Category Archives: 中野ヒストリー

ゆめのたね『無想の東西南北、福来る!」番組のHPができました。
明日は、初めてのゲストをお招きしての番組です。
是非、お聞きください・・・・・

3年ぶりの京都マラソンに参加、
思えば、5年前の2014年に初参加して、今回で3度目の京都です。
西京極競技場から、嵐山方面へ、きぬかけの路・西賀茂橋から南下して賀茂川沿いを走って、北山通を東へ、
折り返して植物園を通って、再び、賀茂川南下・・・・・
それなりに順調に走っていても、
25kmを過ぎたこの頃は、もう青色吐息状態です。
脚の膝が激痛、膝裏の腱も切れるんじゃないかというくらいの痛さ、エアーサロンパスを持参して走ったけれども、
それもつかの間の痛み消し・・・・あとは、とにかく一歩一歩、進むしかない、前に行かない限りゴールは見えない。
残り15kmが課題です。

日頃、10kmをそれなりに走っていても、25kmを越えると、足にも、腕にも、足裏にも異変が起こり始める。
今回は、その異変と会話しながらの勝負でした。
いつ悲鳴をあげるか、とにかく完走(歩きつつ)が目標なので、足は、とにかく動くように、、、
しかし、不思議なもので、給水・給食を手に取って口に入れると、体が喜び始める。生き返るような感覚・・・・
特に、バナナ、八ツ橋は美味かったですね・・・スポーツドリンクも、身体中に染み渡る感じです。

昨秋は大阪マラソン・今冬は、京都マラソンに参加しましたが、
それほど、早く走れるわけでもないのに、「なんで走るんやろ?」って自問自答をする時があります。
健康維持ということもありますが、しかし、それだったら、そんなに無理をする必要もない・・・・

残り、10kmあたりになると、痛みも限界です。
しかし、そんな時に「あと10kmで終わってしまうんだ・・・・」って気になっている自分がいます。
走る苦しみよりも、走れる喜びが勝る瞬間です。
走り始めた時は、まだ、40kmもあるって考えるのに、あと、10kmしかないのか・・・・
人間の欲深さなんでしょうか・・・・

走れることの感謝・・・

また、来年こうして走れるだろうか・・・・

当たり前のことが、当たり前に感じれる感覚を忘れないでおこう、と思います。

最近、著名な方々が病魔に襲われて、・・・・・

自分より若い方々だけに、心が痛みます。

本当に、健康がどれだけ、有難いことかを実感します。

よし、来年に向けて、特訓しよう!!!!!

つい先日、年が明けたと思っていたら、もう1月も数日で終わりますね。
“一月往ぬる二月逃げる三月去る”とはよく言ったもので、あっという間に春がやって来るのでしょう。

最近、あっち行ってこっち行っての出張続きですが、先日久しぶりにNGKで打合せでした。
言わずと知れた、関西お笑いの殿堂です。
大阪人の私にとっては、本当にザ・大阪を感じる場所の一つです。何たって、小学生時代、土曜日の午後は、必ずたこ焼きを焼きながら、吉本新喜劇を見ていたものです。
あの、ワンパターンの芝居の中に、笑いを感じた時の幸せな気分、こうして、大阪の少年少女は笑いのセンスを磨いてきたのかもしれません・・・・

時が流れて、大学時代、私は友人と「何でも屋さん」を経営しておりました、その際に、吉本新喜劇の大道具(テーブルや、椅子、など)を運ぶ仕事の依頼を受けました。
当時は、うめだ花月、なんば花月、京都花月があり、演目が各劇場に移っていきましたので、大道具もある期間になると、運搬しないといけません。私は、運転手兼運搬係として、各劇場を回っていました。

「何でも屋さん」時代は、本当にいろんな依頼がありました。
獅子舞に入ってくれ。害虫駆除してくれ。換気扇洗ってくれ。披露宴のアトラクションしてくれ。
男性用コロンのデモ販してくれ。ラジオ芝居に出てくれ。的当てゲームで水槽に落ちてくれ、なんてのもありました。本当に、実に多種多様な仕事があるものだと、感心するくらいでした。
若い我々は、怖いもの知らずです。法律に触れる事以外は何でもチャレンジしてた気がします。

そんな経験から、イベントの仕事がやって来て、縁があって今もこの業界でお世話になっています。

その後紆余曲折があり、「何でも屋さん」は解散。
私は、イベント制作のプロダクションに就職し、修行させていただきました。
良い時代でした。バブル夜明け前にこの業界に入って、バブル全盛期のおかげで、様々なイベントを経験させてもらいました。

そしてバブル崩壊後、数年して、阪神淡路大震災が起こった1995年2月に今の会社・株式会社ニューズを設立、現在に至っております。

あれから、24年。
そして、2月からは25期目に入ります。

今年は新たな取り組みにもチャレンジし、益々前のめりに生きて行きたいと考えています。

多くの出会いの中で、お世話になっている皆様に感謝しつつ、25期目に突入です!!!

1995年1月17日は、忘れ得ぬ日。阪神・淡路大震災が起こった日。多くの人々が被災した、未曾有の日。私にとっても、絶対忘れられない。会社を立ち上げて、2月から頑張るぞと気合いとともに、待ち望んだ日々。商売繁盛の戎さんにお参りし、後は、前に進むだけという時に、起こった震災・・・・
一寸先は闇とはよく言ったもので、そんなことが現実にあるとは誰が想像できたでしょう・・・・
しかし、その後も、東北での大津波などなど、自然は容赦なく、我々、人間に襲いかかります。
様々な争いは今なお地球上から無くなっていないことも事実。しかしながら、その争いをあざ笑うかのように、起こる自然の脅威。
いつどうなるか、、、、誰も断言できない。
であるならば、今生かされている、我々は、為すべきことを今もう一度振り返りつつ、為すべきことを自覚すべきであろう、、、そう思いつつ、1月17日を噛みしめるべき・・・・

1月17日は、そんな原点を思い起こすべき日なのかもしれません・・・・・

明日に希望を!!!!

2019年・平成31年が明けて、早12日、お屠蘇気分も抜けて、あっという間に日常の雑踏に紛れている毎日。
世間では、3連休で一息というところでしょうか・・・・
私も、春に向けてのビッグプロジェクトへ向けて、気合いを入れ直しているところです。

新たなチャレンジもスタートし、ワクワクな中にも、緊張の日々です。

戎さんのこの時期になると、1995年の「会社を立ち上げた頃」を思い出します。

1994年10月から準備をし、1995年2月から「頑張るぞ!!」と誓った時に起こった阪神淡路大震災。
未曾有の状況に言葉も出ず、「一体、日本はどうなるんだろう、関西は・・・・・」「我々のこの先は・・・」
本当に、考えられない、想像を絶する状況に、ただただ立ち尽くすしかなかった。

直接の被害はなかったけれども、未来への不安が一気に広がった思いです。

あれから、24年・・・・・
アメリカでのテロ、リーマン・ショック、東日本大震災、人災、天災、実に様々なことが起こりながらも、それでも、日々は過ぎて行く。

この歳になると、年賀状よりも、「喪中はがき」の方が多くなってくる。世代のせいでしょう。

しかし、生きている我々はどんな苦難が起ころうとも、前を向いて行かねばなりません。
「生かされている」には何か意味があると信じます。
あなたなりの使命があるはずです。


明けましておめでとうございます。平成も後4ケ月、思えば 昭和が終わったのも、年明けすぐでした。バブル全盛期のあの頃、仕事がすべて止まってしまい、あたかもバブルで浮かれてた我々に前途を暗示してたのかもしれません。 あれから、30年、世の中は常に変化し続けています。 人間の理解を超えた、様々な出来事が起こります。 弊社も、2月から25期目に突入です。休む間もなく、ただひたすらに進むだけです。 ええ気にならずに、こうべを垂れて、新たな挑戦を怖れずに、日々に感謝しながら、過ごしたいと思います。 本年も、よろしくお願い致します!

本日で、弊社も仕事納め。

振り返ると、本当に様々な案件で、またプライベートでも追い込まれた1年だった気がします。

様々な失敗の数々。やはり仕事は結果が全て、プロセスを軽視するつもりはないですが、仕事は100%しっかりこなして、適正価格の予算の中で、
クライアントも、取引先も、協力会社もWIN・WIN・WINになれるかが一番大事。そして、着金があって初めて仕事は完結と言えるでしょう。

長年この業界で仕事をしていると、とんでもないことが起こったことが何度もあります。一緒に働いていたスタッフが逃げていなくなったり、着金されずに、バンザイされたり、当然自然災害で仕事が止まったり・・・・

そう考えると、今年追い詰められた数々のことは、今後に活きる試練であり、それは糧になることだったと思います。

今年は、その試練があるたびに、
「前に現れる壁が高ければ高いほど、乗り越えた後には、自分を守る盾になる」そう信じてたことで、乗り越えることができたと思います。

若い頃は、キレることで闘っていた気がしますが、この歳になるとキレる前に相手のことを理解してしまう。相手の状況を読み取ってしまう。
そうなると、キレれない・・・・・何ともストレスが溜まる状況です。

ただ実直に、ただ愚直に、考えて考え抜いて前を向いて歩いていると、必ず道が開けることを感じたのも確かです。

「ピンチをチャンスに変えるのは自分自身」と世間ではよく言われますが、
実際、そのピンチをどれだけ冷静に受け止める事ができるかは、やはり日頃の鍛錬だろうと思います。

来年は弊社25年目に突入です。
よくぞ、ここまでやってこれたと思いますがが、やはり周りの様々な人達のお力添えがあってこそです。

「出会いは宝」と言います。今年出会った方々、再会した方々、ずっとお付き合いして頂いている方々、全ての方々に感謝し、新しい年も今年以上によろしくお願いいたしたいと思います。

2019年が皆様にとって、素敵な1年になりますように、、、、

 

大阪万博誘致が決定した次の日ということもあり、なんとなくウキウキした雰囲気で号砲が鳴った気がします。

8年間の悲願ということで、初めて当選して「大阪マラソン」に参加しました。
京都マラソンは2回(2014年、2016年)ほど出場していますが、今回初めての大阪です。まぁ、言い訳がましいですが、体調は今までで最悪の状態、とにかくゴールまで、この体力が持って欲しいと思って走っていました。途中からは、「歩いている方が早い」ような状態でしたが・・・・・

兎にも角にも、32000人のランナーが一堂に会して走る大阪マラソン。
前日・前々日にはインテックス大阪で受付をします。ゼッケン・参加賞などを受け取るためです。
遠方から来る人は泊りがけです。
私も京都マラソンでは泊まりを予約して、1泊2日のマラソン旅です。
食事も当然外食ですし、交通費、宿泊費、食事代、また家族や友人の応援団も合わせると、その経済効果は大きいと思います。

マラソンを経済活性化の手段として活用する自治体が多いのも納得です。

しかし、それはあくまで参加者が一定以上集まるマラソンに限られます。

コースの交通規制、サインの設置、警備員の配置、給水・給食の手配、ボランティアの管理、荷物の仕分けから運搬、清掃、救護体制などなど、イベントのすべての要素がそこには入っています。
ランナーが快適に走れるように、交通規制もしっかりしないといけませんし、荷物もスタート会場からゴール会場へ運搬するだけではなく、受け渡しも間違わないようにしないといけません。
WEBの公開、更新、また生中継のための通信の確認も大切なことです。
ずいぶん前には、マラソン関連のイベントを制作・実施したことがありますが、通信の発達によって、よりリアルに経過が知れたりします。

時代とともに、便利さや快適さが増したのも事実ですが、最後は、沿道の皆さんの「頑張れ!」の声援に元気付けられましたし、スタッフの気苦労はいかばかりか、なんて考えながら走っていました。

マラソンはできるだけ、今後も続けたいと思います。

これら、大型イベントのノウハウは、簡単に蓄積できません。何度もシュミレーションしながら、改善されていると思います。

給水だけでも渡すためのノウハウがあります。レースを滞らせないためにどのように渡せばいいか・・・・・
交通規制がかかっている道路をどのように横断させるか・・・・
様々なシーンを検証し、事故がないように綿密にマニュアルを作ってスタッフに徹底しているんだろうな、と走りながら、考えていました。

万博も長丁場、準備から制作、そして現場まで考えると、本当に壮大なイベントと言えます。
そんな壮大なイベントが大阪で7年後に開催されると考えると、やはりワクワクして来ますね。

画像に含まれている可能性があるもの:屋外

2025年・大阪万博決定しましたね。50年前のオリンピック・大阪万博の再来と言えそうです。当時私は小学校1年生、「月の石」を何度見に行ったことか・・・・その後、縁があって、イベント業界にお世話になり1990年の「国際花と緑の博覧会」では184日間仕事として会場で働きました。その当時の仕事仲間とは今だにお会いする関係です。
万博経験者が少なくなっている中で、そのノウハウを是非活かしたいものです。
また、大阪オリンピック招致の失敗で負の遺産と呼ばれてる「大阪湾岸地区」をしっかり活用・開発してほしい。

賛否両論ありますが、
2020年の東京オリンピックに続いて、関西を盛り上げていきたいものです。

これからどのような万博をデザインして行くか・・・・

楽しみになりました。

やっと、出張現場が終了しました。9月末の大分・山口10日間連続、そして10月の石川能登、島根松江・出雲の7日間と、現場もさることながら、企画作業・構成作業などデスクワークもこなしながらの出張なので、なかなかハードな感じでした。とは言え、事務所に居てても、それはあまり変わりませんが・・・・・

出張は、普段行かないであろう場所にも連れて行ってくれます。所謂観光地ではないような場所です。またそれもいろいろな発見があって面白いものです。

また、出張時の醍醐味は何と言ってもその土地の美味しいものに舌鼓をうつことですね。
父親の田舎である大分では、だんご汁、、、よく父親が作ってくれた、親父の味です。
島根では、しじみ汁と出雲蕎麦・・・・・・
この歳になると、そんな素朴な料理に惹かれます。

忙しさや現場疲れはありますが、見知らぬ土地で、美味いものを食べるのも、時にはいいものです。

島根はこの時期3年目になります。
縁があって、3年間、「神在月」に出雲の国に居られることは、何となく、心穏やかになれるものです。

インターネットのおかげで、大阪に居ながら、日本全国どこにでも繋がりますし、テレビ会議など移動は本番だけという仕事の仕方も変わってきています。
地元のスタッフと連携しながら、作り上げていきます。

そういう意味においては、ますます、日本が狭くなっています。

ただ、どこも人不足です。経験値のあるスタッフが少なくなっているのも事実です。
我々の業界だけではなく、どの業界も人不足をどう解消していくか、、、

デジタルとアナログの融合、人でしかできない仕事がある限り、出張はなくならないなぁ。
ますます、難しい仕事の経験値を上げていくことが、自分自身の盾になるはず・・・・
大阪に居ても、、、、気張るしかないなぁ

 

久しぶりに、長期出張でした。大分から山口、そして大分へ。都合9泊10日の長旅でした。2度の週末に台風がやって来るという、まさに今年の災害列島を思わせるような、天候でしたが・・・何とか、本番は晴れてもらって、事なきを得た現場でした。両現場とも、屋外ということもあり、仕込み・リハでは苦労しましたが、出演者、裏方スタッフの力添えもあり、なんとか、成功裡に終えることができたことは、感謝に堪えません。イベントは常にいろんなリスクを抱えていることも確かです。
とりわけ、今回のように自然の脅威に対して、でき得ることは安全を第一に考え、それに対処するしか方法はありません。
長期にわたって、準備していたことが台風のおかげで中止になるなんてことは、本当に辛いことではありますが、安全第一は変えられません。
晴天時、雨天時、荒天時、、、様々な天候を想定はしているけれども、なかなか思い通りにいかないことも多々あります。
最近は、想定以上の猛威を振るってくる自然災害です。
今までの経験値に驕る事なく、想定以上の想定をすることが必要な時代なのでしょう。
自然災害だけではなく、様々なリスクに対して真摯に考えを巡らせて、より良いイベント作りを目指したいものです。

 

今年は、本当に自然災害が多発しています。今日も、台風が四国・近畿地方を直撃しそうです。9月1日は「防災の日」。
改めて、様々な災害を考えるキッカケになればと思いますが、それ以上に頻繁に災害が起こっている気がします。
地震・豪雨・酷暑など、生命の危機を感じる自然災害が、忘れる暇がないくらい、日々発生しています。
「備えあれば、憂いなし」という言葉がありますが、
今や「備えても、憂いあり」の日本列島と言えます。

公助、共助、自助とよく言われます。
しかし、いざという時は、「まず、自分で自分を守ることが必要となります」
ついつい、公助を期待してしまいますが、その関係各者の方々も被災している可能性があります。
発災時は、まず自分自身で身を守る対策が必要です。
どこに避難すべきか、何を備蓄しておくべきか、などなど・・・・・

自然の脅威に真摯に向き合う必要があります。
人間は自然の一部であるという、謙虚な気持ちで向き合うことが必要です。

驕ることなく、やはり「備え」は大切な自己防衛、です。

台風が近づいて来ています。雨だけではなく、風による思わぬ物が飛んでくることもあります。

安全対策に「やり過ぎ」は、ない・・・・・・・・・

ツꀀ
先日、イベント業務管理士2級の試験を受験。
なんとか、合格、併せてイベント検定試験も合格しました。
私も、この業界で、ご飯を食べさせていただいて、既に34年近くになります。
そのころは、バブル全盛期で、その後博覧会ブームがあり、イベント花盛りともいえる時代が続きます。
しかし、平成の時代になり、バブルが崩壊、阪神淡路大震災などの自然災害が起こり、リーマンショックなどの
経済の破綻、またインターネット・携帯電話・スマートフォンの普及は生活のあり方を変えただけではなく、
様々な業種の衰退・滅亡すら招いています。
そんな急激な時代の大きなうねりの中、イベント業界も紆余曲折しながら発展進化してきました。
イベント業務管理士の試験は、平成7年から行われている
一般社団法人 日本イベント産業振興協会(JACE)が主催する資格試験です。
この資格制度は、
時代の変化に対応し、新たな時代を切り開きうるイベント・プロフェッショナル人材の育成であり、
そのためのスキル標準(職務知識・技能標準)の明確化と、中長期にわたる人材育成を考慮したキャリアパスの明示にあります。
(出典:JACEホームページ抜粋)
この資格制度ができる前までは、イベントに携わる人の基準が無かったのも確かです。
私自身も、20歳の頃からこの業界にお世話になり、その後9年のサラリーマン時代を経て、1995年に今の会社を創業し、24期目になりますが、その間、時代のうねりとともに、実に様々なことがありました。
イベント業界自体も、時代とともに、成熟し、変化している事も確かです。
ある意味で、やっと時代に追いつきつつある、ということかもしれません。
なので、改めてイベントを体系的に学び直すために、「イベント業務管理士」の試験を受けてみました。
この資格を持っているから仕事が増えるというわけでありませんが、体系的に、また論理的に「イベント業界」を理解し、その普及に務めるには非常にいい機会となったことは確かです。
漠然とイベントとは何か、勘と経験だけに頼ることで果たして良いのか、イベントに携わっている皆が一度そこをしっかり整理することは重要なことと考えます。
もちろん、理論だけで、現場の力をおざなりにするつもりはありませんが・・・・・
 一ヶ月以上に渡って、開催されたW杯ロシア大会もフランスの優勝で幕を閉じました。戦前はあまり盛り上がらなかった、日本代表でしたが、初戦のコロンビア戦の勝利から連日ワイドショーで取り上げられるなど、ほんと手のひら返しの報道合戦でした。
その間、大阪北部での地震や、西日本の豪雨など、猛暑とともに、自然災害が頻発しています。
スポーツイベントも、改めて平和であり、普通の生活が基盤になっていると言えるのではないでしょうか・・・・
W杯で思い出すのは、2002年日韓W杯です。
私は縁があって、仕事で、神戸会場担当で、W杯の生の試合や、その雰囲気を実感できたものです。どこから現れるのかというくらい、その国々のサポーターがやって来ます。今ほど、インバウンドという言葉が一般的てはない時代です。スウエーデンや、ナイジェリアなど、普段あまりなじみのない国々のサポーターを不思議な気分で眺めていた気がします。
W杯ともなると巨大な経済効果が現れます。スポーツ系イベントで五輪よりも波及効果があるのでは、と言われています、、、
テレビ放映料、広告露出、プロモーション、マーケティング、マーチャンダイジング・ライセンシングなど様々なビジネス利権が、経済を大きく動かします。
スポーツ系イベントは競技そのものの運営もさることながら、それにまつわる、様々な関連イベントが開催されます。歓迎レセプションや送迎レセプション、表彰式運営、プレスセンター運営、各プロモーション運営など。その派生効果は計り知れません。
2020年の東京オリンピック開催もあとわずかです。招致の際は、賛否両論、当然今尚、それぞれの意見はあるとは思いますが、2年後には、開催されるわけですので、選手はもちろん、関係者の方々には頑張っていただきたいと思います。
おそらく、私が生きている間に日本で行われるオリンピックは最後だと思います。
1964年のオリンピックは生まれて間も無く、全く記憶にはないですが、
4年に一度のスポーツの祭典を楽しみたいと思います。
 私のイベント業界における原点の一つが、1990年・大阪鶴見緑地で開催された「国際花と緑の博覧会(通称:大阪花博)」です。
大阪花博は、国際園芸家協会の承認を得て、博覧会国際事務局(BIE)の承認を受けた特別博です。
博覧会には、登録博と認定博の2種類に分けられます。
 2025年に大阪に誘致している博覧会は、登録博で、日本で開催されれば、1970年の大阪万博、2005年の愛・地球博に次いで3度目の登録博となります。
 さて、1990年の大阪花博ですが、私にとって非常に重要なプロジェクトの一つです。バブルがはじける前の最後のあだ花とでも言いましょうか。それなりに、予算もかけていましたし、博覧会らしいイベントとしては、それ以降はあまり「らしいイベント」は開かれていないのではないでしょうか・・・・
それは、単に、予算をかけていたということではなく、パビリオンの演出内容、それにまつわる運営業務、待ち客対策の催事の実施や、事業推進していく上での組織体制づくり。それら全てに関わることができたことは私にとっては非常に勉強にもなりましたし、全体を俯瞰して制作推進できたことは、後々得難い経験・財産を得たようなものです。
最近は、安全管理、リスクマネジメント、ユニバーサルイベントの対応など、当時はそれほど言われていない課題もあります。
技術の進歩とともに、人的な対応もそれに合わせて進歩していかないといけないですが、まだ経験と勘に頼っているのも事実でしょう。
今年の秋には、博覧会が大阪に招致されるかどうかが、決まります。業界人としては、是非大阪で開催されることを期待していますし、今までの経験と知識を最大限活かして取り組んでみたいプロジェクトです。
先日、太陽の塔の内部の入場予約が取れたので、行ってきました。実に48年ぶりです。小学1年生でしたので、その時の記憶は薄らいでいますが、今回見てもその当時にこれを創造したことへの畏怖を感じました。まさしく、岡本太郎のレガシーであり、日本人のレガシーです。
今回の博覧会が決まったら、是非後世に残るレガシーを創造して欲しいものです。