大阪府知事・市長のW選挙は維新vs非維新の構図でしたが、蓋を開ければ、維新の圧勝と言えるでしょう。

これはある意味、大阪vs東京という構図にもなるかもしれません。
今後の大阪の暮らしを良くするために、一枚岩で大阪活性化を目指して欲しいものです。

昨今の景気動向は、どうなんでしょう。
夜の街に繰り出すとその人出の多さを感じます。
昼間はやはりインバウンドによる海外の人々の姿が多く見られます。特に大阪道頓堀界隈は、まさしくアジアマーケットと間違いそうになるくらい、多言語看板が目立ちます。

私が社会に働き出したのは、1987年、まさしくバブル時代です。それこそ街は活気にあふれ、北新地などは社用族でいっぱい。タクシーは全然つかまらない。仕事も断りきれないくらい次から次へとやってきた頃です。
まだ、私はペーペー時代ですが、飲み歩くのに困った経験があまりない、先輩にいつもご馳走になっていた時代です。
しかし、そんな豪華絢爛な時代が終焉に近づいていることに気づかず、時代は過ぎて行きます。
大阪では1990年国際花と緑の博覧会が大々的に開催され、企業パビリオンはその技術力や、豪華さ、華やかさを競ったものです。
とりわけその頃は、銀行を中心としたパビリオンはライバルに負けじと費用をかけて威信をかけたものです。
その後、1990年以降、急速に景気が停滞していきます。その時はこれがバブル崩壊とは気づかず、きっとまた反転するだろうと思いつつ、「こんなはずじゃない」と誰もが考えてたのかもしれません。
そして、当時日本の四大証券会社のひとつ、山一證券が自主廃業したのが、1997年の今日11月24日です。男泣きした社長会見は大きくメディアに取り上げられ、バブル崩壊の象徴的なシーンになります。

その後、失われた20年と呼ばれる経済低迷期に突入。あれほど栄華を誇っていた都市銀行も13行ありましたが、その後合併などを繰り返し、今や5行(定義によっては4行)になっています。
社会人になって30年、その間の日本経済の浮沈、中国の台頭等、グローバル化は一層進んでいます。極東の島国日本が、その中だけで経済発展できるほど世界は緩くないです。競争だけが全てではありません。しかし、そのグローバルな世界の中でいかに日本としての立ち位置を作っていくか・・・・・
景気は常に変動するものです。その波に揉まれないくらいの技術力とノウハウと情報力を持たないといけません。
今一度足元を見つめなおして真摯に仕事と向き合いたいものです。

株式会社ニューズさんの写真

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