32年程前、1984年縲怩W6年の頃、私がまだ大学生、世はバブル全盛期・・・・

友人と「何でも屋・何でもお手伝いセンター」を共同経営してました。まさしく【困ったことは何でもお手伝いします。】がコンセプト。

ワンルームマンションに、黒電話1本、B5版の片面チラシに、
大きく“電話番号と何でもお手伝いします”とだけ、大きく書いて日々、ポスティングと、駅前でのチラシ配り・・・・・・

日々電話は来ず、そんな毎日を過ごしていました。

が、ポスティングの甲斐があって、黒電話が鳴りました。
ジリリ縲怎刀Aジリリ縲怎貼r

向かった先は、尼崎の場末のスナック・・・・
貰った仕事は、油まみれの換気扇洗い。
家でもやったことない、換気扇洗い。
洗剤はアメリカ製の特別な洗剤ですなんて言いながら、
見よう見まねでナントカ洗浄。
取り付け直して、当時いくらだったろう、友人と2人で、2時間で5,000円くらいだろうか・・・・

無事、初仕事が終わったと思いきや、再び黒電話が
ジリリ縲怎刀Aジリリ縲怎刀E・・・・

取り付けが悪くて換気扇が落ちてきた・・・・・
結局、弁償として、お代を返却して、初仕事は、赤字。
前途多難なスタートでした。

が、

意に反して

黒電話がジリリ縲怎唐ニ鳴り続けました。
世の中、こんなにも困っていること、困っている人がいるんや、に気づきました。

『困っているところに、勝機有り』は、30数年過ぎ時代が今になってもやはり、そう思います。
インターネットや携帯電話がこれだけ普及しても、「困った」は無くならない。
時代とともに、困った内容は変わってきましたが、必ずそこに、商売の勝機が隠れていると思います。

「困った」を探すことで、Businessモデルが見つかるような気がします。

それにしても、あの場末のスナックのママは怖かったなぁ・・・

株式会社ニューズさんの写真

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