Category Archives: 閑話休題

宝くじを買ったことない人は、いるのだろうか?

マニアではなくても、年末ジャンボ宝くじとか、年に1回だけでもと購入する人が多いことは想像に難くない。
今日9月2日は、く(9)じ(2)の日らしい。第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)宝くじ部が1967年に制定。
当選しても引き換えられず時効となってしまう宝くじが多いことから、時効防止のPRの為に制定された。
宝くじ、当たらないとわかっていても、ついつい夢見てしまう。当たったら、あれが欲しいこれが欲しい、あそこに行こう、などなど。
まさに夢の宝くじ。
しかし、現実は厳しいもので、その結果を落胆してみるばかり。それでも捨てきれない様々な夢。人間が見ることのできる自由な夢を誰もバカにできない。
仕事柄、キャンペーンの応募事務局をやることがある。様々な賞品をゲットしようと、応募される消費者の方々。キャンペーンマニアみたいな方もいて、応募ハガキを綺麗にデコレーションしたりして、何とか当たる確率を高めたいというその意気込みには頭が下がる。当然、抽選ですからその努力は報われないが、意気込みは物凄く、感じる。
私がそんな懸賞もので初めてもらったのは、チョコボールのおもちゃ箱。くちばしと呼ばれる取り出し口に「金のエンゼル」「銀のエンゼル」が印刷されていると、当たり。金なら1枚、銀なら5枚集めると、もらえる。
包装ビニールを開けて、くちばしを開けるときのなんとも言えないドキドキ感は大人になった今でも忘れられない。多分、懸賞に応募する方もこんな気分何だろう。「当たるかもしれない」というその期待感。外れたときの落胆。それでも、期待感にすがりたい。
大げさかもしれないけれども、世知辛い世の中で、愚直に子供のように「当たることを信じる」期待感。それは、宝くじが当たらないと思っていながら、それでも買ってしまう気分に似ている。
どうせ当たらないから、と思うより、当たったら、どうしようって悩む方が健康的な気がする。
人生、うまくいくことの方が少ないけれども、うまくいくこともある。
所詮天国に持っていけるものなどないわけで、生きてる間に見る夢はどんなに大きくても、どんなに小さくても、何度あってもいい。
夢を見続けて、追い続けて、時に夢が叶ったり、叶わなかったり、それが人生。
くじの日から、大きくそれてしまったけれども、「宝くじ」にはそんな夢物語が潜んでいるから、買ってしまうのだろう。
この間のサマージャンボ宝くじ、まだ結果見てなかったなぁ、結果がやはり気になる。

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今日9月1日は「防災の日」

伊勢湾台風が襲来した翌年の1960年に閣議決定され、毎年、各地で防災訓練が行われる日でもあります。
ただ、昨今はこの時期に限らず、地震、豪雨、竜巻など、四季を通じて様々な自然災害が各地で起こっています。
防災はもとより、減災への取り組みを各自治体も取り組んでいます。
今や、災害時に助けてもらうことすら、難しい時代と言えます。都会における帰宅難民問題など、いかに、自ら対処していくか、日頃からの心構えが重要になっています。
今から8年前の2007年に、私も日本防災士機構から、「防災士」に認定されました。
一定の知識・技能を修得しました。実際に災害現場でのボランティア経験もありませんので、偉そうなことは言えませんが、「防災・減災」への意識が高まったことは確かです。
『自助・共助・協働』を原則として、社会の様々な場で防災力を高める活動が期待されています。
昨年度は、「大規模津波・地震総合訓練」のイベントにも携わり、関係機関の連携の重要さと共に、地元住民間の連携は非常に重要になってきています。先ほども言いましたが、今や助けてもらえないような大規模な災害が起り得るということです。インフラが便利な分、それらが破壊された時の、不便さ、電気・ガスが止まった時の悪環境の出現。水洗便所が使えない、自動ドアが動かない、など。便利な社会と引き換えにそんなリスクを背負っていることも忘れてはなりません。“備えあれば憂いなし”、という言葉があります。しかし、今や憂いは無くなりません。いつ何時、何が起こるかわからない時代です。備えは当たり前、その先を考えるシュミレーションが大事です。
地震の際はどこに逃げるか、津波が襲う恐れがある場合はどこへ逃げるか、自宅にいる時、会社にいる時、外出先にいる時、「まさかのその時」を考えつつ、誰かが助けに来てくれるような災害ではないことを自覚して、「災害はいつでも起こり得ることを前提」に日頃から災害に対して意識して、様々な対策を自分なりに立てて欲しいものです。
「防災の日」は災害について考える日でもあり、また自然の脅威を改めて思う日でもあります。
人間万能主義はきっと必ず、自然界からしっぺ返しされます。自然破壊に対してもう一度目を向け考える日であると考えます。
人間の叡智が、自然との共存共栄に役立つことを、祈るばかりです。

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初めてフルマラソンを走ったのは、今から20年ほど前、以前勤めていた会社の社員旅行で「ホノルルマラソン」を走った時。

20代後半だったけれども、タバコも吸っていた頃です。

そして、1年半ほど前に「京都マラソン」を完走。歳は50歳になっていました。記録よりも、とにかく走りきることを目標に走った気がします。

それからも、会社の近所の大阪城公園をコースに、朝・夕など時間があれば、走ります。
さすがに、走るペースは遅くなってきてますが、全身から汗をだすには、とても気持ちのいいジョギングです。

ランニングハイという言葉があります、
「気分が良くなってハイな気持ちになる」という意味で使われる言葉。つまり、ランニングをする事によって気分が高揚してハイな気分になる、という事のようです。
当然、トレーニングを積んで疲れたり苦しかったりする状態を超越した時に起こります。

私の経験で言えば、体は勝手に動いているのに、頭が空っぽになるような感覚です。
あるしんどい状態を越えた時に「そんな感覚」になります。

私にとって、ある意味走ることは
「考えないため・・・」
「頭の中を空っぽにするため・・・・」です。

自分の中では「走行禅」
そう、禅をしている状態です。

汗とともに、いろんな雑念をあぶり出す。
執着心や、虚栄心、など、そんな雑念をあぶり出すために、走ります。

言い換えると、普段は執着心だらけ、虚栄心だらけとも言えます。

まだまだ、修行が足りません!!!!

走って走って走りまくらないといけないようです。

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10年以上前に出会った、マーケティングの師匠から教えていただいた、法則です。

何かを決断する時、

・前から「したかった」ことなのか?
・「その人」(自分を含む)を信用できるのか?

この2つとも笞ェ・盾ナあれば、迷わずGO、
ひとつでも、△もしくは笨厄ク盾ナあれば、STOP

非常にシンプルな法則ですが、実に深い意味を持っています。

この法則を教えてもらうまでは、「決断」をその時々の環境や、自分の気分、周囲の声など、様々なことに迷いつつ、また惑いつつ、決めていた気がします。
うまくいけば、「その決断」が正しかったように、
うまくいかなかった時は「その決断」が間違ったように、感じてた気がします。

この法則は「その決断」に対して物事が「うまくいかないこと」が大前提になっています。
必ず、「決断」した後に、いつか、それはすぐかもしれないし、1年後かもしれない、5年後かもしれない・・・・いつか試練がやってくることを前提にしています。
そして、その試練のタイミングに自分がどういう考え方(気持ちの持ちよう)で対処できるかの法則と言えます。

法則によれば、上記のひとつでも△、笨厄ク盾フ場合はそこに原因を探してしまいます。

本当は、「したくなかったんだ」「仕方なく、やらされた」
「あいつは調子者だから」「本当は、信用してなかった」など

そうなれば、決断したその時にまで戻ってしまうし、本当の試練の原因が見えなくなってしまいます。

二つとも笞ェ・盾フ場合は、試練のタイミングに、うまくいかない原因そのものを探します。その原因を解消することで、もう一段高みへ、先に行くことができます。

長い人生、山あり谷あり、谷底あり、そんな起伏に富んだ人生道であるならば、納得のいく道を歩きたいものです。

うまくいかないことを前提に、言い換えればピンチは必ずやってくる、その時にどんなふうに捉えるか、がとても重要な気がします。

世間が悪い、取引先が悪い、スタッフが悪い、環境が悪い、などなど、「悪い」原因を常に外に求めていると、本質が見えなくなります。

もう一度、「本当にやりたかったことなのか?」「その人(自分含めて)を信用できるのか?」を自問自答してみると、見えないことが見えてくるかもしれません。

そこが一番大切なことだと、考えます。

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先日、ニュース番組で中小零細企業の後継者問題を取り上げていました。様々な職種があるので、一概にその成否はいえないし、それぞれの企業ごとに事情があるのは、確か。

しかし、高齢化が進む中、また日本の技術の継承などは本当に難しい課題と言えます。

長年のノウハウ、技術、取引先開拓など継続することによって、活きる企業群、単に他の企業にとって替われるほど単純なことではないですね。

もっと言えば、年配の人たちのノウハウや経験をどう活かせるか、高齢化だからこそ、熟年の人たちの活用を考えたい。
若者と熟年との共存共栄、企業だけではなく、地域社会での課題でもあるかもしれません。

新しい、ビジネスモデル、マネージメントの構築が求められているのかもしれません。

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デビュー当時から、応援している「kogakusyu 翔」の15周年ライヴが、9月19日(土)尼崎・あましんアルカイックホール・オクトで開催されます。 是非、この機会をお見逃しなく!!!

https://www.facebook.com/events/516444801839145/

すっかり、お盆モードでしょうか・・・

弊社の周辺はオフィス街のため、顕著にそんな感じが漂っています。
人が街から消えている感じですね。
きっとお盆休みで、帰省されたりしてるんでしょうか・・・・

私は、14日・15日と広島で現場がありますので、おやすみはありません。

まぁ、この業界にいてる限り、人が休んでいる時は働いて、人が働いている時に遊んでみたいな感じでいいかな、と思ってます。

SNSが登場してから、人のコミュニケーションの方法が様変わりしましたね。
twitter、Facebook、mixi、Instagramなどそれぞれに特徴があって、一長一短ですが、様々な情報を簡単に発信でき、また自分の意見なども主張できます。。。。

しかし、一方ではそんな発信が自分自身をさらけ出すことにもなっている、ということですね。

当然、十人十色、様々な意見がある中で、すべてが同じ意見というわけにはいきません。

というか、
「そんな考え方もあるんだ」という、発見の方が多いかもしれない、ですね。

自分と違う意見を尊重できるかどうか。。。。
やたらと、突っかかってくる人、ましてや面識もない人からの突っ込みは、少し戸惑いを感じます。

【多様な価値観を受け入れる力】を持ちたいものだと思います。

SNSとうまく付き合うことで得るものは沢山あると感じますが、
ちょっと間違うと、
なんか、変なことになるのも、SNSの怖さかもしれません。

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昨日は、取引先の開催している「キッズイベント」を見せていただきました。グランフロント大阪のコンベンションセンター。

「少子化」のあおりで、業種によっては過当競争や売上減に見舞われているものもありつつ・・・・
とは言え顧客の囲い込み競争は激しさを増すばかりですね。

「6ポケット」(両親、それぞれの祖父母)が最近は「10ポケット」になってきているそうだ・・・・・
それぞれの叔父叔母の4つをプラスして言うらしい。
晩婚化、非婚化の影響という。

時代は常に変化し続ける中、企業としてどう対応し続けるか・・・・
「良いもの」を作れば売れる時代ではなく、「良いものは当たり前、かつ売るための仕掛け」を考えなければならない。
プロモーション活動がますます重要な気がします。

10ポケットにアプローチする手段・方策を常に考えつつ、
その財布を緩くするか・・・・・

そんな心理戦かもしれません。

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昔、仕事の先輩から教わったこと、

「できる人を真似ることが、学ぶことになる」
昔はできる人の背中を見て盗め!!って育ってきた世代。

今のように、マニュアル化されてもいないし、ましてや手取り足とり教えてくれたこともなし・・・・
自分で考えろ!的な時代。

最近
世間を騒がしている、東京五輪のエンブレム問題。
パクリかどうか、真偽の程は本人のみぞ知るってことでしょう。

世界中探したら、きっと同じようなデザインのロゴはもっと山ほどありそうだし、そもそも完全オリジナルなるデザインは存在するや否や・・・・・
ただ、そのデザインにしたコンセプトが重要な気がします。
デザインの優劣、好き嫌いに関しては、これはもう個人の主観でしかない。
そのデザインにした、考え方・背景・趣旨など、その想いがどれだけデザインに反映されているか・・・・・

街のお店のロゴだったら、こんなに騒ぎにならなかったでしょうに・・

「真似る」ことから、「学ぶ」ことは仕事だけじゃないのかもしれません。
しかし、インターネットで調べればいろんなことがわかる時代、デザインも簡単にリサーチできる時代・・・・
見えなくてもいいものまで、見えてしまう時代・・・・

単なる「似てるデザイン」の問題ではないような気がします。

なかなか、創造性が個性として、尊重されにくい時代かもしれません・・・・・

25年前・1990年、国際花と緑の博覧会が、大阪は鶴見緑地で開催されました。

思えば、バブル崩壊はすでに水面下では始まっていたのに、まだそれに気づかずに、浮かれていた時期です。

私は「大輪会・水のファンタジアム」という関西で生まれ育った企業40社(当時)のグループパビリオンの催事担当ディレクターとして、勤務しておりました。183日間、パビリオンに出向状態です。

幸い、当パビリオンは出展した中でも1位、2位を争うぐらいの人気パビリオンでしたので、「整理券」を配布するための行列の整理、入場するための整理・・・・・本当に安全確保の運営は大変でした。
我々はその「待ち客対策」としてパビリオンの前の催事広場で様々なイベント行いました。
夏場は「ポカリスエット」を配ったり、ヤン坊・マー坊と記念撮影をしたり、オペラのミニライブ、七夕の日には、彦星・織姫のお琴コンサート・・・・実に様々なイベントを行っていました。

8月1日は「水の日」です。
このパビリオンのコンセプトは
“水は生命の根源”でしたので、1日は特別イベントを開催。
おかげさまで、メディア取材も結構来られていました。

事件はそんな暑い日に起こりました。。。。。。

もう、25年前で時効だと思いますので、裏話を・・・・

その日はとにかく暑かった、、というよりその夏が猛暑でした。
水の日にちなんで、我々のパビリオンでも「マスコットキャラクターの氷像パフォーマンス」など、様々なイベントに工夫を凝らしていました。

そして、

あるテレビ局のディレクターから「あのキャラクターの着ぐるみを脱いで『暑っ縲怐xってシーンを撮りたいんだけれど・・・・」
ニュースとして取り上げるワンシーンです。

私が
着ぐるみに入っている役者さんにお願いしてみると・・・・
「ダメです、着ぐるみに人間が入っているところは絶対見せられません!!」キツくダメ出しされました。

「こどもにとって、キャラクターは生きているんです。それを中から人間が当たり前のように出てきたら、彼らの夢を壊すことになります」

本当に、私は反省しました・・・・
彼女は、そんな思いでこの暑い中頑張っている、それをパブ的に取り上げられるからと、簡単に引き受けた自分を大いに恥じました。。。。。

その後、某テレビ局が怒ったのも無理はありません。
何時間も待たせていましたから・・・

某テレビ局のクレームで、
私と広報担当Dは、館長に呼び出されて、事情聴衆です。

今でも、8月1日になると思い出します。

そして、あの時、着ぐるみを脱がせなくて本当に良かったと思います。。。

あれから、25年、未だにあの頃のスタッフ・コンパニオンと同窓会が続いています。

私はこの同窓会を「奇跡の同窓会」と呼んでいます。

人類の歴史からすると、70年はアッと言う間の時間かもしれません・・・・

しかし、70年前の今日空から1発の爆弾が投下され、今まで、29万7684人の方々が亡くなった事実は決して忘れてはいけない。

平和であることの意味を今一度自分事として、考えたいものです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150806-00000025-jij-soci

1983年夏、私は北海道帯広地区、十勝の豊頃町の牧草農家で過ごしていました。

何ヘクタールもある牧草を刈ることが最初の仕事です。
トラクターでとにかく刈る、刈る、刈る・・・・・・

一仕事して、朝飯。
そして、昼まで、刈る。
昼飯後、陽が落ちるまで、刈る。

とにかく、1年分の牧草を刈る。

その刈った牧草を、乾燥させます。

数日後、トラックに乗っけてサイロに運び込みます。

完全な肉体労働です。

フラフラになりながら、終わりのないように感じる牧草地を見ながら、途方にくれたことを思い出します。

とは言え、

雨が降ると全く作業ができません。
そんな時は住み込みの親父さん・叔母さんたちが北海道を車で案内してくれました。

襟裳岬、阿寒湖、網走・・・・・・本当に、いろんな所に連れていってくれました。

そんなフラフラになりつつ、観光にも連れていっていただいた、農家の皆さんに本当にお世話になりました。
どこまで、役に立ったかわかりませんが。

思えば、当時はバブル全盛期で労働力不足は全国に及んでいた気がします。

そして、昨今、少子高齢化時代、労働力はどうなるのだろうか・・・・

私が、アルバイトしたように交流人口が労働力になるような、都会と田舎の交流が、盛んになればいいのに、思います。
「アルバイト料」以外に得るものが絶対あるはずです。

行政も巻き込んで、労働力の交流人口増加施策を、
需要と供給のバランスを都会と田舎で計れないものか・・・・

「北海道の牧草地バイト」から、32年、体力的に肉体労働は無理だけど、互いにエールの贈れるビジネスモデルはないものだろうか・・・・・そんなことを考えています。

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大学時代は、社会に出る前の「モラトリアム」みたいな期間。

私は、
大学生活で決めていたこと、
「普通運転免許証」の取得、「教員免許」の取得、北海道に行く!!

なぜか、北海道への憧れがあり、大学生活の間に行こうと決めていました。

結果、3つとも、叶うことになりますが・・・・

「北海道」には単に遊びに行くだけでは面白くない。

当時「学相」という、学生相談所なるアルバイト斡旋所が扇町公園の前にありました。
壁に、たくさんのアルバイト募集要項が貼ってあります。
人気の高い(時給が高い、楽しそう、)アルバイトは抽選になります。
大学1年の頃は毎日、学相に通っていました。
1日行って、その日払いのアルバイトで暮らしてた気がします。

夏休みに向けて、その日も「何かいいバイトがないかぁ」と求人票を見ていました。

「牧場・住み込み3食付き、日当6,000円、往復交通費支給、若干名募集、20日縲怐vという張り紙を発見。

北海道は十勝地方・豊頃町での牧草地の住み込みバイトです。
日給は安かったですが、北海道への憧れが勝ってました。

大学1年の夏休みは北海道です。

東京までは、新幹線、東京観光の後、上野から寝台列車、青森からは青函連絡船です。
函館で観光して、札幌へ、札幌からは、また夜行列車だったと思います。

とにかく、豊頃町の役場の集合日時までにあっちこっち観光しつつ、向かいました。

役場に着くと、私だけではなく、農家や酪農で短期アルバイトする若者たちの歓迎会をしていただきました。
ジンギスカン鍋をご馳走してもらったことを思い出します。

北海道の夏は短く、その間に為すべきことがたくさんあります。
その為すべきことに比して、労働力が足りないということで、都会の若者のアルバイト募集です。

こうして、20日あまりの私の季節労働が始まりました。

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大学4年の頃、ほとんど授業にも出ずに、やはりアルバイトばかりしていました。

京橋という大阪らしい下町の歓楽街で当時「青空駐車場」がありました。
今でいう、Timesなどのパーキングのことです。但し当時はだだっ広い広場に管理小屋があって、人が入出庫を管理していました。
奥に駐車した車を出すのに、2人掛かりで、パズルのようにして、車を出し入れしていました。
歓楽街なので、結構な出入りがあります。
とは言いながら、1度満車になると結構暇になります。

管理小屋でぼーっとするのも勿体無いので、お客さんが来ない間は、本をしゃかりきになって読んでいました。
単行本・文庫本、ノンフィクション、フィクション、経済小説、純文学、ミステリー、恋愛もの、歴史もの・・・・・片っ端から、古本屋で買っては読んでいました。

そして、ある時、気づきました。
1週間前に読んだ本の“あらすじ”すら覚えてないことに。

本を読めば少しは、賢くなると信じていた私は結構愕然。

そして、バイト先の年配のおじさんに、嘆きました。
「おっちゃん、本を幾ら読んでも、日にちたったら、中身忘れてしまうねん。だから、読むこと自体意味あんのかな?」
チョット、間抜けな大阪弁で聞いてました。

そのおじさん名言でした。「そらぁ、兄ちゃん。当たり前やで。忘れるために読んでんねや。」

?????また、私、唖然!

でも、よくよく聞くと、“読んで感じたことは、潜在意識に残ってる。だから、何らかの刺激があったときに、その潜在意識が顕在化する。でももともと、読んでなければ刺激を与えても何も出てこない。”だから、読書は意味ある、
と心理学の先生が言うてたらしい。

そうか、忘れることを怖がってはいけないんだ、自戒。

あれから、30数年。今だ潜在意識の中の知識が出てきません。

忘れっぱなし・・・ということもあるかもしれない。

けれども、「青空駐車場」でお客さんの車のバンパーを少し擦ったことだけは、覚えております。

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イベントの裏話縲怎c`ベーションイベントを仕掛ける縲彌r

と題して、1時間弱、講演をさせていただいて3週間。
その際の参加者の皆さんのアンケート結果を頂きました。

任意なので、全員の方々の意見をいただいたわけではありませんが・・・・・概ね、前向きな意見です・・・・・

が、
やはり、反対意見(面白くなかった、為にならなかった・・)も知りたいと思ってしまいます。
当然、わたしのテーマがすべての方々に受け入れられるとは思っていませんし、興味の問題、仕事的にあまり関係が無い、ということもあると思います。

そこで、
思い出したのが、「クレームは期待の裏返し」という話を思い出しました。

飲食業だけではなく、お買い物でもなんでもそうですが、お店に自分なりの期待値があると思います。

例えば、スーパーでお買い物をしたあとに、家に帰るとレシートに記されている金額と、お釣りがあっていない・足りないことに気づく。
すぐにお客さんがスーパーにクレームを言いに行きます。

「レシートとお釣りが合わないんですが・・・・」
「申し訳ございません」

スーパーの対応竏窒P
・お釣りをレシートのまま返却

スーパーの対応竏窒Q
・お釣り+その商品の料金分を返却する

対応竏窒Pは間違っていませんが、お客さんは多分、納得しないと思います。クレームをつけた自分がクレーマーになったような気分になったかもしれません。

対応竏窒Qは期待以上の対応で、お客さんは多分、またこのスーパーで買い物をしよう!と満足に思うかもしれません。

クレーマーと呼ばれる、何でもかんでもクレームつける人は別ですが、なにかの拍子にクレームをつけるのは、よほどのことかもしれません。そのお店、そのサービスに期待をしているからこそ、裏切られた時に怒るのではないでしょうか・・・

なので、

その、裏切ってしまった後の対応こそが大切な気がします。

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