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あそび塾について、情報発信します。

ツꀀ 昨日、8月24日、政府は村型コロナウイルス対策の分科会において「大規模イベントの参加人数を5,000人以下とする措置について、9月末まで延長すること」を決めた、というニュース。
結果、プロ野球やJリーグ、大型コンサートは、現状の5,000人以下での開催を余儀なくされるということ。
一方、海外ドイツでは興味深い実験が行われている。
2,000人の観客(ボランティア)を会場に入れて、屋内イベントの感染実験を行なったというニュース。(記事出典:Forbes JAPAN)
感染拡大に対する対策は必要不可欠ではあるけれども、「できないのであれば、できるためにどうするかの対策」を考える方向性と、「できないのであれば、規制をするしかない」方向性。
どちらもある意味正しいとは思うけれども、
感染で影響のある命と、経済を止める・規制することで止まる命もあることを考えていかなくてはいけない時期ではないか、2月ごろから既に半年。様々な業界への影響は計り知れない。
我々イベント業界は休業要請を直接要請されているわけではない。従って保障もない。
しかしながら実情は「開店休業状態」
人が動かないことは、イベントが開催されないということ。
本来の「人をたくさん集める」ことがイベントの本質であるならば、「人を集めてはいけない」はその本質に真っ向反対のことを余儀なくされている。
大型イベントへの規制が緩和されない限り、中小規模のイベントはさらに開催しずらいことに変わりない。
エンタメ系のアーティストやミュージシャン、舞台俳優の方々だけではなく、裏方の音響・照明・映像・大道具・特殊効果・舞台監督、進行スタッフなど、舞台やイベントを支えている様々な裏方スタッフが職を奪われかねない。
長年の経験やノウハウを持った優秀なスタッフが消えていく恐れ。
何よりも、それが怖い。
インベント再開!に彼らの存在無くしてはできない。
ならば、少しずつでも、「開催できる方策」を考え出し、スタッフを守って行かねばならない。
イベント業界の構図的には、クライアントがいて、「コンテンツ」を企画・演出して、実施計画のもと、開催されていくもの。
スタッフが自ら動いても限界がある。ある意味そのイベントを実施構想するクライアントが必要だ。
リアルイベントを待っている観客はいる。
「見えざる疫病」と闘いながら、なんとかイベント業界の灯りを消さない、イベントスタッフが再び活躍する場を取り戻したい、と切に願うばかりだ・・・・・・

2025年大阪・関西万博の正式ロゴマークの最終候補5作品が発表された。8月下旬ごろには決定されるようだ。

 

ロゴマークで思い出すのは、東京オリンピックの際のゴタゴタ・・・・

どこかのロゴと似通っていると問題になって、再考して決まった例の市松模様のロゴ・・・・

しかし、全世界、「新型コロナ」騒動に巻き込まれて、東京オリンピック自体が1年延期となる。

というか、全世界それどころじゃない・・・・・

果たして来年2021年に無事オリンピックが行われるのだろうか、今の世界の状況を鑑みるに悲観的にならざる得ない。経済的な損失ばかりか、世界のアスリートの胸中いかばかりか、4年に一回の「その時」に目標を定めてきた彼らにとって、それは・・・・・言葉も出ない。

 

本当に、「新型コロナ」が世界を変えた、また今後の世界の在りようすらも不明確だ。

 

そんな時代、5年後、大阪に万博がやってくる。

 

思えば、19790年大阪万博の時、私は、小学1年、・・・・

大阪に住んでいた私に家に会った事もない「親戚」もどきの人たちが、ひっきりなしに期間中泊まりにきていた気がする。大阪万博に行くために、泊まるところが無かったのかもしれない。

 

とにかく皆「アメリカ館の月の石」目当て・・・・・

 

小学1年の私がどこまで理解していたか、今となってはどうかわからないけれども「大阪万博」時代の日本の熱気だけは今も思い出す。世の中全体が、熱く前に進んでいる感じ、まさしく高度経済成長期真っ只中。

ウキウキ・ワクワクした時代と言っても過言ではないだろう。

 

そう思うと、2025年が楽しみでならない。賛否両論色々言いたい人もいるだろうけれども、やはり、「心躍るようなイベント」が大阪で開催されることは確かなこと。

辛いこと、嬉しくないことが多い昨今の事情を考えると、ウキウキ・ワクワクしたいではないか・・・

50年経って、子供の頃に戻れるようなそんな感覚に・・・・・

 

 

イベント業界にお世話になっている身としては、大阪・関西万博で、是非恩返しをしたいものだ・・・・・

 

 

振り返ると、新型コロナウィルスによって、1月後半あたりから、大阪の街中から「キャリーバック隊」が消え始め、2月には仕事で2週間に渡って、北海道へ。雪まつりの頃なので、今思えば結構ピーク時に行っていたようです。

2月下旬から、イベントごとは、延期・中止が相次ぎ、イベント関係者は否応なく、仕事がなく、自宅待機の状態に。

3月に入ると、夏頃までのイベントは全て中止、結局東京オリンピックも1年延期に・・・・

4月には緊急事態宣言で、街中から人が消えた。

世界中がパニックになり、日本においても、世の中の動きがパタっと止まりました。

 

 

そして、間も無く7月。

これほどの期間、こんな状態が続くとは誰も予想していなかった気がします。

この間の対応がどうだったかは、簡単にはいえません。

 

まだまだ、予断は許しませんが、徐々に経済活動も動き始めているようです。

 

やっとプロ野球も無観客ながら、19日に開幕し、徐々に、観客を入れてと言う状況になってきました。

 

 

イベント業界も、元々計画していたものが、規模は違えども、開催に向かって動き始めたようです。

いつもでも、手をこまねいているわけにはいきません。

 

しかしながら、

やはり、新型コロナウィルス感染対策を講じないわけにはいきません。

 

各業界で、実施に向けたガイドラインが設定されています。全て正しいかどうかは現時点ではわかりません。

軌道修正しながら、よりベターな方策を講じる必要があります。

 

 

とはいえ、コロナ以前の状況に100%戻れるわけでもなく、

Withコロナ時代の「新しいイベントの在り方」を100%目指すべきと考えます。

 

参加者をたくさん集められないのであれば、その参加者を違う形で募る方法もあるはず。

 

2020年イベントモデルが開発されていくはず。

今までの常識が、全く非常識になる可能性もあります。

 

今は、まさしく新たな業態の構築すべきタイミングであろうと考えます。

変化を恐れず、また違ったあるべきイベント形態を構築したいものです。

 

 

Welcome to OSAKA、たくさんの海外の人たちの笑顔が戻る日を祈って・・・・

 

 

ツꀀ新型コロナウイルス感染に関する状況は、日々変化があり、安心するにはまだ時間がかかりそうです。
治療薬・ワクチン開発が待たれます。
しかしながら、3月から延期・中止の続くイベント業界、このまま手を拱いているわけにはいきません。
なんとか、「できないことに悩む」のではなく、「どうすればできるか」を考えたい。
各団体が、様々な感染拡大リスクの軽減のためのガイドラインを策定し始めました。
現段階のものなので、状況によっては変更・追加・改善されていくものですが、一つの指標としてそのガイドラインは、参考になるように思います。
イベントを延期・中止するのではなく、どうすれば開催することができるかの指針となるはずです。
また、一方では、オンラインを活用したプロモーションイベントへの模索が始まっています。
リアルイベントと同じようにはできませんが、
顧客へのアプローチ、顧客管理、課金方法、出欠管理など、オンラインならではのシステムを構築することで、
リアルイベントではできなかった方法を考えています。
経済が停滞した数ヶ月だからこそ、「新しい試み」ができるとも言えます。
参考までに、大阪観光局  MICE開催ガイドラインです。
しかし、ガイドライン通りにできるんやろか・・・・・・って正直考え込んでしまいます。

緊急事態宣言が発令され、1ヶ月と2週間、 関東4都県、北海道を除く、関西3府県は、やっと解除されました。 自粛しなくて良いぞ、というわけではなく、 やはり3密を避け、マスク、手洗い、消毒などに気を配りながらの 新しい生活様式を意識しながら、「まだ見ぬ敵・新型コロナウイルス」と共存しなければなりません。 治療薬、ワクチンの開発が待たれますが、それまではいかにウイルスと共存しながら、暮らしを成り立たせるか、経済活動を復活させるか、を考えなければなりません。 この新型コロナウイルスは、全世界を席巻しながら、様々な業界を巻き込んでいます。 人が動かないことで、経済が止まり、お金が止まり、困窮する人が増えている現状です。 イベント業界はまさに直撃と言っても過言ではありません。 たくさんの人を集めて、非日常を演出することが、イベントであるならば、その全てを否定せざる得ません。 「ソーシャルディスタンス」とは、飛沫感染を防ぐために、 互いに手を伸ばして届く距離がだいたい2mでその程度はあけましょうということです。 これがイベント開催に大きなネックになっています。 ある調査では、コンサートホールで、2800席のキャパで「ソーシャルディスタンス」を守ろうとしたら、388席で14%の稼働になるようです。 全く採算に合わないですね。 ライブハウスなど、お客を入れるなと言われているに等しいと言わざる得ません。 そのように考えると、オンラインを有効的に活用しながら、リアルイベントと併用することが、これから求められます。 誕生会、結婚式、七五三、入学式・卒業式などの人生における「ハレの日」イベントは特に需要があるような気がします。 オンラインで単に映像配信するだけではなく、そこに付加価値を加えることで、今までのイベントにプラスαできる魅力のあるイベントを構築できるのではないかと考えます。 「ソーシャルディスタンス」を逆に価値に変えて新たなイベントを企画したいものです。

 

まさに正念場なのかもしれませんが、

ともかく、ワクチンが開発・普及しないと、コロナ禍から、逃れることはできません。

 

であれば、withコロナ、どの様にして、命を守りながら共存していくか・・・を考えたい。

 

「新しい生活様式」なるものが公表されています。

 

まぁ、当たり前と言えば当たり前だけれども、

食事で「対面ではなく横並びで座ろう」

・・・・松田優作の家族ゲームを思い出す。

冠婚葬祭の「多人数での会食は避けて」

・・・・披露宴は難しくなるなぁ・・・

働き方でオンラインが推奨されている、

・・・・・・目の前にいてもオンラインって感じだろうか。

・・・・・・今までも、目の前のヒトとLINEしてるヒトいてたな。

名刺交換もオンライン

・・・オシャレな名刺のデータ化が必要ですね。

 

 

まぁ、感染防止の観点から、様々な場面でのシュミレーションとしては、必要なことだとは思います。

 

 

 

なので、beforeコロナとafterコロナの生活様式はやはり変わらざる得ないです。

 

 

慣習は得てして、外的な要素で変化していくもので、

 

幕末に黒船来航してから、時代が動いたこともその一例と言えるかもしれません。

 

全ての原因を一点に決め込むことは危険ではあるけれども、キッカケになったことは確かです。

 

今回のコロナ騒動も、世界の秩序を大きく変化させたことに異論は無いですし、むしろこれからどの様な世界になるのかをしっかり見極めなければならない。

 

グローバルなボーダレスな世界観が果たして今後も続くのだろうか・・・

インバウンドで賑わっていた、我が国日本に再び海外の人たちは来るのだろうか・・・

 

少子高齢化、地方の疲弊、過疎化、その様な問題点が、逆に新しいビジネスチャンスを生むことはないのだろうか・・

 

社会構造の変化、産業構造の変化、都市と地方の役割・ミッション、今までにない価値観の構築。

 

 

 

グローバルの対極のスモールタウン構想、地産地消の加速など、

 

まだ正解は全く見えないし、わからないけれども、今までの正義が揺らいでいるのは確かと言えよう。

 

常識が非常識になることもあるだろう。物理的な変化だけではなく、精神的な変化も見逃せない。

 

 

今、命を守ることに目を向けながら、新しい未来をどの様に、創っていくのか、そこが問われているのかもしれません。

 

 

 

本来であれば、緊急事態宣言解除のはずが、5月いっぱいの延長が表明された。
医療崩壊を防ぎ、なんとかこれ以上の感染を止めるべく、日本全体で、協力しよう、は理解できる。
しかしながら、
イベント業界でいうと、2月下旬あたりから、延期・中止が言われ続けて、4月には夏頃まで、全て無くなったという、
仲間もいる。
私も、4月5月の予定していた本番が延期もしくは中止となっている。
またこの状況なので、その延期日程すら決まっていない。
5月末に、宣言が解除されて、「じゃあ、すぐにイベント開始」とはならない。
イベントで一番大事なものは、事前準備、様々なリスクヘッジをしながら、
本番にむけてマニュアルを作り、些細なことまで、きめ細やかに決めていく。
本番時には、ほぼ100%大丈夫状態でのぞむ。
なので、5月末に解除されても、その後、本番まで時間が必要だ。
日頃は、大阪城公園をジョギングするけれども、この状況下で、結構人が集まってきている。
3密では無いけれども、密集してきている。
飛沫も気になる、ので、GW期間中は街中をジョギングコースにしている。
最近は、大阪の筋を南下・北上しながら、通りを東西に走る。
御堂筋、堺筋・・・・・筋は、南北の道。
長堀通り、土佐堀通り・・・通りは、東西の道。
GWの昼のオフィス街や、歓楽街は、全く人がいない・・・・・
見かけるのは、Uber Eatsの自転車ばかり・・・・
道頓堀の賑わいしか知らないので、今は、本当にゴーストタウンの様・・・・
あの賑わいはどこへ行ったのか、、、、、
5月末に緊急事態宣言が解除されて、その賑わいが戻ってくるとは思えず、しばし茫然となる。
アフターコロナと言われながら、そのあるべき姿が見えてこない。
イベント業界のみならず、日本の・世界の社会構造が、確実に変わる。
我々、人間はどう対処し、どう、変化すべきなのか、、、
生きる力が問われている気がする。
コロナ禍がイベント業界を直撃して、既に2ケ月余り。
飲食業、観光業、だけではなく、実に様々な業種を直撃し、
緊急事態宣言による収束も、期待できない状況だ。
ゴールデンウィークは、本来であれば、人が活発に動き、経済も活発な時期なのに、人の移動が制約される。
経済が全く、止まっている状況と言っても過言ではないだろう。
とは言え、なんとか、自粛しつつ収束を願う!
まさしく国難、全世界が見えない敵と闘っている。
そんな状況の中、イベント業界の仲間たちも、知恵を出し合っている。
人を集めることがミッションであるはずのイベントだけれども、
人を集めてはいけない現実、ならば人を集めないイベントができないか、アイデアを出し合っている。
必要は発明の母とばかりに、様々なアイデアが生まれている。
あとは、それをどのように収益モデルに精査していくか、、、、、
アフターコロナを考えるには、まだ早いのかもしれないけれども、確実に生活構造や仕事の仕組みは変わっていくと思われる。
今までのように、トップダウンで仕事が降りてくるのを待つのはなく、これからはボトムアップで、「ビジネスモデル」をこちらから提案していくことが必要であろう、と思われる。
実に様々な業界で工夫やアイデアが散見される。
それをどのように、ビジネスモデルとして、収益をあげることができるか。
イベントの在りよう自体が変わっていくだろう。
全てデジタルのそれに様変わりするはずもなく、
そこをどのように訴求していくか・・・・
とにかく、今は、事業継続!
今まで頑張ってきたノウハウを積んだ仲間たちが再び活躍できる場が戻るまで、耐える!耐える!耐える!
写真は、
宇治市在住の、武人画家
こうじょう雅之 さん作(宇治市観光大使)の、
不動明王(五大明王筆頭)
疫病退散の守護神
不動智(動かずの誠の智恵)
「絵描きの自分に出来る事は絵を描く事くらい。余りにも無力と痛感。せめての活動。
携帯待受用として待受用御守りを。何かのご利益がある訳では無いが自由にご活躍頂きたい。」
この絵が元気を与えてくれる!
芸術や音楽や文化が人間の生きる力になるはず・・・・そこまで、気張ろう!!!!
コロナにおける休業要請、緊急事態宣言解除予定の来月7日まで、経済が動かない。
お客さんを持っている業態は軒並み大変な状況だ。
飲食、スポーツジム、カラオケ、美容・理容、マッサージ、ネイル、エンタメ施設など
今までは、いかにお客さんに来てもらうかを商売としてやってきた業種、今や、人を呼んではいけない。開店休業(実際は、自粛要請でお休み)状態、いつ再開できるのだろうか・・
一方、在宅のため、生協や出前などは逆に人手不足のようだ、家まで運んでもらう商売がこの状況のせいで、盛況になっている。
宅配サービスのデリバリー関連業種は、大忙しのようだ。
また、流通のあり方も変化の兆しだ、今までは生産者が卸業者を通じて、食材などを販売していたが、飲食店の自粛により、販路が変わりつつある。B to BからB to Cへ・・・
インターネット販売による直販だ。
商品の流れが、変わってきている。日本独特の流通形態の崩壊の兆しかもしれない。
元々、少子高齢化時代とともに、「来てもらう商売」から、それぞれのユーザーのところに「行く商売」へとその業態は変化していくのではと考えていたので、今回のコロナの影響で、その業態変化が早まったのかもしれない。
ドローンやロボットなどのインフラが整ってくると、その業態も加速するだろうと思っていたが、それを待たずに、こういう状況になっている。
であれば、その状況を分析しつつ、新しいビジネスモデルを構築する必要がある。
緊急事態宣言下では、まだ人は「生きること」が最重要課題で、あまり余裕がないけれども、経済を動かしていくには、衣食住以外にも、目を向けさせないといけない。
心の栄養を何から摂取するか、即効性はないかもしれないけれども、芸術や音楽が人の生きていく中で絶対必要なことは、過去の歴史が証明していることだ。
その時に、今までとは違う、提供の仕組みが必要になるだろう。
技術的には、様々な可能性があることは確かなので、今までのビジネスモデルにいかに付加価値をつけ、新しいビジネスモデルを見つけ出すか、
今、大変な時期だからこそ、そこへ目を向けて生きる意味を考えたい。
人間は考える葦と言った哲学者がいたけれども、まさしく、今そのことを自覚しつつ、
新しい明日へ向かって、考えるべきであろう。
*写真出典:毎日新聞 WEB
2月下旬から変わり出した街の風景。
あれから2ケ月も経っていないにも関わらず、
街から人が消えた。
外出自粛の要請で、飲食店をはじめ、様々な店舗がお休み状態。
我々イベント業界も、全く機能停止。
人を集めるイベントは真っ先に中止・延期へと。
そんな中、医療従事者の闘いは続く。
品薄のマスクや消毒液などもいつになれば供給されるのか・・・・
世の動きが全く変わってしまった。
人が動かないと、お金も動かない。
経済が止まってしまう。
見えないウィルスとの闘いはいつまで続くのか、不安が世を覆い尽くす。
しかしながら、我々は手を拱いていても仕方ない。
いろいろ言いたいことは、山ほどあるが、
文句を言っても、何も変わらない。
ならば、前向きに「これから」を考えるしかない。
緊急事態宣言が発出されて、5月6日までの外出自粛、
今の状況でそれは解除されるのだろうか、、、、否、私は否定的だ。
おそらく、当分この状況下で、暮らしていかなくてはいけないだろう。
確実に社会構造そのものが変革されていくはず。
今までの常識がそうでなくなり、新しい生活様式が生み出されるだろう。
それは、快適な暮らしとは当然言えないが、「この見えないウィルス」と共存せざる得ないのではないだろうか。
少なくとも、ここ数年はそんな状態が続くのではないか。
我々、プロモーションイベントに携わっている者にとって、
「人を集めてはいけない」はそもそもイベントの本質から離れていることであり、イベントそのものが成り立たない。
とは言え、それが現実ならば、「人を集めないイベント」を考えざる得ない。
プロモーションイベントは、エンタメと違って、経済効果を促進するための手段である。
そう考えると、人を集めなくても経済効果が得られるならば、それはそれで、有りではないか。
本来は、非日常的な仮設空間で、同じ体験をするのがイベントの本質であるのだけれども、
今は、ネットなどを活用することで、同じ時間、体験を経験することは可能。
5Gの普及とともに、新たなビジネスチャンスも生まれてくるだろう。
こんな時代だからこそできること、こんな時代だからしなければならないこと。
考えることに、お金はかからない。
今こそ、プロモーションイベントの価値を発揮すべき時かも知れない。
写真は、私の知人の美術作家の中野クニヒコさん作の、アマビエ。
新型コロナ終息への、祈りを込めて・・・・・・
毎年、お手伝いさせていただいている近大入学式。
ここ数年は、春の風物詩としてマスコミにも取り上げられるくらいのイベントになっている。
もちろん、稀代のエンターティナー・つんく♂さんプロデュースの入学式であることで、毎年話題になっています。
ありがたいことに、7年前の初年度から裏方として、携わらせていただいている。
今年度も、半年前から「演出構成」をつんく♂さんと、そして近大のスタッフの皆さんと進めていたが、状況が一変したのは、2月下旬。
収まらない「新型コロナウィルス感染症」が、徐々に世界各国へ拡がっていく、日本も例外ではありません。
それとともに、人が集まるイベントやエンターテイメント施設の休館・自粛などが相次いでいる。
そんな中、「入学式」をおこなうか否か・・・・・
結局は、サイバー入学式として、無観客でインターネット配信しようということに。
残念ながら、およそ7500人の新入生には、インターネットを見ていただくことに。
我々スタッフはそこからが大変。
新入生が目の前にいてる前提の演出構成。
一からの練り直し、どうすればインターネットでメッセージを届けることができるか・・・・
現地にいてるからこそ感じるものを画面を通して、どのように伝えるか。
一方、コロナは衰えることなく、日々拡大している、世論も状況も、日々、いや1日の間、刻々と状況が変わっていく。
できることと、やっていいことの間で、苦悩する。裏方である我々だけではなく、演者さんの思いも複雑に揺らめいていく。
決めた「構成演出」も、変更・修正の日々。
異例の事態。
最終的に、「最終構成演出」が決まったのが、3日前。
苦渋の選択も含めて、最善を尽くすしかない。
関係各社にも迷惑をおかけした。
右往左往させた。
そんな状況の中、画面と通じてメッセージを伝えるために、関係各社が努力・知恵を絞った。
生きる力を持つ人間にできないことはない。
でなければ、矛盾に満ちたこの世界で、様々な状況変化へ対応することなどできないであろう。
人間の知恵の結集で乗り越えられるのだ。
今回の経験を活かして、前を向いていたいと思う。
緊急事態宣言が出た中で、この状況の中で、
どんな知恵を働かせることができるのだろうか・・・
季節は巡り、春になり、
やがて、梅雨が始まり、暑い夏になる。
希望がある限り、
負けるわけにはいかない。
25年も会社をやっていると、ピンチばかりだった気がします。
会社員であった頃は、仕事は与えられるものだった気がします。
ある意味、給料日には給料が振り込まれていて、当たり前。
まだ、ペーペーだったこともありますが、先輩や上司に頼まれた仕事をこなす。
「なんとか自分の力で仕事を取りたい」とは思っていましたが、現実はまた別。
まぁ、給料をいただきながら、仕事を覚えさせていただいたなぁと、今更ながら感謝です。
31歳で独立して、今度は仕事を受注しに行かないといけない。
黙って、机の前に座っていて仕事が来るほど、甘い業界ではない。
実績を携えながら、「自分に何ができるか」を伝えながら、営業するしかない。
取引先の担当が飲みに行く店で、偶然を装おって、待ち伏せしたこともある。
「困っていることはないか」を探りに行く。
この業界、普通に営業したからといって簡単に受注できるものでは、ない。
また、誰もができる仕事は、価格競争になる。
信用されていても、信頼されるまでは、時間がかかる。
やっと、信頼されて、仕事を受注しても、
担当者が転勤、定年、部署転換などで、仕事がなくなることもしばしば。
結局は、誰も手出しできない、業種・仕事内容を狙うしかない。
逆にいうと、“誰もしたくない”“ややこしい仕事や、大変そうな仕事”を積極的に取りにいくしかない。
世に言う、レッドーシャン市場ではなく、ブルーオーシャン市場を狙うと言うこと。
いずれにせよ、状況に左右されにくい仕事を、どう受注するか、
全て、うまくいくわけはありません。
しかしながら、日頃から「楽な仕事」「簡単な仕事」だけを狙いにいくと、
いざと言う時には、なかなかうまく行きません。
世の中の様々なことで、翻弄されることは、致し方ない気もします。
技術革新で、なくなっていく業種もあります。
また、これからAIなどで世の中の仕組み・様相も変わっていくに違いありません。
今回は、新型コロナウィルス感染で、パニックになっていますが、これを糧に
今後を再考していかねばなりません。
人間には、知恵があるはずです。
しかしながら、どこもここも、臨時休館、
このままの状態が続くと、息切れする人、続出するぞ・・・・・
弊社ニューズが誕生して、25年が過ぎていた。
「あっという間」と言うのが本当のところです。
準備期間から言うと、1994年10月頃だったろうか、ある会社の社長から、
「もう一つ会社を作るけど、中野くんやれへんか?」と言う何気ないけれども
決断のいる言葉をいただいたところが出発点。
大学時代に学生企業をやっていた経験もあり、将来は独立する!とは思っていたけれども、現実は厳しく、独立資金もなく、悶々としていたことは確か。
そんな時に、天使の囁きか悪魔の囁きか、「会社設立のチャンス」を思わぬところから、いただいた。
結果、8年間のサラリーマン生活に終止符を打って、1995年2月から、経営者として出発。右も左も分からない、銀行とどのように付き合う、税理士さんの視点と事業者の視点の違い。社員の立場とその思い等、わからないことばかりでのスタートでした。
最初のターニングポイントは、一緒に会社を立ち上げた、元社長との決別です。
ニューズを立ち上げた時は、社長はその方。私は、専務取締役としての役職。
実質的には、私がニューズを動かしてはいましたが、結局4年目1999年に、その社長は、「ニューズ」を閉めると言うことに、・・・・
株を5%しか持っていない私に決定権はありません。
少なくとも、46%の株を買い取って、51%にしない限り代表権はありません。
1週間の猶予をもらいました。
義理の父、私が務めていた元会社の社長、友人であり仕事仲間のEさんに頭を下げてお金を借りました。皆さん2つ返事でした。そして、我が家の貯金をかき集めて、460万を1週間後に渡して株を買い取りました。
なんとか、ニューズを潰さずに済みました。残りの49%の株は毎月、20万円ずつ返済しながら、買取、100%私が株を持つことになります。
今となっては、「お金を集めることの大切さと、難しさ」をその社長は教えてくれた気がします。経営とは、いつどうなるかわかりません。
仕事は着金があって初めて終了すると言うこと、えてして本番が終わって終了と思いがちだけれども、そうではない。
その後、私も苦い思いを2008年にすることになりますが、その話は、後日。
そんな紆余曲折がありながら、1999年4月から、晴れて、代表取締役としてスタートすることになります。
酒、タバコ、ゴルフ、・・・・・・どれか一つやめよう
その時から、一日2箱吸っていたタバコをきっぱりやめました。
今思えば、最低限の私なりのケジメだったのでしょうか・・・・・

1月31日は弊社の大晦日のようなもの。決算月です。
会社にとっては、けじめの月となります。
2月から新年度が始まります。

1995年2月、31歳の私は、弊社ニューズを創業。
その年は、1月17日に阪神淡路大震災、3月はサリン事件など、先行きが不安なバブル崩壊時代の真っ只中。
あれから、紆余曲折、山あり谷あり、谷底あり。

今日で、25年が経ちました。
明日から、26年目のスタートです。

この25年間、出会った方々に、感謝しかありません。

引き続き、よろしくお願い致します。

冬の北海道はいつ以来だろうか・・・・ 大学生の頃、流氷を見るために、札幌縲怦ョ川縲恍t内縲恂苺ハの旅をしたのを思い出す。 夏は、帯広の北の町・豊頃町で酪農家に住み込みのバイトで1ヶ月あまり過ごしたこともあり、 北海道には、ことの外、思入れがある。 とにかく広い、地図で見るとちょっとそこまでが、結構時間がかかる。 北海道だけ全体地図を縮小しているん違うって感じることもしばしば。 そんな北海道に異変が起こっているようだ。 とにかく雪が少ない。 来週から始まる雪まつりの雪像のための雪も札幌市外から調達しているようだし、 道内で行われる、雪まつりも軒並み中止を余儀なくされているようだ。 そして、いつまで続くかわからない「新型肺炎感染」 中国からの団体旅行のキャンセルが相次いでいる。 観光業にとっては、ダブルパンチだ。 インバウンドによる経済効果は全国至る所で見られるけれども、このような感染症など 世界中で人々が活発に動く時代、実に様々な生態系が変化していくことも否めない。 とりわけ、海に囲まれた日本において、国境を意識しすぎることもなく、水際対策で効果があった気がするが、これからはそうもいかない時代なのかもしれない。 経済を優先し過ぎてもいけないけれども、さりとて、あまり神経質になりすぎるのも考えもの。 オリンピックイヤーに巻き起こった「新型肺炎」問題は、大阪万博など、 これからの日本のインバウンド政策にも大きな影響を与えることになるのだろう。