Category Archives: 閑話休題

 毎年、京都清水寺で、その年の世相を表す漢字を貫主が揮毫されます。

師走の風物詩のひとつと言えます。
財団法人日本漢字能力検定協会がその年をイメージする漢字一字を日本全国から募集し、最も多かった字をその年の世相を表す漢字として発表しています。

今年2015年は「安」
安倍内閣の安保法案、相次ぐテロによる不安、マンション傾斜問題に対する不安など、安心・安全とその対極にある不安を今年ほど意識させられたということでしょうか・・・・

私も、改めて知ったのですが、この「今年の漢字の揮毫」が始まったのは、1995年、阪神淡路大震災の年からです。
もっと昔からある行事だと思ってましたが、まだ20年なんですね。それだけインパクトのある行事とも言えます。

ちなみに1995年の漢字は「震」
その後、
1996年「食」O157の食中毒やBSE問題。
1997年「倒」山一證券の廃業に代表される大型企業の倒産など。
1998年は「毒」和歌山毒物カレー事件やダイオキシンなどへの不安の高まり。
1999年は「末」まさしく、ミレニアムな年
(参考:ウィキペディア)

こうして振り返ってみると、その年の起こった出来事を象徴している字と言えますね。

2015年、今年もアッという間に終わろうとしています。
世界中を震撼とさせたてテロの脅威は未だ去ることなく、広がっています。
格差社会の広がり、先行きが見えない労働環境などなど、
安心して暮らせる日々は訪れるのでしょうか。

高齢化社会の中で、それぞれの世代が役割を果たし、豊かな人間社会を作っていく、過ぎた20年を振り返りつつ、その歴史に学ぶことも必要な気がします。

世相はある一面を表していますが、その奥深い所に、たくさんの課題が山積していることも確かです

来年こそは、安心・安全な世の中に、なってほしいものです。

株式会社ニューズさんの写真

 師走も半分が過ぎ、後いくつ寝るとお正月・・・って感じですね。

小学校時代はお正月が待ち遠しかったように思います。
ひとえに、「お年玉」がもらえる喜び、そしてやはり新年を迎える世間や家族のワクワク感が子ども心に高揚感をもたせたのだと思います。
いつしか、時の流れの速さにかまけ、そんなワクワク感も感じにくくなっています。
そんな慌ただしい中でも、仕事納めに向かっていろいろと忙しくやらないといけないことのひとつに、「年賀状」があります。

今日15日から、年賀状の受付が始まります。

日本郵便によりますと、スマートフォンの普及でネットを通じた新年のあいさつが広がるなか、年賀はがきの発行枚数は年々減少していて、来年分はことし分より3億枚少ない、およそ30億枚が発行される予定です。
それでも12月に扱う郵便物は通常のおよそ3倍に増えるため、日本郵便では、元旦に年賀状を届けるには、できるだけ今月25日までに投かんしてほしいと呼びかけています。
(NHK・NEWSWeb)

会社の年賀状、個人の年賀状。
ここ数年はパソコンで簡単に作ることができるので、その良し悪しは別として、自分なりの個性を発揮しつつ、作り上げます。
その年を振り返りつつ、来年に向けての思いを込めます。
本当は一枚一枚相手の顔を思い浮かべながら一言添えるべきなんでしょうが、何百枚ともなると、なかなかそこまでできません。なので、せめて自分の思いの詰まった年賀状を作成します。

今は、メールや SNSなどで、近況を簡単に知らせることができますし、連絡もたやすく取れる手段があり、疎遠になることも少なくなってきています。
非常に手軽になった分、一方では、有り難みが減ったようにも思います。
とは言いつつ、日頃の活躍をSNSなので見ると、勇気をもらったり、刺激になったりするので、いい意味で活用しています。

「年賀状」は一年のけじめという意味でも、先方への挨拶代わりに出すようにしています。
たった一枚の年賀状ですが、新年の始まりに「あっ、元気にしているんだな・・・」なんてほっこりできる瞬間もまたそれはとても大切な時間だと考えます。

歳とともに、出会いよりも別れが増えてきます。
本当は、会える時にその方と会いたいものです。

株式会社ニューズさんの写真

 滋賀県長浜市は、滋賀県の北東部に位置する城下町です。

羽柴秀吉が整備して以来湖北地方の中心地で、大通寺の門前町、北陸街道や琵琶湖水運の要衝として発展した町です。

 昭和27年から開催されている「長浜盆梅展」は歴史・規模ともに「日本一の盆梅展」として関西の新春の風物詩として親しまれています。
来年は1月9日から3月13日まで開催されます。
期間中、ライトアップを行う日もあり、会場でもある慶雲館の庭園も見どころのひとつです。

そして、1月30日(土)31日(日)2月6日(土)7日(日)の4日間、「第二回長浜梅酒祭り」を開催します。
場所は、長浜盆梅展開催の慶雲館の向かい側にあります、「長浜鉄道スクエア」の2階です。

この建物は日本に残る一番古い駅舎・旧長浜駅です。
明治15年、北陸線の始発駅として建てられた駅舎です。
文明開化を伝えるイギリス式の珍しい建物として一般公開しています。
その歴史ある建物を会場に、今回も50種類の本格梅酒を厳選し、飲み比べをしていただきます。
日本で唯一の梅酒ソムリエ・金谷優氏の選んだ全国の珍しい本格梅酒を味わっていただけます。

盆梅展で梅を愛でてもらった後は、梅酒祭りで、梅を味わっていただく、まさに梅三昧の4日間です。

また、31日、6日の2日間は「梅酒づくりワークショップ」も開催(事前予約・長浜観光協会へ)自分なりの梅酒を作ってみるのもいいかもしれません。

冬の長浜は、寒いですが、旧市街地の黒壁スクエアなどを散策するのもいいかもしれません。

株式会社ニューズさんの写真
株式会社ニューズさんの写真
株式会社ニューズさんの写真

 ボージョレヌーボーは今や誰でも知っているワインです。

11月の解禁日には、イベントとして、多くの人々が楽しんでします。

 ボジョレー・ヌヴォー (Beaujolais Nouveau) とはフランスのブルゴーニュ地方南部に隣接する丘陵地帯・ボジョレーで生産されるヌヴォー(プリムールまたは試飲新酒)仕様の赤ワインである。したがって、ボジョレーの通常の赤ワインとは異なる。試飲酒だけに、通常のワインが出来上がるより早く試飲できなければ意味がないために、ヌヴォー(試飲新酒)用のボジョレーは、ブドウを収穫したら速やかに醸造してボトルへ詰め、収穫したその年の11月に出荷を済ませる。ヌヴォー仕様で軽い仕上がりの赤ワインである。(出典:ウィキペディア)

同様に、「梅酒ヌーボー」というものがあります。その年に漬け新酒を「梅酒ヌーボー」と名付け、12月最初の金曜日を解禁日としています。
まだまだ、知名度は低いですが今後メーカーの垣根を超えて多くの人々に受け入れられると思います。

そんな酒造メーカーの垣根を取っ払って梅酒振興のために、設立された「日本梅酒協会」があります。
全国で唯一の梅酒ソムリエ金谷優氏が理事長を務める協会です。

今年の2月には、滋賀県長浜において「第一回長浜梅酒祭り」を開催。梅酒ソムリエ厳選の50種類の梅酒の飲み比べができる祭りです。
これこそ、メーカーの垣根を超えたイベントで、貴重な梅酒を発見できるイベントです。
実に様々な梅酒があることを実感していただけるイベントを弊社もお手伝いさせていただいています。

将来的には「梅酒ヌーボー」から始まり、1年中、「梅酒」を身近なお酒として味わってもらいたいと考えています。

第2回長浜梅酒祭りは4日間開催されます。
昭和27年から開催されている「長浜盆梅展」の併催行事として、歴史を刻みたいと考えています。

是非、長浜へお越しいただきたいと思います。

株式会社ニューズさんの写真

 1泊2日の東京出張、打合せに合わせて別件訪問先のアポを取りつつ、東京にしかないものを見に行きます。

美術展、展覧会、展示会など、大阪では見られない催しものを・・・
今回は、岡本太郎記念館、森美術館で開催されている、「村上隆 五百羅漢図展」そして、東京ビックサイトで開催されている、国際ロボット展。
当然、しっかり打合せをしての間の観覧です。

 岡本太郎記念館は、東京青山の自宅を記念館として開放されています。氏のアトリエなどその当時を偲ぶように残されています。庭には所狭しと、氏の作品が無造作に置かれています。私はその作品群の庭でしばし瞑想することが好きです。

その後、六本木ヒルズまで、徒歩15分くらいでしょうか、森美術館の「村上隆」の展覧会へ。
圧倒的な五百羅漢図は現代の閉塞した世の中ををぶち破るような迫力でした。

そして、岡本太郎も村上隆も作品を自由に撮ってかまわないという点が良い。
芸術の無限さはその作品を写真で撮ったからといって、変わるものでもなく、またそれによって個々人へのアプローチが違う形で迫ってくる、そんな挑戦のように感じます。

そして、昨日は2年に1度開催される、「国際ロボット展」へ。

展示会ではそのブースデザインや、演出手法など製品などには直接関係がなくとも勉強になります。
ロボット展で見たロボットの進化は言葉で言い表せないほどです。産業用だけではなく、介護、医療、防災・減災、その他、人不足のおり、人に変わってロボットがその役目を果たしています。
いい意味で、危ない場所や単純作業など、人に変わって作業してもらった方が良い場合も沢山あります。
それによって、事故が減ったり、生命に関わるようなことがなくなれば、それはとても意義のあることです。

ただ、進化したロボットたちを見ていると、実は人間が使われているような錯覚陥ります。

33年前の今日、あの「E・T」が公開された日です。空前の大ヒット作品のE.T.はExtra-Terrestrialの略で「地球外生物」のことだそうです。

あれから30余年、ロボットが当たり前のように闊歩し始めるのもそう遠くないような気がします。

地球外生物はそんな地球をどんな思いで見ているのだろう、聞いて見たい気がします。

株式会社ニューズさんの写真

 中学時代の恩師の卒業式での言葉、です。

日頃は冗談ばかり言っていた恩師が妙に真面目な顔つきで、黒板に書いてくれた言葉です。

 今日から師走。師走は当て字で語源は諸説あるようですが、
師匠の僧がお経をあげるために、東西を馳せる月と解釈する
「師馳す(しはす)」が有力だそうです。
(出典:語源由来辞典)

とにかく、12月はアッという間に終わってしまう印象があるのも確かですね。
1年を振り返りつつ、忘年会に連日連夜参加し、クリスマスそして、大晦日がやってきて、新年を迎える。
今年はどんな年だったかなんて、振り返るにつれ、その歳月の早さに唖然としてしまうものです。

標題のごとく、
行く雲、流れる水は再び帰って来ない。
まさに、2015年は後1ヶ月で終了。
また新たな年になり、新たな出会い、新たな出来事に遭遇することでしょう。
この歳になってもなお、まだ勉強すべきこと多く、迷い戸惑いそしてそれでもなお、前を向いて歩くしかない。

この歳になると振り返ることが多くなりますが、
私は今後も「前のめり」に日々歩いていたいと思います。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
(方丈記 鴨長明)

株式会社ニューズさんの写真
 8年前に、初めて受講した『普通救命講習Ⅰ』
呼吸や心臓が止まったときに大切な「AEDの使い方」を含む心肺蘇生法を学ぶ講習で、主に成人に対する処置の方法を学びます。
基本中の基本です。
しかし、幸いというか、実際の生活の場で私がその経験を活かすことは、今までまだありません。
 月日が経つと、すっかりその講習で学んだことを忘れてしまったので、昨日8年ぶりに消防署で講習を受けてきました。
実際に冊子を元に、講義があり、その後実演です。
人形を相手にその実際を経験します。
1・・・意識があるか、呼びかけます。
2・・・周りの人に助けを求めて、救急車、AEDの手配をお願いします。
3・・・実際に息をしているかどうかを確認します。
4・・・胸骨圧迫そして、気道確保して人工呼吸
5・・・AEDが到着すればすぐにAEDを。
日本では毎年約6万人の人が突然心臓が止まって亡くなっているそうです。側にいる人が応急手当を行なっていれば助かる命も増えるはずです。
 しかし実際、人形相手であっても、胸骨圧迫の場所がわかりにくかったりしますし、本当にそのような場に居合わせた時に、自分は応急手当ができるのだろうか・・と考えてしまいます。
 理屈では理解していることでも、いざという時に本当に行動できるのかどうか、自信がないのが、正直な気持ちです。
救急車が到着するまでの時間が約8分と言われているそうです。なので、その8分の間にできること、最善を尽くすこと、難しいことではないと思いつつ、その勇気があるのだろうか・・・
技術的なこととか、専門的な知識以上に日頃からの心掛けといざという時の勇気が必要な気がします。
いつ、何時、そのような場に居合わせるかわかりません。
心したいものです。

 政府は、エネルギーを多く消費する白熱灯と蛍光灯について、国内での製造と国外からの輸入を2020年をめどに、禁止する方針を固めたようです。省エネ法の政令を改正することで、LEDに置換することになりそうです。

http://www.asahi.com/articles/ASHCT5JHKHCTULFA021.html

電球は、まさしく日本の明るい未来を象徴してた製品とも言えます。

「水道哲学」は、言わずと知れた経営の神様・松下幸之助氏の経営哲学のひとつです。

産業人の使命は貧乏の克服である。その為には、物資の生産に次ぐ生産を以って、富を増大しなければならない。水道の水は価有る物であるが、勝手に公園の水道水を飲んでも誰にも咎められない。それは量が多く、価格が余りにも安いからである。産業人の使命も、水道の水の如く、物資を無尽蔵にたらしめ、無代に等しい価格で提供する事にある。それによって、人生に幸福を齎し、この世に極楽楽土を建設する事が出来るのである。松下電器の真使命も亦その点に在る。
(出典:ウィキペディア。「勝手に」は筆者改文)

この言葉はまだ戦前・昭和7年における氏の演説の一部です。この後第二次世界大戦を経て、高度成長期に入る日本を豊かならしめたのは、氏の言う「水の如く」様々な電化製品などが一般国民に普及していったからです。
当然財界の努力とともに、政治・官僚、まさしく一億総中流を目指した結果と言えるかもしれません。

戦後の日本の経済復興は奇跡とも言われます。
当然、様々な世界情勢もその奇跡に寄与したことは否めません。
翻って現在の世界情勢はどうでしょうか。
テロが蔓延し、国境のない戦争とも言われています。原因は様々で、ことはそう単純ではないですが、ひとつは貧困格差による、若者たちの絶望・諦め・妬みなどがテロを生んでいることも確かです。

今、日本が為すべきことは、松下幸之助氏の「水道哲学」を世界において具現化することではないでしょうか。貧困格差の解消に向けて、日本国なりの世界貢献とは・・・・
簡単に論じ解決できないことであるのは承知していますが、ひとつの方向性ではないでしょうか・・・

今日は松下幸之助氏生誕121年目です。氏は黄泉の国(よみのくに)から、今の世界をどう思っているのでしょう・・・・

政府は、エネルギーを多く消費する白熱灯と蛍光灯について、国内での製造と国外からの輸入を、202…
ASAHI.COM

 大阪府知事・市長のW選挙は維新vs非維新の構図でしたが、蓋を開ければ、維新の圧勝と言えるでしょう。

これはある意味、大阪vs東京という構図にもなるかもしれません。
今後の大阪の暮らしを良くするために、一枚岩で大阪活性化を目指して欲しいものです。

昨今の景気動向は、どうなんでしょう。
夜の街に繰り出すとその人出の多さを感じます。
昼間はやはりインバウンドによる海外の人々の姿が多く見られます。特に大阪道頓堀界隈は、まさしくアジアマーケットと間違いそうになるくらい、多言語看板が目立ちます。

私が社会に働き出したのは、1987年、まさしくバブル時代です。それこそ街は活気にあふれ、北新地などは社用族でいっぱい。タクシーは全然つかまらない。仕事も断りきれないくらい次から次へとやってきた頃です。
まだ、私はペーペー時代ですが、飲み歩くのに困った経験があまりない、先輩にいつもご馳走になっていた時代です。
しかし、そんな豪華絢爛な時代が終焉に近づいていることに気づかず、時代は過ぎて行きます。
大阪では1990年国際花と緑の博覧会が大々的に開催され、企業パビリオンはその技術力や、豪華さ、華やかさを競ったものです。
とりわけその頃は、銀行を中心としたパビリオンはライバルに負けじと費用をかけて威信をかけたものです。
その後、1990年以降、急速に景気が停滞していきます。その時はこれがバブル崩壊とは気づかず、きっとまた反転するだろうと思いつつ、「こんなはずじゃない」と誰もが考えてたのかもしれません。
そして、当時日本の四大証券会社のひとつ、山一證券が自主廃業したのが、1997年の今日11月24日です。男泣きした社長会見は大きくメディアに取り上げられ、バブル崩壊の象徴的なシーンになります。

その後、失われた20年と呼ばれる経済低迷期に突入。あれほど栄華を誇っていた都市銀行も13行ありましたが、その後合併などを繰り返し、今や5行(定義によっては4行)になっています。
社会人になって30年、その間の日本経済の浮沈、中国の台頭等、グローバル化は一層進んでいます。極東の島国日本が、その中だけで経済発展できるほど世界は緩くないです。競争だけが全てではありません。しかし、そのグローバルな世界の中でいかに日本としての立ち位置を作っていくか・・・・・
景気は常に変動するものです。その波に揉まれないくらいの技術力とノウハウと情報力を持たないといけません。
今一度足元を見つめなおして真摯に仕事と向き合いたいものです。

株式会社ニューズさんの写真

 今日は著作権の日。

TPP発効を機に政府は「著作権法の改正」作業に入ったようです。様々な知的権利を保護する為に、今まで以上に細かく規定をするようです。

先般、マスコミを賑わせていた「五輪エンブレム」問題。
最近はすっかり話題にもならなくなりました。
マスコミの瞬間湯沸かし器ぽい取り上げ方の象徴ですね。
視聴率が取れると思えばこれでもかと毎日それを様々な角度から取り上げ、使い捨てカイロの如く、アッと言う間に話題にすらしなくなる。
問題提起しておいて、どうかな?と思いますね。
結局物珍しさ的な話題先行で、本当に考えなくてはならないことを置き去りにしている視聴率主義の賜物ですね。

まぁ、今日はそのことではなく、「著作権」のこと。
TPPによって環太平洋地域におけるグローバリズムは様々な規制緩和が行われます。
それは同時に競争原理に晒されるということです。
知的財産も同様ですね。

エンブレム問題において「真似る」ことが悪のように捉えられていましたが、事はそう単純ではないような気がします。

そもそも最初は「模倣」から始まり、その後いかに「独創」力があるものに変化・進化させていくかが大事なことだと考えます。
一流を見て、真似る事で自分を成長させることは、ある意味「独創」力をつける近道とも言えます。
芸術と呼ばれるものには、いずれもその流れをくむものがあるはずだし、それが流派と呼ばれるものとして確立されています。

「著作権の改正」が創作意欲を減退させることのないよう、自由でかつ自覚あるものとする為の改正にしてほしいものです。

株式会社ニューズさんの写真

 TBSドラマ、下町ロケットが好調のようです。

かの、半沢直樹シリーズを書いた池井戸潤氏の直木賞受賞作品のテレビドラマです。

下町の中小企業の町工場が、大企業と戦う痛快なドラマです。
視聴者の皆さんは、その理不尽だけども負けない小さな町工場に喝采をおくっているいるのでしょう。

どの業界にも、発注者がいて、それに対して請負仕事をします。元請け、孫請け、そのまた孫請けのような業界もあります。
そのピラミッドにおける理不尽さを知っているからこそ、このドラマが痛快に思えるのかもしれません。
しかし、やはり大企業にはマンパワーであり、資金力であり、それなりの体力があることは確かなことです。

我々の業界も、大手広告代理店と口座のあるなしは、取引先への信用のバロメーターになっていることは確かです。

しかし、どんなに大きな企業も最初から大企業であったわけではなく、日々の業績の積み重ねが信用を生み、信頼へと変わりそしてそのノウハウが歴史となっていったということです。

運だけでは、大きくなれません。
技術力やノウハウがないと飛躍はできない。
長く続いているにはそれなりの理由があります。

会社を立ち上げることは、現在は思っているほど、難しいことではないです。但しそれを続けていくことはとても難しいと感じます。
社会情勢や、取引先そのもののこと、もっと言えば担当者が転勤になったりすると、今までのように仕事が受注できるかどうか・・・、

昨今のように、インターネットでなんでも調べることができる時代にどう差別化をしていくか、ナンバーワンよりもオンリーワンを目指すにはどうすればいいか。
時代の趨勢を見極めながら、その道の王道をゆくことが大切だと思います。
足元をみつめつつ、雨が降れば傘をさし、嵐が吹けば、じっと耐え、そんな外的環境に負けない体力と知力を常日頃から、備えることが一番の重要なノウハウかもしれません。

ホンダ創始者の本田宗一郎さん、小さなベンチャー企業のホンダを世界のホンダにした偉大なる経営者。

氏の三現主義、「現場で、現物を手にとって、現実を知る」

そして、

「成功は99%の失敗に支えられた1%」

「進歩とは反省の厳しさに正比例する」

まさしく王道。

今日は氏の生誕109年の日。
その精神は日本の中小企業社に綿々と受け継がれています。

株式会社ニューズさんの写真

「国際寛容デー」

20年前の1995年 (平成7年) 11月16日に、ユネスコ総会で「寛容原則宣言」と「国連寛容年のためのフォローアップ計画」が採択されました。
これを記念して、1996年 (平成8年) 12月の国連総会で制定された記念日です。
国際デーの一つで、英語では「 International Day for Tolerance 」となっています。

先日13日の金曜日にパリで同時多発テロが発生、多くの方々が犠牲になり、また負傷者の方々も数多く、犠牲になられた方々にご冥福をお祈りいたします。

「イスラム国」が犯行声明を出していることから、その過激派組織が関与したとされています。

詳しいことは不勉強で、いい加減なことは言えませんが、長きに渡っての、歴史の過程における怨嗟の連鎖が今の状況を作り出しているのではないか、と考えます。

第三次世界大戦と言う人もいますし、本当に先の世界大戦とは様相は違いますが、新たな戦争と言ってもいいのかもしれません。

原爆を落とされた唯一の国として、日本ができること、発信すべきことが大いにあるような気もします。
当然、簡単なことではないことは十分承知していますが、蔓延するテロの恐怖を、またこれ以上犠牲になる方を増やさない為に、一体何を成せばいいのかを、今一度自分ごととして考えてみなければならない気がします。

当然、テロ行為は許されざることであります。
またその他、飢餓や病気、貧困、殺戮、本当に人間社会に蔓延するその不幸をどう解決していくか、長い歴史の中で、どう分かり合えるか・・・・・

国際寛容デーが設定された日ということもあり、「寛容」とは一体どういうことなのか・・・

“許す”、でもなく、“認める”、だけでもない。

寛容とは、(かんよう、英: toleration)とは自分と異なる意見・宗教を持っていたり、異なる民族の人々に対して一定の理解を示し、許容する態度である。(出典:ウィキペディア)

相手を理解する努力、相手を認める努力、相手を許す努力。
おそらく、単に認めたり、許したり、わかったふりをしても何の解決にもならない、そこには、努力が必要な気がします。
言い換えれば、相手に踏み込んでいく、という行動が伴わないといけないのではないか、と思います。
私一人の想いはちっぽけなものですが、今回のテロ行為、そのような行為に対する怒りとともに、「寛容とは?」もう一度足元を見つめ直す必要があるのではないでしょうか・・・・

株式会社ニューズさんの写真

 かの名優・高倉健さんが亡くなって今月10日で一周忌です。

もう1年も経つのかという思いです。
改めて、健さんの偉大さを感じざる得ません。
数多くの任侠映画やアクション映画に出演されていますが、私には「鉄道映画の健さん」が強烈に印象として残っています。

鉄道員(ぽっぽや)」「駅 STATION」などの鉄道映画は、私の中では最も健さんらしい名画です。
北海道の小さな駅から始まり・終わるそのシーンの数々。
人生の様々な人間模様が駅を拠点に奏でられる。
まさしくそれは奏でているようなシーンの数々。
日々の生活でも、出会いがあり、別れがあり
“今の生活”に関わりのない人とは疎遠になりがちです。
最近はFACEBOOKなどで知り合いの近況を知り得るツールなどがあるので、疎遠感が薄まっているのも確かですが・・・

一体、何人の人と出会い、別れるのだろうか・・・
ふと最近そんなことを考えます。
小中高校時代、大学時代、社会人になってから出会った人々。
本当に、一期一会の中で生きているんだと実感します。

我々は、いつも人が行き交う「駅」という舞台で生きているのかもしれません。自分の立ち位置は一緒なんですが、行き交う人が変わって、出会い、そして別れ。
そんなことの繰り返し。決して昨日と同じことは繰り返されない。

ある本で読んだ言葉があります。
師と弟子の問答です。
「君は過去を変えることができるか?」
「いや、できません」
「君は未来を変えることができるか?」
「はい、できます」
師曰く、
「それは無理だ、未来は変えるものではなく、創造するものだ。だから、今を必死で生きるのだ」
未来の姿は、今を生きているその姿、ということです。

健さんの刹那すぎる映画の数々。
出会いと別れ、過去と未来の交錯する“今・現在”を本当に印象深く刻んだ俳優さんだと改めて感じます。

あらためて、高倉健という偉大な名優に心からお悔やみ申し上げます。

株式会社ニューズさんの写真

 最近、「ドローン」事件のことはあまり聞きません。

「ドローン」という名称がなんとなくネガティブな気がするのは私だけでしょうか・・・

もともとは、無人で飛行する航空機の総称は、UAVと言います。

そもそも無人航空機は冷戦初期に、軍事用に開発されたものです。
日本でのそれは農楽散布用で使われていたようです。
またその後災害時における被災状況の映像配信など、その用途は多岐にわたっています。

昨今問題になっていたのは、素人が簡単に飛ばせる、当然コストも下がってきている中での出来事です。
使い方によってはそれは有益にもなれば、とんでもない事故を起こすことも想定されます。

政府は2018年度を目処にドローンによる荷物配送を、また自動運転車の公道での実証実験を可能にし、2020年には東京五輪で活用できるように規制を緩和する方針です。

ドローンによる、荷物配送は医療機関が手薄な離島、山間部などで活用されるようです。
自動運転車は運転手の操作がほぼ不要になり、五輪時での選手村や会場間のシャトルバス、タクシーでの活用を考えているようです。

それぞれの活用を可能にするために、航空法、電波法、道路交通法などの規制を見直す方針ということです。

今までそれができなかったところには、様々な規制があったということです。
当然、素人ドローンみたいなことで事故が起こることも多々あることを思えば、それもさりありなん、です。

しかし、一度、規制が緩和されると、様々な企業が参入してくることも確かです。
すでにドローン配送ではアマゾンが活用を検討しているようです。ドローンを活用したビジネスチャンスは業界を問わず生まれてきそうです。

また自動運転車が当たり前になれば、高齢化社会における車のあり方も変わってきそうです。

便利になれば、それに付随して生活パターンも変わってきます。昔が良かったというのは、単なる郷愁とも言えますし、確実に人間生活が豊かに、便利になっていることは確かです。
水洗トイレがない時代、浄水器が無い時代、様々な意味で進化が人間社会にいい影響を与えていることは否め無いです。
しかし反面、その便利さ故に失ったものもあるのは確かです。
ともかく、便利になったり、今まで行けなかった山間部に医療が届く、人にとって良いことは進めていくべきです。

安全には十分留意していただいて、新たな問題が不幸をもたらさ無いことを祈るばかりです。

株式会社ニューズさんの写真

 今日11月5日は「津波防災の日」です。

4年半前の2011年東日本大震災を受けて制定された法律です。
まだまだ、復興半ばであり、その間にも日本中、至る所で、地震や火山噴火、豪雨などにより、人々の生活を脅かす自然災害が起こっています。
しかし、この自然災害列島の日本においてそれは避けることのできないことでもあります。
だからこそ、我々は、その自然に対して真摯に向き合わなくてはいけません。
災害は忘れた頃にやってきます。
また自分だけは大丈夫という根拠なき理由を持ている人もいます。いつ、何時どこで、そんな災害に遭遇するかわかりません。

備えあれば憂いなしと言いますが、備えあっても憂いがある時代に突入していることは確かです。
それでも日頃から備えをすることで、災害を意識することは決して無駄なことではありません。

私は今から新潟です。
昨年は和歌山で開催された「大規模津波防災総合訓練」の現場のためです。
毎年、スマトラ沖地震以降、日本各地で持ち回りで開催している訓練です。
自治体はもちろん、県警、消防、自衛隊、海上保安庁、インフラ整備では、水道、ガス、通信などなど、実に様々な機関が連携しながらの訓練です。
地震が起こり、津波がやってくることを想定した訓練です。
当然、場所によってもその訓練内容も変わってきますが、様々な機関が連携しながら訓練することに意味があります。

この自然災害列島・日本でその自然に慄くだけではなく、共存共栄しながら、生活をしていくことが大切です。

そして、災害が起こった時に、自助、共助そして協働するために、日頃から「自然災害」に対する心構えをしていたいものです。

株式会社ニューズさんの写真