1990年4月から、大阪鶴見緑地で開催される、通称「花博」への出向は確定してた、前年1989年からは、その準備で、てんやわんや、です。

40社からなる大輪会から、出向でコンパニオンが選ばれるとともに、一般公募でも面接を経て、合わせて、80名のコンパニオンが勢揃いです。マナー、接客などの研修をへて、1年前決起大会など、本番へ向かって様々な行事、などが重なりあいます。

これぐらい大きなプロジェクトになると、事務局そのものが会社組織のようなものです。総務、渉外、接遇、広報、運営、など様々なセクションでの動きになります。まだ若かったとは言え、大手広告代理店の担当者とタッグを組んで、まずは、組織の中でのポジションをしっかり固めないといけません。クライアント、その筋の方々、何たって、40社すべてがクライアントです。粗相はできません。コンパニオンも出向してるということは、クライアント筋・・・・・・・

なかなか、実は、厄介です。ただ、この大きなプロジェクトを動かすとなると、確実にチームワークが問われます。

館長以下、事務局員ばかりではなく、テクニカルスタッフ含めて、一致団結していかなければ、この長丁場は乗り切れません。

事前準備から、我々の闘いは始まっていると言ってもいいでしょう。

1989年、私は大輪会「水のファンタジアム」の催事ディレクターに任命されました。楽しくも苦しい、充実した日々の始まりです。

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