先日“奇跡の同窓会”の話を紹介しましたが、昨日は小学校・中学校、もっと言えば幼稚園からの9年以上も一緒に過ごした「井高野・北江口」の井高野中学5期生の同窓会でした。

ここ数年2年ごとに開催されているようですが、私自身は始めての参加でした。

 中学校卒業後、高校、大学、社会人という月日の中で、会う機会もなく、本当に37年振りに会った恩師・友人。
お互い重ねた歳の分、色々と変化がありましたが、ある瞬間に37年前にタイムスリップしていました。
その当時のあだ名(呼び名)が自然と口から出てきたり、遊んだことどもが浮かんできたり、その頃はいわゆる思春期で精神的にも安定していない時期、ちょっとしたことが気に入らなかったり、突然反抗的になったり、全く今思い返すと恥ずかしいことばかりですが、ある意味それが思春期とするならば、ご容赦願うばかり、です。

井高野・北江口地区は、北西に安威川が流れ、南に神崎川、東は摂津市に接する大阪市の北東の位置にあります。
我々の子供時代は人口増加で市営住宅の建設ラッシュの頃です。沼地や荒れた原っぱ、田圃や畑が広がる、本当に田舎町でしたが、徐々に住宅が立ち並び、それとともに、人口も増えていきました。
なので、我々の中学時代は、45人学級が7クラスありました。300人強の学童がいたことになります。
そんな川に囲まれた地区だからと言う訳ではないんでしょうが、とにかく、井高野中学は荒れていました。ガラス窓のガラスが無いとか、河原で酒盛りして、新聞沙汰になったりとか、兎に角、我々が中学になる頃は本当に大変な状況だった気がします。1年先輩の学年は、毎日、親が授業参観していたくらいですから・・・・

しかし、今考えるとそんな閉ざされた地域だったからこその良さも感じます。今はすっかり市営住宅も綺麗な団地に建て替えされていますし、地下鉄も通って便利になっているようです。昔からの戸建以外は本当に様変わりしたようです。

昨日会った同級生も井高野・北江口から他の場所に引越した人も多く、逆に「井高野・北江口」で過ごした9年以上の少女・少年時代が故にそこは“我々のふるさと”として、生きているような気がします。

私もふと目を閉じて50数年を振り返る時、必ず出てくる風景は「その頃の、自分が過ごした、井高野・北江口の風景です」

道もアスファルトになっていない、そして公園からたくさんの子供たちの歓声が聞こえる、
そして何よりも早く大人になりたいと願いつつ多くの友人たちとの思い出です。
いかにたくさんの出会いがあったか・・・
当然その後の人生の方が長くなった今となっては、その期間も人生の5分の1ですが、あの頃の出会いや思い出は確実に今の私の原点をなす思い出であるような気がします。

大人になるにつれて、いろんな経験の中で、背負わなければならないことが増えてきます。時折そんな背負っているものを下ろしてみたくなります。

昨日の37年ぶりの再会は、単なる懐かしいというだけでなく、背負ったものをおろして、ものすごく素直な自分になれた時間だった気がします。

そういう場を作ってくれた同級生の幹事のみんなには本当に感謝をしたいと思います。

そして、残念ながら、若くして亡くなった友人たちに心よりお悔やみ申し上げます。

一期一会の世の中において、また会えるということは大きな喜びであり、あらためて、頑張ろうという勇気をもらった気がします。

株式会社ニューズさんの写真
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