1989年、時にバブル崩壊の陰が忍び寄っていたと思いますが、大阪の業界的には、翌年の“花博”バブルで沸き返っていました。

まさしく、当時は博覧会ブームで、様々な地域で地方博含めて、開催されていました。

国際博となると、その規模も内容も違います。関西中の業界関係者は「その時」に向けてラストスパートをかけていました。

私は、「40社の企業の日」の企画打合せのため、参加企業40社回りをしていました。また、事務局主催のイベントの企画も合わせて考える・・・・・追いかけられるというのは、こういうことと、感じながら必死にこなしていました。

各企業さんには、概要説明から始まり、その意義、そして「企業の日」に出すイベントのリサーチ・・・・・単純に1日1社で40日かかります・・・・・

アポ取りから、日程調整、そして打合せ資料作りと、多忙な日々を過ごしていました。当然、パソコンじゃなく、ワープロの時代です。資料作りとっても、時間がかかります。メールも無い、FAXの時代・・・・・何もかも、そのスピードです。

 

そんな、準備期間も、「アッという間に」過ぎていよいよ会場入りです。知らぬ間に常駐スタッフになっていました。その日から、6ヶ月出向扱いです。通勤は花博会場のパビリオンです。その間、大きな共同体の中での生活が始まります。

 

1990年4月1日、賑やかに「国際花と緑の博覧会」は開幕しました。

 

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