっち行ってこっち行っての出張続きですが、先日久しぶりにNGKで打合せでした。
言わずと知れた、関西お笑いの殿堂です。
大阪人の私にとっては、本当にザ・大阪を感じる場所の一つです。何たって、小学生時代、土曜日の午後は、必ずたこ焼きを焼きながら、吉本新喜劇を見ていたものです。
あの、ワンパターンの芝居の中に、笑いを感じた時の幸せな気分、こうして、大阪の少年少女は笑いのセンスを磨いてきたのかもしれません・・・・

時が流れて、大学時代、私は友人と「何でも屋さん」を経営しておりました、その際に、吉本新喜劇の大道具(テーブルや、椅子、など)を運ぶ仕事の依頼を受けました。
当時は、うめだ花月、なんば花月、京都花月があり、演目が各劇場に移っていきましたので、大道具もある期間になると、運搬しないといけません。私は、運転手兼運搬係として、各劇場を回っていました。

「何でも屋さん」時代は、本当にいろんな依頼がありました。
獅子舞に入ってくれ。害虫駆除してくれ。換気扇洗ってくれ。披露宴のアトラクションしてくれ。
男性用コロンのデモ販してくれ。ラジオ芝居に出てくれ。的当てゲームで水槽に落ちてくれ、なんてのもありました。本当に、実に多種多様な仕事があるものだと、感心するくらいでした。
若い我々は、怖いもの知らずです。法律に触れる事以外は何でもチャレンジしてた気がします。

そんな経験から、イベントの仕事がやって来て、縁があって今もこの業界でお世話になっています。

その後紆余曲折があり、「何でも屋さん」は解散。
私は、イベント制作のプロダクションに就職し、修行させていただきました。
良い時代でした。バブル夜明け前にこの業界に入って、バブル全盛期のおかげで、様々なイベントを経験させてもらいました。

そしてバブル崩壊後、数年して、阪神淡路大震災が起こった1995年2月に今の会社・株式会社ニューズを設立、現在に至っております。

あれから、24年。
そして、2月からは25期目に入ります。

今年は新たな取り組みにもチャレンジし、益々前のめりに生きて行きたいと考えています。

多くの出会いの中で、お世話になっている皆様に感謝しつつ、25期目に突入です!!!

1995年1月17日は、忘れ得ぬ日。阪神・淡路大震災が起こった日。多くの人々が被災した、未曾有の日。私にとっても、絶対忘れられない。会社を立ち上げて、2月から頑張るぞと気合いとともに、待ち望んだ日々。商売繁盛の戎さんにお参りし、後は、前に進むだけという時に、起こった震災・・・・
一寸先は闇とはよく言ったもので、そんなことが現実にあるとは誰が想像できたでしょう・・・・
しかし、その後も、東北での大津波などなど、自然は容赦なく、我々、人間に襲いかかります。
様々な争いは今なお地球上から無くなっていないことも事実。しかしながら、その争いをあざ笑うかのように、起こる自然の脅威。
いつどうなるか、、、、誰も断言できない。
であるならば、今生かされている、我々は、為すべきことを今もう一度振り返りつつ、為すべきことを自覚すべきであろう、、、そう思いつつ、1月17日を噛みしめるべき・・・・

1月17日は、そんな原点を思い起こすべき日なのかもしれません・・・・・

明日に希望を!!!!

2019年・平成31年が明けて、早12日、お屠蘇気分も抜けて、あっという間に日常の雑踏に紛れている毎日。
世間では、3連休で一息というところでしょうか・・・・
私も、春に向けてのビッグプロジェクトへ向けて、気合いを入れ直しているところです。

新たなチャレンジもスタートし、ワクワクな中にも、緊張の日々です。

戎さんのこの時期になると、1995年の「会社を立ち上げた頃」を思い出します。

1994年10月から準備をし、1995年2月から「頑張るぞ!!」と誓った時に起こった阪神淡路大震災。
未曾有の状況に言葉も出ず、「一体、日本はどうなるんだろう、関西は・・・・・」「我々のこの先は・・・」
本当に、考えられない、想像を絶する状況に、ただただ立ち尽くすしかなかった。

直接の被害はなかったけれども、未来への不安が一気に広がった思いです。

あれから、24年・・・・・
アメリカでのテロ、リーマン・ショック、東日本大震災、人災、天災、実に様々なことが起こりながらも、それでも、日々は過ぎて行く。

この歳になると、年賀状よりも、「喪中はがき」の方が多くなってくる。世代のせいでしょう。

しかし、生きている我々はどんな苦難が起ころうとも、前を向いて行かねばなりません。
「生かされている」には何か意味があると信じます。
あなたなりの使命があるはずです。


明けましておめでとうございます。平成も後4ケ月、思えば 昭和が終わったのも、年明けすぐでした。バブル全盛期のあの頃、仕事がすべて止まってしまい、あたかもバブルで浮かれてた我々に前途を暗示してたのかもしれません。 あれから、30年、世の中は常に変化し続けています。 人間の理解を超えた、様々な出来事が起こります。 弊社も、2月から25期目に突入です。休む間もなく、ただひたすらに進むだけです。 ええ気にならずに、こうべを垂れて、新たな挑戦を怖れずに、日々に感謝しながら、過ごしたいと思います。 本年も、よろしくお願い致します!

本日で、弊社も仕事納め。

振り返ると、本当に様々な案件で、またプライベートでも追い込まれた1年だった気がします。

様々な失敗の数々。やはり仕事は結果が全て、プロセスを軽視するつもりはないですが、仕事は100%しっかりこなして、適正価格の予算の中で、
クライアントも、取引先も、協力会社もWIN・WIN・WINになれるかが一番大事。そして、着金があって初めて仕事は完結と言えるでしょう。

長年この業界で仕事をしていると、とんでもないことが起こったことが何度もあります。一緒に働いていたスタッフが逃げていなくなったり、着金されずに、バンザイされたり、当然自然災害で仕事が止まったり・・・・

そう考えると、今年追い詰められた数々のことは、今後に活きる試練であり、それは糧になることだったと思います。

今年は、その試練があるたびに、
「前に現れる壁が高ければ高いほど、乗り越えた後には、自分を守る盾になる」そう信じてたことで、乗り越えることができたと思います。

若い頃は、キレることで闘っていた気がしますが、この歳になるとキレる前に相手のことを理解してしまう。相手の状況を読み取ってしまう。
そうなると、キレれない・・・・・何ともストレスが溜まる状況です。

ただ実直に、ただ愚直に、考えて考え抜いて前を向いて歩いていると、必ず道が開けることを感じたのも確かです。

「ピンチをチャンスに変えるのは自分自身」と世間ではよく言われますが、
実際、そのピンチをどれだけ冷静に受け止める事ができるかは、やはり日頃の鍛錬だろうと思います。

来年は弊社25年目に突入です。
よくぞ、ここまでやってこれたと思いますがが、やはり周りの様々な人達のお力添えがあってこそです。

「出会いは宝」と言います。今年出会った方々、再会した方々、ずっとお付き合いして頂いている方々、全ての方々に感謝し、新しい年も今年以上によろしくお願いいたしたいと思います。

2019年が皆様にとって、素敵な1年になりますように、、、、

 

大阪万博誘致が決定した次の日ということもあり、なんとなくウキウキした雰囲気で号砲が鳴った気がします。

8年間の悲願ということで、初めて当選して「大阪マラソン」に参加しました。
京都マラソンは2回(2014年、2016年)ほど出場していますが、今回初めての大阪です。まぁ、言い訳がましいですが、体調は今までで最悪の状態、とにかくゴールまで、この体力が持って欲しいと思って走っていました。途中からは、「歩いている方が早い」ような状態でしたが・・・・・

兎にも角にも、32000人のランナーが一堂に会して走る大阪マラソン。
前日・前々日にはインテックス大阪で受付をします。ゼッケン・参加賞などを受け取るためです。
遠方から来る人は泊りがけです。
私も京都マラソンでは泊まりを予約して、1泊2日のマラソン旅です。
食事も当然外食ですし、交通費、宿泊費、食事代、また家族や友人の応援団も合わせると、その経済効果は大きいと思います。

マラソンを経済活性化の手段として活用する自治体が多いのも納得です。

しかし、それはあくまで参加者が一定以上集まるマラソンに限られます。

コースの交通規制、サインの設置、警備員の配置、給水・給食の手配、ボランティアの管理、荷物の仕分けから運搬、清掃、救護体制などなど、イベントのすべての要素がそこには入っています。
ランナーが快適に走れるように、交通規制もしっかりしないといけませんし、荷物もスタート会場からゴール会場へ運搬するだけではなく、受け渡しも間違わないようにしないといけません。
WEBの公開、更新、また生中継のための通信の確認も大切なことです。
ずいぶん前には、マラソン関連のイベントを制作・実施したことがありますが、通信の発達によって、よりリアルに経過が知れたりします。

時代とともに、便利さや快適さが増したのも事実ですが、最後は、沿道の皆さんの「頑張れ!」の声援に元気付けられましたし、スタッフの気苦労はいかばかりか、なんて考えながら走っていました。

マラソンはできるだけ、今後も続けたいと思います。

これら、大型イベントのノウハウは、簡単に蓄積できません。何度もシュミレーションしながら、改善されていると思います。

給水だけでも渡すためのノウハウがあります。レースを滞らせないためにどのように渡せばいいか・・・・・
交通規制がかかっている道路をどのように横断させるか・・・・
様々なシーンを検証し、事故がないように綿密にマニュアルを作ってスタッフに徹底しているんだろうな、と走りながら、考えていました。

万博も長丁場、準備から制作、そして現場まで考えると、本当に壮大なイベントと言えます。
そんな壮大なイベントが大阪で7年後に開催されると考えると、やはりワクワクして来ますね。

画像に含まれている可能性があるもの:屋外

2025年・大阪万博決定しましたね。50年前のオリンピック・大阪万博の再来と言えそうです。当時私は小学校1年生、「月の石」を何度見に行ったことか・・・・その後、縁があって、イベント業界にお世話になり1990年の「国際花と緑の博覧会」では184日間仕事として会場で働きました。その当時の仕事仲間とは今だにお会いする関係です。
万博経験者が少なくなっている中で、そのノウハウを是非活かしたいものです。
また、大阪オリンピック招致の失敗で負の遺産と呼ばれてる「大阪湾岸地区」をしっかり活用・開発してほしい。

賛否両論ありますが、
2020年の東京オリンピックに続いて、関西を盛り上げていきたいものです。

これからどのような万博をデザインして行くか・・・・

楽しみになりました。

やっと、出張現場が終了しました。9月末の大分・山口10日間連続、そして10月の石川能登、島根松江・出雲の7日間と、現場もさることながら、企画作業・構成作業などデスクワークもこなしながらの出張なので、なかなかハードな感じでした。とは言え、事務所に居てても、それはあまり変わりませんが・・・・・

出張は、普段行かないであろう場所にも連れて行ってくれます。所謂観光地ではないような場所です。またそれもいろいろな発見があって面白いものです。

また、出張時の醍醐味は何と言ってもその土地の美味しいものに舌鼓をうつことですね。
父親の田舎である大分では、だんご汁、、、よく父親が作ってくれた、親父の味です。
島根では、しじみ汁と出雲蕎麦・・・・・・
この歳になると、そんな素朴な料理に惹かれます。

忙しさや現場疲れはありますが、見知らぬ土地で、美味いものを食べるのも、時にはいいものです。

島根はこの時期3年目になります。
縁があって、3年間、「神在月」に出雲の国に居られることは、何となく、心穏やかになれるものです。

インターネットのおかげで、大阪に居ながら、日本全国どこにでも繋がりますし、テレビ会議など移動は本番だけという仕事の仕方も変わってきています。
地元のスタッフと連携しながら、作り上げていきます。

そういう意味においては、ますます、日本が狭くなっています。

ただ、どこも人不足です。経験値のあるスタッフが少なくなっているのも事実です。
我々の業界だけではなく、どの業界も人不足をどう解消していくか、、、

デジタルとアナログの融合、人でしかできない仕事がある限り、出張はなくならないなぁ。
ますます、難しい仕事の経験値を上げていくことが、自分自身の盾になるはず・・・・
大阪に居ても、、、、気張るしかないなぁ

 

久しぶりに、長期出張でした。大分から山口、そして大分へ。都合9泊10日の長旅でした。2度の週末に台風がやって来るという、まさに今年の災害列島を思わせるような、天候でしたが・・・何とか、本番は晴れてもらって、事なきを得た現場でした。両現場とも、屋外ということもあり、仕込み・リハでは苦労しましたが、出演者、裏方スタッフの力添えもあり、なんとか、成功裡に終えることができたことは、感謝に堪えません。イベントは常にいろんなリスクを抱えていることも確かです。
とりわけ、今回のように自然の脅威に対して、でき得ることは安全を第一に考え、それに対処するしか方法はありません。
長期にわたって、準備していたことが台風のおかげで中止になるなんてことは、本当に辛いことではありますが、安全第一は変えられません。
晴天時、雨天時、荒天時、、、様々な天候を想定はしているけれども、なかなか思い通りにいかないことも多々あります。
最近は、想定以上の猛威を振るってくる自然災害です。
今までの経験値に驕る事なく、想定以上の想定をすることが必要な時代なのでしょう。
自然災害だけではなく、様々なリスクに対して真摯に考えを巡らせて、より良いイベント作りを目指したいものです。