「国際寛容デー」

20年前の1995年 (平成7年) 11月16日に、ユネスコ総会で「寛容原則宣言」と「国連寛容年のためのフォローアップ計画」が採択されました。
これを記念して、1996年 (平成8年) 12月の国連総会で制定された記念日です。
国際デーの一つで、英語では「 International Day for Tolerance 」となっています。

先日13日の金曜日にパリで同時多発テロが発生、多くの方々が犠牲になり、また負傷者の方々も数多く、犠牲になられた方々にご冥福をお祈りいたします。

「イスラム国」が犯行声明を出していることから、その過激派組織が関与したとされています。

詳しいことは不勉強で、いい加減なことは言えませんが、長きに渡っての、歴史の過程における怨嗟の連鎖が今の状況を作り出しているのではないか、と考えます。

第三次世界大戦と言う人もいますし、本当に先の世界大戦とは様相は違いますが、新たな戦争と言ってもいいのかもしれません。

原爆を落とされた唯一の国として、日本ができること、発信すべきことが大いにあるような気もします。
当然、簡単なことではないことは十分承知していますが、蔓延するテロの恐怖を、またこれ以上犠牲になる方を増やさない為に、一体何を成せばいいのかを、今一度自分ごととして考えてみなければならない気がします。

当然、テロ行為は許されざることであります。
またその他、飢餓や病気、貧困、殺戮、本当に人間社会に蔓延するその不幸をどう解決していくか、長い歴史の中で、どう分かり合えるか・・・・・

国際寛容デーが設定された日ということもあり、「寛容」とは一体どういうことなのか・・・

“許す”、でもなく、“認める”、だけでもない。

寛容とは、(かんよう、英: toleration)とは自分と異なる意見・宗教を持っていたり、異なる民族の人々に対して一定の理解を示し、許容する態度である。(出典:ウィキペディア)

相手を理解する努力、相手を認める努力、相手を許す努力。
おそらく、単に認めたり、許したり、わかったふりをしても何の解決にもならない、そこには、努力が必要な気がします。
言い換えれば、相手に踏み込んでいく、という行動が伴わないといけないのではないか、と思います。
私一人の想いはちっぽけなものですが、今回のテロ行為、そのような行為に対する怒りとともに、「寛容とは?」もう一度足元を見つめ直す必要があるのではないでしょうか・・・・

株式会社ニューズさんの写真

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