インド・ネパール17日間。僕が社会人になる前の大学の卒業旅行。

今もなぜ、「インド」だったのか、作家、藤原新也さんの「印度放浪」という本を読んだせいだったのか、それだけではなかった気がする。働き出すと自由な時間がなくなるので、その前に「気軽な旅をしてみよう」そんな思いだった。もう36年前になる、1987年。
コルカタ(旧カルカッタ)というインド北東部の都市へ入って、17日目にニューデリーから出国。決まっているのはそれだけ、宿泊先も、行先も全く自由な、自分自身で決める旅。初めての海外で、ひとり旅。頼りは『地球の歩き方』という一冊の本のみ。今考えると、こんな無謀な旅は若さゆえにできたのだろう。今では、こんなことは考えもつかないし、思っても実際はできないだろう。  コルカタに到着したのは、3月初旬だったけれども、空気はモワッとし、暑い。えも言えぬ匂いが鼻につき、町中が喧騒に包まれている。道には牛が堂々と歩き、糞だらけ、ゴミも散乱している。物乞いの子供達が近寄ってくる。僕は、異国に来たことを強烈に感じ戸惑った。  まずは、最初の目的地へバスと列車を乗り継ぎながら向かう。現地ではインド人に色々助けてもらった、バスの停留所や駅のホームなど、行先を言うと連れてってくれる、お礼に、百円ライターをあげると、こちらがびっくりするくらい喜んでくれたのを思い出す。 困ったのは、やはり食事だ。渡航前から水には気をつけるように言われていたので、極力生水は避け、水分は果物で摂っていた。しかし果物を洗っていた水が残っていたのか、何度もお腹をくだした。抗生物質でなんとか回復はしたけれど。あと、案外役に立ったのが、蚊取り線香だ。蚊だけではなく、よくわからない虫が部屋の中に住んでいる。初めは驚いたが、次第にあたりまえになっていた。そんな時の蚊取り線香は無敵だった。
また、その日泊まる宿を探す。今はどうかわからないが、当時は安い日本人が集まるユースホステルもあったので、案外そこは苦労をした記憶はない。
ドタバタしながら、最初の目的地、バラナシへ。ヒンズー教徒の聖地と呼ばれる場所。ガンジス川の川辺にある、よく沐浴風景がパンフレットなどに載っている場所だ。右岸には、寺院や巡礼者の宿舎など、所狭しと建物が立っているが、向こう岸の左岸はだだっ広い土地が広がっているだけ、インドでは左は不浄と思われている。理由は様々なんだろうが、トイレは左手、食事は右手。
川の色も黄土色で決して清潔とは言い難いが、巡礼の人々は、川に入る。また、そこで暮らしている人々は、歯磨き、洗濯などの日常生活を営んでいる、まさに混沌としている風景が広がっていた。
川辺で、目に入った光景に僕は少し緊張し、固まっていた。煙がゆっくりと立ち昇っている。「火葬場」だ。じっと見ていると、目つきの鋭い、彫りの深いインド人が耳元で「ロング ルッキング プロブレム」と囁いていた。(ここは言うことを聞かないとヤバいな)そっと、視線を外し、英語が全くわからないフリをして、その場を離れた。その後、観光客用の小舟に乗る。川面を見ながら、「あぁ、僕は単なる観光客なんだ。決して、川には入れないし、そこで歯磨きもできない。」

彼らにとって、街の汚濁や喧騒などは実に些細なことなのだ。輪廻転生、「生まれ変わる人生」に祈りを捧げに来ている。火葬されガンジスに流されることで全ての罪が洗い流され、生まれ変われると信じているのだろう。
カオスの象徴のようなガンジスのそれは今なお、僕の心の奥底に刻印されている光景の一つである。

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