Monthly Archives: 6月 2023

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私の仕事はイベント制作。様々なイベントを裏方として支えること。既にこの仕事を生業にして40年が経とうとしている。その原点は、大学時代に遡る。
「法律違反以外のことなら、なんでもやりますよ!」私は大学2年になって、友人と「何でも屋さん」なる会社を立ち上げた。今でいうベンチャー企業というやつだ。しかしながら、なんのノウハウもない我々ができることは「元気に、明るく、力持ち!」。
要は「困っているあなたをお助けしましょう」というお節介な商売というのが本当のところ。
 世の中わからないもので、実はこれが大当たり、1984年、昭和59年といえば、今と違って、インターネットなどない時代、ましてやスマホや携帯電話もない、「困ったことを解決する」のは、当時タウンページと呼ばれていた黄色い電話帳一つ。誰に、どこに、どう頼めばいいのかがわからない時代。そんな時代の要請にハマっていたのだろう。最初こそ、暇を持て余していたけれども、そのうち、1台しかない黒電話が鳴りっぱなし。
「換気扇が壊れたから交換してほしい」「化粧品のデモ販売をしてほしい」「吉本新喜劇の大道具を運んでくれないか」「披露宴を盛り上げてほしい」「獅子舞になってほしい」「ライブツアーの運転手をしてほしい」「ビール工場にアルバイト10人ほどきてほしい」などなど、ありとあらゆるお願い事が舞い込んできた。我々もここぞとばかりに、友人知人総出で依頼をこなしていく日々。今でいうところの人材派遣のようなものだ。
 仕事が集まるところには、人も集まる。
 徐々に、組織ができてくる。人が集まってくると、元気だけでは、立ちゆかない。管理体制を固めないといけない。突っ走っていた最初の頃とは随分勝手が違ってくる。不平不満も募ってくる。若いということは、その分我慢も足りない、世間を知らない。喧嘩も絶えない。何かをやり始める時は、「やるぞ!」の気持ちがみんなをひとまとめにするが、「やり続ける」うちにこれは違うんじゃないか、あの方がいいのでは、色んな壁にぶつかってしまう。小さな壁であるうちはいいが、やがて大きな壁が立ちはだかり、若さだけでは乗り越えられないことを知る。
 そんな時期、我々自身が企画実行したイベントが大失敗する。1500人乗りの大型客船をチャーターして1000人ツアーを企画制作。淡路島と徳島を繋ぐ大鳴門橋が開通した1985年、淡路島で「くにうみの祭典」という博覧会のようなイベントが開催された。そこに、若者を集めてオールナイトで客船で盛り上がろう!というイベント。我々スタッフは四方八方、集客を募るのに走り回った。
 しかし、盛り上がったのは最初だけ。集客のノウハウもない我々に1000人集めることは、あまりにもきつい現実だったのだ。
1000人ツアーどころか、100人ツアー。
結果、莫大な借金だけが残った。勢いだけで進むことの難しさと愚かしさを嫌というほど実感した。結局2年弱で「何でも屋さん」は解散。ボクは、就職活動をしながら、イベント制作の専門会社でアルバイトをし、ノウハウを勉強することにした。勢いだけでは、成し遂げられないことを実感した故の決断だ。
 必死に取り組んだこと自体は、失敗体験も血となり肉となっているけれども、それが仕事になったとき、やはり失敗は許されない。
イベントは成功して当たり前。
 あの2年にも満たない「何でも屋さん」の経験が、今、40年この業界で働かせていただいている私の「原点」として活きているのは確かである。

インド・ネパール17日間。僕が社会人になる前の大学の卒業旅行。

今もなぜ、「インド」だったのか、作家、藤原新也さんの「印度放浪」という本を読んだせいだったのか、それだけではなかった気がする。働き出すと自由な時間がなくなるので、その前に「気軽な旅をしてみよう」そんな思いだった。もう36年前になる、1987年。
コルカタ(旧カルカッタ)というインド北東部の都市へ入って、17日目にニューデリーから出国。決まっているのはそれだけ、宿泊先も、行先も全く自由な、自分自身で決める旅。初めての海外で、ひとり旅。頼りは『地球の歩き方』という一冊の本のみ。今考えると、こんな無謀な旅は若さゆえにできたのだろう。今では、こんなことは考えもつかないし、思っても実際はできないだろう。  コルカタに到着したのは、3月初旬だったけれども、空気はモワッとし、暑い。えも言えぬ匂いが鼻につき、町中が喧騒に包まれている。道には牛が堂々と歩き、糞だらけ、ゴミも散乱している。物乞いの子供達が近寄ってくる。僕は、異国に来たことを強烈に感じ戸惑った。  まずは、最初の目的地へバスと列車を乗り継ぎながら向かう。現地ではインド人に色々助けてもらった、バスの停留所や駅のホームなど、行先を言うと連れてってくれる、お礼に、百円ライターをあげると、こちらがびっくりするくらい喜んでくれたのを思い出す。 困ったのは、やはり食事だ。渡航前から水には気をつけるように言われていたので、極力生水は避け、水分は果物で摂っていた。しかし果物を洗っていた水が残っていたのか、何度もお腹をくだした。抗生物質でなんとか回復はしたけれど。あと、案外役に立ったのが、蚊取り線香だ。蚊だけではなく、よくわからない虫が部屋の中に住んでいる。初めは驚いたが、次第にあたりまえになっていた。そんな時の蚊取り線香は無敵だった。
また、その日泊まる宿を探す。今はどうかわからないが、当時は安い日本人が集まるユースホステルもあったので、案外そこは苦労をした記憶はない。
ドタバタしながら、最初の目的地、バラナシへ。ヒンズー教徒の聖地と呼ばれる場所。ガンジス川の川辺にある、よく沐浴風景がパンフレットなどに載っている場所だ。右岸には、寺院や巡礼者の宿舎など、所狭しと建物が立っているが、向こう岸の左岸はだだっ広い土地が広がっているだけ、インドでは左は不浄と思われている。理由は様々なんだろうが、トイレは左手、食事は右手。
川の色も黄土色で決して清潔とは言い難いが、巡礼の人々は、川に入る。また、そこで暮らしている人々は、歯磨き、洗濯などの日常生活を営んでいる、まさに混沌としている風景が広がっていた。
川辺で、目に入った光景に僕は少し緊張し、固まっていた。煙がゆっくりと立ち昇っている。「火葬場」だ。じっと見ていると、目つきの鋭い、彫りの深いインド人が耳元で「ロング ルッキング プロブレム」と囁いていた。(ここは言うことを聞かないとヤバいな)そっと、視線を外し、英語が全くわからないフリをして、その場を離れた。その後、観光客用の小舟に乗る。川面を見ながら、「あぁ、僕は単なる観光客なんだ。決して、川には入れないし、そこで歯磨きもできない。」

彼らにとって、街の汚濁や喧騒などは実に些細なことなのだ。輪廻転生、「生まれ変わる人生」に祈りを捧げに来ている。火葬されガンジスに流されることで全ての罪が洗い流され、生まれ変われると信じているのだろう。
カオスの象徴のようなガンジスのそれは今なお、僕の心の奥底に刻印されている光景の一つである。