私の子どもの頃は、隣のおばさんが、よく「親戚からもらったお団子、お裾分け」

「コロッケ作りすぎたから、お裾分け」「生きのイイ、お魚あったんで、お裾分け」・・・・

ご近所付き合いが当たり前にあった頃、よく「お裾分け」にウキウキしてた気がします。

 

 

 

 

「お裾分け」は「お福分け」とも言います。

 

 

この「お裾分け」によって、近所とのコミュニケーションのバランスが取れていたことは確かです。あまり、仲の良くないご近所さんには、やはり「お裾分け」しなかった気がします。

昨今は隣に住む人、どんな人・・・というくらい人間関係が希薄になっていますね。

 

この「お裾分け」は何も食べものだけに限らないですね。

 

「いい情報」があったら、あの人に教えてあげよう!と「情報のお裾分け」をしてあげる。仕事関係の人、仲のイイ友人・知人に、「この情報教えてあげたら、喜ぶだろう」と思って、お裾分けをします。

お裾分けは、、モノそのものじゃなく、そのコミュニケーションによって、「想い」が伝播していくんだろうと、思います。

独り占めしたところで、食べきれない、腐ってしまいます。

情報も一緒ですね・・・いい情報を持っていても独り占めしてたら、キットその情報の賞味期限が切れて、腐ってしまいます。

 

 

 

 

「お裾分け」はまさしく「お福分け」なんだと、最近、本当に思います。

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