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東京オリンピック・パラリンピックに向けて、いよいよカウントダウン。

2ヶ月を切った中、その開催の是非が、日々ニュースを賑わしている。

とりわけ、IOC幹部の発言に「?」や「怒り」を感じざる得ない。

 

イベント業務に携わっている立場として、「五輪」「万博」はイベント従事者にとっては、

アスリートと同様に、「夢のひとつ」であることは間違いない。

どのように関わるかは、色々あるけれども自分がイベント業に関わっている限り、そう思う。

 

しかしながら、「コロナという見えない疫病」との闘いが今なお続いている状況の中、

「安心安全な大会」が本当に開催されるのか・・・・・

大手新聞社もオリンピックのスポンサーであることを考えると、真実の報道がなされているのか、

本当のところ、感染者は、変異株は、医療状況は・・・・・SNSなどから伝わる情報と、そこからの情報の差異はなんだろう・・・・

 

1年前を思い出すと、やっと1回目の緊急事態宣言が解除されたタイミングで、これで、「コロナ」は収束に向かうのかも・・・と淡い期待を抱いていたもので、イベントも再開されるだろう、などと前向きになれたものだが、実際は、1年後の今なお緊急事態宣言中という状態。

医療崩壊が言われて、「死の選別」ということすら現実味を帯びている。

一体、この1年間、なにをどうしてきたんだろうか・・・・

3密回避、自粛生活、マスク着用、できることを習慣化しつつも、一向に改善されない感染者数。

 

 

そんなことを考えながら、「東京オリンピック・パラリンピック」へのカウントダウンは確実に刻まれていく。直接オリンピックに関わっていないので、なんとも言えないが、ボランティア含めて、裏方スタッフの安全安心は担保されているのか、各国のメディアの行動制限はどうなっているのか・・・・・

どう考えても、「バブル方式」に穴だらけだと思うのは私だけだろうか・・・・

 

このまま、突っ走って事故が起って手遅れになる前に、

ブレーキを踏んで、最後の点検をすべきでは、・・・・

 

 

新型コロナウイルス感染症が、世界を席巻し始めてかれこれ1年4ヶ月余、日本では世界のそれと比べて

よく押さえ込んでると言われても、これだけ自粛生活を強いられるとホンマにいつまでこれ続くねん、と言いたくなります。

 

我々のイベント業界も青息吐息状態です。

イベントといっても様々なので一概には言えないですが、楽じゃ無いことは確かです。

弊社で言うと、プロモーションイベントの企画制作なので、入学式やプレス発表など、不要不急ではなく、

必要な時に開催せなあかんイベントと言えるモノなので、オンラインなど工夫を凝らしながら開催・実施します。

そういう意味においては形を変えながらも、仕事として成り立つイベントかもしれません。

 

エンターテイメントに限っては、感染症対策を施しながらと言えども、キャパの50%とかになると、採算が合わない、事業として・興行として成り立ちにくい、開催したくてもできないかもしれません。オンラインなどを併用しながら、なんとか開催しているものもありますが、苦しい台所事情は変わりないと思います。

 

しかしながら、あらためて「舞台」「芸術」「文化」が人々にもたらす、感動や勇気を忘れてはいけないと思います。

 

全世界の人々に与えられた「新型コロナウイルス感染症」という未知の闘いに、人間がどう立ち向かうのか、問われています。この疫病がもたらす分断の思想、正しい道がひとつじゃ無い時、人はどの道を選ぶのか、が問われています。様々な業種が直撃されている中、「ゼロコロナ」を目指す道、「ウイズコロナ」を目指す道。経済と医療、すべて簡単に割り切れないそれぞれの道の選択。

 

 

我々一人一人が、今守るべきことは

体の健康は言わずもがな、心の栄養バランスをしっかり保って、この危機を乗り越えていくことです。

この環境でできることを、今一度見つめ直して、「今だからできること」を見つけることがこの状態を抜け出すヒントだと思います。

 

 

 

1年以上たってもなお、未だ、新型コロナウイルス感染症に振り回されている。
世の出来事や、景気などに常に翻弄されるイベント業界において、
好景気に浮かれることなく、かといって、不景気にうなだれることなく、与えられた使命を愚直に、誠実に遂行することで、小さな信頼を築き上げてきたつもり。
信用されて、任された案件は、どんなに小さくても、大きくても、その予算の大小に関係なく、100%以上の成果を求めて、真摯に取り組んできたつもりだ。
その場で、評価がでなくても、手を抜かず積み上げた実績は必ず将来の糧になってきた。
どこかで誰かが必ず見ているもので、サボっていても見られているし、一生懸命もどこかで感じてもらっている。
常に、汗をかき、懸命に為すべきことを精一杯舐めずに、取り組むことが。相手がどんな人であろうと、そこはブレないでやり通す。

そうすれば、世の中がどれほど変動しようと、筋を通したところに、信頼が集まって来るはずだ。
春の足音が聞こえてきそうな、小春日和・・・・
梅も花を咲かせています・・・・・・・
新型コロナで翻弄されて、1年以上。
全世界の人々が新型コロナウイルスと闘っていますが、今なお収束の目処はたっていません。
ワクチン接種がやっと、我が国でも始まっていますが、全世界に行き渡るまで、その闘いは終わったと言えない状況です。
日本においても、欧米の感染者数だけを比べると、その数は桁違いではありますが、見えない疫病への対策はまだ不十分ですし、未知との闘いは続いていると言えるでしょう。
本日で、4都県以外の緊急事態宣言が解除となりますが、予断は許されない状況です。
マスコミを通じてでしか、その実態が明らかにされないけれども、医療機関の逼迫度、経済停滞による企業の困惑、国民の生活・暮らしの窮屈さなど、新型コロナ禍における人々の困惑度は益々増すばかりではないでしょうか・・・
経済活動の停滞は飲食店以外にも大きな影を落としています。
イベント業界は、ライブハウスから始まり、演劇や、コンサートなど3密回避の標的になりやすく、クラスターが起こると真っ先に叩かれる業態ゆえ、その再開すらおぼつかに事態です。
実際は、静かに観劇すれば、大丈夫なんですがね、多分・・・・
演者さんだけではなく、イベントを支えるバックヤードのテクニカルスタッフ、メイクさん、衣装さん、その他イベント制作に関わる全ての方々に大きな負担がのしかかっています。
もちろん、様々な業界・業種が同様に、負担を強いられているのだけれども、イベント業界が補償の対象に取り上げられることこもなく、その影でひっそりと去っていくスタッフや演者さんがいるのも確かです。
食べることができない故、他の業種へ鞍替えせざるえない事実。
不要不急とは、一体何を持って不要不急なんだろうか・・・・
我々イベント業界は、不要なのか、・・・・自問自答を繰り返すばかりです。
そんな中、イベント自体も「できないのではなく、どうすればできるか」を考えています。
感染リスクを低くする施策を講じながら、できるだけ、本来の姿でのイベントを企画・構成していく工夫。演者側と観客側の視点を取り入れながらプロデュースする視点。イベントそのものを再構成するためのいい機会であることは確かです。
「今までの当たり前」を疑うことで、「新しい視点の気づき」があることは、とても新鮮であり、進化するために必要なことであるような気がします。
新型コロナがある意味克服された時には、様々な新しいイベント業態が生まれ普及するのではないかと期待します。
あらためて、2020年・2021年が人類が新たなフェーズへ向かった年になればと願うばかりです。
新型コロナウイルスで、右往左往し始めて、はや1年。
誰が、この状態を予想しただろうか・・・
昨年の今頃はまだ、「オリンピックイヤー」とか「まもなく春節祭」などと、ブログにも書いています、その後の状況がこんなになることも知らず・・・
まさしく、一寸先は闇ですね。
思えば、1年前はすでに、見えない新型コロナウイルスが、徐々に日本国内にも入り込み、拡大し感染させていたのだと考えると、本当に恐ろしい疫病だと感じます。
それから、1年余り、ますますその拡大勢力は増すばかり。
関西3府県を始め、計11都府県に2度目の緊急事態宣言が発出され2縲怩R週間余り。
しかしながら、1度目のそれとは緊張感の度合いが違う気がします。
長引く、新型コロナとの闘い、自粛による行動規制とともに、ビジネス様式の変化による対応へのストレスなど。
終わりの見えない闘いと、将来への不安。
「出口のないトンネルは、無い」と思いたいけれども、「いつ、出口が見えてくるのか」という疑念。
今回の緊急事態宣言の一つに、イベントの人数制限(キャパシティの50%もしくは、上限5,000人)があるけれども、これって本当に、感染抑止力になるのだろうか・・・・消毒、マスクして、飛沫防止策を講じていれば、人数制限に意味がないような気がします。ほぼ、実際に開催されているイベントはこのルールに則って開催されていると思われますし・・・
補償のことや、対策について、色々言いたいことはあるけれども、
立場によっても、その思いはそれぞれなので、そこは言いませんが、
医療従事者の頑張りに期待し、甘えすぎている状況がいつまで続くのかどうか、
今こそ対策すべきはそこのところではないのでしょうか・・・・
とはいいながら、こんなコロナ禍でも、ビジネスモデルを開発し、変容する業態に商機を見出している方々も沢山います。
今を嘆くよりも、未来への期待を今につなげる。
「今、のアイデア」が未来を創る。
考えたら、弊社も各所から色々相談されながら、変容するイベントにどう対応していくか、、、
手間隙は、3倍以上かかるけれども、「未来のイベントのあり方」を「今」模索している途中。
つい先日、2021年令和3年になったと思ってたら、既に1月も半ばが過ぎています。
ちょうど、1年ほど前から、新型コロナというものが、世間に浸透し始めたんじゃないでしょうか・・・
しかしながら、1年後の今もなお、新型コロナに翻弄され続けるとはその時は、思っていなかったのが正直なところです。
それから、あっという間の1年で、季節を感じたり、愛でたりする余裕もなく、とにかく、人との接触をなるべく避け、
仕事も、プライベートも自粛生活を余儀なくされているのが実情です。
2度目の緊急事態宣言下、人々もそれなりに工夫し我慢しながら生活をしているけれども、1度目のそれとは、少し緊張感も薄れているのではないか、そんな感じがします。
「飛沫」による感染ということもあり、そこを気をつけながら、日常生活をおくっているのではないでしょうか・・・
本当に、1年に及ぶこの生活様式がもたらす影響は様々な経済活動に影響を及ぼしています。
とまれ、今までの生活様式を変容せざる得ないし、それに伴う、需要と供給のバランスも崩れ、新しいシステムが必要になってきています。
新型コロナがもたらす、求められる業種、消えゆく業種、それは、技術革新によるものとは、違うけれども、時代の変化、生活の変化に伴う限り、仕方のないことかもしれません。
今までの常識が覆り、新しい、また今までの非常識が常識になることもあるように思います。
企業も様々な取り組みを模索しつつ、新たなビジネスモデル構築を目指しています。
脚下照顧、自らの足元を見つめながら、
考えて、考えて、考え抜いて、この苦境を乗り越える必要があるのだろうと思います。
平凡な日常がとても幸せであることに、気づいた2020年。
新しい年に、期待することは、その日常を取り戻す事。
一人一人ができることには限界があったとしても、それが大きな力になることを信じたい。
変化し、進化することで人は前に進むことができるのではないでしょうか・・・
2021年、新たな自分自身になるために、日々精進できれば、きっと明るい未来が見えてくると思います。
あらためて、繋がりの大切さを実感し、前に進みたいと思います。
2021年(令和3年)1月吉日
株式会社ニューズ 代表取締役 中野幸次

師走になりました。

あっという間の2020年という感じです。

 

2月頃より、大阪からインバウンドが少しずつ消えて行き、

ダイヤモンドプリンセス号の新型コロナ騒動を、どこか他人事のように思っていたら、

あれよあれよという間に、日本のみならず、全世界が新型コロナ騒動に巻き込まれ、

様々な業種、業界が感染拡大のターゲットにされ、いつしか緊急事態宣言で街からも人が消えたのは、4月の上旬。

その後、感染者数に一喜一憂しながら、後手後手の政策に振り回されながらも、

「もう間も無く、騒動も収まるだろう・・・」と思いつつ、気がつけば、第3波に右往左往する始末。

Go Toが悪者扱いされ、それでもなお感染者は増える一方。

 

12月の今になっても、不安は増強するばかり、、、、誰がこれほど長く、コロナ騒動を予想しただろう。

本格的な冬到来を前に、止まらぬ感染数。

経済活動を動かしながらとは言え、この状況では、その経済も簡単には回らないもどかしさ。

 

ウイズコロナとか、新しい生活様式とか、、、、

 

新型コロナを経験した今、また治療薬やワクチンが開発中の状況下で、元の生活に戻るのは難しいだろう。

今までの常識を忘れ去り、新たな常識を構築し、慣れていかなくてはいけないのだろう。

 

我々イベント業界も、今までのやり方をリセットせざる得ない。

参加者はもとより、スタッフもコロナ対策の徹底を行い、演出もソーシャルディスタンスなどを確保しながらとなる。

また、リアルに観客を呼ぶだけではなく、オンラインで配信するハイブリッド仕様のイベント構築。

しかしながら、オンラインの環境整備、配信側と受信側のインターネットリテラシーの問題など、

手探り状態が続く中、「新しいイベント様式」を模索せざる得ない。

 

なので、全ての業種、業界において、まさしくコペルニクス的転回と言っても過言では無いだろう。

その分、手間隙がかかるし、新たに積み上げて行かざる得ない。

そう考えると、今までの壁が打破されて新しい壁を創造するチャンスとも言えるかもしれない。

この変革期に、いかに我々自身が変革し対応力を付けていくかが問われているのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あっという間の2020年も、あと1ヶ月余り。 新型コロナに始まり、新型コロナに明け暮れた2020年となりそうです。 また、その渦中で、未だ、感染予防の有効な手段は見つからず、一方経済活動も徐々に回復と思いきや 第3波到来の今、ブレーキをかけざる得ない状況。 イベント業界においても、オンラインを活用しながらリアルイベントとの両用で少しずつ動き始めているとは言え、 ウイズコロナを意識したものにならざる得ず、開催日程も感染状況と睨めっこ、演出内容も、3密回避はもちろんのこと、ソーシャルディスタンスを保ちながら、効果的な演出を考える。 今までの正義が全く通じない。 新しい生活様式とともに、イベントの効果も新しいイベントの形を構築し、納得せざる得ないのだろうか・・・ 手探り状態が続き、正解が見えない。 それでも季節は秋から冬になり、新型コロナ騒動も早く1年。 見えない疫病に対して、いかに生くべきか、本当に問われる年の瀬が近づいている。

 

エンタメ業界救済の施策「Go Toイベント」が始まるが、

その他の、トラベル、イート、商店街ほど、うまくいくのだろうか・・・

そもそも「観客の入場者数」に限界があるし、日頃から「観劇」の習慣のある人がどれほどいるのか・・・

 

観劇の問題点は、働き方改革と一体化しないとなかなか促進されないのではないか。

コロナ禍ということではなく、根本的な観劇環境の問題。

 

文化・芸術との関わり方は休暇や働く時間など他の要因が大きい気がするのは私だけだろうか・・・

 

この際、休暇の平日分散化や時短勤務など、「もう同じ時間に出勤して、同じ週末しか休めない」『皆同じ働き方』を改革する良いキッカケのような気がするんだけど。

 

私は、結構自由にしているので、ノンストレスで働いているのでそう思う。

 

 

10月は神無月。

全国の神様が「出雲国」に集まって、留守にするからと言われています。

なんとも、ロマン溢れる話です。

 

神様の年1回のMTGらしい。

 

島根県出雲、毎年、仕事で訪れるその地は確かに何か「空気感」が違う気がします。

 

初めて、その地にいったのは、高校3年の大学受験。

共通一次試験が終わって、二次試験のためです。

島根大学、教育学部体育学科。実技試験を受けに行ったのを思い出します。

2次試験の割合が他の大学と比べて比較的高かったので、全国から受験生が集まって来ていました。

その瞬間、「皆同じこと考えるんやなぁ、これはあかんわ」と受ける前から、諦めてた気がします。

案の定、浪人生活が始まりましたが・・・・・

 

その際に、「もう島根には来ないだろう」ということで、出雲大社まで行きました。

あの大きく太い国内最大級のしめ縄を見るために。

 

あれから、35年近く経って、再びその地を仕事で訪れました。

 

若かりし頃の受験時代にフィードバックしました。

日頃忘れている潜在意識に潜んでいる「思い出」がすーっと現れる。

出雲大社から、西へ「神迎の道」を歩いていくと、海岸に行き着く。

そこはまさしく、神出ずる海のようだ。

目に焼き付いたその光景は、今も目を閉じるとはっきりと浮かんできます。

 

神がまさしく、舞い降りるような美しい海と空。

 

「神さん」は人々の心の中に、必ずいてる気がします。

 

コロナ禍の今こそ、それを信じていたいものです。

 

 

やっと、秋らしい気配が漂う中、新型コロナウイルスで制限されていた、

イベントにおける入場者の人数が緩和されることが決まった。

 

未知のウイルスとの闘いで、3密回避、換気、など多くの人が集まるイベントに、そのリスク回避もあって、制限がかけられていたが、最近の感染者の拡大に一定の歯止めがかかってきたこと、感染拡大の状況がわかり始めたことを踏まえた処置だろう。

 

演劇、映画、歌舞伎などは満席を容認する一方ライブハウスやナイトクラブのイベント、キャラクターショー、競馬など、つい声を出してしまいそうなイベントは制限がかけられたまま。

 

まぁ、一定の基準が緩和され、主催者サイドの判断に委ねられたということ。

しかしながら、一気に緩和して、クラスターが発生したら、と思うと、「はいそうですか」とはならないだろう。

 

どうも、「赤信号みんなで渡れば怖くない」式で、他のイベントや、競技などを鑑みながら、判断していくことになるような気がする。

感染は、防御しても、100%防ぐことはできないことを前提に考えなければならない。

対策を十分に取っていても、「もしかしたら」はある。

そんなとき、クラスターがでたら、我先と批判の嵐は目に見えている。

 

感染者の発生よりも、そのバッシングの嵐を恐れて、主催者が思い切って開催できない、

その風潮を改めない限り、ビフォーコロナには戻らない気がする。

 

人々の思考がWithコロナに、まだ追いついていないことが、一番気になることである。

 

 

先日、8月25日に『大阪・関西万博』のロゴマークが決定しました。
応募総数5894作品の中から最優秀作品が発表され、
今後、大阪・関西万博の告知ポスターや、グッズなどに活用され、2025年に向けて機運を盛り上げるために活用されていきます。
最終5作品から選ばれた、「最優秀作品」については、賛否両論が巻き起こっています。
良い作品・悪い作品としての評価は今後時間の経緯の中で判断されるのでしょう。
まぁ誰もが、好き嫌いがありますし、その価値基準も人それぞれなので、選ばれた作品に対しては、
異論もたくさんあるようです。
デザインに100点満点はありません、正解・不正解もありません、百人いれば、百人の意見・感想があります。
思えば、1970年の大阪万博の時、私は小学生1年。ワクワクな思い出しかありません。
そして、太陽の塔がそのレガシーとして50年たった今でも、その理念を伝えています。
しかしながら、当時「太陽の塔」へのバッシングはもの凄いものだったようです、後のテレビなどで知っただけですが・・・・
まぁ、岡本太郎さん自体が世間へのアンチテーゼの代表だった気もしますが・・・・
来る2025年、あと、5年しかありません。
そこに向かって、長年イベント業界でお世話になっている私としては、恩返しできることが無いかを考えます。
2025年の大阪・関西万博への想いはある意味、私自身のイベント業界での総決算と言えるかもしれません。
感謝と恩返し!
しかし、
ロゴマーク、見れば見るほど、味が出て来た・・・・・不思議な魅力があります。
「非日常」というキーワードが、イベント業界の解決の糸口になるかもしれないと思います。
その「非日常」を欲している人が誰かがわかれば、そこにアプローチする。
興味のない人に、いくらお得だよって言っても、購入してもらえないのと同様です。
行きたい、欲しい、見たい、やりたい、・・・・・欲望がそこにあれば、あとは、一押しかもしれません。
しかしながら、誰がどんな欲望を持っているかなんて、分かりません。
なので、マーケティングが必要なんでしょう、しかし今や状況的に待ったなし、です。
今ある、資産をどう活用するか、、、、、
面白い記事を2つ見つけました。
一つは、前回も書きましたが、普段はなかなかその場で演奏やパフォーマンスのできない素敵なプロの舞台で、普段触れないピアノで演奏できるという企画です。
もう一つは、この「コロナ禍」だからこその企画です。
尼崎のアルカイックホールが企画した「最高級のグランドピアノを奏でよう」
小中高生をターゲットに、ホールにある「スタンウェイ」を弾くことができ
「一流のアーティスト」気分を味わってもらえるイベントです。
子供たちもさることながら、親御さんのザワメキが聞こえてきそうです。
また、もう一つは、運行されていない、バスの倉庫巡りイベントです。
鉄ちゃんならぬ、バス大好き人間にとっては、涎ものかもしれません・・・・
この2つの事例でわかることは、ターゲットがしっかりしていることです。
ピアノ大好きな小中高生、バス大好きなマニアの人たち。
どんな業種でも、マニアは必ずいます。
その塊に「マニアが欲するイベント」をアプローチすれば、ビジネスモデルが生まれる可能性が高まると考えます。
日常の出来事を、反転して「非日常」にかえる仕掛けがあれば、人は興味を持ちます。
また、「今だけ」という期限性も必要です。いつでもできる、いつでも見れるでは人は動きません。
今を逃せば、「次」はない・・・そんなある意味恐怖感に人は弱いものです。
イベントは人を集めることが本質ですが、そこは今は難しいのであれば、配信などいろんな手法があります。
イベントは「非日常」であり、「期限性」「仮設」なもの、そこに人の心理をくすぐるヒントがあります。
マニアをくすぐる施策を見つけたいものです。
イベントとは、「ある目的を達成する為」に、期限が設けられ、仮設で、かつ非日常を演出するものという定義があります。
コンサートしかり、演劇しかり、オペラしかり、歌舞伎しかり・・・
また、プロモーションイベントもそこを意識します。
例えば、優秀営業マンの表彰式なんかは、日頃の優秀な成績をあげた営業マンに「高級ホテル」の大舞台で演出照明に照らされ、大音響で迎えられ、選ばれし人だけが味わう授賞式として、非日常感を演出します。
成人式や入学式もたった一度の「その時」を盛大に演出し、祝います。参加者も、着物やスーツに身を固めて、非日常に酔いしれます。
日常からの解放こそが、「イベントの醍醐味の一つ」と言えます。
25年ほど前に、ギリシャのアテネに仕事で行かせてもらいました。
ヘロディス・アッティコス音楽堂でのイベントです。
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アクロポリスの丘南側のスロープを利用して建てられたこの音楽堂は二世紀に、ヘロデス・アティコス(現代ギリシャ語読みだとイロディス・アティコス)という人物によって建てられました。
(出典:トラベルコ)
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その伝統のある古代劇場で、「日本の今の文化・芸術をアテネ市民に見てもらう」をコンセプトにジャパンフェスのようなイベントです。
出演者は、アマチュアの演奏者たちや、ダンサーたちです。お世辞にもブラボーとは言えません。
が、渡航費も出演費用も自分達持ちです。出演者もさることながら、応援しに一緒に来てる人たちもいます。詳細は忘れましたが、総勢20チームくらいはいてたでしょうか・・・・
太鼓団体あり、コーラスあり、パフォーマンスあり、・・・・日頃の成果をギリシャのアテネの古代劇場で披露する、なんと贅沢なお披露目の場でしょう。アテネの人たちも、極東のパフォーマンスに、ある意味魅せられていたのかもしれません。
これこそ、「非日常」です。
出演者の人たちは、一生に一回ということで、高額の渡航費用を支払っても、そのイベントに出演したいと考えたのでしょう。日頃は、地元の公民館や市民会館でのお披露目を超有名な劇場ですることに大いなる意味があったのでしょう。
私は、ステージ進行スタッフとして、アテネ、その後ニューヨークのカーネギーホールにも行かせていただきました。
このイベントの面白さは、出演者がイコールクライアント(お金を出す側)であるということ、
宿泊、渡航旅程などは旅行エージェンシーが取りまとめをして、イベントの仕切りは我々イベント会社が行う、というまさしく三方良しのイベントです。
コロナ禍で、瀕死のイベント業界ですが、「非日常」のキーワードを紐解くと、その解決策の一つが浮かび上がってきます。
できないことを嘆くより、できることを考えたい。
次回は、そんな取り組みについて書いてみたいと思います。